23 十月 ハロウィン
瀬野くんを好きかもしれない、と気付いた私の些細な気持ちの変化は、過ぎゆく日常に大した影響を及ぼすわけもなくて。
学校は相も変わらず、年間スケジュールに沿って中間テストや模擬試験を行っていく。忙しなく課題に追われる日々は、あっという間に流れていった。
そうして十月も末に差し掛かり、世はハロウィンだの文化祭だのとお祭り騒ぎで浮かれ散らかしていた。
世界はどんどん進んでいくのに、私と瀬野くんは一切の進展がない。
和解を果たしたあの日の翌日。心中穏やかじゃなかった私に対し、瀬野くんは無常観もびっくりの変わらなさだった。平然としすぎたその態度は、私がおかしいのか、はたまた瀬野くんが記憶喪失したのかと思うほど。
瀬野くんは、あの放課後の出来事を無きものにしたいのだろうか。何を考えているのかよくわからない。
だから、未だに聞けていない。私のことどう思ってるの、って。
文化祭準備のため遥菜の部室は使えなくて、メイク会は打ち切りとなった。仕方なくD組で、瀬野くんと雑談をしていた昼休み。
「あーやーりちゃーん! トリックオアトリート!」
ハロウィンヤクザが現れた。今の時期に、理不尽な恐喝と無茶苦茶な横暴を行う輩だ。彼らはお菓子の強奪を生業とし、ターゲットがお菓子を所有していない場合は悪行を起こす。恐ろしや恐ろしや。
私は即座に鞄からクッキーの箱を取り出して、個装されているうちの一袋を渡した。
「はい」
「うぇっ! なんで持ってるの。むむ……」
奇声をあげて、ハロウィンヤクザがこちらをじとっと見てくる。悪行を働きたかったらしい。そうはさせまい。去年イタズラと称して一生くすぐられた私は、身を持って学んだのだ。
次にハロウィンヤクザは私の隣にいる人間に目をつけた。
「じゃあ、瀬野! トリックオアトリート!」
「ハッピーハロウィン」
瀬野くんが私のクッキーの一袋をハロウィンヤクザに渡す。横領からの転売。最低である。ハロウィンヤクザもこれには絶句。二袋のクッキーを手にして、ぷくーっと頬を膨らませた。大変可愛い。
「うぐぐ……ありがとありがと! はーるーなちゃーん! トリックオアトリート!」
ハロウィンヤクザは新たな標的を定め、イタズラを求めて旅立っていった。さらば、また来年。
瀬野くんがクッキーを食べながら、おかしそうにくすっと笑う。
「江星さん、ハロウィン楽しんでんね」
「世界で一番楽しんでそう」
「佐藤さんは?」
「んー」
ぼんやりとハロウィンヤクザの行く先を目で追う。今は遥菜と辰巳くんに絡んでいる。
さらに視線を動かすと、クラスの女子からのビームがチクチク刺さった。D組には、瀬野くんを一人占めしていると精神によろしくない光線を浴びせられるシステムが搭載されている。そろそろ離れないと。
好きな人と自由に話もできないのだから、私は全然楽しくない。
「私、野乃ちゃんとハロウィン満喫してくるね。瀬野くんはみんなと楽しんで」
「待って佐藤さん、もうちょっと俺と遊んでよ」
席を立ったら引き留められた。瀬野くんが上目遣いできゅるんと見てくる。あざとい、非常にあざとい。どこでそんな技を身につけたんだ。
根負けした私は椅子に座り直した。ビームなんて知らない知らない、痛くない痛くない。
「それで、遊ぶって何するの」
「Trick or Treat」
「え、流暢すぎる」
瀬野くんがハロウィンヤクザに転職した瞬間を目の当たりにした。悲劇である。
箱の中のクッキーは残り三袋。一袋をあげようとすると、箱ごと取り上げられた。なんてことだ。行動がお太りあそばされている人と同じ。
「で、デブ」
「オブラートに包め。他にはねえの? 持ってるお菓子全部出せ」
「わあ、不良にカツアゲされるー」
「中間の課題遅れずに出したんで不良じゃないっすね。謝ってくれます?」
「ごめんなさい。強盗の間違いでしたね」
「はは、しばくぞ。早くお菓子出せ」
ひい、笑顔で脅された。鞄にある有り金ならぬ有り飴を全て差し出す。これで私の手持ち菓子はゼロ、一文無しならぬ一菓子無し。
瀬野くんは足を組んで、満足げに言った。
「Trick or Treat」
「えっ」
「あー、佐藤さんお菓子ねえのー? じゃあ、イタズラしねえとなー?」
大根役者も顔負けの棒読み。もしや瀬野くん、ハロウィンヤクザ同様に悪行が目的なのか。しかも、やり口がハロウィンヤクザよりもタチ悪い。瀬野くんとて許せぬ。
