番外編 ミイシャ~奴隷の証~2
当日になるとやはり怯えてしまい。震えるミイシャは猫のままバスケットに入れて連れていかれた。
ミイシャは、馬こと今は人化したアルクが持つバスケットから、ちょこっと顔を出す。
そこは下町のうらぶれた地区の飲み屋街だった。場所は、リュカが自分専任の影を放ち、内定していた。今日はその確認と……。
組織は獣人を誘拐し、奴隷の証を刻み貴族の家に売っていた。それを買った家は、獣人を間者にしたて、ペットとして潜入させて使うのだ。あくどい仕組みだ。
しかし、ミイシャはまだ幼く、主の耳や目としてしか機能しなかっただろう。賢い猫だが、善良でフェリシエルに害をなすなど出来るわけがない。
古ぼけた三階建ての木組みの家へ、一行は入っていく。薄暗い酒場でがらの悪い男達が酒を飲んで騒いている。情報ではここで奴隷の売り買いが行われるという。
リュカ、アルク、アルフォンソの三人は目深に、フードを被り店の隅のうすぎたないテーブルに客のふりをして腰かける。
「ミイシャ。あの隅の方にいる奴、見覚えないか?」
王子がこっそりとミイシャに声をかける。仔猫はバスケットの中からひょこりと顔を出してのぞいた。頬に大きな傷のある男。
怯えたようにミイシャが再びバスケットに入り込む。
「やっぱり、あいつか」
アルクの黒い瞳が剣呑に光る。彼も奴隷の証こそ刻まれなかったものの、被害者だ。あと少しで、ホムンクルスの実験に使われるところだった。
一行は、小一時間そこで客のふりをして酒をなめながら待つ。すると男に動きが見えた。飲み仲間から離れ店を出る。
王子達はあとをつけた。男は迷うことなく。街の深部まで進む。道路は汚れ、ゴミや吐しゃ物であふれている。
役人が手の出せないほど荒れた裏町はおかしな犯罪の温床となる。リュカは頭の片隅にここらあたりも改善せねばと考える。
しばらく路地裏を進むと、人出がまばらになって来た。治安が悪く、夜半にはあまり人が近づかないようだ。
男の後をついて、暗く狭い角を曲がると。突如として大きな民家が現れた。低いさくの向こうには荒れた庭があり、二階建ての家屋と納屋がある。
いくつかの窓から明かりがさすのが見えた。人が複数いる気配。今日もここで悪事が行われているのだろう。
男は正面からは入らず裏口から入って行った。
リュカ、アルク、アルフォンソ、三人の男達は頷き合う。そして、王子は後ろにぴったりと張り付いている護衛に、兵を呼ぶように指示する。全員が揃ったところで建物内に突入した。
本当はリュカもアルクもアルフォンソも三人で敵を討ちたかったが、影を使った以上、護衛兵にはバレる。秘密裏に事は運べない。それに今回は大捕り物だ。討ち損じはあり得ない。勢いに任せて三人で突っ込むわけにはいかないのだ。
三人と一匹の子猫は、悪人たちが一網打尽にされるさまを見守った。
後日、厳重に警備された牢に向かう。子猫のミイシャを伴ってリュカは入っていく。もう取り調べはすんでいる。この国のベネット家の悪事の裏取りは進み、着々とその黒幕に近づきつつあった。
刻限は深夜、人払いして王宮地下深くにある牢に降りていく。
牢内では魔法が使えぬよう結界が施されているが、王族であるリュカはそれを解除することが出来る。
早速、解除すると魔術師の囚われている牢へ近づいた。
そこにはぼろぼろの黒のローブに身を包む男が蹲っていた。
「面を上げろ」
リュカが命令すると、男はのろのろと顔を上げた。面やつれし、目の下には色濃いくまが出ている。
「術者はお前だろう。この子猫の呪いをといてやってくれ」
