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28 十一月 忘れ物

 冬の訪れによる冷え込みと反比例するように、校内は高揚感で満ちて色めきだっていた。というもの、期末考査が終わったためである。

 今年も残りほぼ一ヶ月。ほとんどの生徒は惰性で過ごしていたら、無事に冬休みを迎えられる。いや、三年生は受験でおちおち休めないかもしれない。


 私は、惰性も休みもなく、不安でいっぱいだった。原因はもちろん瀬野くん。

 文化祭の夜に送ったメッセージに、一応返信はきた。翌日の朝に、短く『俺もごめん』と。それ以降、時報メッセージは来なくなった。

 学校では、まず会わなくなった。そもそも他クラスだし、テスト期間もあったし、これまでだって別に毎日会ってたわけじゃないし。と合理化するものの、距離を置かれているのは間違いない。


 私は瀬野くんに完全に嫌われてしまった。それでもなお、頭の中を占領されている。勉強が手につかないほどに。



 曇り空の日の昼休み。午後から雨予報だったので、そろそろ降り始めるだろう。窓際の最後列の席から外を眺めて、そう思う。

 先日行われた席替えで、私の瀬野くん目撃チャンスは天文学的確率になった。廊下から遠いこの席は、瀬野くん観測に向いてない。


 ため息が出る。外はどんより悪天候、瀬野くんは見えず、そして目の前の机上には大量の補習プリント。どこを見ても、ため息が止まらない。

 今回の期末は、数Ⅱも数Bも赤点を取ってしまった。自業自得だけど、プリントの理解不明な数式を見ていると気が狂いそうになる。毎日、隙間時間にコツコツと解いているが、一向に解き終わらない。いかんせん、私には難しすぎるのだ。


「はぁ……。このSのなり損ない、無理すぎる……」

「佐藤さん、これにきちんとした名前があるって知ってた?」

「インペラトル」

「惜しい。それはエンペラーの語源。これは(インテグラル)ね」


 似ているから実質正解である。

 席替えで前の席になったつーくんは、ぼっちで暇なのか、よく勉強中の私を見ている。教えるではなく、本当に見ているだけ。薄情なぼっち仲間だ。

 横では、遥菜と野乃ちゃんがスマホで新作コスメを見てはしゃいでいる。いいな、私もはしゃぎたい。『一人で頑張る』などとイキらず、素直に手伝ってもらえばよかった。


「ねえ、つーくん、ほんの少しでいいから教えてよ」

「やだ」

「ひど。人の心ないなぁ……」


 ぐてっと机に倒れ込む。九十度傾いた教室を見ていると、なにやらすごく横に伸びた人間がD組に入ってきた。周りの女子たちに声をかけられ、手を振って応えながらこちらに近付いてくる。

