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35 一月 夕焼け

 ため息をして、ぐてっと自室の天井を向く。今日だけでベッド上で寝返りを百億回は打った。もうベッドの住人は懲り懲りだ。外に出たい。学校に行きたい。引き籠もりマンの私がこんなことを思う日が来るなんて。

 インフルエンザ、恐るべし。


 冬休みも終盤、明日からはいざ学校再開、というとき高熱が出た。即座に病院に連行され、インフルエンザと判明。私は三学期の始業式の裏で家に軟禁されていた。


 病に罹ると優しくしてもらえる、と思いきや、高校生ともなれば全くそんなことはなく。兄は仕事始めで自宅に帰り、父もお仕事、母も日中はパート。私はひたすらお留守番。

 好きで家に籠もるのと、嫌々籠もらされるのは大違いだ。自由にコンビニも行けやしないし、適当に散歩もできやしない。お気に入り作家の新刊もコンビニの新作スイーツもお預けなのである。



 一昨日、ようやく熱は下がった。おそらく明日には外出できるようになる。しかし、私はどうしても今日がよかった。今日という今日だけは、特別な日だったのに。


 昼すぎに起きて、朝のルーティーンをこなす。顔を洗って歯磨きして、正月セールで兄におねだりしてゲットした可愛いルームウェアに着替える。リビングで作り置きされたご飯を食べながら、テレビに向けてリモコンをぽちぽち。

 何の映画を観ようかな。長期休暇とやることが変わらない。今は外にも出られないのだから仕方ない。興味のある作品はあらかた視聴済みなのも仕方ない。

 今日はあえて過去に観たことがあるホラーにしよう。私はオレンジジュースを用意したあと部屋の電気を消し、ソファーに深く腰掛けて再生ボタンを押した。



「あーやりー、ただいまー」


 エンドロールが流れ始めたとき母が帰ってきた。抱きしめていたクッションを横に置く。展開がわかってはいても、忘れていたビビらせポイントがあって普通に怖かったので、ちょうどよかった。

 玄関では、パートと買い物帰りのためか、母が荷物に囲まれていた。


「おかえりなさい」

「今日は寝起きじゃないのね。起きてたんだ」

「そうだよ、偉いでしょ」

「はいはい、偉い偉い。そーんな良い子な絢理ちゃんにプレゼントがありまーす。なーんだ?」


 母が両手を背中に回してニカッと目を細める。今日、母が私にプレゼントだなんて、一つしかない。


「ケーキ!」

「だいせいかーい!」


 隠し持っていたケーキ屋さんの袋を私にくれる。心躍る甘い香りがふわりと広がる。何ケーキだろう。夕食後のお楽しみ。


「お誕生日おめでとう、絢理。本当は朝言いたかったのに、全然起きてこないんだから」

「病人だから、やむなし」

「屁理屈ばっかり。明日からは学校行くんだし、きちんと起きなさいよ?」

「はーい」


 そう、今日は私の誕生日。だから学校には今日行きたかった。引き籠もらずに、みんなに会いに行きたかった。

 メッセージで済まされる『おめでとう』。明日になってしまったら、もう誰も祝ってくれないのに。



 買い物袋とケーキをキッチンに運ぶ。冷蔵庫に入れるときに買い物袋の食品をチェック。きっと今夜はシチューだ。


「あ、そうだ、絢理ー」

「何ー?」

「これ、あげる」


 パタンと冷蔵庫を閉めて振り向けば、母が可愛らしい紙袋をダイニングテーブルに置いた。


「ちょっと知らない人なんだけどね、家の前に人がいて、その人から貰っちゃって」

「え、不審者から不審物を貰ったの? 捨ててきたほうがいいよ」

「堂々と立ってたから不審者じゃないわよ」


 むちゃくちゃ理論だ。堂々としていても不審者は不審者だろう。得体の知れない人からの危険物を堂々と家に持ち込まないでほしい。

 警戒して距離を取ると、母がふふっと笑った。


「インターホン押すの迷ってたみたいでね。誕生日プレゼント渡してってお願いされたの」

「なにそれ、こわ。捨てよう」

「でね、絢理を呼ぼうとしたら、寝てるかもしれないからいいって言われて」

「か、監視されてる? 急いで捨てよう」

「でも、お母さんが学校とかで見たことある顔だったから、絢理の同級生じゃないかな。誰なのか聞いておけばよかったな」


 同級生の誰かということだろうか。それでも不審者に変わりない。知らない人から物を貰っちゃいけません、は今時の常識だというのに。


 母のお願いにより、危険な紙袋の開封の儀を執り行う。そっと紙袋の中身をチラ見する。

 二つのラッピングされた箱が入っていた。方や、シックで上品な箱アイスくらいのサイズの箱。方や、リボンが結ばれた片手で持てるサイズの小さな箱。

 一つを取り出すとパラリと小さな紙が落ちてきた。メッセージカードだ。流れるような筆記体で『Happy Birthday』のみ。本当に誰からだろう。怖いなぁ。


 私は爆弾処理班の気持ちを味わうことになった。謎の箱をおそるおそる開けるスリル。さっきまで画面の向こうにいたホラーが目の前に。

 けれど、ラッピングを取って蓋を開けてみれば拍子抜けした。上品な箱の正体は、有名なチョコレートブランドの洋菓子アソート。メインには気品溢れるオランジェットが鎮座している。

