十六話 予期せぬ対話と感情と
――神造四災。
そのどこか聞き覚えのある響きに、ユラギはうわぁと顔を歪めていた。
リシュエル・ラウンジが話していた不吉の象徴がそうだった。四色の災い、キースの赤。世界に蔓延る灰色、害種という謎の概念。
今目の前で瞳を紫色に輝かせる少女型の自動人形は――まぁ、きっとそういうことなのだろうと。
ゴシックドレスをふわりと舞わせ、彼女は蹴り技を放ってくる。苛烈ながらも可憐な舞踊を思わせる、スカートの中がギリギリ見えない連撃の強襲。
右での前蹴りを下方に弾いていなした瞬間、反対側の足が右斜め上から四十五度に振り下ろされて首筋へ食らい付く。咄嗟に右腕をくの字に固めて急所を防ぐも、その衝撃を利用されて少女は中空で回転――更に同じ方向から二撃、腕に叩き込まれる。びり、と強烈な痛みと痺れが走った。
「……っ!」
折られぬよう自ら吹き飛ばされた先――今度は真上から回り込まれたのだ――鼻先を掠めるムーンサルトが床をえぐり抜いた。ギリギリで顔を逸らさなければ、今頃顔面を抉られていたに違いない。
これらは彼女が空中で身を捻る短い動作の間に行われた攻撃であった。自動人形ならではの特異な身体能力を生かしているのか――たまらずバックステップで大きく逃げ、ユラギは両手を前に突き出す。
「……?」
すると追撃の手を止め、彼女は構えを取ったまま静止した。片足は爪先を床に付け、もう片足は胸の辺りまで上がったまま腰の辺りで陽炎のように揺らめいている。
「……それはどういう心境の変化なのですか? 諦めて死んでくださるならば、抵抗しないで頂けると助かるのですけれども」
「いや、死ぬつもりってわけじゃないんですが」
反撃に移るわけでも逃走を図るわけでもないユラギの行動に疑問を覚えたのだろう、彼女は小さく首を傾げる。
そうしてから、ゆっくりと構えていた足を床に落とした。とん、と軽やかにつま先が床を鳴らす。
この自動人形は足技が得意なのであろうか。
これまでの相手とは全く戦闘スタイルが違うようだが……。
「お話でもしませんか、アリムさん」
「……ワタクシとお話ですか。それは何故?」
「もしかしたら和解の道もあるかなと思って、こうして会話ができることですし」
「いいえありませんが」
「俺はありますよ」
「ワタクシにはありません」
アリムはぴしゃりと冷淡に告げた。
うん、まあ、そうだろうね。
我ながら何適当な事を言っているのだと思うが、けれど言葉を止めることはしない。
アリムと名乗る自動人形はこんな対話にも一応、反応をしてくれているのだ。向こうにも時間稼ぎという理由があればこそ会話に乗ってくれているのだろうが、どちらかと言えばユラギも同じ。
ちらと横目でメアリを見る。
先程こちらに牙を剥かんとしていた彼女だったが、アリムと会話を始めた途端に動きが停止していた。つまり、アリムがそうさせているということだ。
恐らくは、会話を続けている内はメアリに戦わせるつもりはないのだろう。
ほっと一息吐き、ユラギは焦る気持ちを落ち着かせる。
身体を左側半身にしつつ、パーを作った左手を前にしながら一歩後退る。戦意のなさそうな愛らしい笑みも忘れずに。
――さて、どうしよう。
路地裏でユラギを襲ってきた奴と同等或いはそれ以上の戦力を持っているとなると、正面切って勝てるかは怪しい。
そもそもこちらの戦法がバレている。切り札が相手に露見している以上、軽率に打ち込むわけにもいかない。
雷が一日一発だなんてことが知られていた暁には本当に打つ手がなくなってしまう。
流石にそれは、バレてないとは思いたいけど。
「でも、彼とは仲間じゃないんでしょう」
「それとあなたが邪魔だということに何の関連性があるのでしょうか?」
「……邪魔になる理由はお聞かせ願っても?」