 遥菜も横に伸びた人間に目を向けた。


「あ、トラじゃん。やっほー」

「やほー。可愛い遥菜ちゃんと野乃ちゃんに会いに来ちゃった」


 私はのっそり上半身を起こした。横に伸びた人間が、縦に伸びた人間になる。松永くんが私を見てウインク。


「あと、絢理ちゃんにも」



 良いところに来た、歓迎しよう。理系の民よ。私は松永くんに数枚の紙を見せつけた。積分と数列の問題が書き連ねられた世にも恐ろしい補習プリントを。


「ねえ松永くん、これの途中式と答えを教えてほしいな」

「ええ、俺に全部やらせる気じゃん……」


 ニコニコと押しつけると、松永くんは近くの席から椅子を取ってきて座り、渋々プリントを見て考えだした。やった。解いてくれるらしい。

 つーくんが私の肩をちょんと叩く。


「佐藤さんって松永と仲良かったの?」

「いや、全然。一回しか話したことないよ」

「え。なのに、問題解かせてるの?」

「言ってみるものだね」

「……図々しいな」


 そんなことない。これは相互補完だ。自己と他者が出来不出来をお互いにフォローし、助け合っているのだ。

 もしも松永くんが古典や日本史で躓いたら、私が懇切丁寧に教えよう。完璧な協力プレイなのである。


 理系の民はスイスイと答えを言い、私の書く筆もすらすらだった。空白だったプリントがみるみる埋まっていく。あっぱれあっぱれ。今宵は宴なり。

 ふと、松永くんが「あ」と声を止めた。私の小躍り気分にブレーキがかかる。いかにいかに。


「俺こんなことしにきたんじゃないよー。絢理ちゃんに聞きたいことがあってさ」

「うん?」

「荷物置きの教室に忘れ物してたじゃん、なんか古そうな本。あれ、慧斗から受け取った?」


 古そうな本。はて、なんのことやら、と思ったが思い出した。おそらく文化祭のとき古本市場で買ったものだ。いつの間にか紛失し、高くもない本だったので忘れていた。


「受け取ってない。ていうか、なんで……せ、瀬野くんが持ってるの」

「渡しとくって言われたから預けちゃった。けど、ちゃんと届いたか気になったんだよね。そっか、受け取ってないか。ごめんね」

「ううん。教えてくれてありがとう」


 瀬野くんは盗むような人ではないから、いつか私に渡してくれると思う。いつになるかはわからないけれど。

 つーくんが頬杖をついて、どこか楽しげな表情になった。


「そういえば、最近うちのクラスに来なくなったね、瀬野」

「それ! 私もちょっと気になってた」

「確かに見てないねえ。絢理ちゃん、瀬野と何かあった?」


 遥菜と野乃ちゃんも話に入ってきて、松永くんが「話してなかったの?」と耳打ちしてくる。急に八つの目から注目を浴びて、私は居心地が悪くなった。

 窓にはポツポツと雨粒が当たり始めた。雲行きも悪くなるばかり。



 私と瀬野くんが不仲になった話の前提には橘さん告白事件があり、その事件の始まりには松永くんとの出会いがあり、そしてその発端に山姥鬼ごっこがある。

 どこから話そうか。遥菜や野乃ちゃんには心配かけないように山姥の話は黙っておこう、と思ったのだが、


「てか、絢理ちゃんが言ってた山姥って、もしかしてこのクラスの子? さっきから視線痛いんだけどー」


 と、松永くんが小声だけど内輪に聞こえる音量で漏らしてしまった。

 結果、野乃ちゃんのハロウィンヤクザ級の押しと文豪並の脅しによって、私は事の顛末を洗いざらい吐かされることになった。うう、とんでもない取り調べだ。

 そして、今現在の瀬野くんと不仲になっているところを話していたとき。


「あっ、慧斗じゃーん! 優吾も! どうしたの?」


 噂をすればなんとやら。ドアには瀬野くんと、瀬野くんの肩に顎を乗せた辰巳くんがくっついて立っていた。あの二人、大概セットだ。イケメンのハッピーセット。

 ハッピーセットが女子たちからきゃっきゃっと話しかけられている。


「教科書忘れたから借りにきた」

「えーっ、貸す貸す! 何の教科?」

「ありがとな、でも大丈夫。借りる人決まってるから」


 瀬野くんが気だるそうに目を動かし、こっちのほうを向いた。ゆっくり歩いてくる。私は身構えた。ホラー映画のヒヤヒヤと、ロマンス映画のドキドキが混じり合っている感覚だ。誰に借りるつもりなんだろう。

 教室の端っこにいる私たちのところまできて、瀬野くんがぽすんと肩を叩いたのは。


「ね、つーくん。現国の教科書貸してよ、お願い」

「無駄に可愛く言わなくても、僕は貸してあげるよ。はい」

「ありがと。返すの明日でもいい?」

「うん。授業始まるまでに返してね」


 私じゃなかった。

 言い合いするくせに、こういうときはつーくんを頼るんだ、私だったらよかったのに。文化祭で私があんなことしてなければ私だったかな。たられば話を想像して、現実との差にシュンとなる。


 瀬野くんは教科書を借りてもDから出ていかず、近くの机に軽くもたれた。

 辰巳くんはさも当然のように、遥菜の座る椅子に座る。え? 一つの椅子に二人で座って平然と内緒話を始める様を、私は思わず二度見した。え?

