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神殺しのユラギ  作者: くるい
一章 とある便利屋の業務日誌
20/34

二十話 記憶の廻廊

 どこか朧げな意識の中にユラギはいた。

 ぼんやりと流れゆく光景は、()に染まった建物と、空と、揺らめく()い炎。


「――揺樹(ゆらぎ)よ、貴様はこれで本当によかったのか?」


 聞いたこともないのにどこか懐かしいような呼び声が隣から聞こえてきて、ふとそちらの方へ振り向けば――そこにはやはり、見慣れぬ横顔が映っている。


 それは大人びた女性だった。深紅の異装を身に纏い、背中まで伸びる長い黒髪が特徴的な長身の女性だ。彼女の目元に僅か掛かった前髪が、その表情に憂うような陰を落としていた。


 女性はもう一度「揺樹(ゆらぎ)」と口にしてから、つりあがった眦で睨むよう視線を合わせてくる。燃え上がるような緋色の瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いていた。


「どう、でしょうね。結末としてはまあ及第点……と言えたらよかったんですが」


 それに肩を竦めて返事をする――揺樹(・・)と呼ばれる少年。


 ああ、そうか、これは今の自分の話ではないのか――と。霞掛かった意識の中で、ユラギ(・・・)はようやくそれを認識した。

 彼は、続けて女性へ言う。


「けどこれしか方法もなかったので。いいんですよ」

「貴様がいいと言うならば……妾は今更口など挟まんつもりじゃが」

「優しいんですね」

「――黙れ。感傷に浸る時間などもうない。行うならばとっととやるぞ。貴様の身体は、もうそこまで(・・・・)来ている」


 女性はぎりぎりと奥歯を噛み締め、その手を揺樹の頭に乗せた。その時、わしゃわしゃと乱雑に撫で回される灰色の髪(・・・・)が、僅かに視界に見えて。なんだろう――ユラギは気になって()の身体を見やると、彼の肌もまた髪の毛と同じ灰色に染まっていた。

 生気の欠片も感じぬ肌にはところどころひびが入り、控えめに言ってもボロボロな姿になっている。


 そんな揺樹(ゆらぎ)は言う。


「はは、そうですか。あぁ、やっと此処まで来れたのになあ……後は、あなたに託します」

「黙れ。妾がしてやることなど何もないわ。そも勝手にこのようなモノ(・・)を救おうとしたのは貴様じゃぞ、妾に関係などあるものか」


 揺樹(ゆらぎ)は言う。


「でも付いて来てくれたじゃないですか」

「貴様が妾に付いて来ただけじゃろうが。勝手に纏わり付いて勝手にずけずけと入り込んで、要らぬお節介を焼き続けたのは貴様だ。逆だったことなど一度もありはせん」

「なのに拒まなかったんですね。本当は振り払えば羽虫みたいに蹴散らせたのに」

「それは、貴様が――」

「だから、今回もそうだと……嬉しいです」


 揺樹(ゆらぎ)は言う。灰色に染まった身体を女性に支えられて、今にも死にゆく蚊のような声で。

「俺を――……」

 最後まで言い切ることはなく、その言葉はぷつりと途切れた。彼は崩れ落ちるように女性の腕の中へ抱き抱えられ、そのまま動かなくなってしまう。

 女性はしばらく彼を抱いたまであったが――やがて一人、吐き捨てるように宣言する。


「……貴様との短き旅路、決して嫌いではなかったぞ。じゃから――今更自分勝手に(・・・・・・・)死ねるとは(・・・・・)思うなよ。大馬鹿者めが」


 そこで、ユラギの景色は真っ暗になった。







 ――ふと、次に目を開ける。


 そこは雷が絶え間なく降り注ぐ世界。

 漂う闇と落雷だけが全ての、常世の光景。


 そこにユラギは倒れていた。

 虚ろな目をどこへともなく向け、闇を貫く雷を朧げに見続ける。


 まるで夢のような光景。

 しばらくそれを見続けていたユラギは重い腰を上げ、ゆっくりと立ち上がった。

「ここは」

 ぽつりと呟く言葉は乱れ落ちる落雷に掻き消されてしまったが――しかし、その言葉には応えるかのように視界が開けていった。同時に意識も鮮明になっていく。


 意識が完全にはっきりすると、次は闇の中に一筋の道が架かった。

 赤い、赤い、絨毯の一本道。それがユラギを始点として現れると、どこまでも奥へと敷かれていく。変わらず雷は降り注いでいるものの、丁寧に敷かれたその道だけは避けて落ちているらしい。


 地面という概念があるのかどうかは知らないが、そこで初めて雷がどこまでも下方へ突き抜けていることを知る。


 ――果たしてこれはなんなのか。さっきの記憶は一体なんの記憶だったのか。あの女性は誰だったのか。今は何をしていいものなのか、何をするべきなのか。それすら分からぬまま、ユラギはたどたどしい足取りで敷かれた道をただ歩く。


