帰還 (終)
後ろで王子たちが騒ぐのをしり目にフェリシエルは前にでて「静粛に」などといいつつ、ぱんぱんと手を打ち注目を集める。
というかもうとっくに注目の的だ。フードは電撃を放った瞬間頭から滑り落ちており、金髪碧眼がさらされている。しかし、ここには次期王妃の顔を知る者はいないようだ。
フェリシエルは、ここでは「ビリー」と名乗るウィリアムの腕を掴むとずずいと前へ引き出す。
「今日、こちらのギルドの仲間に入りする私の弟のビリーです。彼は私の何十倍も強く、仲間にすれば百人力です!
しかし、彼は狼藉者には容赦がありません!
それですので、けがをしたくなければ、不用意に喧嘩など売らないことをお勧めいたします。どうぞよろしくお願い致します」
荒くれ者たちを前に、朗々と声を張り上げ弟を紹介する強い美女に、さしものギルドの面々もあっけにとられ、食堂はシーンと静まり返る。
直後、歓声が沸き上がる。ビリーはあっという間にギルドの冒険者達に囲まれ歓迎された。もう、パーティメンバーに誘われて始めている。きっと問題はないだろう。
ウィリアムあらため冒険者ビリーが強いのは本当のことだ。リュカとエスターの話だと、ジークやエルウィンよりもずっと強いらしい。
「すごいな! フェリシエル」
アルクが賞賛する。
「当然です。はじめが肝心です。絶対に、舐められてはいけません!」
フェリシエルが偉そうに胸をそらす。「強気、先手必勝」それが彼女の王宮での社交術だった。
ギルドの連中は皆彼女に声をかけたいようだ。徐々に周りに集まり、熱い視線を送る。しかし、王子やアルク、アルフォンソが周りを囲み、彼らを近づけない。
王子は得意げなフェリシエルの頭にさっさとフードをかぶせ、一分の隙もなく体もマントできっちりとくるむ。電光石火の早業だ。
「さらばだ。後は頼んだぞ。私はこの跳ねっ返りを連れて帰る」
王子にマントで簀巻きにされたフェリシエルはもごもごと呻きながら芋虫のように動く。リュカは己の妻を攫うように小脇に抱え、ギルドを後にした。
猛スピードで遠ざかる王子の背に向かって、ミイシャが「任せろ、マスター」といい、「おう!任せとけ」とアルクが調子よく返事をする。最後にアルフォンソが「お任せを」と深々と腰をおる。
気のいい獣人たちは、おおらかでマイペースで、とても大雑把だ。しかし、アルフォンソもいることだし大丈夫だろうとリュカは思うことにした。何より彼らは誠実だ。一度した約束を違えることなどない。少し自由気まま過ぎるのが問題だが。
帰りの馬車で、フェリシエルは王子にこってりと絞られた。
「解せません! あれは最高の挨拶だったはずです!」
次期王妃がギルドで目立ってどうするのだろう。きっと今日のことは尾ひれがついて大袈裟な噂になるはずだ。めげないフェリシエルに王子はげんなりしながら、貸し馬車を返し、下町を歩く。
さっさと妻を城に帰したい。それなのにフェリシエルは王子のマントを掴む。
「リュカ様、フェリシエルは街を散策したいのです」
「は? 何を言っている。駄目だ」
しかし、フェリシエルはぴたりと止まり動かない。
「露店を見たいのです。たまには外でご飯を食べたいです!」
「そんなわがままを」
叱ろうとフェリシエルを見ると彼女はなぜか涙目だ。美しいサファイアの瞳が彼を見上げる。
「せっかく、せっかく変装してきたのだから、ちょっとくらい二人で遊んでから、帰ってもいいではないですか!」
確かに、フェリシエルは文句も言わず、日頃からよく仕事をこなしてくれている。「そんなわがままを」などと言ってしまったが、わがままを言ったのは今日のギルド行きだけだ。言動は派手でやや高飛車だが、贅沢はせず質素な妻だった。
「ふん、しかたがない。少しだけだぞ」
王子が肩を小さく竦め、いかにも面倒くさそうな調子で言う。しかし、フェリシエルは知っている。王子が機嫌を直したことを。そしてもうすぐ彼は上機嫌になるはずだ。
「はい!」
花がほころぶような笑顔を浮かべ、王子の腕にしっかりと捕まる。
「まったく、満月の晩の散歩ではたりないのか」
「あの時間では露店もおしゃれなカフェもやっておりませんし、あれはお散歩ではなく、王都のパトロールです」
フェリシエルが不満げに言う。
「ならば、こんどお忍びで夜の酒場に偵察に行ってみるか」
それくらいの時間をひねり出すなど、フェリシエルの為なら造作もない。
「本当ですか! 絶対ですよ」
キラキラと喜びに満ちた瞳で王子を見上げる。
ただ、それだけのことで、度重なる粛清で、王子の心に澱のようにたまった暗く不浄な思いが、押し流されていく。
ああ、彼女が隣にいてくれて良かった……。
二人は市場の露店がたち賑わう街の前で、しっかりと手を繋ぐと、軽い足取りで雑踏に紛れて行った。
「フェリシエル、急げ、時間だ!」
「私だって頑張ってます。でも、蜘蛛の巣がいっぱいだし、足場が悪くて歩きにくいのです!」
ここは王宮に繋がる地下通路。夫妻はエスターを先に城に帰し、街で遊んだ後、この秘密の王族専用通路に入り込んだ。
王子がフェリシエルの手を取り走りつつ、彼女の髪についた蜘蛛の巣を払ってやる。
「間に合わん。もうすぐ刻限だ」
そう王子が焦りをにじませた声で呟いた瞬間、ポンという軽快な音ともに繋いでいた手の感触が消える。
そして通路にはクールな美貌の王子ではなく、ぷりてぃなハムスターが鎮座ましまし。
しかし、どういうわけか、それはサテンシルバーではなく、茶色?
