32 十二月 クリスマス
冬休みになり、クリスマスを過ぎ、世間は年末に突入した。
瀬野くん家でのパーティーは大晦日直前に行う運びとなっていた。クリスマス前後は部活の集まりやデートなど、みんなは予定があったからだ。
私は、両親と兄がまだ仕事なので、暇を持て余したぼっちだった。夏休みよろしく、昼夜逆転の好きなこと三昧な最高の冬休みを謳歌。
そうして、パーティー当日に盛大な寝坊をかました。スリープモードによって保たれる静音で快適な睡眠を妨げたのは、迎えに来た瀬野くんが押したインターホンの音だった。
飛び起きてドアを開けた瞬間の、瀬野くんの驚いた顔は忘れられない。「パジャマ……?」と呟いた声も耳に残っている。人生の汚点である。
「佐藤さん寒くない?」
「……うん」
暖かい日差しと冷たい空気が混ざるお昼すぎ。私は瀬野くんとともに駅前を通過した。家と反対方向に歩いていく。
駅の向こう側はあまり行ったことがない。五、六年前に建った近代的なマンションが立ち並び、価格が高めの珍しいコンビニもあって高級感で溢れている。近寄りがたい雰囲気なのだ。
私はきょろきょろしながら、マフラーで口元を隠した。実はちょっと、焦っている。
なぜなら、瀬野くんが怒ってないから。多大なる迷惑をかけてしまったのにもかかわらず、怒ってない。あのキレキレマンが怒ってない。何か悪いものでも食べたのだろうか。
「あの、瀬野くん」
「ん?」
「や、その、遅れてごめん」
「それはもう聞いた。江星さんたちに怒られろ。かなり心配してたからな」
瀬野くんは怒らないのか。やはり体調が悪いみたいだ。お大事に。
というか、野乃ちゃんたちが心配しているならば、その人たちが迎えに来ればよかったのに。それなら、瀬野くんと気まずい空気にならなくて済んだのに。
「なんで瀬野くんが迎えに」
「俺じゃ不満?」
「そ、そんなわけでは」
「佐藤さん家知ってるのが、俺だけだったんだよ」
「……瀬野くんって私の家に来たことあったっけ」
「入ったのは今日が初だけど、一回家まで送った。夏の日の朝に」
そう言って視線を横の街路樹のほうに向ける。海の方向だ。そういえば、そんなこともあった。
雲一つない快晴の冬は、夏の暑さの欠片もなく静かだった。思い出の中ではアイス片手に楽しい会話をたくさんしているのに、今は歩く度に擦れるコートの音がするのみ。
私と瀬野くんの距離は、遠く離れてしまったのだろうか。
違う。むしろ近くなっているはずだ。物理的にも心理的にも、喧嘩できるほどに。
「ねえ、瀬野くん」
仲直りしよう、と言いかけて言葉を止めた。
先程も見かけた珍しいコンビニが目の前にある。あれ、この道さっきも通ったような。
珍しいコンビニを、あれから三回は見た。仏の顔も三度までである。あと単純に疲れた。私は足を止めてコンビニのロゴを見つめた。
「瀬野くん、家どこ?」
「んー、あとちょっと」
「あとちょっとってどのくらい?」
野乃ちゃんが心配を通り越してプンプンしているかもしれない。寝起きで何も食べずに出てきたため私のお腹もペコペコだし、つーくんからはチクチク毒が言われるだろう。なんて言い訳しようかな。
瀬野くんが低い声でぼそっと言った。
「そんなに早くつーくんに会いてえの?」
「えっ。つ、つーくん、は、えっと」
何故、私の考えていることがわかったのだ。つーくんは遅刻に厳しそうだから、頭の片隅で毒を吐かれたときの対処法を練っていた。
図星の私に、野くんが頭をかいて舌打ちした。
「つーくんに反応して赤くなってんじゃねえよ」
「あ、赤くなってない」
「なってんだろ」
「なって、う」
片手で顔を掴まれた。両ほっぺたをむにゅっと。眉を寄せた怖い顔を近づけてきた。
「なあ、いつも教室の奥のほうで二人で話してんの、なにあれ。見せつけてる?」
「席が、あそこ、で、仕方、ない」
「わざわざ俺らのパーティーにつーくん呼ばせておいて、この期に及んで興味無しアピール? マジでムカつく」
「な、そんな、むか、む」
もう、喋りにくい。顔を振り回して手を引き剥がし、瀬野くんと対峙。私はショルダーバッグの肩紐を両手で握りしめた。
情緒不安定な瀬野くんにさすがに我慢ならない。急にキレるのも大概にしてほしい。瀬野くんが売った喧嘩、買い占めます。
「私のことムカつくんだ。はいはい、そうですかそうですか。私、帰る!」
「いや、なんでそうなんだよ。帰さねえよ」
腕を掴まれたので、これまたぶん回す。今度は振りほどけなかった。握力強すぎ。
「だって、私のことムカつくんでしょ? 私も瀬野くんのことムカつく」
「俺の何がムカつくって?」
「ずーっと怒ってるの、意味わかんなくてムカつく!」
瀬野くんが「は?」と凄んできた。きゃー、こわーい。私も睨み返してやった。
「俺が怒ってる理由、わかんない?」
「うん、なんにも。言ってくれないとわかんないよ」