「ワタクシ達の目的を邪魔したからです」
「ああいや、そうではなくて……」
「どれほど話を誘導されましてもワタクシ達の目的を教えることはないと言っておきましょう。その上で、あなたに質問をします」
彼女はぎんと目を見開く。
宝石のような紫紺が、ユラギの腰元に注目していた。
「その背中側に隠した右手で何をするおつもりですか?」
「い、嫌ですね、まさかこの俺が不意打ちとかするとでも?」
「するでしょうね。ワタクシ達は敵同士ですので」
彼女はそう言うと、再び片足を浮かせた。
軸足を僅かに沈み込ませたその態勢……あれが空中に飛び上がった瞬間、また連撃が襲ってくる。
「わ、わかりました! じゃあこの状態で話すとかいいんじゃないでしょうか、それでどうでしょう?」
だらりと両手を頭の上で持ち上げ、ユラギは早口に言った。
今、直接やり合うのは少しいや凄くマズイ。
勝てるか怪しい上に――何よりこちらは人質を取られている。彼女を使われれば両方破壊するしか選択肢がなくなってしまうのだ。
ユラギは手の内に何も握り込んでないことも示し、更には直立不動で抵抗する意志がないことをアピールする。
「……はぁ。まぁ、それならば」
すると。
どこかやる気を削がれた口調で、アリムは構えを解いた。
しかし、次はないと言いたげに一歩寄って来る。
一歩も動かずとも足技が届いてしまう範囲――即ち彼女の射程圏内にユラギが収まった。
「というかなんなんですかあなた。やる気ないんですか」
「えっ」
「やる気ないんですか?」
「そんなこと言われても……」
「戦うなら戦う、話すなら話すでどちらか片方にして下さいと言っているのです」
「えっ」
溜め息混じりに言い、アリムは眉根を寄せてきた。
いやなにそれ。
むしろそれでいいのかと言いたいのだが、彼女は真剣に言っているらしい。
敵として相対しているはずの、彼女がだ。
「……じゃあ」
だったらこの際である。
ユラギは意を決してその場に座り込んだ。
直立不動よりもよほど無防備な姿。
床の上で胡坐を掻いたユラギはこちらを見下ろす彼女をただ見上げて……これで普通に攻撃されたら一巻の終わりだが、多分そうはならない。
そんな予感があった。
とある感情――執拗に殺意を求める自動人形を思い浮かべて。
「ふぅん。分かりました」
頷き。彼女は普通にユラギの眼前まで歩いてきて、その場に腰を落とす。そしてユラギの真似をするかのように、胡坐の形で座った。
ずしりとその振動が伝わって。
目と鼻の先、紫色の瞳がじっとこちらを見つめてくる。
「ではお話を致しましょう。そちらのおじさまもいらっしゃったらどうですか?」
更にアリムはごく自然にユラギの背後で固まっているジョゼフにまで声を掛けた。
台詞だけ取れば友人たちのお茶会にお誘いしたみたいな会話の流れであったが、当然ジョゼフが動くはずがない。
だが彼の動きとしてはその方がずっと良かった。
異例の状況ではあってもエミリが人質に取られているという事実には変わりがないのだ。余計な行動を取られるより、もっと慎重になってくれた方がいい。
「……君は。私達をどうするつもりなのでしょう」
代わり、ジョゼフは訊く。
「はい? 邪魔をするなら殺してもいいと言われておりますけれども、あなたが動かないでいる内はワタクシは何もしません」
「誰に言われたのですか?」
「ああ、失言でしたね。教える義理はありません」
「それはモールド・バレル様なのですか。館を襲えと仰ったのは――アリア嬢を危険に晒すのも、彼の真の意志なのですか。ならば何故――」
「しつこいですね?」
アリムは胡坐のまま、おもむろに右腕を伸ばした。
向けた先には後方で倒れている自動人形が。アリムはその姿に重なるように指を差す。
