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37 二月 バレンタイン

 冷気を残す二月。三寒四温を繰り返し、徐々に気温が上昇する日々。だんだん陽だまりが広がり、雪は溶けゆく。極寒を超えたあとはほがらかな暖気に包まれるばかり。



 流血事件が発生した。時刻は土曜の昼すぎ、場所は瀬野くん宅。

 被害者は加害者に刃物で左手の人差し指を切りつけられ、軽傷を負った。現場となったキッチンは一時騒然となり、周囲は料理の手を止めるなどの影響を受けたものの、現在は一部再開しているとのことである。

 ちなみに、


「……絢理たん、だから粉はかっててって言ったのに」

「今日はいける気がした」

「全然いけてないじゃん。慧斗、絆創膏ある?」

「取ってくる。洗って待ってて」


 被害者は私で、加害者も私だ。



 バレンタインというものがある。至るところでチョコレートが奉りあげられ、各製菓会社がこぞってチョコレート系の商品を大売り出しする、素晴らしきイベントである。

 一説によると、女性が男性にチョコレートを贈る日などと解釈している輩もいるそうだが、悲しきことに瀬野くんがそれだった。


「瀬野くんが料理しろとか言うから、包丁に襲われた」

「ごめんな。貼るから動かないで」

「慧斗甘すぎ。絢理たんも人のせいにしないの。自分がよそ見してたからでしょ? ほら、あっち行ってて」


 遥菜に背中を押されてキッチンから追い出される。学期末テストは瀬野くんに教えてもらったおかげか、全教科赤点回避し、なんと数Ⅱにいたっては平均点も取れた。なのに、ここで落第するなんて。

 指先はじんじんと痛んで、絆創膏のガーゼの部分がじんわりと赤く染まっていく。偶然にも板チョコの包装紙と同じ色だ。



 私にとってのバレンタインは、女性が男性にチョコをあげる日ではなく、女性が男性に贈り物を貰う日だ。

 父は毎年母にプレゼントや花束を渡していたし、兄も私に少し良いお店のチョコを贈ってくれていた。うちは紳士の国を見習った家庭なのだ。

 なので、私は貰う準備万端で、数日前からチョコレート絶ちまでしていた。


 ところが、かの日、瀬野くんは例年鬼のように貰うチョコの一切を断って、意気揚々とD組に来たかと思えば『佐藤さん、チョコください』と可愛らしくおねだりしてきた。私も『瀬野くん、チョコください』とおねだりしてやった。

 結果、私も瀬野くんもチョコを貰えず、呆然と立ち尽くしていたら、見かねた辰巳くんがこう提案した。


『そう落ち込むなって、慧斗。俺も遥菜から貰ってねえし』

『私があげてないっていうか、毎年どっちかの家で二人で作ってるんだよね。ケーキとかクッキーとか』

『遥菜さん料理好きだもんね。今年は慧斗らも一緒にやる?』


 遥菜と辰巳くんは、いつでも私たちの一歩先をゆく。

 そうして、キッチンが広く、かつ、一人暮らしの瀬野くん家が選ばれ、バレンタインリベンジマッチが開催されることとなった。



 板チョコを刻むという超初歩段階で敗退してしまった私は、とても暇を持て余していた。野乃ちゃんやつーくんもいればよかったけれど、昨日の今日で誘うタイミングがなかった。

 暇つぶし相手がいない。ぼっち、ここに極まれり。


 のたのたリビングを徘徊し、テレビを見て良いことを思い付いた。対面キッチンのカウンターから中を覗き込む。たまごを泡立てている遥菜、粉をはかる辰巳くん、そしてチョコを湯煎している瀬野くんがいる。

