訪問の目的
王子が結婚後の将来を憂いているうちにフェリシエルのおでこにこぶが盛り上がってきた。しょうのない婚約者だ。彼女はときにお転婆だ。
仕方がないので、ポンと人化する。
「ああ、なぜ、人化してしまうのですか」
フェリシエルが己の頬を両手で挟み顔をゆがませ、悲痛な叫びをあげる。
「いや、人化しないと、治癒魔法が使えない」
やっぱりなと思いつつ、王子は苦笑する。
「はっ! 殿下、どこかにお怪我を? ただいま包帯と消毒薬を持ってまいります」
王子がけがをしたと勘違いし、慌てて部屋を出ようとするフェリシエルの腕をむんずと掴む。
「ちがう。いま思いっきり窓枠で額を打ったろう。うっすらと血が出ている。もうすぐ花嫁となるというのに顔に怪我をしてどうする。
腫れてきたではないか。私も多少なら治療魔法を使える」
そういうと王子はフェリシエルを椅子に座らせ、おでこに手をかざす。治療魔法は最近きちんと勉強し始めた。自分は治癒力が異常に高いから必要性はほとんどないが、フェリシエルはそうはいかない。
柔らかく温もりを持った光が患部にあたる。フェリシエルの痛みはあっと言う間に引いた。
「ふう、ありがとうございます。殿下」
「たいしたことではない」
そういって、リュカが偉そうにソファに腰かける。するとすかさずミイシャが王子の膝に飛び乗った。
「ふふ、ミイシャったら、すっかり懐いて」
王子に撫でられて、嬉しそうに喉をならす。
「ふん、猫も懐くとかわいいものだな」
興味なさそうな口調だが、子猫を撫でる手はとても優しい。フェリシエルは猫好きが増えて嬉しかった。最初はあんなに仲が悪かったのに、あっという間にでんちゃんにも王子にも懐いている。
動物は言葉よりも人の行動を信じる。それが時折羨ましくなる。王子はとてもわかりにくい。フィナンシェ事件の時、彼のきつい言葉に引きずられてしまったが、毒に侵された体で助けにきてくれた、あの時自分の事ばかり考えていて、礼すら言わなかった。いくら強靭な体といっても毒を飲んで苦しくないわけがない。
「……で?」
しばしの沈黙後、フェリシエルが王子を見ながら首を傾げる。
「なんだ?」
「あの、可愛らしく高貴な神獣様にはならないのですか?」
でんちゃんはきっと遊びたがっているはずだ。人の姿では回し車にも風呂にも入れない。
「そう、言うな。もうしばらくこの姿でもいいだろう」
今日は話があるようだ。仕方がないので王子にとぽとぽと茶を淹れる。ハムスターではないので、ぬるめではない。
「何か大切なお話ですか?」
フェリシエルは紅茶を淹れ終わると、王子の斜め向かいのソファに座る。王子はそれを見てなぜ隣にすわらないの? と思ったが寸でのところでその言葉を飲み込んだ。
そんな発言をすれば、即刻ハムスターになれと騒ぐに決まっている。リュカは思った。次期国王が「かわいい」ってどうなの? ハムスターの時は愛でられるとついうっかり得意になってしまうが、人としての王子はやるせない。
王子は一つ咳ばらいをし、気を取り直して用件を切り出した。
「第三王子のことだが」
「はい? ああそういえば、いらっしゃいましたね。ほとんどお会いしたことはありませんが」
フェリシエルは第三王子の存在をすっかり忘れていた。もう久しく会っていない。
「ちょっと問題があってな」
「問題と言うと? 何か重い病気なのですか」
噂には病弱と聞いている。すると王子が苦笑した。
「違うんですか?」
「ああ、子供の頃は病弱だったが、今は健康だ」
「ならば、なぜ王族としての勤めを果たさないのです?」
フェリシエルが心底不思議そうな顔をする。
「それが、王族を嫌がってな」
「嫌がるも何も、王族に生まれた以上責任を果たさせなければなりません。それともイヤイヤ期ですか?」
真剣な顔で、身を乗り出して聞いてくる。
「なんだ。そのイヤイヤ期と言うのは?」
王子は聞きなれない言葉に首を傾げる。
「前世ではあったのです。幼い頃に自我の目覚めにより一回、そして思春期にもう一回イヤイヤ期になります。反抗期とも呼ばれていましたが」
「そうか、よくわからんが……。いまは王族を嫌がって、剣の修練に励んでいる。」
「騎士様にでもなるおつもりですか。それは頼もしい」
フェリシエルが感心したようにうなずく。兄のリュカを守ってもらえるならば心強い。
「違う。そうではない。とりあえず、明日城に来るだろう。その時会ってやってくれないか?」
「承知いたしました。……ウィリアム様は私の弟になるわけですし」
「ん? フェリシエルもしかして、今、ウィリアムの名前思い出した?」
リュカのツッコミに、フェリシエルの目が泳ぐ。
「い、いえ、め、滅相もございません。このフェリシエルが王族の名を忘れるなどありえませんわ! ましてやその存在まで失念するとか、ありえませんから」
そう言い放つと大きく息を吸い込む。リュカは慌ててフェリシエルの口を塞いだ。
「夜更けに高笑いはやめなさい」
「ちっ、ちがっ、違いますよ! 夜中にそんなことしませんよ」
真っ赤になって慌てて否定する。彼女はごまかしたいことがあるときも高笑いをする。実に分かりやすい。
この様子だとウィリアムの存在じたい忘れていたのだろう。
その後リュカはなんだかんだで、フェリシエルにハムスターにさせられ、回し車と風呂を堪能した。
やがて、王子はフェリシエルの健やかな寝息に癒され、いつもの寝床で丸くなった。