 まるでそうしろと言われたみたいなノリで敷かれたのだ。だったら、歩いてみるしかないだろう。


 さて……道の先に終わりはあるのだろうか。

 歩けども歩けども景色は変わらないが、それは唐突に終わってしまいそうなほど不安定なのもまた確かである。

 当然、行き着く先に何があるのかも全くの不明だ。


 歩きながら四方へ注意を向けていると、どうやらこの暗闇の世界に降り注いでいるのが雷だけではないことにも気が付く。


 それは、文字だった。到底読み取ることは不可能だが、確かにそれは文字だとしか言えない灰色の何かがぱらぱらと、粉雪のように舞っている。常闇と雷の合間を縫うようふらふら、緩やかに文字が舞い落ちている――。


 一言で感想にすれば意味不明であったが、しかし同時にユラギはこの光景が何を意味しているのかを徐々に理解し始めていた。


「これは、俺の精神世界みたいな……アレね、多分」


 ……思い出してきた。

 ここに来る前、というか――意識を失う前だろう。アリムに何かをされたことで、ユラギは己すら知らないブラックボックスを強制的に開けてしまったのだ。それがこの精神世界。


 記憶のない空白の己が歩んできたのであろう――これはそういう話なんだろう、きっと。六百年前とアリムは言っていたっけ?

 ならあの光景は……あの会話は……彼女は。少なく見積っても、最近の話ではない。数百年前、もし自分が本当に英雄などと呼ばれる類の奇跡を起こしていたのなら――アレはそういう会話だったのだろうか。


 イマイチ己が身として実感が湧かないのは何故だろう。記憶を覗いた今でさえあれが自分だとは思えない。とはいえ他人の空似でもないだろうし、単に己の無意識とやらがこの記憶を拒絶しているのかもしれないが。

 ……見てしまった以上はもう、なかったことにできるわけもない。


 レイシスの言葉が頭に蘇る。

 記憶を引き継いだ次の私が、私であるかという話だ。記憶の転写という形で何度も転生を繰り返す彼女は次の自分が自分であるかは分からないと言う。それは何も未来に限った話ではなく、過去の自分が自分であるかも分からない、ということになるわけだが……。


「そういうことなら、先に進むだけか」


 相場は大体決まっているものだ、とユラギは一人笑い飛ばす。ここがそういった世界なら直接的な危険が及ぶわけではないのだ。焦る必要はどこにもない。

 意識もしっかりしていて、自分が何をされて此処にいるのかも正確に把握している。


 なのに意識が現実へと戻らないのは、目の前の光景が原因だろう。

 天から降り注ぐ雷に見覚えがあるわけではない、けれど直感は己の雷とそれを同一と言っている――アレが、この世界に降る雷が、能力の鍵だと己の中の何かが叫んでいる。


 だから先に進めば何かは得られる。

 レイシスの話を聞く限り今それを得ることは必ずしも良くはなさそうだが、その辺りは考えても仕方ない。

 ここに叩き落したのはアリムの仕業によるものだし、来てしまったのに何もせずに帰るはずがない。


「読んでみようか、まずは――」


 絨毯の上をゆっくりと歩きながら、ユラギは雷と共に宙を揺らめき落下する文字――その一つを掴み取った。灰色の文字。触ったところで感触はなく、ただそこにあるという概念だけが手の内に伝わっている。

 手の内を開く。そこに書かれている文字はやはり読めないものだった。少なくともこの世界の文字ではない。元居た世界の文字でもない。見覚えのない、何らかの記号。


「……ぁ――なん、だ――! これ、は」


 だがそれを認識した瞬間、脳味噌が焼かれるような激しい痛みがユラギを襲った。

 全身が燃えるような、内側から灼かれるような痛み。

 ――視界が灰色に染まり、また、別の光景が展開される。







 ――ぽつり。ぽつり。降り頻る雨の中、少年が地面を這いつくばっている。

 濡れた地面に爪を立て、傷と泥に塗れた身体は赤い染みを下に作っている。


 炎ではなく、その赤は血の色だった。

 ここはと見渡した視界に映っているのは――高い、高い、ビル群。マンホールに滲む血の筋が雨に打たれて消える様を見、ここが元居た世界の光景だと思い出す。

 なぜ今、そんな記憶が思い起こされる――? 少年は、()()()は、顔を上げた。


 先程まで右手に握っていた文字はなく、そこにあるのは夥しい血だけ。

 記憶だからだろうか。不思議と痛みはない。


「……ああ。俺、ここで……死んだっけ」


 ここで立つ記憶はなかったが――不思議と、普通に地面に立ち上がった。

 どうやら場面の再生であっても記憶の再生ではないらしい。


 腹部を見やるとそこは目も当てられないほどに抉れていたけれど、別に痛くはなかった。


()()()()()()()()()()()


 どこからか声が聞こえる。

 そう、ユラギ――いや、()()という少年は、ここで確かに死んだのだ。死因はなんであっただろうか。今となっては何故そうなったか記憶に薄いが――事故ではなかった。自殺でもなかった。病気でもなかった。