「その手口は姑息すぎると思います。不正不正」
「賢い戦略って言ってくださーい。ま、俺は優しいからイタズラなんかしねえよ」
「不正だよ、ふせ……い?」
なんと拍子抜け。悪行しないのか。
目をぱちぱちさせる私の前で、瀬野くんが机に頬杖をついてにっこり。
「代わりに、文化祭の一日目の午後あけといて。おけ?」
D組の模擬店のシフトは未定だから、時間は簡単に都合がつけられる。
「お、おけ」
「んじゃ、俺はお姫様たちのご機嫌でも取ってくるわ」
瀬野くんは私の頭をぽんと撫でたあと、チクチク光線を発射する女子たちのところへ向かっていった。黄色い声とともに迎え入れられる瀬野くんの後ろ姿とぽかんと見つめる。
文化祭、一日目、午後、あけといて。
要は、文化祭を一緒に回ろうってことだ。
よりどりみどりな中で、わざわざ私を誘ってくれた。もしかしてもしかしてもしかして。私たち、実は両想……いや、それだと矛盾が生じる。
現在進行形で、瀬野くんはお姫様たちとキャッキャウフフしている。キラキラ王子様フェイスで別の女に微笑んでいるのだ。好きな人の前でそんなことをするだろうか。
加えて、文化祭の中心イベントは二日目にある。演劇部のミュージカルとか有志によるバンドとか。好きな人をあまり盛り上がらない一日目に誘うだろうか。
脈があるのか、それとも単なる気まぐれか。
ううん、瀬野くんの意図が読めない。
考えつつクッキーを貪ろうとしたら、なかった。飴もない。瀬野くんに取られたからだ。菓子はどこだ、菓子を出せ。
私はハロウィンヤクザに入門することにした。野乃組長がさらなる餌食、つーくんを探しに行くのにお供する。野乃ちゃんはイタズラ目当て、私はお菓子目当てなので、つーくんはどっちに転んでも敗北が決まっている。愉快痛快突撃訪問だ。
文化祭でバスケ部とバレー部は合同で仮装コンテストを開催する。その合同ミーティング終わりに押しかけることにした。
会議室からぞろぞろと人が出てくる。獲物はまだか、まだか、出てきたぞ。今だ。
「「つーくん、トリックオアトリート!」」
「うっわ」
最後に出てきたつーくんは驚いて、閉めたドアに背中をぶつけた。痛そうだ、可哀想に。軽く背中をさすったあと、私たちを交互に見た。
「たかるために僕を待ち伏せしてたの?」
「違うよ! 野乃はイタズラがしたい」
「そうだよ。私はお菓子がほしい」
「うわ……悪の権化かな?」
文句を言いながらも、ズボンのポケットからチロルチョコを一つ出す。
「僕、今これしか持ってないんだよね。江星さんのイタズラの内容次第で、どっちにあげるかが決まるなぁ。江星さん、僕に何する気?」
「えーと、うーん……そうだ、お姫さまだっこして!」
お姫様だっこさせるイタズラ。なんて愛らしい。つーくんは『それがイタズラなの、お子様だね』とか言いそうだ。
と、思ったのだが。
「いいよ」
つーくんは素直に野乃ちゃんを抱き上げた。そして、ぐるぐる回転無料サービスまで。
あれ、なんか、野乃ちゃんに甘くないですか。こんなキャラでしたっけ。開いた口が塞がらない。
きゃっきゃっと戯れる二人を眺める。野乃ちゃんは最初のほうこそ喜んでいたけれど、なかなか終わる気配のない回転に怯え始めた。
「つーくん、ありがとう。もういい」
「遠慮しないでよ、江星さん」
「ちょ、待って、ねえ」
「江星さん軽いから、僕いくらでも続けられるなぁ」
「あ、やば。やばい、野乃の目が! 回る! 回ってる! 降ろして!」
「見て、佐藤さん。江星さんとってもはしゃいでるね」
じたばた動く野乃ちゃんを抱え直して回り続ける。つーくんの体幹の良さと遠心力で、ものすごい速度でぐるぐると。
しばらくして、ようやく降ろされた野乃ちゃんは私の後ろに隠れた。立ち尽くす私とつーくんの目が合って、ニコッと笑みを返される。
「佐藤さんもイタズラしたいなら、ご自由にどうぞ? 仕返しするけどね」
前言撤回。甘いどころか激苦だ、可愛いイタズラを返り討ちにするなんて。敗北させるつもりが、こちらが大負けしてしまった。
私はおずおずとチョコをもらい、お礼とお辞儀をしてから野乃ちゃんを連れてその場を去った。
瀬野くんは何考えてるかわからないし、つーくんも何考えてるかわからない。困ったものである。




