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16 九月 体育祭 午前の部

 残熱に包まれる九月。静かに降る秋雨前線の到来によって、気候は夏から秋へと徐々に色を変える。高い空と澄んだ大気が爽やかな日々の中で、次第に暑さが収まってゆく。


 夏季休暇明け直後行われる土曜開催の体育祭は、まとまった練習がほとんどなく、生徒の自主性に任せたぶっつけ本番のとんでも行事だった。

 白い雲がたれ込める空。校舎の屋上からは、美術部員の夏休みの集大成である華々しいモザイクアートが吊るされている。団Tシャツの架空生物モチーフの巨大なイラストは、迫力があって非常に壮観。来客が皆一様にカメラを向けていた。



 開会式後。私とつーくんは、団ごとに分けられた生徒待機テントの隅に、体育座りで並んで座っていた。


「ねえつーくん、暑い。こう蒸し蒸ししてると冷たいものを摂取したくなるね」

「そうだねー。例えば?」

「定番のアイスでしょ、ジェラートに、あとシャーベットとか」

「見事にスイーツばっかりだね。僕はてっきり、ジュースとかスポドリとか言うのかと……」


 私たちは一年生の徒競走で盛り上がるグラウンドから、目を離さずに言い合った。


 遥菜は体育委員のテント、野乃ちゃんは紫団のテントにいる。なので、友だちがいない私も、次の障害物競争の待機に行ってしまい友だちがいないつーくんも、ぼっちだった。

 我々はぼっち仲間。そして我々は、アイス語りから好きな食べ物語りへと、話を展開させていった。お腹が空いてきた、まだ体育祭は始まったばかりなのに。


 体育祭特有の高揚の横でくだらないことを話している、そのとき、


「……慧斗のリボン超可愛い……」

「……その慧斗のってどうせ真希が……」


 誰かの会話が耳に入ってきた。今日の瀬野くんは、桜葉さんによって可愛くなっているらしい。私はまだ見てない。気になるなぁ。


「佐藤さん?」

「ごめん。それでね、私もカボチャ結構好きで」


 いけない、つーくんとの会話を疎かにしていた。私は聖徳太子じゃないから、つーくんとの会話か彼女たちの盗み聞きか、どちらかを選ばないといけない。

 道理でいえば、前者一択なんだけど。


「……慧斗優しいし、多分あたしらも写真くらいは……」

「……紫テント行って慧斗拝みに……」

「カボチャの可愛いとこが美味しくて、リボンは紫が似合うの」

「え、佐藤さん急に壊れた?」


 私は前者と後者をミックスさせてしまった。つーくん、混乱させてごめん。

 勝手に彼女たちの会話に耳が傾き、やけに「慧斗」を拾ってくる。躾がなってない。いや、ピンポイントに拾ってくるんだから、むしろ育ちのいい耳だ。



 注意力散漫な私に呆れたつーくんが、気だるげにあぐらをかいた。私もつられて足を伸ばす。


「上の空の佐藤さんが、気がかりにせざるを得ない話をしようか」

「なにそれ」


 どこにあったのか、つーくんが大きめの石で地面に整った文字を書いていく。


『せののこと好き?』


 ゆっくりと顔を見合わせる。つーくんは当たってるでしょとでも言わんばかりのドヤ顔だったけれど、だんだんきょとんとした顔になっていった。多分、私が間抜け面だったから。

 瀬野くんへの気持ちは薄々わかっていたけれど、これはやっぱりそういうことなのかな。


「これって、そういう意味?」

「そうだね。佐藤さんが想像してる意味と、僕が言ってる意味は同じだと思う。あれ、違うの?」


 どう答えればいい。私はフィクション世界の恋愛は数えきれないくらい見てきて、現実でもたくさん傍観し、今も辰巳くんの片思いを見守っている。

 けれど、私自身が当事者になったことは、一度もなくて。誰かを好きになったことさえも、一度もなくて。


「わ、わかんない」

「わかんない?」


 石を借りて『好き』の文字に下線を引き、その上にハテナを書くと、つーくんの色素の薄い目がやや見開いた。そんなにも驚くなんて、この歳で初恋も未経験ということはおかしいだろうか。兄が最高すぎて、他の人に興味が湧かなかったのだから仕方ない。

