十三話 魔性の女の計画
普通に生活をしている人達――すなわち、表から見ているだけでは観測することの出来ない者達の世界がある。
簡単に言ってしまえば、ランシードのような者がそれである。ユラギの勝手な判定で行けばリシュエルやアドリアナなどが表、キースやレイシス、あの自動人形――辺りが裏、と言ったところだろうか。
とまあ。
それらの存在をひとまず裏と括り呼んでいるわけなのだが、実のところユラギはそれら裏の世界をほとんど認識することがない。
できない、と言い換えた方がよかったのだろうか。
何故なら彼らはもれなくランシードの殲滅対象でもあるのだ。ユラギがランシードの傍に居る限り、ランシードに消されない道理はないわけで。
単にユラギが目にする前に始末されているだけだ。
それでも、何度か修羅場と呼べる戦いに巻き込まれたことはある。便利屋という普通の仕事の裏で活動する性質上――《仕立屋》は、だからこそ裏稼業とは相性が悪いことも多い。
情報の隠蔽もしているらしいのだが、自分達の仕事を邪魔する人間が堂々と表をうろうろしていれば、命を狙われることもままあるわけで。
ギルドやスレイリア等の目が張り巡らされている事務所付近で襲われることはほとんどないが、遠出した際に凶刃が降り注ぐことは珍しくもない。
――もっとも、全て返り討ちに遭って死体の山となるのがオチだが。
そういう光景を、ユラギは何度か目撃している。
そのため裏に生きる者達の強さと狡猾さも、それを超えるランシードの異常さもこの目で見ている。
その経験があるから、ある程度は裏側の臭いにも敏感である。まあ、実際に直接ユラギが対峙したのはあの自動人形が初めてだが――。
その観点から判定を下すのであれば。
今回のモールド・アンテリアーゼという人物は――確実に、裏世界に片足を突っ込んでいる人間だったというわけだ。
ユラギは唇に感じた柔らかな余韻に顔をしかめつつ、自らの胴体に跨る女へ視線を這わす。
「意味が、分かりかねるんですが」
「そう? 簡単な話よ。私の言うことを聞くなら従ってあげる。分かり易い取引じゃない」
「……いや、何故こんなことする必要があったのかと、聞いているんですよ」
そもそも取引として成立していないのだが、そんな部分に突っ込みを入れようとは思わない。
問うと、彼女はくすくすと薄い笑みを引く。
そしてその胸を惜しみなく強調させつつ、煽情的に腰をくねらせ――実に愉しそうに言ってのけた。
「そこまでする必要は確かにないわ。でも、アンタのその顔がむかついたから――そのなぁんにも知らなそうな無垢な身体に、傷を付けてやりたかったの。それだけよ?」
「そうですか。別に、されたところで何が減るわけでもないですが」
「――そう、アンタはそう思うわけだ。あれだけ反応していたのに?」
彼女はキャミソールをわざとずらす。
真っ白な肌が、室内灯に照らされて妖しく輝いた。抵抗をしないユラギの顔に、ぐっと再び顔を近付けてくる。
柔らかに下りた髪のカーテンが、彼女を残して視界を塞いてくる。
だが、唇は塞がれていなかった。
「……ま、二回目は効果も薄いか……ああ、いや。アンタから求めるなら、してあげてもいいけど?」
意地悪そうに笑って、彼女はすぐに顔を離す。
ユラギはその戯言には取り合わない。
「あなたは、何がしたいんです?」
「聞き分けがない子ね――フルネームに様を付けるのがあなたの執事たる最初の仕事と受け入れなさい」
「……聞き分けがないのはアンテリアーゼ様では? 俺の正体が分かっているんでしょう、ならばさっさと」
「っは……今更何よ、私はずっと聞き分けのない馬鹿な子供よ? お父さんが私をそう言っているんだから、それが間違ってるワケないじゃない――馬鹿ね」
本当にそんなことを考えている訳ではないと一発で分かる台詞。彼女は声を荒げる演技をして、その延長でユラギを睨んでみせる。
本当は、感情など欠片も揺さぶられていないはずだ。
これは全て彼女が意識してやっている演技、その演目の一つに過ぎない。
「さっき私がベッドに投げたやつ、覚えてるでしょ?」