 状況が飲み込めない私を置いて、瀬野くんが腕を組んで不機嫌そうに目を細める。


「で、トラがDにいんの珍しいな。何かあった?」

「松永は佐藤さんに数学教えてたんだよ。松永って頭良いんだね」

「そそ。たまたま頼まれたからさ」


 つーくんと松永くんが答えて、瀬野くんが「ふうん」と零す。

 瀬野くん視点は、つーくんに教科書を借りにきたら嫌いな人間と遭遇し、さらに友だちが嫌いな人間にこき使われていた、ということになる。不愉快になるのも仕方ない。

 けど、あからさまな不機嫌オーラはさすがに落ち込む。


 怖い瀬野くんをものともしてないのか、つーくんは場にそぐわないにこやかな笑顔になった。


「頭の良い人が増えてよかったね、佐藤さん。松永にお願いしたみたいに、瀬野にもお願いしてみたら? 補習のプリント手伝ってって」


 ひゅっと心臓が縮み上がる。察しのいいつーくんが、瀬野くんの機嫌の悪さに気付いてないはずがない。瀬野くんをますます苛立たせて、私や瀬野くんで遊んでいるのだ。人の心ないなぁ!

 しどろもどろになる私に、目が笑ってない瀬野くんから手が差し伸べられた。


「補習? 見せて、佐藤さん」

「え、あの、そんな」

「あれ、佐藤さん見せないの? 松永にはニコニコで見せてたのに」

「や、だって、松永くんは松永くんだし」

「ちょっと、俺の扱いどういうことー」


 松永くんは私と険悪でないから、気軽に頼めたのだ。

 しかし瀬野くんは違う。瀬野くんにやらせるなんて、そんな恐れ多いことできない。迷惑をかけて嫌われたのだから、これ以上面倒事をさせるわけにはいかないのである。

 私は胸の前で両手を振った。遠慮のジェスチャーだ。


「せ、瀬野くんは、いいです」

「……あっそ」


 瀬野くんが頭を軽くかいた。どう見ても不興なご様子。まずい、逆効果だ。おかしい、何故。


「優吾、教室戻ろ」

「おけー。んじゃ、遥菜さんバイバイ」

「ば、バイバイ。優吾、私あとで話が」

「夜に聞くわ。江星さんとつーくんもバイバーイ。トラは放課後な」


 辰巳くんは妙に落ち着いていて余裕がある。みんなに手を振ったあと、瀬野くんの肩に腕を回して何か囁いた。

 すると、瀬野くんの帰る背中が止まって、迷うようにこちらを向いた。


「勉強の邪魔してごめんな」


 そう言って、瀬野くんが再び前を向く。その一秒にも満たない間、静かな流し目で私を見た、気がした。


「じゃあ、また」


 低い声は強い雨音と昼休みのざわめきの中に消えていった。



 たかが一瞬、されど一瞬。瀬野くんは私を見た。

 そんなにも嫌なら私の近くに来なければいいのに。と思う反面、名前を呼ばれ、目を合わせ、最後には社交辞令の気遣いまでしてもらえたことが嬉しくてたまらない。


 今日は久々に瀬野くんに会えた。不機嫌だったけど話ができた。

 早く仲直りしたい。たくさん話したい。私から話しかけてもいいのだろうか。余計に嫌われるかも。どうせなら数学教えてもらえばよかった。でも怖い顔見たくないな。笑ってる顔が見たい。今からでも関係修復は間に合うかな。

 プリントの書きかけの数式を、芯の出てないシャーペンでなぞりつつ考える。


 私は瀬野くんに完全に嫌われてしまった。それでもなお、頭の中を占領されている。勉強が手につかないほどに。

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