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第二十章 劉玄、汝南に劉望を滅ぼす

1

ーーあまり、気の進む仕事じゃねえな。ーー


朱鮪や李軼によって劉伯升が謀殺されてから、二月が経とうとしていた。

 汝南に向かう更始軍を率いる三人の将軍のうち、しかし乗り気でないのは王常おうじょう)だけのようである。

 他の2人はというと叔父の汚名を濯ごうと躍起になって眼をぎらつかせている劉信りゅうしんと、まるで古狸が取らぬ狸の皮算用に夢中になっているような風情の陳牧ちんぼくで、王常は溜め息が出そうになってくる。

 更始帝の側近である劉賜りゅうし率いる討伐軍が、汝南に旗揚げされた劉望(りゅうぼう)の軍に完膚なきまでに撃退されて間もなく、その甥の劉信が新たに奮威大将軍に任ぜられた。

劉望は漢の宗室の一人であり、王莽に取り潰されずに鍾武侯しょうぶこうとして力を保っていた稀有な劉氏であった。更始帝に従わずに天子を名乗ったのは、更始帝よりも劉氏の本流に近いという矜持があるのだろう。若年ながら領民に慕われており、名君としても知られていた。

更始帝としては、自分よりも毛並みの良いこの自称天子を見逃すわけにはいかない。

今度こそ討伐しなければ更始帝の威信に関わるということで、古参の将軍二人が脇を固めることとなったのである。

 王常は劉伯升りゅうはくしょうが害にあって以来、何をするにも身が入らない。王莽を倒すまではと更始帝の下に引き続き身をおいてはいるものの、臣下を恐れて謀殺するような皇帝に心からの忠誠を捧げるのは難しい。そんな時に降ってきた任務が劉望討伐隊の副将である。劉氏同士の潰し合い、気の進まない汚れ仕事だった。

 また、逃げ帰ってきた劉賜を見て、王常は意外に思った。劉賜は抜け目のない人物で頭が回る。はじめ劉賜が敗けたと聞いたときは、同じ宗族である劉望を手に掛けることを避けようとなんらかの計算を働かせたのかと疑ってかかった程だ。しかし、憔悴しきった劉賜の姿からはそんな余裕は感じられなかった。


「王将軍、先遣部隊が敵の偵探と接触したとの報告が入りました!」


偵探にしろ、道中に仕掛けられていた罠にしろ、昨日今日旗揚げしたような軍のくせに妙に仕組みが整っていやがる。これは誰か名のある将星が敵にいるってこった。


 鐘武侯しょうぶこうの劉望が汝南で挙兵をしてからわずか三ヶ月、急速に部隊が整ったことは劉望自身にとっても驚きだった。

名声高き宗室の一人として挙兵した劉望だったが、すぐに軍の維持に行き詰まってしまった。そんな折に転がり込んできた二人の男がこの軍を建て直したのである。


「また、更始帝が軍を差し向けてきたようだ。この前のように防げるか?荘尤そうゆうよ」


荘尤とそのかたわらに立つ陳茂ちんもは胸に手を当てて深々と頷いた。

昆陽の戦いでの大敗北の後、各地を流転した荘尤と陳茂は汝南の劉望に拾われてたちまちその両腕として采配を振るうようになったのである。


「天下をあるべき姿に戻す。その役目は盗賊まがいの更始帝劉玄などではなく、あなたのような真の君子でなくてはなりません」


荘尤は感じ入って顔を紅潮させている劉望に一礼すると広間から退出した。

荘尤は劉望におもねるつもりはなかった。本心から自分達を拾って厚遇してくれた彼に感謝しているのである。

荘尤は劉望を本気で天下の主にしたいと考えていた。

陳茂も同じ気持ち、だと荘尤は思いたい。しかし、確認する勇気がわかなかった。

兜の紐を無言で閉め、城門に向かう。既に御者が馬をひいて待っている。


 胡馬こばに跨った二人の将軍が城門を開けて兵士達を引き連れて陣取ると、対面して陣取っている更始帝の軍勢から劉信が馬にのって進みでた。

手にもった竹簡を広げると読み上げ始める。


「分限を知らざる愚人ども、確かに聴け。近頃四海の民、王莽が虐政に苦しんで生を安んずること能わず、この故に我がきみ宛城(えんじょうに義兵を挙げ、天の時を得、人のくわを得て、蒼生そうせいを水火の中に救わんがために、諸方の勢を招き合わさる、汝がともがら、早々に来て麾下に属すべきのところに…えぇい!長いわ!朱鮪しゅいめ、よくもこんな物を渡しおって!劉望よ、出てきて我と勝負せよ!」