「それがどうしたんです?」
「――立体映像記録媒体」
彼女はちろりと出した舌で自らの唇を妖艶に舐め上げ、それから突然ユラギに抱き付いてきた。肌と肌が触れ合う。互いの吐息が感じられるほど、近付いている。
「……私達の痴態がぜーんぶ、あれに録画されているのだけれど。コレを事務所に送りつけても傷は付かない? ねぇ、試していいのかしら?」
それはそれは楽しげな声調で、囁くように耳元へ言葉を吹き付てくる。相手をいたぶって喜ぶ類の――気味悪い寒気がユラギの背筋を走った。
しかしそれすらも、彼女の本意というわけでもなさそうだ。
彼女がこの行為をする意図を考えながら、ユラギは言葉を選びつつ返す。
「それをやって傷が付くのはこちらではなく、そちらでは?」
「そんなの分からないじゃない。愚者の私は経験から学ぶのよ? だからこんなコトで傷一つ付かないって言うなら、この私が身体を張って試してあげる、そう言っているの」
しかしそろそろ茶番もお終いだろう、これ以上の会話に恐らく意味はない。
ユラギとしてもそろそろ優位を逆転させたかった。
執事として訪れているとはいえ、別に彼女の奴隷になりに来たわけではないのだから。
ひとまずは一向に退こうとしない彼女と距離を取るのが先決か。
彼女の思惑に乗せられるがままでも依頼は達成できるかもしれないが、言いなりの犬では流石に癪だ。
というか本音――ベッドのそれが録画する機械だとして、本当にそんなもの送られてたまるか。
という事情はさておき、ユラギはどう彼女を退かすか考える。
彼女の狙いが何かまで分からないが、ユラギと同じく時間を稼いでいるのは確かであろう。富豪とランシードの取引が終了するまで引き留めておければ何でもいいのだから、最悪どのような形で彼女を拘束してようがユラギは構わない。
問題は彼女が時間を稼ぐ意味がどこにあるか、だった。
ユラギを引き留めておくだけで目的が達成されることはないはずだ。ユラギとランシードの役割が逆であったのならまた話は違ったのだろうが、ランシードを止められる手段が彼女にあるとは思えない。
先ほどの言通り、彼女がユラギにやらせたい行動があるはずだ。そのために優位に立ち、逆らえないように縛り付けようと――して、いるのか。
……あ、なるほど。
ユラギはそこで、シルヴィの言葉を思い出す。
『彼女に呑まれないように』
だなんてことを言っていたが、それはこの事だったのかもしれない。主導権も弱みも握られてしまえばユラギは彼女に従うしかなくなる。だから、気を付けろと言っていたのではないのか。
「話し合いも、これ以上は意味がなさそうですね」
ならば行動は決まったようなものだ。
ユラギはアンテリアーゼに跨られてキスされて抱き合っている姿を間違ってもランシードに見られるわけにはいかない。決して。
同時にそれを鎖に操られるつもりもない。
その両方をクリアできる手段は一つだけ。
それはこちらが主導権を握ること。
少々強引な手法にはなってしまうが、相手が先にやってきたのだ。少しぐらいは自業自得ということで納得して欲しい。
「アンテリアーゼ様、少々失礼を――」
だからユラギは、彼女の身体を押し退けようと力を入れた。
馬乗りにされたからって返し技がないわけではないのだ。逆にユラギから彼女へと組み付き、上体を押し上げて、
「あは。やっぱり、そういうことするのね」
きぃん、と小さな炸裂音が反響した。
確かに突き離した手応えがあった彼女の身体が、少しも、動いていない。
どれだけ身体が重かろうと関係ない程度には力を加えたはず、軽い娘一人くらいは引き剥がせるだけの――。
その答えはすぐに見つかった。
「遺産――」
むしろその可能性を失念していたことをユラギは後悔した。明らかに金持ちの娘だ、遺産を持っていてもおかしくはないことなど考えれば分かるはずだったのに。
「ええ知っていたわ。男はみんなそうよね、力に頼れば非力な女なんて組み伏せられると思っている。馬鹿ね、見ず知らずの男に跨るような女が、武器を何も持ち込んでないわけないでしょ」