「わかんないなら聞けよ」
「どうやって? メッセージもこなくなって、話しかけづらかったのに」
「おあいこだな。俺も佐藤さんに既読無視されてて傷付いてたんだけど?」
「先に無視したのは瀬野くんでしょ」
「俺は次の日には返しただろ。佐藤さんは俺のこと二ヶ月くらい放置してね?」
私のせいにするんだ。へーへー、さいですかさいですか。
「なら学校とかで一言『返事して』って言ってくれればよかったのに」
「佐藤さん、俺が近付いたらビビって逃げてただろうが」
「それは瀬野くんが怖い顔でだんまりだったからでしょ」
「はー? 俺、そんなことした? いつ?」
「だから、ずーっとだってば」
「んなわけなくね」
「んなわけあるよ。つーくんに教科書借りに来たときとか、特にずーっと!」
「……あんときか。あーあ、佐藤さんに冷たくされて悲しかったなー。あー、つらかったつらかった」
「冷たく? 私そんなことしてない」
「しただろ。トラやつーくんには手伝ってもらってたくせに、俺が助けようとしたら拒否ったのはどこの誰だよ」
私が悪いみたいな流れになっているが、あのとき断ったのは私が悪いからじゃない。
「瀬野くんが怖い顔してたのが悪いよ」
「素直に頼ってこねえ佐藤さんが悪い」
「じゃあ、私が補習プリント解いてって言ったら、瀬野くん解いてくれるの? 怒らない?」
「いくらでも解いてやるし、ご希望ならニコニコしてやるよ」
「現在進行系で怒ってる人に言われても説得力ゼロ、え」
私と瀬野くんの間に二つの人影が現れ、片方がやれやれと首を振った。
「あなたたち、なかなか来ないと思ったら、こんなところで何をしているの?」
「慧斗も絢理ちゃんも一旦落ち着いて」
真希と松永くんだ。私の腕から瀬野くんの手が離れて、冷たい海風が吹いた。
しかし、雨にも負けず、風にも負けず、凍える気候にも負けず、私と瀬野くんの言い合い熱は冷めなかった。
瀬野くんが松永くんを一瞥して、私を見下ろす。
「トラには下の名前で呼ばせてんの、何?」
「私に言うの? 勝手に松永くんがそう呼んでるだけなのに」
「えーっ、絢理ちゃんひどーい。仲良しじゃん、俺ら」
「トラは黙ってろ」
「トラ、黙りなさい」
松永くんが美男美女からペシッと叩かれる。もっとペシペシされちゃえ。
「そういや、つーくん呼びっておかしくね? トラが〝松永くん〟なら、つーくんは〝早川くん〟だろ」
瀬野くんが謎の文句を言い出した。何を今さら。
「みんなも、瀬野くんもつーくんのことはつーくんって呼んでる」
「周りに合わせるなら俺のことも〝慧斗〟って呼べよ」
「瀬野くんが〝絢理〟って呼んでくれたら、私も名前で呼ぶよ」
ニックネームは気にならないが、一方通行な呼び捨ては片思いみたいで嫌だ。
私は基本的に相手の呼び方に則るようにしている。桜葉さんが私を〝絢理〟と呼ぶから、私も〝真希〟と呼び始めたように。つーくんや松永くんがイレギュラーなのだ。
瀬野くんがわざとらしい盛大なため息をついた。
「そういうのしたら面倒事起きるだろうから、手加減してんですけどー」
「なにそれ。手加減なんかいらないんですけどー」
「佐藤さんがいらなくても、周りがうるせえから必要なんですけどー」
「周りに文句言われても、私きちんと言い返せま」
「そろそろやめてくれる? 時間の無駄ね」
私の言葉を遮り、パンッと手を叩いたのは真希だった。
「何の話かと思ったら痴話喧嘩だなんて、聞いて呆れた。私、寒いのよ。帰りましょう」
「さんせーい。ケーキあるし」
「ケーキ? あぁ、二人は受け取りに行ってたのか」
「ええ、予約の時間だったから」
三人が歩き出し、言い合いをしていた歩道の真横にそびえ立つ、近代的マンションに入っていく。
私と瀬野くんは、なんと目的地の前で言い合いしていたらしい。道理でこの近くをぐるぐる歩いていたわけだ。
玄関のドアには十足以上の靴が並べられ、リビングであろう部屋からは笑い声が聞こえてくる。自分の家と違う匂いがして、瀬野くんのお家に来たことをしみじみと実感した。
ぼけーっとしていたら、家主がコップを片手にリビングから出てきた。
「なんで上がんねえの、佐藤さん」
「……緊張、してて?」
「借りてきたネコちゃんかよ。ん」
コップを差し出す。オレンジジュースだ。私は受け取って一口飲んだ。甘くてさっぱりしていて美味しい。
いつの間にやら、瀬野くんと普通に話せるようになっている。結局、悪いのはどっちだったっけ。きっと、どっちもだ。
偶然ぱちっと目が合って、お互いふふっと表情を緩める。
「佐藤さん、いっぱい歩かせてごめん。あと、他にも色々」
「私も、ごめんなさい」
「これもおあいこってことで」
瀬野くんが私の手からコップを取って、残り半分のオレンジジュースを一気飲み。
「じゃ、部屋で暖まろ。で、さっさと江星さんたちに怒られてこい」
瀬野くんはそう言って冗談っぽく笑った。




