20 十月 修学旅行
沈む日が早くなってくる十月。色とりどりに着飾った木々が風とともに揺れ踊り、澄み渡る空気で覆われる世界は、鮮やかな葉と甘い香りの花で彩り満ちていく。
この月の六分の一は修学旅行に費やされる。私たちが向かう近畿の参加人数は二十人弱。人が少ないためか、引率教員は古典の河中先生と現国の大久保先生というゆるゆるコンビだった。
無秩序修学旅行の始まり始まり。
ゆるゆるさを最も発揮したのは夜だった。先生たちも若くないので早々に寝たいらしく、見回りは晩ご飯から一時間後の一度のみ。
ハメを外すような生徒は大抵台湾組で、近畿組はおとなしい子揃いだが、それを踏まえても先生たちは手抜きしすぎではなかろうか。ありがたやありがたや。
だが、私たちはそのゆるさの恩恵を受けるような旅をしていなかった。よく考えればわかることだけど、私たちは低山登山でヒイヒイ言うような運動弱者の集まりである。
初日は新幹線移動と世界遺産バスツアーの移動疲れで速攻眠り、二日目も着物をレンタルしてタクシー移動した疲れで即座に入眠してしまった。
そして三日目は京都から大阪へ移動し、市内を自由に観光してこれまた疲労が溜まっていた。
だから今日も早く横になろう、とベッドに潜り込もうとしたところで誰かのスマホが鳴った。軽快なコール音は私のじゃない。
「あ、優吾からだ。はーい」
遥菜が電話を始めて、私は野乃ちゃんとにんまり顔を見合わせた。そういえば、わたくしたちは修学旅行定番の恋愛話なるものをしておりませんわ。しなければなりませんことね。
二人で、そーっと遥菜のベッドに近寄る。電話が終わったら問い詰めなければ。遥菜と辰巳くんの進展や、いかに。
「うん……うん、今日はねー、海遊館行ったよ。……そう、写真上げてたやつ。……うん、ちょっと待ってね。二人ともどしたの?」
遥菜が振り返った。忍者みたいに気配を消していたはずなのに何故。
私と野乃ちゃんで、これまた顔を見合わせて誤魔化す。
「えっと、遥菜ちゃんと辰巳、ほんと仲良いなーって思って!」
「そ、そうそう。楽しそうだなーって思って」
「絢理たちも話す? じゃあ、ビデオ通話にしてみよっか」
遥菜が操作するとスマホに辰巳くんの顔が映った。短い髪はセットされおらず、お風呂から出たばかりなのか、水に濡れてぺたっとしている。映る本人は笑顔で手を振っていた。
『よお。今日は水族館行ったんだってな。楽しかった?』
『あれ、風呂入ってんの誰ー? 俺も入っちゃおー』
『この自撮りバカ可愛い。やっぱ真希が一番可愛くね』
『男いるから諦めとけって。お前じゃ無理』
『あー、今は確か慧斗だっけ。止めとけよ、トラ』
辰巳くんの後ろから声がいくつも聞こえてくる。班の人数は三人から六人のはずなのだが、それ以上いそうだ。
そして私は、ぼんやり聞こえた会話から衝撃情報を入手してしまった。
……瀬野くん、彼女いたんだ。
桜葉さんとの例の噂は真だったのか。いや、中学時代はいるのが当たり前だったんだから、高校でいてもおかしくない、けど。
横のテーブルに遥菜のスマホを立てて、ベッドの上に三人並んで通話する。京都と大阪の水族館比べをしただとか、台湾にあるアニメ映画の舞台と言われる建物が幻想的だったとか。
話の合間で、ふと辰巳くんが頬を緩ませた。
『つか、これ顔見えるのめっちゃ良い。遥菜、今度から雨の日はこれにしよ』
「それ思ってた。勉強しながらも好きだけどなー」
『じゃあ、勉強しながらこれもしよ。良いとこ取り』
何の話だろう。遥菜のほうを向くと、照れたようなてへっとした笑顔が返ってきた。
「えっとね、夜とかよく電話してるの。ちょうど部屋の窓の向かいが優吾の部屋だから、窓開けて話したりとか」
『よくというか、ほぼ毎日じゃね』
「へえ、楽しそう! お隣さんの特権だねえ」
『へへっ。いいだろ〜』
辰巳くんがドヤ顔になる。さすが幼馴染、ずっと一緒にいるとこんなにも仲良くなるのか。付き合ってないけど、ほぼカップルと言っても差し支えないほど。
羨ましい。私だって、瀬野くんと六年も同じクラスだったのに。
思わずため息がこぼれた。おそらく自分は、このほんわか空気を壊す表情をしている。旅疲れも積み重なって、気疲れしているせいだ。
体育座りをして丸まると、野乃ちゃんがぴとっとくっついてきた。
「絢理ちゃん、眠たいなら先寝る?」
楽しそうに電話する遥菜には聞こえないくらいの音量と、心配するような声色だった。
野乃ちゃん、優しいなぁ。わざわざ気遣ってくれるなんて。
「もうちょっと、起きとく」
「というか絢理ちゃん、嫌なことあった? 顔老けてるよ」
「えっ」