「次に私の目的及び行動に関しての質問をすれば、そこの自動人形を自壊させます。わざわざ〝頸椎を折れ〟と命じたのでしょう、それを無駄にしたいのですか」
「……ぐっ、それ、は」
「ああ、いいえ。もういいです。あなたと会話する意味を感じません。邪魔なのでどうぞ――消えて下さい」
――その指を、ジョゼフへ向ける。
さて。自動人形のスペックとは如何ほどのものであったか、ユラギはこれまでに何度も見てきたつもりだ。
量産型ですら人の身体機能を大幅に超える自動人形――恐らく一個体しか作られていない個体はその非ではなく、何らかの特殊能力をも備えている。
路地裏の自動人形はユラギの会話から何らかの真実を掠め取った。会話をトリガーに成立させた異能であるのは間違いない。
ならば眼前の自動人形にも、何か特殊な異能を備えていても不思議ではないと――。
まあ、何が言いたいかといえば。
「……いや、それは反則でしょ」
彼女がその台詞を終えた瞬間、後方に吹き飛んだジョゼフを見て――ユラギは、顔をひきつらせたのだった。
床に倒れたジョゼフは、糸が切れた人形のようにぴくりとも動かない。
今、何をした? アリムは何もしていない……はずだったのだ。突き出した腕をどうにか動かしたりしたわけでもない。指先からビームを打ち出したとか魔法を放ったとかそんなことでもない。
少なくとも、攻撃動作を何も行っていないはずだったのだ。
遺産を使うとしても、基本的には誰かを物理的に吹き飛ばすような大威力のモノなら、まず何らかの挙動が入る。
とはいえ、ソレが罷り通る世界だ。
確実に〝何か〟はした。
ならば恐らく会話にトリガーはある。ぶっちゃけどうしようもないが、それには気を付けておかねばなるまい。
「……ふぅ。それで、あなたはワタクシとどのようなお話がしたいのですか? まさか先ほどの問いの延長ではありませんね」
「いや。延長といいますか」
嫌な汗が首筋を伝うのが分かる。
台詞一つでユラギに仕掛けられるからこそ、彼女はこの会話にも望んで乗っているということだろう。
あまり下手な台詞は吐いてはいけない。
何の条件も無しに今みたいな異能を乱発出来るというわけでもないだろうが――いや、どっちにしても、もう後戻りなど出来ないのだ。
今更怖気づいてどうなるものでもない。
既に相手の戦場の上。
相手の土俵に自ら上がり、無防備を晒してしまったのだ。最初の自分の勘を信じろ。何故自分から進んで無防備になったのか、それを忘れてはならない。
「なんで、教えないのかという理由は聞いても?」
「義理がないと言っているでしょう」
「ですが、俺がアリムさんにとって敵ではないというのであれば」
「何を根拠にそのようなことが言えるのですか」
根拠なら勿論ある。
それも、あの自動人形と戦ったからこそ得た根拠だ。
「――あなたにも何か、彼のように手に入れたい感情があるんじゃないんですか」
言うと。
彼女の口が、ぴたりと止まった。
「だから俺と長話をしてくれるものだと思っていたんですが。違うんですかね?」
「そうでしたね。彼に接触していたのなら、気付いていても不思議ではないのでしょう」
「では、正解ということでも?」
「ええそうですよ。私は感情を欲している。けれどそれが分かったところで何が変わるというのでしょう? ワタクシは目的を遂行します」
「何故です? 目的が遂行されると〝感情〟が手に入るから?」
言葉にした瞬間、アリムの目が鋭く細められた。
「ワタクシは忠告しましたね。次にその質問をすれば――」
その台詞に重ねて、ユラギは強く言葉を紡ぐ。
「その目的を遂行したところで、あなたに感情は手に入りません」
彼女はそれ以上を口にしなかった。
ただこちらを睨みつけながら、続きの言葉を待っているようにも見えた。
お望み通り、答えるとしよう。