 私は瀬野くんに話しかけた。


「瀬野くん、瀬野くん」

「ん?」

「パソコンかタブレット持ってる?」

「タブレットPCなら。どした?」

「貸して」

「……え?」


 ボウルから顔を上げる。表情は引きつっていた。


「だ、ダメ」

「なんで?」

「……ネットは、なんつーか、色々あんの。なあ、優吾」


 歯切れが悪い。話しかけられた辰巳くんも手を止めて、困った顔。


「まぁ、間違えて変なサイト見ちゃうかもしれないから」

「そうそう。ウイルス踏んだら大変なことになるな」

「ワンクリック詐欺あったりね」

「変な広告も多くて危ねえし」


 二人が顔を見合わせて、乾いた笑いを見せる。なんの話だ。私は映画が観たいだけなのに。


 私は、家ではリビングのテレビ、または家族共有のタブレットで映画を観ている。会員見放題のサービスに非常にお世話されている。

 ここでも会員としてサイトにログインし映画を観ようと思ったものの、スマホの画面は小さいし、瀬野くん宅と自宅のテレビは仕様が違うので、パソコンかタブレットを借りようと考え付いたのだ。

 しかし、ネットが危ないということは、瀬野くんの機器はセキュリティが脆弱なのだろうか。部外者が下手に触ると危険だ。


「わかった。遠慮しておく」

「おう。やめとけやめとけ」

「じゃあ、瀬野くんの部屋、探検してきていい?」


 あ。瀬野くんがゴムベラを落とした。辰巳くん、ここは笑いどころではないぞ。落ちたチョコがもったいない。

 直後、遥菜から「疲れた!」と悲鳴が上がった。


「ハンドミキサー持ってこればよかった。泡立て器もう限界」


 瀬野くんは私を見て、落ちたゴムベラを黙って見つめ、やがて深いため息をついた。


「鈴井さん、ブレンダーならあるんだけど使い方わかる?」

「ブレンダーって先を色々変えれるやつ? 使ったことなーい」

「おけ、教えるわ。ところで優吾くんはそれ終わった?」

「今ちょうど」

「よし。佐藤さん、部屋は片付けてないから、代わりに優吾と遊んでて」

「佐藤さん、お部屋探検はやめて俺とゲームしようぜ」


 ぽすっと瀬野くんの背中を叩いたあと、ニコニコして辰巳くんがキッチンから出てきた。

 遥菜といちゃつきたかっただろうに、わざわざ私と遊んでくれるなんて。申し訳ないと思う反面、ラッキーと思ってしまった。暇つぶし相手、大歓迎。



 対戦だとボコボコにされてしまうので、協力ゲームをすることになった。二人で敵を倒しながらステージをクリアするアクション協力ゲームだ。

 私は何度も死に、その度に辰巳くんが一人でクリアした。ほとんど辰巳くんのソロプレイ。雑魚の私が足を引っ張っているので、縛りプレイだ。


「辰巳くん、うますぎる」

「ありがと。これ遥菜ともやったことあるからなー」


 ソファーに横並びになって、お互い液晶画面に向かって喋る。不思議な感じ。

 遥菜と辰巳くんが仲良いのは知っていたが、ゲームもするのか。


「遥菜とゲーム、よくするの?」

「んー、最近はあんま。テストあったし、俺は受験勉強もやんないとだから」

「もう受験勉強?」

「遥菜が同じ大学行こって言ってくれたから」


 そっか。もう二年生も二月の半ば。あと一年経てばみんなバラバラの道を行くことになる。しかし、私は未だ進路を決められていない。進学はするつもりだけど、それは兄の真似をしただけ。

