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第五十一章 射犬の戦い

 銅馬軍が敗れて劉秀の傘下に降ると、危機感を覚えたその他の賊は集結をはじめた。

青犢、上江、大彤、鉄脛、五幡、これらの賊の中心には赤眉の姿があった。膨張した赤眉の賊の一部は、各地に出没し、他集団との連携・組織化といった不気味な行動に及んでいる。射犬しゃけんの地に集結した盗賊軍は総勢十万に及んだ。

劉秀はぎょうに駐屯する尚書令の謝躬を訪ねた。


「私が射犬まで追えば、賊は必ず敗れます。そうなれば、山陽に篭もる尤来きゅうらいの賊は慌てて逃走するでしょう。貴方の威力を持ってすれば、彼らを撃ち破り虜とすることは容易い。頼まれてくれますか?」


謝躬は楽に手柄が得られると知って喜色を浮かべた。劉秀はにこやかに続ける。


「今回は馬武ばぶ殿や龐萌ほうぼう殿は残されたほうがよろしかろう。あの二人は確かに有能ですが、あまり活躍されると貴方の功績が霞んでしまいます」


「何から何まで、お気遣い痛み入ります」


劉秀は謝躬と堅く握手を交わして別れた。

編成中の遠征軍のもとへ戻る帰路、部下の馬成ばせいが尋ねる。


「尤来は赤眉から分かれた強力な集団と聞きます。馬武殿や龐萌殿がいなくては厳しいのではないでしょうか」


馬成はかつて頴川で劉秀に従ったが、その後は更始帝の下で官職を得ていた。しかし、河北に劉秀が派遣されると居ても立ってもいられず、官職を捨て追いかけて来た。合流が遅くなったのは、徒歩かちで移動していたからである。


「勝ってもらっては困るのさ。それに、あの二人は無傷で拾いたい」


それしても、確かに警戒をさせないために今まで謝躬を持ち上げてきたが、さすがに更始帝の派遣した官僚を殺害した時点で危機感を覚えても良かったはずだ。劉秀は、楽観は時に人を殺すのだ、と思った。


 射犬を含む河内郡かだいぐんは高い食糧生産量を誇る地域であり、水運が発達して運送手段も充実している。故に盗賊軍は射犬を根城に河内郡を喰い荒らすつもりでやってきたのであるが、銅馬を抱えて大所帯となった劉秀軍にとっても絶対に押さえておきたい地域であった。射犬に集結した両軍は勢力が拮抗し、互いに出方を窺って睨み合いを続けたまま夜間になった。

夜間に軽々しく大軍を動かすことは敵もすまい、劉秀軍に漂うこういった楽観は突然の銅鑼の音とともに打ち破られた。

しかし、前衛を率いていた耿純こうじゅんは動じない。

相手が夜間に大軍を動かしたからといって、蕭王はそれにつられて迂闊に動くような大将ではない。耿純は冷静に前衛だけでこの夜襲を押し返す算段を考えていた。


「二千の壮士を集めて敵の背後に回らせる。彼らには大量の矢を持たせよ」


一方で残る兵には陣を固くして決して動かないよう厳命した。盗賊達が闇雲に矢を射かける中、決死隊は間道を伝って進んでいく。


ーー敵の背後に回ったら、三本以上の矢を同時に放てーー


決死隊は耿純に言い含められた通り、敵軍の背後から矢を放った。


「当たらずとも良い。敵を混乱させるのが目的だ」


盗賊達は背後から降り注ぐ矢の量に、耿純の狙った通りの反応をした。大規模な部隊が背後に回っていると錯覚し、右往左往した末に退いたのである。

耿純は夜明けを待って撤退する敵に一度追撃を加えると、深追いはせずに自陣へ退いた。耿純の陣には劉秀が来ていた。


「昨夜は苦しかったか?」


「陛下の威徳を頼り、幸いにも全うできました」


「夜間に大軍を動かすのは危険であるから、救援に向かわなかった。軍の進退には定まったものがなく、何が起こるかわからない。卿の一族全てが軍中にあるのは危険だな」


劉秀は耿純の一族の耿伋こうきゅう蒲吾ほご県の長に指定し、耿一族をそこに住まわせる事にした。家臣の差し出した人質を自ら放棄したに等しく、耿純は劉秀が救援に来なかったことを恨むどころか、返って忠誠心を増した。

襲われたのは耿純だけでなく、銚期ちょうきの部隊も被害にあった。しかし、銚期は身に三つの傷を被りながらも敵を打ち破り、奪われた輜重を取り返した。

先鋒の賈復かふくのもとには劉秀からの伝令が到着していた。


「陛下から“将軍も皆も疲れているだろうから、戻って朝食を取れ。再度態勢を整えてから攻撃する”とのご命令です」


「お心遣い痛みいる。しかぁし!」


賈復は両の拳に手指虎を嵌めると胸の前でぶつけあった。重々しい音が響く。


「朝飯前に敵を片付けてから戻る!陛下にはよろしく伝えておいてくれ」


伝令が止めるのも聞かず、賈復は軍旗を背に負うと兵を率いて敵陣に突入した。前夜の夜襲に失敗した盗賊軍は士気が低下しており、この襲撃に狼狽した。賈復は敵の前衛を散々に荒らしまわって、敵の渠師の首を一つ携えて劉秀のもとに戻った。結局、賈復の襲撃がとどめとなって、統制の取れなくなった盗賊軍は元の集団毎に分裂して逃走した。このため、劉秀は賈復の命令違反を咎めなかった。これが「朝飯前」という言葉の語源とされる。


「青犢軍、赤眉に完全に吸収された模様。鉄脛軍はほぼ無傷のまま冀州へ逃走しました」


鄧禹の報告を受けた劉秀は嘆息した。


「赤眉か……他の地域にも侵入しているとの事だが」


「南陽郡に侵入した赤眉の一部は、破虜将軍はりょしょうぐん鄧奉とうほう殿の手にかかり全滅した模様です。奥方もご無事です」


劉秀は懐にしまった陰麗華の御守に手を当てて、安堵の表情を浮かべた。

戦乱の中、家族を喪う者もいる。射犬において帰参した劉隆りゅうりゅうという配下は、洛陽に残してきた妻子を李軼りいつに殺されてしまった。更始帝と関係の悪化した李軼にとって、その縁戚である劉隆を尊重する意味は薄く、その妻子も目障りな裏切り者の家族としか認識されなかったのである。

劉隆は、王莽に誰よりも早く反した英雄である安衆侯あんしゅうこう劉崇りゅうすうの一族でもある。衆寡敵せず散った劉崇であったが、王莽の怒りは彼一人の命を奪っただけでは収まらず、その一族にも降り注いだ。当時七歳の幼児であった劉隆を除き、劉崇の一族は皆殺しになった。幼くして家族を喪った者が、長じて得た家族をまた喪う、このような悲劇が繰り返されるのが戦乱の世のくらさであった。

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