しかし、男は無言で、しゃべる気力もないようだ。顔色は土気色で全く生気がない。死期が近いのだろう。
「そうだな。ただとは言わない。呪いを解いてくれたら。お前を特別に自由の身にしよう」
男の瞳に希望の光がうっすらと宿る。そして徐に口を開く。
「俺は禁術を使った。もうすぐ命が尽きる。だが、日の当たる場所で死にたいのだ」
しわがれた声を絞り出すようにして話すこの男は、とんでもない大掛かりな禁術を使った。沙汰を待つことなく、まもなく命はつきる。いまは、その禁術を受けたメリベルを全力で捜している。
「聞き届けた」
リュカは短く言って頷く。
調べによると彼は魔術の研究費用が欲しいばかりに、犯罪に手をそめ、いつのまにか犯罪組織の言いなりにならざるを得ないところまで追いつめられていた。
奴隷の呪印を受けた獣人はいずれも酷使され、死んでいる。ミイシャはファンネル家でフェリシエルとリュカに保護されたため、運よく助かった。
リュカが隷属させなければ、ミイシャは呪印により主に使い潰されていただろう。しかし、リュカも獣人を隷属させ続けるのは本意ではない。そのために、まず呪印を解かなければ。
「ミイシャ、人化しろ」
「わかった。マスター」
するすると十歳にも満たない金色の瞳を持つ愛らしい子供が現れる。
術師の男が人化したミイシャに呪を唱え、手をかざす。するとミイシャの体に刻まれた奴隷の呪印が浮き上がりさらさらと風に流されようにきえていった。
ミイシャの呪を解いたところで彼の力はつきているだろう。もう誰かに呪詛をかける力など残っていない。
リュカは約束通り男を外へ出してやる。
朝日がみえるころ解放された呪術師の命は消えるだろう。
「さて、ミイシャ、お前は誰の間者だったのだ? これで名を言えるだろう」
「ベネット卿」
予想通りの名が、ミイシャの口から紡がれる。メリベルの父親だ。しかし、ミイシャはほぼ間者としての役目をはたしていない。フェリシエルに懐いていたし、もともと善良な猫だ。そのうえ、すぐにリュカが隷属した。
だいたい、あの頃のフェリシエルと行動を供にして機密事項に触れることなどまずない。それにミイシャは文字が読めないのだ。
子猫にかかっている最後の呪を解く。リュカがミイシャの額に手を振れる。
「ミイシャ、お前を解き放つ」
一陣の風が吹き、ミイシャのからだから、するする隷属の証が消えていった。
ミイシャはきょとんとした顔で、リュカを見上げる。ぱっちりと開いた大きな目、白髪と見まごうプラチナブロンドの髪はきらきらと輝いている。まだ年端も行かない子供。それに成長が遅い種のようだ。
「お前は、もう自由だ」
リュカの言葉を聞いたミイシャは眉根を寄せる。
「マスターと一緒にいられないの? フェリシエルと一緒にいちゃダメなの? ウサギンとセイカイテイオーは……?」
解き放ったというのに、寄る辺のないミイシャは小さく震え、今にも泣きそうだ。目に涙をため、唇をかみしめる。リュカの口元が自然とほころび、柔らかい髪を撫でてやる。
彼の心がすさんでしまう前に、壊れてしまう前に、フェリシエルの元へ来てよかった。出会えてよかった。
「私はもう、マスターではない。お前の好きにするがよい」
「わかった、マスター!」
そう言うとミイシャは小さな子猫にもどり、王子の足元からつぶらな瞳で見上げる。リュカは子猫を抱き上げた。抱きしめてやると、ふわふわでやわらかく、温かい。とくとくと子猫の鼓動が腕のなかに響くようだ。ミイシャがぺろぺろと頬をなめる。
「じゃあ、一緒に帰るか、ファンネル家に」
王子としての顔ではなく、温かい笑みを浮かべるリュカがそこにいた。