彼女の着用しているキャミソールが鈍く輝いているのを確認し、ユラギは即座に衣服それ自体が遺産なのだと確信した。
その効果まで見抜くことは出来なかったが、防がれたという事実だけは確かだ。
明らかに実力の違うユラギを前に余裕を見せていたのはそのため。ユラギが隙を晒した一瞬、腹部に電流が走った。
「……ぐがっ!?」
内部が痺れるような神経の痛みだ。
それが丁度彼女が乗っかっている下腹部に集中していて――身体が思うように動かないことに気が付く。
この痛みは、電流じゃない。
痺れが全身へと広がっていくのを感じながら、ユラギは彼女へ問う。
「ちょ、っと待……なにを、した……」
呂律の回らないユラギの言葉を遮って、
「ねぇ、今アンタは私になにをしようとしたの? 意識を奪ってしまえばって思った? ちょっとの間自由を拘束できればって思った? 逆に押し倒してやろうとか思っちゃった? ねぇ、答えなさいよ」
「もしか、しなくても、これ、毒、じゃ」
「いいから答えなさいよ。じゃないと――」
彼女はユラギの股の間に右の膝を挟み込んでくる。
それに対して、指先一つ曲げることすらできないユラギは抵抗などできず。
あ、やばいとどこか傍観者的な感想を抱くユラギの傍ら、彼女は変わらず表情のない顔で、こつんと膝を押し上げた。
「ここを潰すわ」
痙攣するユラギを見下し、彼女は吐き捨てた。
「さて……これからアンタのせいで依頼は台無しになるけれど、果たしてそのアンタは貴族の少女となにをやっていたのでしょう。動けないアンタはこれから私になにをされるのかしら、楽しみね?」
「いや、こっちは、全然楽しくなうぐっ……」
「軽口を叩ける余裕があるのね。それとも強がりかしら」
ごり。押し潰される下腹の鈍痛に呻き声を上げ、ユラギの顔に脂汗が滲んだ。
「……降参で」
振り絞った声で言って、無理矢理にでもと抵抗するのをやめた。
いや、何も諦めたわけではないけど。
彼女のその行為に何の意味があるかを思い出したからだ。今まで翻弄され続けてきたが、ユラギは自らの仕事を見失ったつもりはない。
これまでの彼女の行動と台詞からすれば、ここでユラギに追加で危害を与える理由がないはずだ。だからこれ以上抵抗する必要がない――。
いや自らの急所大事でとかじゃなくて、うん。
あくまでも彼女の反撃は、ユラギ自身が彼女に手を掛けようとしたからに過ぎないのだろう。
でなければ乗りかかった時点でとっくに毒を打ち込んで無力化していた。
「はぁ降参? 意味分らないんだけど、さっきの質問に答えてくれる?」
ゴリッ。
「――待っ、マジ、やば、死ぬそれは、」
ゴリュッ。
「あああああああああ」
「おっと、これ以上はほんとに潰しちゃうわね。じゃあこのままで改めて聞きましょうか。私の言うことを聞きなさい」
限界まで膝を押し上げたまま、彼女は極めて笑顔でそんな質問を飛ばしてきた。
顔まで青くなっているであろうユラギに返事を返すだけの余裕などなく、油汗を流して細い息で呼吸するのが精一杯だった。
あれ、おかしいな、全然追加攻撃加えてくるんですけど。話が違ういや違わないけど死んじゃう。
「さあそろそろ喋れるでしょ? 麻痺毒はほとんど一瞬しか効かないんだから、喋れませんだなんて言い訳はさせないわよ」
「あ、うそ、ほんとだ、動く……待って! じゃあタイムタイムごめんなさい! 痛いっていうか感じちゃいけない痛みがああああ」
ゴリュ。
「別に待ってもいいけどこのままよ? 早く頷かないと本当に潰れちゃうけど、いいの?」
「だってそれ一択じゃ……――」
ぐちゃ。
「あ」
そこで、彼女が「やってしまった」みたいな声で呟いた。
◇
ユラギは無残にも床にうずくまっていた。
びくんびくんと痙攣しながら横たわり、両手を股に挟み込む姿はなんというか、きっと誰が見ても恥ずかしい姿であろう。
「よ、よかった……潰れて、ない……ふう……よかった……」
ユラギが何度もそれを確認して安堵の溜息を洩らす横、アンテリアーゼはベッドで足を組んで座っていた。
丸型の機械をころころと手の平で転がしつつ、彼女は半笑い気味に言う。