 場所は路地裏。そして夥しい量の血と、身体の傷と……まあそんな、下らない死だったのは言うまでもない。


「そして異世界……あっちで俺は目覚めたんだっけ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――で、誰だよお前?」


 振り返れば、路地裏の狭い通路には黒い影がただ存在していた。

 そいつがユラギに()()。そいつが喋り掛けて来ていた人物か……見覚えはないが。


()()()()()調()()()()()()()()()()()()()()()

「うるせぇな……こんな場面を切り取りやがって。何だって俺の墓場で会話をしなくちゃいけない」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――それも、そうだ。ああ、そうだ。そうだった……取り乱した。俺はもう、あの頃の揺樹じゃないことを思わず忘れそうになっていたよ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――うるせぇな」

()()()()()()()()()()()


 まぁでもこれは場面が悪いね。そう黒い影は肩を竦める。


()()()()()()()()()()()()()()()()()

「それは分かってるよ。あの女性だって……きっと」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「転生した……理由? それは」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「俺だって覚えてたら困らないし苦労はしないけどね……ここで死んだことまでは覚えてるよ。でも、その後のことは――ランシーに助けられるより前のことは、何も覚えちゃいない」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「そうだね、記憶にないけど。じゃあ俺は何、世界でも救ったの……? 六百年前? 流石に冗談か間違いか何かじゃないのかね」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「だからうるせぇって……なんでもない」


 吐き捨てようとして、しかし途中で踏み留まる。

 こんなところで叫んだって仕方ないのだ。今会話をしているのは――というか自分以外に何がある。こんな恥ずかしい自問自答があるとは思わなかったよ、本当に。


 黒い影は路地の壁に体重を預けやれやれといった仕草を取った。

 やかましいわ。


「だからどうしろって話なんだけど……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「本当に事実かも怪しいけど。六百年って、俺死んでるでしょ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……分かってる。きっと何かあったんだろ、俺にも色々さ。知らないけど」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「お前さては俺じゃないだろぶっ飛ばすぞマジで」

()()


 何笑ってんだこいつ。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「いや……知らんけど」

()()()()()()()()


 ――珍しくそいつは断言する。

 ユラギの知らないことは知らないと言った、その口で。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……もしかして、あの女性?」

()()()()()()()()()()()()()

「何故?」

()()()()()()()()()()()()

「……必要、ねぇ。覚えていることがいけないと思ったのか。その俺は」


 ならやっぱり――過去の事を知りたがらなかったのは、自分自身が原因なわけだ。

 何故か知ろうとしなかったんじゃなくて、それは()()()()()()()自分自身で細工したのだ。きっと。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……んなこと、俺に言われたって」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「死ぬんじゃなくて、()()する?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……何をしたんだ、本当に。俺は」

()()()()()()()()()

「嘘吐け、お前は知ってるだろ。この中にいる俺なんだろお前。だったらお前は知ってる俺だ。知らせちゃいけないから、俺に言わないだけで――」

()()


 再び黒い影は笑う。しかし今度は乾いたような、どこか感情を意図的に失わせたような――軽薄で取り繕ったような笑み。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 短い間の後、黒い影はそう告げる。


「元よりそのつもりだったけど」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「お前うざいな……」

()()()()()()()()()()()()()()()?」

「言われない」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「なんで自分と自分で面接染みた会話をさせられているのか分からないけど調子狂うから心底止めて欲しい」

()()()()()()()()()()()()()()()

「お前さ……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「戻れるだけか?」

()()()()()()()()()()


 ぴしゃりと言い切ると、その影は跡形もなく消失した。

 どこからともなく、その声は上の方から続けて。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()()


 雨が止む。

 晴れた世界はやがて徐々に色を失い、灰色に覆われて――泡沫のように消え去った。


「……全く、忙しい世界なことで」


 そうして気付けば、既に目の前には降り注ぐ雷が。

 どこまでも続く赤い道。そこに戻ってきたユラギは、己の右手へ視線をやった。


「回数制限……きっかけは()()だよな、多分」


 遺産の力で無理矢理二回ぶっ放した時のことを思い起こす。あの時は外部の力を頼ったわけだが――そんな言い方をされちゃ、嫌でも理解する。

 やはりレイシスが言っていた台詞は正しかったのだ。この雷はユラギ自身で使いこなした結果のもの。決して力が弱いとか、制御できないから一発しか打てないんじゃない。

 制限は恐らく敢えて自分が自分に課した結果――あの自分が言っていた忠告は、ならばそういうことだ。


 どうしようもない代償があるのだ。

 恐らく、何発も打つと発生するような代償が。


 一言も教えちゃくれなかったがこれはそういう類の能力なのだろう――そんなものをどこで覚えてきたんだか知らないけれど。


「こんなしょぼくれた能力で代償かよ……いや、そうじゃないか。そうじゃないんだな。しょぼくれた能力に落とし込んだから、()()()()()()()()()


 己自身に言い聞かせるように言って――ユラギは、強く拳を握り込んだ。

 その手の内に、ばちり、雷が迸った。


「……嫌なモノを知ってしまったよ。本当にね」

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