「誰に言われたか知りませんが、感情っていうのは〝モノ〟ではないんですよ」
「ですが殺戮機関には感情が入っていたのではないのですか?」
「……アレですか」
殺戮機関。
執拗なまでに狙われていたアレは確か、球体の中に大量の戦闘記録が積み重なり遺産と化したというやつだっただろうか。故に類まれなる戦闘技能とオマケに殺意が付いてくるとかっていう。
ならば――そんなものは感情とは呼べないだろう。
とはいえ、それを生物ではない彼女に理解させるのは骨が折れそうだが。
「まあ、感情みたいなものは入っているのかもしれませんね」
「でしたら」
「けどそれは他者の感情を写し取ったデータでしょう。あなたが得た感情じゃない」
「言っている意味がよく分かりませんが」
「仮にアレを嵌め込んで感情を手に入れてもそれは他人の殺意を持つあなたが出来上がるだけで、あなたの意志ではないと言っているのです」
「それ、何の違いがあるんです? 手に入れば同じものでしょう」
おっと中々に手強い。
だが、彼女の言うことももっとも、概念を理解させるのに――あ、そうか。
「アリムさんは〝殺意〟が何かご存じで?」
「殺す意志です」
「あ、あまりに直訳ですね。まあ合ってますけど……」
「合ってるなら何が言いたいんですか」
「それが分かってるなら、俺を邪魔だから殺そうとしたのは……それって殺意では?」
「それは目的の妨げになるモノを無力化する最適な方法であって、ワタクシに殺意はありません」
「うわめんど――いえ、それは殺意の形の一つと言えましょう」
そういうことにしておこう。
「それがアリムさんの選択なら、妨げる者を無力化する方法に殺しを選んだという立派な意志を獲得しているではないですか」
「……それが感情というものの形だと言うのですか?」
「ええ。だって俺に目的を邪魔されたら困るんでしょう? それだって一つの感情です。自分で認識できていないだけであなたは既に感情を得ているんでしょう」
「まるで、知った風に言うのですね」
「気に障りましたか?」
「いえ――いや。どうなのでしょうね」
アリムは眉をひそめる。何かを口に出そうとしたが言葉が見つからなかったようで、誤魔化すように首を傾げてから。
「そうですと返したら、あなたは〝それも感情ですよ〟とか言いそうだとは思いました」
「いやまさかあははは……ってことはやっぱり?」
「やっぱりってなんですか。何笑っているのですかあなたは」
彼女は目を細める。
それが割と本気で不機嫌になっている様子を感じ取ったので、ユラギは真顔になった。
「ともかく、俺が言いたいことはそれだけです。感情を手に入れるために従っているというのなら、今一度考え直して欲しい。それでもなお手に入れたいというのなら――だったら、俺があなたに感情を差し上げますよ」
「……は? 殺戮機関のようなものをあなたがくれると言うのですか」
違う。ただまあ、やっぱりそれを説明していると先ほどの焼き回しだ。繰り返したところで彼女は理解しないだろう。
でも――こうやって会話をしてくれている彼女を信じ、ユラギは言うのだ。
「物理的にあげるわけじゃないですが、教えることはできます。でも、殺意とか害意とかそういう物騒なのは止めにしましょう。えっと――あれですよ、例えばほら、恋とか、愛とか。俺も恋する健全な男子なのでそういう平和なトークなら大歓迎」
「知っていますよ。ですが、それは人間が繁殖の際に相手へ示す行いでしょう? ワタクシは子を産むことも産ませることもないので必要ないと思われますが」
「えぇ……何故そんな生々しい部分だけ知って……いやそういった側面があるのは認めますけど、生存本能とかだけでは語れないと思うんですよ俺は。男女間の関係だけが恋愛じゃないって言いますし」
「なら、教えて貰いましょうか」
ずい。彼女の顔が近付いて来た。