「悪いわね、流石にやり過ぎたわ。たかが依頼で来た奴にここまでやるつもりはなかったんだけど、ちょっと興が」
「……あの、結局。何を俺にやらせたかったんです?」
「そうね。きちんと話せば長くなるけど、敢えて一言で表すなら私の側に協力して欲しいということよ。勿論タダ働きはさせないし、金は別途用意するわ」
もう少し濁すものかと思ったが。
普通に話した彼女に多少面食らいながら、じゃあとユラギは言う。
「え、じゃあ、普通に言えばよかったんじゃ……?」
「はぁ? アンタが親父側の手先なのか中立なのか分からない段階でそんな話持ち掛けるわけないじゃない。金玉蹴り潰すわよ」
「ごめんなさいやめてください」
彼女は溜息混じりに言うと、立ち上がって部屋の片隅にあるクローゼットへと向かう。
「既にジョゼフの方はもう一人の私にアプローチ掛けているでしょうし、あちらは上手く行っているんじゃないかしら」
あっさりとそんな事を言いながら、彼女は衣服を取り出して着替え始めてしまった。
「……は?」
乱暴に投げ捨てられたキャミソールが、ばさりとユラギの身体に覆い被さるように落ちてくる。
「何呆けた声を出しているのかしら? 当たり前じゃない、アンタにだけ話を通す意味ないでしょうが」
「……ランシーには普通に伝えてるんですか」
「ええ。ランシード・ソニアが中立だということはとうに調べが付いている、そこには一定の信用を置いているわ。私達が警戒したのは、素性が知れないアンタだけ」
「あー。じゃあ、最初からカマかけは始まっていたってこと……ね」
メイドのシルヴィが持って回った言い方をしたのは……さてどのような意図だったのだろう。
ともあれ、別の意味で力が抜けるようだった。
ランシードがこういった依頼を常日頃こなしているということを考えると、気が滅入るような面持ちである。
今後はもう少し依頼そのものに注意を払おう、ユラギは切に胸に刻んだ。
腹部の痛みが徐々に引いてきた。
ようやくと言わんばかりに立ち上がり、ユラギは身体に被さっていた生温かいキャミソールを無遠慮にベッドへ投げる。
「……それで、今の話で俺が中立だと分かった理由をお聞かせ願っても?」
「未熟な駒を手足に使う父親ではないわ」
「……ああうん、そうでしょうね」
ユラギは一連のやり取りで見事手玉に取られているわけだ。返す言葉などない。
「これでも褒めているのよ?」
「それはどうも」
彼女はベッドのキャミソールを無造作に掴み、クローゼットの下方へ投げ入れる。
およそ女性の動作ではないが、わざわざ指摘する元気はなかった。代わりといっては何だったが、ユラギは彼女の服装をぼうっと眺める。
この姿が彼女の普段着であろう。白を基調とする気品ある外装に、シンプルな黒いスカートだ。
ドレスほどに決まった正装ではないが、着こなした姿にはどこか清楚で小奇麗な印象がある。この絵面だけを切り取って送られていたのならば、ユラギが彼女に持つ第一印象は大きく変わっていたかもしれない。
彼女は丸型の機械を外装の懐に仕舞い込んだ。
ちらと首だけこちらに回し、口端をにやりと歪める。
「お望み通り編集して贈ってあげる」
「――ええと依頼の話ですが、ランシーが頷けば俺はその意志に従いますよ」
「アンタてか何しれっと人の着替え覗いてんのよ、変態が」
「……」
痴女が何を言っているのだろう、とユラギは思った。
そんなこと口には出せないし早く話を進めて欲しい。
「こんこんこん、こほん、すみませーん、アリアー? お役目果たしてきましたー、入って大丈夫ですかー?」
部屋の外から気の抜けた声が部屋の中に響き渡ってきた。声の主は館のメイド、シルヴィ。声でドアノックを表現するとは中々に意味不明である。
彼女は返答を聞くまでもなく部屋の扉を開けると、ずかずか入ってきてユラギとアンテリアーゼの顔を交互に見やる。
数秒の間視線を行き来させ、ありのままの笑顔で言った。
「アリアー、もうちょい穏便にって言わなかった?」
「いつから見てたの?」
「ユラギ君が発狂するところ」
「うっ……」
――そんなところから?
