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第百十一章 鄧禹

 「こんな所で会うとは、奇遇と言うべきでしょうか」


左将軍の賈復かふくは背後からの静かな声に振り向いた。

洛陽の宮殿近くに設けられた墓地には木漏れ日が差し込んでいる。声をかけてきたのは右将軍にして高密侯の鄧禹だった。


「これはこれは高密侯。どなたの墓参りに来られたのですか」


「一族の墓ではない。実は、特に誰というわけではないんだ。ただ、亡くなった仲間達に思いをはせる、適当な場所が他になかった」


賈復も同じだった。

亡くなった功臣の多くが豪族だ。その遺体は可能な限り、地元に帰された。何千里も離れた墓に参るのは現実的ではなかった。


「私も、ここを歩きながら考えていました。これからの事を。寇恂殿が生きていたならばどうしただろう、と」


賈復が親友を悼むような口調なので、鄧禹は不謹慎ながら笑いそうになってしまった。賈復は寇恂と大揉めに揉めて、彼を殺害せんとした事さえあるのだ。劉秀が無理矢理仲直りさせなければ、深刻な事態になっていただろう。


「結論は出たのですか」


多年に渡り戦場に身をおいた賈復だが、既に壮年にさしかかっていた。自らの進退について思うところがあるのだろう。どんな答えが来ても、落ち着いて返そうと鄧禹は思った。


「出ました。やはり、あなたには引退してもらわねばなりません」


「エッ?私?」


鄧禹は驚きのあまり声が上ずってしまった。


「ははは。私はとうに辞めるつもりでおりました。寇恂殿なら、誰とともに退くだろうかと考えていたのですよ」


動揺する鄧禹に対して賈復は続けた。


「陛下の人事から我らは既に浮いている。本当はお気づきになっているのでは?」


鄧禹には、実は思い当たる節があった。天下統一直前から、高官には功臣ではない学者や新王朝の行政官があてられることが増えた。次々と抜擢される一方で、失敗や犯罪があればこれまた次々と罷免されている。それは鄧禹たち功臣に対する人事とは趣を異にしていた。


「我ら功臣だけが……既に聖域のようになっている……のか?」


「今はまだ皆しっかりしているが、人は老いるものです。この先、重職にある功臣が何かしでかした時、お優しい陛下は適切に罰をくだせますかな?陛下が情により判断を鈍らせたら、信賞必罰などという建前はもろくも崩れ去る。それは王朝の根幹を揺るがすことになるのです」


「だが、私はこの通りまだ若いし、陛下の朋友でもある。まだまだ陛下をお支えしますと、こないだ誓ったばかりだというのに。何故、この私まで辞めなくてはならないのか」


賈復は鄧禹の目を覗き込んだ。


「だからこそ、です。皆、内心で気づきつつも陛下に甘えている。陛下の親友でもあり、まだまだいけそうな貴方がすっぱりと身を退く事で、皆の目が覚めるというもの」


そもそも賈復を登用したのは、鄧禹である。異能の目により多くの人材を抜擢したが、やはり賈復は逸材であった。まさか自分に退陣を迫るとは思っても見なかったが。

鄧禹は瞑目し、拳を握ったり開いたりした後、重々しく頷いた。


「わかった。しかし、やり方は私に任せてもらいたい。史書に記されるような、美しい引き際を演出しよう」


二人は握手を交わした。賈復のあまりの握力に鄧禹は思わず悲鳴をあげた。


 鄧禹と賈復は書物を買い求めて儒学を熱心に勉強した。自らの兵を帰農させたり新たな職を世話するなどして、順次削減していった。

二人の意図するところに気がついた劉秀は、臨時職である左右将軍の職を廃止した。

二人の引退に同調する形で、耿弇こうえんもまた将軍の印綬を返還し、その職を辞した。

ついに李通りつう朱祜しゅこといった兄の代からの付き合いがある臣下までもが引退した。

これらの事はおよそ天下統一から二年間の間に成されることとなった。

鄧禹、賈復は特進とくしん、つまり皇帝の政治顧問とでもいうべき名誉職についた。率先して引退したこれらの功臣は、国家の一大事には呼び出されて朝請を奉じた。


「狡兎死して走狗煮らると言うが、誰も煮ずに済んだのはひとえに君のおかげだよ、先生」


「滅相もないことです」


皇帝のもとに家臣が参内したとき、北面して座るのが習わしである。しかし、鄧禹だけは東面して座っていた。これは皇帝個人の賓客であるという扱いであり、特例だった。


「しかしまあ、何かと引き際の下手くそだった君が、こんな有終の美を飾るとはなぁ」


自分は乗り気でなかったが賈復に説得された、などという話については今さら言いづらい鄧禹であった。


後漢書の鄧禹列伝には、以下のように結ばれている。


“栄枯盛衰が交錯したが、鄧禹は喜びも怒りもせず、進退において光武帝を疑わなかった。このように君臣の美を示し、後世の者に隙を窺わせないのが、君子にふさわしい在りかたなのではないだろうか”

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