表情も変えず、そんなことを言い放ってきたアリムに――ユラギは思わず目を見張る。
「えっ」
「何を驚いているのですか。教えてくれるのでしょう? ワタクシに性別はありませんが、それは関係ないのでしょう?」
「……。教えたら、止まってくれます?」
さあ? 彼女は答えた。目と鼻の先、じっと見つめてくる紫紺の瞳が鈍く輝いて。
無言の状態で数秒が経過する。首筋や背筋に先ほどとは別種の変な汗が滲み出したところで――彼女は立ち上がった。
「――時間切れですね」
「え? ちょ、まだ話は終わっては」
「終わっていません。その話はまた次の機会にお伺いします」
軽やかに床を蹴り、彼女は踊るように一回転しつつ後方へ跳んだ。空中でふわりとドレスが舞い――たん、とテーブルの上に着地し、ユラギを見下ろす。
「時間さえ稼げば勝てると踏んでいたので、この結果は予想外でした。それに……随分と勝手な事をしてくれたものですね」
「は……?」
「こちらの話なのでお気になさらず」
客間の扉が内側に破砕し――奥から、凛々しくも激しさを伴う一言が客間に響いた。
「無事かい、ユラギ」
堂々とした足取りで客間へと登場したのは、便利屋上司ランシード。
ずたずたに裂かれたドレスの裾を引き摺りつつ、彼女はユラギの元へと一直線にやってくる。
どれだけ激しい戦闘が行われたのだろうか、ランシード自身も怪我を負っていた。深くはないが、決して少なくない量の血がドレスを赤く染めている。
彼女はユラギへ視線を落とすと、呟くように言った。
「……なんで座っているんだい。君は」
「え。あ、さっきまで対話してまして、対面座位で」
「言いたいことは分かったけれどもう少し考えて話せ」
マジで怒ってる顔だった。飛び跳ねるように立ち上がり、ユラギはこほんと咳払い一つ。
「ワケあってお話してました。まさかこうなるとは俺も思いませんでしたが」
「……敵と話そうだなんて奴は君しかいないだろうね。それが君のやり方だし咎めはしないけれど。成果は?」
「まあ、ありました」
「そうかい」
私もあったと言って――ランシードは構えを解いた。
代わり、何らかの部品を懐から取り出す。引きちぎられた配線に、四角の組み合わさった複雑な部品を。
「その機械は?」
「この前対峙した自動人形がまた襲ってきたのだが、それが本体だったのでね。二度と復活されないように抜き取っておいたのだよ」
「――っ」
その言葉にアリムが驚きを見せた。
反応からして、右手に握っているそれが路地裏で会った自動人形の核で合っているのだろう。
「壊さずに回収をしたのですか? 何故」
「依頼には記載がないからね、破壊するかしないかは私の裁量だ――さて」
それをアリムに突き付け、ランシードはこう続ける。
「君達を裏で操っている人物は誰だ?」
「――」
「教えるのであればこちらは返そう。君達にとって悪い話ではないと思うけどね」
「教えることは出来ません」
「ふむ。大体分かったよ」
頷いて、何の戸惑いなく部品を投げた。
アリムに向かって。
「どう、して?」
それがあっさりとアリムの手に収まると不可解な表情を露わにするが、当のランシードはまるで取り合わなかった。
「最後に。マイルズ・ オーガンはどこにいる?」
――聞いた瞬間、アリムは硬直したように黙ってしまう。
ややあって、彼女は小さく首を横に振った。
「ここにはいません」
言って、再び跳躍をし――空間へ溶けるように姿を消失させる。その光景を見届けるとランシードは深い溜め息を吐いた。
すぐに廊下からどたどたと慌てた足音が聞こえてくる。
「ジョゼフ! メアリ!」
「ご無事ですか!」
遅れてやってきたのは、アンテリアーゼとシルヴィ。
ランシードは血の張り付いた頬を指で拭うようにし、ユラギの肩に手を置いて言う。