「アレでも穏便にシてやったじゃない」
「違うちがーうそれ絶対込められた意味も違う! そこまでやる必要もなかったじゃん?」
「そうよ。でも壊したくなっちゃったんだから仕方ないじゃない。ね?」
「ああもう……やっぱり私も付いていけばよかったあ……ユラギくん、大丈夫!? どこまでされたの? 痛くなかった? 怖くなかった? 安心して、もう大丈夫だからね」
「ねぇアンタそれどっちの味方? 絶対おかしいでしょ」
「おかしくありません! アリアが責任取って依存させてあげるんならいいけど、そうじゃないでしょ!」
「依存させるところまで壊すつもりもないし」
そして唐突に始まった明らかに危ない会話に付いていけず、ユラギはただただ頭を抱えた。
◇
依頼内容改め、再依頼内容。
「メイドの私がこういうことを言うのもなんですが。私達の主人であるモールド・バレルは――この《円状拠点都市エクサル》を滅ぼそうと計画しております」
「……それは、また」
ユラギ達に依頼を出してきたモールド・バレルは、都市中枢を担う《機械技師》を代々任されている家系の主だ。
戦闘用の自動人形を造ることが許されたモールド家は外の〝灰〟から都市内部を護るため三柱の一つを任されており、都市最東端に館を構えることにより〝灰〟から都市を守護している。自動人形が館の外を巡回しているのは、外から現れる害種を防ぐためである。
そのモールド・バレルが、ここ数年間に怪しげな動きを見せていたという。
その動きの一つが、未認可の戦闘用自動人形の製造と他国への売買であった。
「今、この都市で不法な自動人形が沢山出回っているのはご存知ですね?」
「ええ――そうですね。知ってます」
ユラギはシルヴィの言葉を呑み込みながら、つい先日の戦闘を思い起こした。大量の自動人形との戦闘には不可解な点があるとは考えていたが、まさかここに繋がっていたとは。
「主人が直接制作している物ではないので物的証拠は押さえてはおりませんが、不正なやり取りを陰から手引きしているのは主人で間違いありません」
「ええと……この事を国家には――まあ、当然伝えてませんか」
「はい。申し訳ありませんが、私はアリアのメイドでもあるのです。アリアの生活を潰してまでこの家を告発することはできませんので」
ぴしゃりと言い切ってアンテリアーゼへ視線を合わせた。
「私は構わない――そう言いたいところだけど、安易に告発なんかしたら私達全員生きていられなくなる。そんな真似はできないわ」
「ああ、いや、非難をするつもりじゃないんですよ。現在の状況を確認しておきたかっただけです」
先を、とユラギは促す。ギルドやランシードでも一定の位置までしか探れなかったのだ、この情報はここだけの物だろう。
「私とメイド達で密かに父親の動向を探っていたのだけど、どうも計画自体は父親が主だったものじゃないらしいのよ。父親はその計画に加担しているだけ。今他都市へ出ているのは、恐らくは計画している面子との会合ね」
「その辺りは他のメイド達が探りを入れております。そして今日、館へ来られる貴族の出資者の方も――計画に加担している方なんです」
ユラギは小さく頷く。
モールド・バレルと貴族が何らかの形で繋がっているが、ただし計画と繋がっているというだけで、二人の間に深い繋がりがあるわけではなさそうだった。