思わずほっぺたを手で覆う。顔が老けてるだと。初めて言われた。心身に激震が走る。未だかつてないショックを受けた。私、ピチピチ高校生なんですけど。
「お、お願い、嘘だと言って」
「メイクで隠せるかなぁ。絢理ちゃんナチュラル寄りだから濃くすると目立っちゃうし」
「隠せないと困る。明日も写真いっぱい撮るのに」
「だから、寝たらどう? 嫌なことなんか、寝て忘れちゃえ!」
寝て忘れたら、若返るのか。なんというアンチエイジング法。今すぐ寝よう。即座に寝よう。速攻で寝よう。
ちょうど今座っているベッドに潜り込む。
「え、絢理たん私のベッドで寝るの?」
「そうなりそう」
「それはしょうがないなぁ」
「しょうがないね。ありがとう」
主の許可も得て堂々と横になる。野乃ちゃんも隣に入ってきた。誰かと寝るって、兄以来かも。
「ふふっ、絢理ちゃん、おやすみー」
「うん、おやすみ」
「私のスペースも開けといてよー?」
「はーい」
ベッドはふかふかで温かく、次第にすやすや心地になっていく。
誰かがそばにいてくれるっていいな。友だちっていいな。そんなことを思いながら。
『きゃーっ、君たち服を着なさい! レディーたちがいんですよ!』
突然、謎の悲鳴がした。ぱちくり目をしばたく。騒音で寝るにも寝られないではないか。二人でもそもそ起き上がって遥菜のスマホを見てみれば、
『今日は女子来てねえだろ……あれ、他の班のやつら帰ったのか』
『誰と通話? あ、遥菜ちゃんじゃーん。かわい〜』
『うるさいうるさいあっちいけあっちいけ! 服着てこい!』
半裸男が一瞬映った直後、画面が暗転した。あれは見間違いでなければ松永くんだった。あの人、変態だったんだ。
明るくなると、首からタオルをかける瀬野くんと松永くんが現れた。きちんとTシャツを着ている。
「慧斗とトラ、二人でお風呂? 仲良いね」
『仲良いっつーか、俺が入ってたときにトラが入ってきたんだよな』
『ここんホテル風呂ヤバいでかくて! 慧斗だしいっかなって思って入っちゃったー。あたっ』
瀬野くんが無言で松永くんの背中をペシッと叩いたあと、タオルで髪をわしゃわしゃ拭く。
そんな特別な動作もしてない瀬野くんが、意味もなく眩しく見える。画面越しのせいか久々に見るせいか、理由は不明だがとんでもなくキラキラしている。瀬野くんがカッコよすぎて直視が厳しい。
私の視線はふらついてベッドにつく手に着地した。
『女子たち変なの見せちゃってごめんな。トラ謝れ』
『ごめーん! でも俺良い体してなーい? ほら見てふっきーん。前に笑美子ちゃんに褒められたやつー』
「わー、すごーい。もう見せなくていいよー」
「えみこ? 誰それ。彼女?」
『野乃ちゃん棒読みすぎ! 笑美子ちゃんはまだ彼女じゃないよーん』
笑美子って橘さんのことだ。『まだ』ということは、この変態男は橘さんを彼女にしたいのだろうか。瀬野くんには彼女いるし変態男には狙われるしで、橘さんが気の毒になってきた。
松永くんの話に興味が湧かず、旅疲れもあいまって睡魔が襲ってくる。アンチエイジングしろとのお告げだ。
「慧斗も何気に筋肉あるよね。優吾はそこそこだけど」
『でも慧斗は五〇メートル走俺より遅いよ』
『うるせえ』
「筋肉すごくて足も速いといえば、つーくんじゃない? さすがバスケ部って感じの」
「確かに! 絢理たん、体育祭のときお姫様だっこされてたよね。どうだった? ありゃ、寝てる?」
うとうとと入眠しかけていたら起こされた。そろそろ寝ないと、先生が見回りが来るのではなかろうか。あ、近畿組はもう来ないんだった。
つーくんのお姫様だっこは、慌てていて正直あんまりよく覚えてない。けど、私を抱えて最下位から三位までのし上がったんだから、素晴らしい活躍だったのだろう。
「つーくんは、すごかった」
便利な言葉で曖昧に答えておく。とにかく私はアンチエイジングに専念せねば。
「じゃあ、今度野乃もお姫様だっこやってもーらお!」
『野乃ちゃん俺もやったげるよ』
「えー、松永はチャラいからやだー」
『地味に酷いこと言うのやめてー』
変態でも嘆くことってあるんだ、と思いつつ、まどろむ中で体育祭を思い出す。
あのとき、つーくんと私は『好き』の話をした。桜葉さんの好きな人が瀬野くんだということも知って、瀬野くんが恋人選びに迷ってたのも見た。
結局、瀬野くんは桜葉さんを選んで、私は、私は……私はただの部外者か。
あれ。喉に何かが引っ掛かる。呼吸ってこんなにやりづらかったっけ。
瀬野くんの部屋に先生が見回りに来るまで、みんなは雑談していたらしい。しかし、私はいつの間にか寝落ちし、スイーツビュッフェでケーキを無限に摂取する恐怖の夢を見た。
そうして、修学旅行の夜が明けた。