「……仕事は終わりだ」
「は……え?」
「都市中枢の人間やギルドの連中が入口まで来ていてね。既に私達の出る幕ではなくなったのだよ」
どこかやり切れない様子でランシードが言えば、次いでぞろぞろと足音が廊下を叩いて此方に近付いてくる。ほどなくして現れたのは、茶系の制服を着こんだギルドの面々――顔を知っている人物はいないが――と、紫の制服に身を包んだ面々だ。こちらが都市中枢の人間か。
どちらも武装をしており、ぴりぴりとした空気を隠しもしていない。
彼らの代表だろうか。腰に差した剣の柄に手を当てた紫制服の男性がだん、と前に出て客間の床を踏み鳴らした。
「……どういう状況なんです?」
耳打ちするよう問えば、ランシードは小声にて返してくる。
「さあね。通報を受けて来たようだが」
いやいや。こんな場所に通報で来るとか、普通あり得ないだろう。
ましてや武装したギルドメンバーと中枢の人間が編成を組んで現れているのだ。通報と言うより摘発に近い。そしてこれだけの数が同時に動くとなれば事前に伝えられていたとしか考えられない。かなりの事情を知り、発言権を持つ者に限られてくる――例えば、マイルズ・オーガンのような。
「――《機械技師》モールド・アンテリアーゼ、君には不当な自動人形製作の容疑が掛かっている。同行を願おうか」
「不当に人の家に侵入してきて、いきなり随分な物言いね」
「こちらは通報を受けやってきたのだ。来てみれば、館周辺に加えて内部でも大量の自動人形が破壊され、多方で交戦の跡が見られている。不当に造られた自動人形の暴走を考慮したまでだ」
「それは誤解です! むしろ被害を受けたのはこちらで、アンテリアーゼ様は――」
「使用人には聞いていない」
紫制服の男はシルヴィの反論を一蹴する。
「我々も一方的に決めつけるつもりはない。事情があるならば向こうで話を聞くが、反発を起こすのなら相応の対応をさせて頂く。正当性が認められればいいだけの話だろう? 当方何か間違ったことを言っているのか」
「……分かったわ。ついて行けばいいんでしょう」
アンテリアーゼは尚も反論を続けようとするシルヴィの前に出ていく。
これは些かマズイ状況である。彼女が連行されれば芋づる式にモールド・バレルの情報が流れる、そうなれば彼女たちが危惧していた通りの結果につながってしまう。
家は取り潰され、使用人達もアンテリア―ゼも含めて牢獄行き――或いは死刑だ。
防ぐにはどうするか。
とりあえず――。
「待ちたまえ」
彼らの間に出て行こうとしたユラギの腕を、しかしランシードが掴んで引き留めた。
「……手助けしないとマズイんじゃ?」
「助け船を出すなら私達が依頼で動いた内容を報告書に纏め、後日送った方がマシだよ。それに今行って何をする気だい?」
「出来得る限り状況の弁明をしようかと」
「無理だ。〝メアリ〟がいる――どのみちアレは引っ掛かるよ。例え依頼主の希望でも、自分で犯した過ちをこちらで尻拭いはできない」
「そうでしたね……」
一体どのようなワケがあったのかは知らないが、彼女自身も法に触れることをしているのは確かだった。それを突かれれば、今度は庇おうとした便利屋にまで被害が及ぶ可能性さえある。
だから、そこまでする義理はない。けれどここで彼女たちが拘束されるとなれば、御柱と呼ばれる都市の護り手に空白が生まれるわけだ。
きっと、相手の狙いはそれでもある。この都市を滅ぼすというのなら、一時期でもその位置が崩されるのは……。
「君が考えていることも分かるが、私達は便利屋だ。私の背後にはこの国家があるけれど、だからといって私が都市を守っているわけではないからね。正義ではないのだよ――あくまでも、私の立ち位置はね」
……ランシードの立ち位置、か。
