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第九十八章 電撃戦

 戦いの火蓋が再び切られたのは建武七年の秋のことであった。

隗囂かいごうが再び司隷部に侵入したのである。三万の歩騎が一挙に長安の目と鼻の先にある陰槃いんぱんに至り気勢を上げた。長安を守る馮異は陰槃に到着すると、先遣した偵察隊から報告を受ける。


「敵の中軍に隗囂搭乗の戦車を確認。本人に間違いありません」


「大将自ら攻めてきたか。ここで討ち取ることが出来れば長きにわたるろうとの戦いも終わりだ」


馮異は、具足の紐を固く締め直した。

戦闘が開始されると、隗囂軍は勢いに乗じて馮異軍の前衛を蹴散らした。

続く主力との戦いも隗囂軍有利に戦闘は推移していく。


「馮異は名将と聞いていたが、はて。これ程手応えのないものか」


親衛隊に囲まれながら隗囂の戦車が進んでいく。

その時、隗囂は不意に何かを感じると躊躇なく戦車の座席に伏せた。

風を斬り裂く音とともに、御者がぐらりとよろめいた。左目から首筋にかけて矢が突き刺さっている。

親衛隊の一人が咄嗟に隗囂へ覆いかぶさる。

また風を斬る音が鳴った。背中に熱い液体が染み通ってくるのを感じる。

隗囂は自分を庇って死んだその兵士の亡骸を背負ったまま、芋虫のように蠕動ぜんどうして戦車から降りる。

別の護衛が地に伏したまま進む隗囂を見つけ、助け起こす。


「隗王様、ご無事で!」


また、風を斬る音が鳴った。隗囂は無言で護衛を自分の目前に引き寄せた。


「おかげさまでな」


背中に矢の刺さった護衛が崩れ落ちるのを見るや否や、隗囂は味方部隊の蝟集している地域へ駆け出した。

脚を引きずっているにも関わらず驚異的な速さであった。


「狙撃失敗!繰り返す!狙撃失敗!」


馮異の副官である盧生ろせいは唇を噛んだ。

彼の建言した狙撃作戦は失敗に終わったのだ。それは、いしゆみに滑車を取り付けることで長射程を生み出し、敵の意識する射程圏外から攻撃するというものであった。

いかに熟練の弩弓手をつけたといえど、やはり人の目には限界があったのかもしれない。人の目を鷹の目に変えるような道具でもあれば結果は違ったかもしれないが。

盧生の方に手を置き、馮異は焦ることなく次の指示を出す。


「敵は既に深入りしており、包囲は完成しつつある。周囲の兵ごと隗囂も平らげてしまえばいい」


劣勢を装って深入りを誘うという本筋は外していないのだから、あとは包囲殲滅に移るのみである。

隗囂も罠に気付き味方に後退を命じたが、混乱する戦場の中では中々伝わらない。

その時、馮異は肩に違和感を感じた。手で触ると、それは一滴の雨粒だった。

見上げるといつの間にか頭上には黒雲が広がっている。雨は音を立てて降り始め、間もなく五歩前もわからぬ程の豪雨となった。もはや戦闘どころではない。

突然の豪雨が止んだとき、隗囂の姿は既に戦場にはなかった。馮異は隗囂の強運に感嘆した。

隗囂自身の侵攻と同時にけん県と烏氏うし県に別働隊が侵入していたが、これらもそれぞれが祭遵さいじゅん王常おうじょうに撃退された。隗囂の侵攻は失敗に終わったのである。


 その後も断続的に大雨が続き、劉秀は予定していた隗囂討伐の遠征を延期せざるを得なかった。

しかし、なにもかもが敵にとって都合よく進んだわけでもない。隗囂政権の重鎮であった王遵おうじゅんは、来歙らいきゅうの説得に応じ、洛陽に至って遂に降伏した。馬援ばえんの工作も成功し、羌族の族長達は隗囂を見限って離反した。また、背後を脅かす危険のあった北方の劉文伯りゅうぶんはくは、経歴の詐称に感づいた配下を誅殺し、その事件の火消しに奔走する事となって侵攻する余裕を失った。

