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第三十九章 強敵

 常山郡を順調に攻略していく劉秀達、先手の大将を務めるのは鄧禹とううである。副官の朱浮しゅふは鄧禹をおだてる。


「これまでの常山郡での戦いは全て我々の大勝利。閣下お一人で漢の三傑全員分の才能を持ちあわせていらっしゃる。他の将軍の出番などありませんな」


朱浮は痩せぎすで、物が刺せるほど顎が尖っている。能吏の才ありとして、鄧禹が見込んで採用した人物だった。その極端に甲高い声は聴くものの心に不快感を生じさせると諸将の間で囁かれていたが、朱浮を採用した張本人である鄧禹はその限りではなかった。


「確かに思ったよりも捗ってはいるけどね。褒めても何も出ないからなー」


やや弛緩した気分の中で先軍は進んでいく。あまりにも何もないため、やがて鄧禹達は斥候を放つことすら忘れてしまった。

大草原の只中、牧歌的な気分で進む一行の耳を劈く鏑矢の音がなった。

前後左右から銅鑼を鳴らし、鼓を叩いて、大地を捲るように大勢の伏兵が姿を表した。

伏兵の中心には漆黒の玄甲に身を包む男が悍馬に跨っている。その手は頭上で流星鎚りゅうせいついを回転させている。


「邯鄲の大司馬、李育りいくを見知りたりや!弟の仇を討たせてもらう!」


笑みを浮かべた李育は回転を加速させると鄧禹を目掛けて流星鎚を投擲した。

この鎖の両端に鉄球のついた猛悪な器械は、鄧禹の馬の鼻面に命中し、一瞬で絶命させた。

落馬した鄧禹が恐怖の眼差しで敵を見上げると、李育は笑い声を挙げて言った。


「斥候も出さずにお粗末なことだ。お前のような砂利こぞうを先触れにするとは、劉秀とやらもたかが知れるわ。者共、かかれぃ!」


大将を地に塗れさせ、勢いのついた劉子輿軍は鄧禹達に襲いかかった。戦闘を予期していなかった鄧禹の手勢は、今までの常勝が噓のように一方的に蹂躙されていく。

混乱の最中、顔面蒼白となった朱浮が鄧禹を助けて自分の馬に乗せることに成功した。


「流れは敵にあります。命あっての物種ですよ!」


「このように無様をさらして…おめおめと……くそぅ!撤退、撤退だ!」


李育は逃げ出した鄧禹の部隊を追撃することはしなかった。放り捨てられた輜重しちょうを残らず回収すると、再び守りを固める。


「何度でも来い。その度に打ち破ってやるまでの事だ」


李育は流星鎚を構えてジャラリと鎖を鳴らした。


 劉秀は悲痛な面持ちで敗戦を告げた鄧禹を励ました。

肩に布を巻いた耿純こうじゅんが進み出て献策する。


「敵は私が殺した李惲りこんの縁者だとか。私に兵を授けてくだされば、囮となって敵の大将を引きつけ、討ち取ってみせましょう」


「良い策だが、君はどう見ても怪我人だ。先遣が破られて動揺している軍の前に怪我をした指揮官では、兵士は不安にかられるだろう。今は養生に専念してほしい」


耿純は心得ました、とだけ言って退がった。

鄧禹の敗北は勢いづいていた兵士達の心を挫いてしまっている。正確な情報が伝わりにくい状況下、士気は無形にして最も重要な戦力である。


「私に考えがある……みんな聞いてくれ」


劉秀は諸将を前に策を伝え始めた。


 築城の指導をして回る李育のもとに、敵襲!敵襲!と、伝令兵が駆け込んできた。李育は敵が来るのが予想より早かったので驚いたが、そのことを表情に浮かべずに武器を手に塹壕の外を覗いた。鄧禹の軍と変わらない規模の敵がいる、というよりも同じ敗残兵が再びやってきたのだと李育はわかった。兵士達は敗残兵とは思えぬ鬨の声を挙げて迫ってきている。


「この勢いは、何だ」


敵の先頭に立っているのは、劉秀その人であった。大将自らが敗残兵の救援に赴いた形となり、士気は一気に回復した。劉秀は一度手綱を引いて、横向きに馬を止めると李育に呼びかけた。


「我が部下を破りし手腕、見事だ。こちら側でその才を発揮するつもりはないか?」


李育は流星鎚を回転させながら、返答する。


「寝言は寝て言えや」


投擲された流星鎚を直前まで眺めた劉秀は、最小限身体を振っただけで避けた。ぎりぎりで避けたためにまるで鎚が劉秀をすり抜けたようにさえ見えた。砂埃を上げて鎚は地面に着弾する。


賈復かふく、出番だぞ」


賈復は落ちた流星鎚を拾いあげると回転を加えずに片手で即座に投擲した。鎚は明後日の方向に飛んでいったが、とてつもない飛距離を見せて李育の遥か後方の塹壕から轟音と悲鳴が挙がった。

意気を阻喪したのは、今度は李育の側であった。

劉秀は高らかに剣を掲げる。


「我に!続けッ!」


馬に鞭打つと駈け出した劉秀は塹壕を飛び越え、敵陣地の背後から歩兵や弓兵を斬りつけていく。その勢いを見た賈復らは動揺を見せる敵の陣地を切り崩していった。

形勢の悪化を見て取った李育は、顔に悔しさを滲ませながら、兵をまとめて後方の柏人城はくじんじょうに引き上げた。

この戦いで、劉秀は自ら数十人を斬った、と言われている。



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