彼女は国側の暗部だと言っていたが、彼女自身が何のためにこの仕事を続けているのかをユラギは知らない。
優しすぎる彼女にこの仕事は似合わないと感じてはいたものの、深く踏み込むつもりはなかったのだ。彼女がユラギに対するスタンスもそうだったし、無理矢理割り込んで住まわせて貰った身で聞くも何もない。そう、思っていた。
だが、スタンスは合わせなければならないだろう。
ユラギはこの都市に思い入れがあるわけではない。彼女がこの都市を守護する側にいるから、努めてそうしてきただけなのだから。
「……こう聞くとあれなんですが。ランシー自身は、この都市はどうでもいいと?」
彼女は、一瞬動揺したように眉を寄せた。
そんな彼女の顔を見るのは初めてだった。
「それは……どういった意図の質問なんだい」
「このまま放置すれば相手の思惑の範疇でしょう。それがモールド・バレルなのか、マイルズ・オーガンか、もっと別の裏側の存在かは分かりませんが……なのでランシーがこの都市を守りたいなら、俺はそうします。守るつもりがないなら、俺もそうします」
ランシードは刺すような声音で返してくる。
「だったらユラギ、先に君に聞くよ。君自身はどうしたい?」
少しずれた形で質問となってそれは返ってきた。
こちらの言い方も悪かったのだろうが――ああ、自分のスタンスか。
それは、ランシードと出会った日から変わっていない。ユラギがここにいる理由がそうだ。
「俺ですか――」
ふと考える。
ユラギはこれまで彼女に尽くすことしか考えてこなかった。他には何もいらないとさえ思っていた。しかしランシードはそれを良しとはしていない。というか、記憶を失ったユラギがランシードにしか頼れないから、仕方なくそうしているのだと本気で思っている節がある。
そうじゃないと思っているが、自分で断言したって意味はない。
なら今はフラットに考えよう。便利屋とか依頼とかその他諸々を条件から外してこの状況だけを切り抜いた時――この都市は危機に陥ろうとしている。だったら、自分はどうしたいのかを。
「俺は正直、都市が滅ぶとかはどうでもいいんですがね」
「……それで?」
「でも、この都市が危機に陥ることでランシーや他の皆が危ないってんなら黙ってたくはありませんし、それに依頼主は本当に困ってますから。少なくとも俺は話を聞いて、あの人達を助けたいと思ってます。このまま放置して終わらせたくはありません」
まあ金的とかされてるし……いい思い出とかゼロだけど。それとこれとは話は別だ。
「――うん。その意志が聞けて良かった」
言うと、彼女は優しげに薄く笑んだ。
「私もそうだよ、だから便利屋なんだ――すまない、言い方が悪かったね。見て見ぬフリはしないよ。この場では動かないだけで代わりに時間稼ぎの手は打ってある。件の自動人形を二体とも見逃したのはその一つだ」
「あれは、そういうことでしたか」
そうか、ランシーは最初からこの状況を見越してアリムを逃がしたのだ。
彼らをこの場で捕まえて当然都市へ引き渡すと、釈明以前の問題になってしまうから。まだ誰が造ったかも不明――いやどう考えてもモールド・バレルだが、あの場で証拠だけを入手したら製作者をアンテリアーゼにされても何ら不思議ではない。
そこに通報した人間が情報を捏造して持ち込み、畳みかけてきたら終わりだ。
隠蔽したままは論外だが、自動人形の情報を提出するのはこちらからでなくてはならない――これに関してはアリムやもう一体が感情を求めるという独立行動を行っているのが救いであろうか。
「今回の依頼である程度目星が付いたからね。破壊した自動人形の製造番号しか得られなかった時とは違う、個人名や関係性を絞って当たれるのは大きいよ。調べれば、この事件の全容も見えてくるはずだ」
「そうですね……ただ、流石にあの二体を逃がしてしまうのは、危険なんじゃ?」