 画面の中の私が死んで、辰巳くんのソロプレイが始まった。


「俺ね、高校は遥菜追いかけてここ選んで」

「そうだったんだ」

「大学は学力的にどうしようか迷ってたんだけど」

「遥菜何気勉強できるもんね」

「そそ。でも、一緒に行こって言われたら俺が頑張るしかねえし」


 強敵をぽこぽこ倒して、ゴールの階段を登っていく。


「あと、遥菜も俺と一緒にいたいって思ってくれてるの、めっちゃ嬉しくてさ」


 ゴールの爽快な音が流れて、辰巳くんがニッと笑った。



 自動的に次のステージに進んで、私がスッと復活する。すぐにデフォルメされた敵がトコトコ突進してきて、慌ててジャンプ。


「あわ、危ない」

「セーフ。佐藤さんはゲームあんましない?」

「しないかも。……あ、嘘。この前した。橘さ、松永くんの彼女たちと遊びに行ったとき」

「ダブルデート? ネズミーランド行ったんだっけ」

「うん。あっ」


 たまたま最強アイテムが取れて、無敵モード。ドヤ顔で敵の密集地に突っ込んだところで、無敵時間が切れた。そして、画面の中の私が再び即死。

 辰巳くんがぶはっと吹き出す。


「やばい、見たことないプレイされんの、めっちゃ面白い」

「初心者いじめされた。瀬野くんたちとやったゲームもダメダメだった」

「何したの?」

「銃で撃つやつ。アトラクション乗って、画面にバンバンするやつ」

「あの腕疲れるやつか」

「うん。ちょこっとしか当たらなかったけど面白かった」


 思い出して顔がにやける。ダブルデートは楽しかった。長い待ち時間もあっという間に過ぎていったし、ショーも近くで見れた。その翌週に行った映画デートも、ずっとふわふわ気分だった。

 にやにやしていると、辰巳くんが優しくくすっと笑った。


「俺が言うのも変なんだけど」

「うん?」

「二人が仲良くしててよかったわ」


 仲良く? ……あぁ。


「瀬野くんよく喧嘩する人だもんね。私たちが喧嘩すると思って心配してた?」

「けん、え、慧斗が?」

「つーくんとよく口喧嘩してた」

「あー、いや、あれは、そう、だな」


 何故か動揺して、画面の中の辰巳くんが敵に当たった。二人とも死んでステージから強制退去。

 辰巳くんがおかしそうに笑いながら言った。


「心配はしてねえよ。慧斗、つーくんのこと気に入ってるし」

「そうなの?」

「裏表ないとこが良いんだよな。俺も好き。つーくん口悪くて面白い」

「確かに、つーくん全員に容赦なくグサグサ言う」

「なー。人で態度変えねえとこ、超つーくんって感じ」


 二人揃ってふふっと笑う。

 辰巳くんが同じステージを選択して、ススッと私と辰巳くんが復活。ゲーム再開。


「慧斗が好きなのそういう人だから、佐藤さんも好かれてんだろうなー」


 むむ。つーくんと私が似ているということは、ぼっちということだろうか。それとも毒舌というところか。前者は自覚しかないが、後者は無自覚だった。


「私、そんなに口悪いかな」

「や、そうじゃなくて。佐藤さんの嘘つかないとこが好きなんだよ」

「……優吾、絢理たん好きなんだ?」

「えっ!?」

 

 後ろから遥菜の声がし、辰巳くんが振り返ったせいで、ゲームの中の辰巳くんが私より先に死んだ。孤軍奮闘。いいだろう、敵よ、一族郎党皆返り討ちにしてやる。


「ちが、待って違う、遥菜」

「私も絢理たんのそういうとこ好きー。違うって何が?」

「あっ? いや、俺も嘘つかない人好き。特に遥菜とか」

「私も優吾の素直なとこ好き、犬っぽくて」

「い、犬……」


 あ、死んだ。このゲーム、どうあがいても敵が強すぎる。死にまくってしまう。何かが壊れてるんだ、絶対。私は無言でコントローラーを遥菜に渡した。



 遥菜はソファーに来たのに、瀬野くんはキッチンにいるまま。覗きに行けば、チョコレートの甘い香りで満ちたキッチンで、棚からカップをいくつか取り出していた。


「瀬野くん、何してるの?」

「飲み物準備。鈴井さんと優吾は紅茶で、俺はコーヒー。佐藤さんは?」


 紅茶かコーヒーか、どうしたものか。私の家は英国紳士思考だが、私は紅茶が飲めない。コーヒーも苦いから嫌。いや、砂糖とミルクをたっぷり入れたら飲めるかも。

 言いあぐねていたら、瀬野くんが顔を覗き込んできた。


「ココア?」

「ココア!」

「おけ。ココアも好きだよな、佐藤さん」


 瀬野くんが冷蔵庫から牛乳を取り出してミルクパンに注ぐ。電子レンジじゃなくて、きちんとお鍋で温めるんだ。正月のときもだったが、瀬野くんの料理は案外本格的だ。料理するのが好きなのかもしれない。


「瀬野くん」

「ん?」

「今度は一緒に料理しよう」

「佐藤さん嫌じゃねえの? 怪我したのに」

「レトルトとかなら怪我しない」

「……そうだな」


 頭をなでなでされる。哀れみを含んだ目なのは気にしない気にしない。

 これからも仲良く一緒にいようね、瀬野くん。

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