劉秀は時節の到来を感じ、来歙らいきゅうを隴右侵攻の大将に命じた。


「そのような大仕事、私が拝命してよろしいのですかな」


「王遵を降伏させた功は大きく、使者として彼の地を何度も行き来し、地理にも明るい。それに……本来は目上の親戚でもあるし、これ以上信頼のおける人は私にはいない」


「ははは、天子になってもまだそんな事を言われるとは、いや、了解しました」


来歙は軍勢を率いて隴右の目前に到着すると、先行していた祭遵と合流した。


「長旅お疲れ様です。言われた通り、きこりの経験者を中心に斧の扱いに長けた足腰の強い者を五千人集めました」


「それ程までに集まったか。素晴らしい」


「恥知らずの隗囂を早く仕留めてしまいましょう。軍議はすぐに行いま…………失礼……」


祭遵はしゃがみ込んでしばらく咳き込むと、肩で息をしながら立ち上がった。


「失礼しました。軍議はすぐに行いますか」


「祭遵殿、面布に血が」


祭遵が顔の前に垂らしている臧面ぞうめんには赤い飛沫が散っていた。


「これはお見苦しいところを……大した病ではありません。ご心配は無用です」


「軽い病で血を吐く者はいない」


祭遵と来歙の間に沈黙が流れた。


「祭遵殿、陛下にはまだまだ貴方の力が必要です。だからこそ、ここに残って病を治すことに専念してほしい」


「肝心なときに……面目次第もありません」


来歙は祭遵を残し、隴右への侵攻を開始した。


 「東に何やら動きがあったようだな。」


隗囂は王元に問う。

王元は来歙が兵を集結させているらしい、という情報を伝えた。


「今回は隴山を完全に封鎖しています。侵入するには莫大な時間と労力を要するでしょう。疲労が溜まってきたあたりで襲いかかります」


「隴山の地の利を活かせば我が領土は安泰、というところか」


隗囂は欠伸を噛み殺した。その時、伝令が慌ただしく駆け込んできた。


「来歙軍が突如領内に出現し、略陽りゃくようが落ちました!」


略陽は隴山よりも内側の拠点である。頼みの綱の隴山を飛び越えるような攻撃。しかも略陽を失うと、劉秀側についた竇融との緩衝地帯が消滅し、二正面作戦を強要されてしまう。


「神技か」


隗囂は口をあんぐりとあけて驚きの表情を浮かべた。

一方その頃、来歙は略陽に入城し、守将の金梁きんりょうの首を確かめたところであった。


「道というのは元々作るもの。塞がれ、あるいは罠が張られるとわかっている道を通るくらいならば、こちらで切り拓くほうがよほど楽だ」


来歙の作戦、それは工兵を用いて隴山を通らない全く新しい道を開拓することだったのである。

この作戦に驚かされた隗囂であったが、すぐに冷静さを取り戻した。


「こちらに意識を集中させておいて、主力は隴山から来るかもしれぬ。王元、行巡は隴山の守りを固めよ」


二人を桟道の守りに向かわせる間に、隗囂は公孫述へ援軍を求める打診を行なった。公孫述は直ちにこの要請に応じた。


「そしてこの隗囂自らの手で略陽を取り戻す。付近の山を切り開き、水源と接続せよ。」


水源からの水が山の斜面を駆け下りて激流となる。土砂を含んだ濁流が来歙のいる略陽に注ぎ込んだ。城壁内の被害は過小にとどまったが、農地は流されてしまった。来歙は押し流された農地の惨状を城壁から眺めて呟いた。


「つい先日まで自身の治めていた街を水攻めとはな。切り替えが早いというか……ええい、どうにも気に入らん」


隗囂との戦いは佳境に差し掛かりつつあった。

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