それを言うと、ランシードは自信満々にユラギの肩に手を置いてきた。
「それはないと思っているよ。私と交戦した個体が復活するには時間が掛かるだろうし、君と会話を行っていた方は比較的話が分かる相手だった。あそこで退く選択を取れるなら、滅多な事はしてこないさ」
「……そうだといいんですがね」
確かにアリムは考えて動いているし、誰を殺すこともなかった。確実に殺せたはずのジョゼフも気絶させるだけに留めている。それだけ理性的な動きをするなら、ユラギの言葉を聞いてくれているのなら、しばらく動きはないとは思うが。
「さて、私が一旦話を付けてこよう。続きは事務所に帰ってからだ」
「分かりました。俺はメアリの状態と、ジョゼフさんの安否を確認しておきます」
ああと頷いてランシードはアンテリアーゼの元へと向かっていく。
「……そうだな。俺も、出来るだけ動いてみよう」
一人になって、ぽつりとユラギは零す。
頼れそうな人が一人だけ頭に思い浮かんだ。
――凡そ六百年の時を生きる大天才。
ここは一つ、彼女の知識を借りてみるのもいいかもしれないと。
◇
その後、事態はアンテリアーゼ達が取調べを受ける形で収拾が付いた。
はい即逮捕とならなかったのはよかったものの、中枢区画の建物へシルヴィ、ジョゼフ、メアリと共に収容されている。
そして彼らの依頼を引き受けていた我々便利屋は後日書類を纏めて提出することになり、一時的に館周辺の警護はギルドの面々で補うこととなった。
――で、翌日。早朝。
便利屋アリシード事務所。
温かいコーヒーに口を付け、ランシードは黙々と事務机に噛り付き、筆を走らせていた。
淡々と白紙が埋められていく姿を遠巻きに眺めつつ、ユラギもカップにコーヒーを注ぐ。
砂糖を一つ、ミルクを少々。マドラーで軽く掻き混ぜトントンと縁を叩いて先端の雫をカップ内に落とし、早くも熱を持ち出したカップに口に付けた。
温かく優しい味わいが喉を通る。苦味と甘みが程よく、リラックスした心地になる。
ペンを走らせる静かな音だけが、部屋に聞こえている。こういった落ち着く感じを味わうのも中々いいものだ。まあ……仕事中なんだけど。
ユラギは背後の棚に背を預け、ランシードへ訊ねた。
「俺はこの後、レイシスの所へ行ってこようと思いますが」
ランシードは書き物を続けながらこちらを見ずに返事を返してくる。
「おや、デートかい?」
「ぶは――いやなんですかその冗談は! 違いますよ気になることがあるんで聞きに行くんですよ。何か知ってるかもしれないんで」
「では私は書類を纏め次第、マイルズ・オーガンの動向を探りに行くとするかね」
とんとんと数枚の紙束を纏めつつ端へ退ける。
「……分かりました。あ、モールド・バレルの情報は夜までに調べてきます」
「それは昨日の夜中に終わらせた」
「えっ」
「ま、黒だろうね」
「ちょっと待って、夜中って……寝てないんですか?」
「君が寝ている時間に少し出て探ってきた。何、あっちは過去の動きを調べるだけだからね。ちょいとアドリアナに手伝わせたら湯水のように溢れ出てきたさ」
お、恐ろしい人だ。それでも一応、ユラギも調べないわけではないが……。
「――ユラギ。くれぐれも気を付けるんだよ」
ランシードは顔を上げてそう言ってきた。
翡翠の瞳が、心配そうにユラギを見つめている。
「ええ。ランシーもあまり無茶はしないで下さいね」
「まさか君にそんなことを言われる日が来るとはね……ああ、分かったよ」
どこか感慨深い様子で苦笑を見せる彼女に背を向け、急ぎがちにコーヒーの残りを飲み干す。
――気を付けろ。
夜通しモールド・バレルを調べたランシードがそう言ったのだ。
気を引き締めて行こう。
ユラギはひらひらと右手を上げ、玄関扉へ駆け出した。
「では、行ってきます」