 そして、もう一つの箱は。


「絢理、絢理! このチョコって数量限定のだ。すごいね、お母さんは予約戦争に負けたもん……」


 母がハイテンションでお菓子の宝箱に目を奪われている内に、私は小さな箱を手に取った。考えるよりも体が動く。コートを腕にかけ、スマホ片手にリビングから駆け出す。


「私、ちょっと出掛けてくる」

「えっ、絢理?」

「晩ご飯までには帰るから。いってきます!」


 沈黙かつ雄弁に、私へ贈り主の名を告げたのは、一冊の古本だった。



 透き通る空気が芯まで冷え切っている町と、日が傾いて夜が降りるのを待つ黄昏時。影は黒く、どこまでも伸びていた。急がないと暗くなる。

 とりあえずスマホで贈り主に電話する。当てもなく、きょろきょろと家の付近を走りながら。相手は一コールも経たずに出てくれた。


『はい、どしたー?』

「ねえ、いま」

『今? 何かあった?』


 家を飛び出す前に母に引き留められて、マスクにマフラーに手袋にカイロに、色々と持たされた。私はもう元気になってるのに、母の心配性は大袈裟すぎる。


『なあ、さっきメッセージ送ったんだけど、既読つかなくて。寝てた?』

「め、めっせーじ、みてない、ごめん」

『全然。早く治せよ』


 家まで来ていて、かつ、贈り物を届けたのはさっき。私はすぐさま家を出たから、ターゲットは近辺にいてもおかしくない。


「あの、いっ、いま、どこ」

『……佐藤さんこそ今どこいんの? なんか、声がくぐもって聴こえるっつーか、走ってね?』


 息切れする呼吸を整えつつ、ぼんやり光る赤信号に足を止める。

 よくよく集中すれば、電話先から低い声とは違う音がする。遠のいて近付くザザーッという規則的な、潮の匂いを思い起こさせる音だ。

 私は知ってる、この町でこの音を聴ける場所を。


『佐藤さんマジで外いんの? 冗談抜きで早く帰れ。悪化したらどうすんの』

「瀬野くん」


 信号が変わってオールグリーン。衝動的に足が走り出す。住み慣れた町だ。先は迷わず行けるはず。


「あなたに、会いたくなっちゃった。お願い、待ってて」


 今日という今日だけは、特別な日だった。他の人にとってはどうでもいいような日かもしれないけど。

 でも、好きな人が会いに来た。だから、私も会いに行く。



 瀬野くんを発見したのは予想通り砂浜だった。堤防の道路沿いに置いてある自転車をヒントに、スマホを海にかざして立っている瀬野くんの元へ駆け寄る。


「瀬野くん!」

「わっ、ビビった」


 肩を跳ねて振り返る。そして、息をついて顔を覗き込んでくる。


「マジで来たのかよ。何かあった? 引き籠もりがわざわざモコモコ着込んで外出とか」

「えっと」


 言葉に詰まる。

 顔が見れた。声が聞けた。手の届く範囲に来れた。目的はすでに達成されたのだ。それ以外にわざわざ来た理由なんか、一つもなくて。


「ただ会いたかっただけ」


 瀬野くんがぱちくりを丸くして、そっぽを向いて頭をかいた。「んー」と考えるように声を出し、


「じゃあ、せっかく会いに来てもらったことだし、一応メッセも送ってたんだけど、改めて」


 私の髪をわしゃっと撫でて、柔らかく微笑んだ。


「お誕生日おめでとう、佐藤さん」

「…………ありがとう」


 きゅっと心臓が止まる。いつもより瀬野くんが眩しく見えた瞬間だった。

 それもつかの間、後頭部を押さえられて首を横に動かされる。くるっと海のほうへ。


「あと、佐藤さん寝てて見逃してそうだから、写真送ろうと思ってたんだけど」


 視界がキラキラで満ちる。沈みゆく太陽が辺りを照らし、水面がきらめく。遮蔽物のない砂浜は影一つなく、遥か向こうまで見える輝く海とどこまでも広がる茜色の空、そして優美に佇む真っ赤な夕日。

 目に焼き付くほど美しい夕焼けだった。


「一緒に見れて良かった」


 ああもう、瀬野くんがこういう人だから、私は些細なことで幸せになっちゃうんだ。



 今しかないと思った。


 次第に日が落ちていく水平線から目を離す。海上の空は夕焼けに彩られていて、けれど町中に近付くにつれて紫紺の夜に上塗られていた。

 そんな町を背負った瀬野くんの手を握る。冷たい手。どれだけここにいたんだろう。カイロを装備した運動後の私の、熱いくらいの両手で包み込んだ。まるで祈るみたいに。


「佐藤さん?」


 上手くいく気がする。だって、今日は特別な日で、私が一歳レベルアップした日だ。告白も、その返事も、全部上手くいく気がする。

 大丈夫、大丈夫。考えていたより緊張してない。それでも、緊張してないわけではないし、怖くないわけではないけど。

 どうか、私と瀬野くんの縁がここで途切れてしまいませんように。


「瀬野くん、好き」

「……え」


 少しだけ声を張ってもう一度。


「瀬野くん、好き。私と付き合って」


 ぎゅっと手に力を込めて、ゆっくりと瀬野くんを見上げる。視界の隅で日が沈みきったのが見えた。空には未だ赤みが残るまま。手は二人の体温が溶けて少しずつ温かくなってきた。

 瀬野くんの驚く顔が真っ赤なのは、夕焼けのせいか、寒さのせいか、はたまた。

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