 つーくんは肩をすくめて困った顔で言った。


「そっか、ごめんね。それなら僕の勘違いだね」

「ううん、つーくんが合ってるかも」

「まぁどっちにしろ、今決めなくてもいいと思うよ」

「なんで?」

「僕が言い出したことでそう思い込んだだけかもしれないし、本当に好きならそのうちわかるだろうし」


 思い込み。友情と恋愛を履き違えているってことだ。確かに、夏休みに瀬野くんと仲良くなったことで、脳が好きと勘違いしている可能性は十分に考えられる。

 じゃあ、この気持ちはまだ名付けないことにしよう。


「佐藤さん、このこと誰かに言ったりした?」


 つーくんが『好き』とハテナに丸をつける。瀬野くんが気になってることも、恋愛未経験なことも、誰にも言ってない。そんなこと言う機会なかった。


「言ってない」

「わかった。まぁ、僕は口硬いほうだから安心して」

「黙っておいてくれるってこと?」

「逆に、言いふらされたい?」

「や、それは嫌だ」


 私の心を見透かしたようにふふっと笑って、石で地面の文字を消していく。

 心なしかつーくんが丸い。面白くもない話に付き合ってくれたり、わざわざ相談に乗ってくれたり、どことなく毒が少ない。調子が狂う。私の視線は落ち着かず、ふらふらと彷徨った。



 私が出場する最後の競技は借り物競走。

 午前の部の終盤にあるこの競技は、いわゆる体育委員のおもちゃ競技だ。毎年のお題は委員の独断と偏見で決まるため、遊び心満載のお題が量産されるのだ。


 去年のテーマは〝先生〟だったので、理事長や校長先生が何度も全力疾走を強いられていた。あのご老体たちは笑っていたけれど、私はいつ心肺停止するかと不安だった。

 借り物の招集を呼びかけに来た遥菜の情報によれば、今年のテーマは〝恋愛〟らしい。狂気の沙汰である。しかし、もう逃げ場がない私は神様仏様ご先祖様に全力で祈るしかなかった。易きお題出し給え。我の願い叶え給え。


 グラウンドに入場してからも天に合掌していたら、周囲に歓声が響いた。顔を向けると桜葉さんがリボン頭の紫Tの人におんぶされているのが見えた。桜葉さんも借り物出てたんだ。

 マイクでお題を宣言しなければゴールできないルールなので、桜葉さんもルールに則ってお題を読み上げる。


「好きな人ーっ!」


 ワッとグラウンドが沸き上がった。桜葉さんはなんて強靭な精神を持っているんだ。こんな人でいっぱいの中、告白紛いのことを堂々とできるとは。あの桜葉さんを射止めた人は小さな後ろ姿しか見えず、誰だかわからなかった。



 私が走者の番になり、ギリギリまで祈りを捧げたのちにお題箱から二つ折りの紙を選び出す。ゆっくりと開き、見えた文字は『一番仲が良い異性&お姫様だっこ』。


 ぶわっと汗が吹き出た。よりにもよって、お姫様だっこを引いてしまった。あれほど祈ったにもかかわらず、私は体育委員によるおふざけの洗礼を受けたのだ。神様仏様ご先祖様よ、いかでか我を裏切り給いたる。

 呆然としながら横を見ると、他の走者はもう走り出していた。私も行かないと。


 仲が良い、仲が良い……。やっぱり瀬野くんかな、と思って紫テントを見たら何やらお祭り騒ぎになっている。あの中に乱入する勇気はないし、ダイエットもしてないのに瀬野くんにお姫様だっこされたくない。

 とすれば、残る候補は一人だけ。仲が良いというか、仲間だ。橙テントめがけて走り出す。


「つーくん!」

「……だよね、僕もそうおも、えっ?」


 借り物のランナーが人を呼んでいる。周りの期待した視線が一気に私に集まるのがわかった。どうして私がこんなことを公然の注目の前でお願いしないといけないんだ。これがお題だからだ。

 ええい、なるようになれ!


「つーくん、お、お姫様だっこして! 早く!」

「え。あ、うん」


 友だちと話していたつーくんが慌ててやって来る。少し屈む背の首におそるおそる手を回すと、つーくんは私は背中と膝裏を抱えてひょいっと持ち上げた。


 そして一気に走り出す。咄嗟につーくんのTシャツを強く握った。

 自分じゃない匂いに包まれ、筋肉質な腕の感触が伝わってくる。つーくんのゴールを見つめる目とほんのり赤くなったほっぺたが、間近に見えた。額に浮かぶ汗とごくんと動く喉仏も。

 瞬時に、脳が現状を理解した。


「ちっ、近い近い近い近い!」

「何、うるさっ」

「車間距離! 接触事故!」

「暴れないでおとなしくしててよ」

「やっ、近ぁ……」


 抱え直され、ぎゅっとくっつく。バクバクと鳴る心臓はつーくんか、私か、それとも両方かも。熱い体温と速い心音にくらくらする。


 あぁ、テントの端っこで蒸し暑さを嘆いていた我々に教えてあげたい。グラウンドの真ん中のあつさは比ではないぞ、と。

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