荘尤はからからと笑い、陳茂が馬を差し向けて言う。


「我が主は貴殿のように性急な方ではなく、また尊い御方故、小物の相手をつとめる事が出来ませぬ。それがしがお相手つかまつる」


顔を真っ赤にした劉信が陳茂に向かって駆け出していくと陳茂は先の言葉に反して城の外周を周るように逃げ出した。

追い縋る劉信の姿に麾下の一隊が釣られて動き出すと荘尤の指揮する弓兵達が一斉に矢を放ち、横合いに矢を受けた兵士達はバタバタと倒れていく。

弓兵が二度目の矢を放つと陳茂は歩兵に合図を出し、一斉に駆け出した歩兵が矢を防いでいる前縁の部隊に肉薄する。

王常は槍で突きかかってきた兵士を逆に馬上から戟で叩き殺した。後方の陳牧を顧みて大声で言う。


「なるほど劉望にいらぬ知恵をつけたのは恥知らずの二人組ってことかい。将軍、あいつらは昆陽で大負けに負けた荘尤と陳茂でさあ。逃げる味方に踏み潰されて死んだと聞いたが、おめおめと生き残り故主の恩も忘れて鞍替えたあ恐れ入るぜ!」


荘尤が止せ!と叫んだが、侮辱を受けた陳茂は馬首を返して王常の陣を振り向いた。そのすきに王常麾下の騎兵が追い詰められつつあった劉信と敵の間に割って入ることに成功した。

陳牧と王常の兵は敵と激しく切り結ぶが、練度の低いにわか集めの農民たちが相手とは言え、緒戦の成功の勢いを掻き消すことが出来ない。やがて戦局は膠着し、日が落ちつつあった。

王常はあらん限りの声で叫ぶ。


「後退だ!仕切り直して城を囲むぞ!」


 王常の采配する討伐軍は一度引き返すと態勢を取り直し、汝南の城をびっちりと囲んでぴくりとも動かなくなった。

攻囲戦が二週間も過ぎると城中の食糧はつきはじめた。

――これほど単純なことで窮状に陥るとは――

荘尤は唇を噛んだ。

補給も無限と思われる程の新軍に長く身を置いていた荘尤の頭からは、いつしか兵站に対する思考が欠けてしまっていたのである。

城の囲みの一角が薄くなっていることを陳茂が指摘する。

明らかな罠だが、この罠にでも乗らない限り、ただただ餓死するだけである。

荘尤は遂に劉望に告げた。


「このままでは城中の者たちはもって五日というところです。どうせ落ちる城ならば、空しく飢え死にを待つよりは討って出て、一方を何としても斬り破り、何処へか逃げ落ちて再起を図りましょう。もしこの囲みを破ることが叶わなければ、その時は快く討ち死にして身の節を立てることこそせめての本懐と存じます」


「是非もない。荘尤、陳茂、汝らの様な良将を得ながらこのようなことになったのは、我の不徳の致すところである。許せ」


「謝ることなど何もございません。殿下のような真の英主に出会えたこと、我ら無上の喜びとするところです」


陳茂がそう答えると荘尤は安堵した。盟友が同じ気持ちでいてくれたことが荘尤には嬉しかった。

荘尤と陳茂は残る兵をまとめると、戈を取り馬にまたがった。囲みの薄い一箇所を見定めて全軍で真一文字に突き出でた。


「見よ、敵は落ち行くぞ!一人も余さず討ち取れ!」


王常が呼ばわると、四方の寄手は一方に引き重なった。その重畳たる様は稲麻竹葦とうまちっきの鬱密たるに異ならず、飢え疲れた劉望の兵は、一足も進み出ることが叶わず途方に暮れてしまった。


「敵はさまで大勢には見えぬ。何としても此れを駆け抜けて、殿下を救い出し、各々の命をも全うせよ!」


荘尤の悲壮な叫び声に、しかし呼応する者は盟友陳茂ただ一人であった。

二人は夥しい数の包囲に斬り込むと雑兵を十、二十と打ち倒したが、やがて兵の海に揉み潰され、血煙の中に消えていった。

静寂の中から、物具もののぐを華やかに鎧い、黄金の兜を被り、大宛だいえんの太く逞しい名馬に跨った若武者が進み出る。劉望である。

劉望は白馬に鞭打つと王常の陣を見定めて急迫してきた。

誰も手を出すな、と指示を出した王常は、斧をあしらった兜を深く被り劉望を迎え撃つ。


「そちらの御仁は陳牧殿か、王常殿か。いずれにせよ我が股肱ここうの臣を討ち取りしその手並みは見事なり。冥途の供に恥ずかしくない名将よ!」


劉望の剣を打ち返しながら王常は言う。


「あんたこそ、その度胸は気に入ったぜ。この王顔卿おうがんけい、冥途の供は出来ねぇがな!」


刀を舞わせ迎え合わせて二十余合、攻め戦いて互いに秘術を争った。劉望は心は矢長に勇めども、遂に深手を二三ヶ所被って、仰け反って落馬した。仰向けに横たわってうわ言のように口を動かす劉望に王常がゆっくりと近づく。


「兵士たちは…見逃してやってくれ。たのむ…」


王常は虫の息の劉望に安心しろ、と囁きかけると愛用の匕首で静かに止めを刺した。

 汝南の城を接収した王常らは分捕り品は得たものの、無用な殺戮をせず、劉望の嘆願を守った。


――荘尤や陳茂は命を賭けるにたる主君を得て、幸福の内に死んだのだ。対して俺のこの有り様はどうか――


勝利を得て凱旋した王常だったが、その胸中は複雑だった。

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