便利屋にあのような依頼をしてきたのも、娘を黙らせるための一手だったのだろう。その一手を娘に読まれていたことが、モールド・バレルの失態だ。
「そう。馬鹿を演じるのは、私が裏で動きやすくするため。父親は私が計画を知っているだなんて気付いていないはずよ、だってそのためにじゃじゃ馬の馬鹿娘を演じていたのだもの」
「ええ、そのお陰でアリアは本来の性格も随分なものになってしまいましたが」
「殴るわよシルヴィ」
「あははーまたまたそんなーいたっ!?」
拳骨を頭頂部に喰らわせ、痛がるシルヴィを他所にアンテリアーゼは続ける。
「で、今日現れる貴族の方に動きがありそうなのよ。シルヴィ?」
「いたたた……え、ええ、今エミリが客間に連れて行ってますよ。手筈通りです」
「そ、なら今頃あの豚は豪勢な食事にありついていることでしょうね」
アンテリアーゼは苛立ちを隠さずに言う。
「貴族の名前を窺っても?」
「マイルズ・オーガンという貴族よ。商家の成り上がりね、特別目立った過去や経歴は見当たらないけど」
「あなたと面識はおありで?」
「ない。でも今日は私との見合いよ。婚約前提のオマケつき」
「ああ……政略結婚、的なやつ」
「――本当にそれだけならまだいいけど」
独り言のつもりでぼそりと言った言葉に、彼女はそう返してきた。彼女にしては苦々しげに唇を噛み締めている。
「一応、依頼内容では自動人形の制作と聞き及んでましたが……?」
「それも入ってるでしょうね。私と自動人形の引き換えで、多額の出資がされるらしいわ」
それ自体はよくある話だと彼女は言って、けれどと付け加える。
「貴族の狙いは私じゃなくて《機械技師》としての脳よ。婚約の話が持ち上がる少し前に、『結晶媒体』という遺産を手に入れたって情報を掴んでるから」
「一応捕捉しておきますと、結晶媒体っていうのは大容量の情報を記録する遺産らしいですね。どのような複雑な中身でも正確に抜き出し記録するという代物らしく……それでアリアの脳をコピーするつもり、だと私は踏んでるわけです」
「……機械技師の脳、ですか。確かにそれは、きな臭い」
「脳の中身なんて記録できるのか知らないけど、悪質な企みに私を使おうとしているのだけは確実ね」
レイシスとの会話が頭に浮かぶ。
彼女の場合は自身で造り上げたシステムで肉体へ記憶を転写し転生を繰り返しているみたいな話であったけれど。
多少事情は異なるだろうが、ともすれば貴族はモールド・アンテリア―ゼの複製を造り出そうとしている、だなんてことを考えているのかもしれなかった。
「分かりました。つまりは、この商談もとい縁談を破棄させるよう事を運べば良いんですかね。となると手段のほどは……」
「いえ、間違ってはいないけれど。私が頼みたいのは別よ」
アンテリアーゼはユラギの言をやんわり否定して。
「白紙に戻すんじゃ先へは進めないわ。せっかく父親が留守にするこの時を狙っていたんだもの、私から打って出るわ」
「打って出る……まさか」
「ええ。アンタの想像している通りだと思うけれど」
打って出る――。
ユラギがその意味を察すると、アンテリアーゼは己の手の平と拳を合わせて音を打ち鳴らした。
「――拉致すんの。証拠は必ずあるんだから、捕まえてから洗いざらい吐き出させればいいわ」