「えっ! ドブネズミっ!」
「ぅおおおい。なんて失礼なことを言うのだ!」
茶色いモフモフがいきり立つ。
「どぶねずみさん達、ごめんなさい!」
「ちっがーう! 謝る対象も方向も見当違いだ! 私に謝れ、神獣であるぞ!」
その色合いは完全にドブネズミと同化している。違うのはしっぽぐらいだ。
「で、そのお色はどうなさったので?」
フェリシエルが小首を傾げる。
「髪の色だ。染めただろう」
ハムスターの色は髪色に引きずられるらしい。
「まあ、なんてことでしょう!」
フェリシエルの瞳がキラキラと夢見るように輝く。
「髪色に引きずられるということは……つまり、ピンクや赤にもできるのですね! 憧れのカラーハムスター!」
足場が悪くて歩きにくいなどと言っていたくせに、フェリシエルは小癪にもくるりと華麗なターンを決める。
「お断りだ! サラっと虐待だろ!」
彼女は本気だ。ハムスターは恐れをなしてひょいと距離をとる。
「あっ! 殿下、いま私のそばを離れてはいけません! そこら辺のどぶネズミと一緒くたになってしまいますから。どのどぶネズミが殿下だかわからなくなります!」
「…………」
ハムスターはちょろちょろとフェリシエルのマントをはい上ると、ひょっこりと彼女の肩から顔を出す。
「行くぞ、鳥頭! まっすぐ行って三番目の通路を右に曲がるのだ!」
ちっちゃなハムスターはふんぞり返って指示を出した。
「御意!」
一人と一匹は夜の王都の地下通路を自分たちの寝所を目指す。
「しかし、ご自分もついて行く気なら、なぜ、新月にウィリアム様を出立させたのです?」
息切れしつつフェリシエルが言う。最近王子の指導の下で、簡単な護身術を受けているので、これでも体力はついてきていた。
「仕方なかろう。新月が一番仕事を詰め込んでいないのだから」
「なるほど!」
その時、地下通路の中で、遠くの方から、人がうめくような声が微かに漏れ聞こえてきた。
「あれ? ここは、城内の声が響いてくるのですか?」
「いや、違うあれは地下牢の名残だ」
「地下牢ですか? まさかそんな非人道的なもの使っていませんよね。それとも誰かいるのですか?」
「いや、……あるのは体を失いし呪われた魂の……」
ハムスターが真顔で体をピルピルさせながら、低い声で語り始める。
「ひぃ! やめてください、でんちゃん!」
「鳥頭も通路を覚えなくてはなるまい。そのうち、王城地下通路ミステリーツアーを決行するぞ!」
「遊んでもらえるのは嬉しいですけど。怪談は、無しの方向で!」
他愛もない話をしながら、この国を担う若い夫婦は足取り軽く、ハムスターを先頭に寝所への階段をかけ上って行った。
平和な王都を守るため、明日から二人にはいつもの激務が待っている。
そして、その先には、束の間だがまた楽しい休暇が、待ち受けているのだ。
部屋についたら、まずでんちゃんを綺麗に洗って、あのサテンシルバーを復活させよう。それから、丁寧にブラッシングをしてやって、遊ばせて、寝かしつけるのだ。
フェリシエルはこれからも続く王子との楽しい時間にわくわくしながら、寝所へと続く隠し扉をあけた。
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多分、次回一か二ケ月後!? また、お会いしましょう!
その時、読みにきていただけると嬉しいです!




