44王子と馬
「本当にお一人で大丈夫ですか」
王宮、深夜の執務室で、エスターが気をもんでいる。相手は繋がれているとはいえ、ライカンスロープだ。なぜかジークは人化する気配がない。
「仕方あるまい。奴が私一人でくれば何か話すというのだから」
「体の中に何かをしこんでいるかもしれません」
「身体検査は済ませたのだろう?」
「しかし……」
「行ってくる」
王子は地下へ続く長い階段を下りる。牢の前に立つ。中には一匹のライカンスロープ。
「来たか! リュカ」
いきなり、ジークに呼び捨てにされた。ぶっ飛ばしてやりたいところだが、話が進まないのでそこはスルー。さくっと本題に入る。
「ホムンクルスの実験など、なぜやっていたのだ」
「最強になりたかったからだ」
「それは資金を提供していただけではなく、お前自身が実験体になっていたということか? それと話を持ち掛けてきた、もしくは黒幕は誰だ」
「ふふふ、お前に言う必要があるか?」
「じゃあ、呼ぶなよ。話す気がないのなら行く」
さっと踵を返す。それを見たジークが焦る。
「ちょっと待て。いろいろ聞きたくないのか? というか、なぜ貴様、地下牢に馬連れで来た!気が散るではないか」
王子の隣で馬がブルルっと鼻をならす。暇なセイカイテイオーが「一人でって言うのなら、馬ならOKだよな」などと理屈をこねて付いてきてしまったのだ。
「知らん、馬は勝手に付いてきた。言っておくが、お前にはまったく興味がない。レスター公爵から話は聞いている。レスター家ではときどき獣人が生まれるそうだな。昔、その血が混じり、何代かおきに先祖返りを起こすと言っていた。
ライカンスロープを狩りに行って、うっかり噛まれて、その血が発現したのだろう? まあ、この国の貴族にはよくあることだ」
「嘘つけ、めったにないだろ! だから俺は選ばれた人間なのだ。って帰るなよ、おい!」
面倒くさそうに王子と馬が一緒に振り返る。ジークは軽く馬鹿にされているようでイラっときた。
「なら、一つだけ、貴様、なぜ急にフェリシエルに執着するようになったのだ?」
「ふん、噛まれたときに前世を思い出したのだ。フェリシエルは前世、俺の女だった」
「言っている意味が、まったく分からんな」
王子の目がすっと細められ、危険な光をはなった。
地上へと続く階段をのぼりながら、馬が言う。
「奇天烈な話だな。前世でフェリシエルにフラれて、現世で付きまとっているって。何なんだ、気持ちの悪い」
「実りの無い話だったな。まったく時間の無駄だ」
王子が疲れたように言う。
「フェリシエルに話すのか?」
「二、三確認したいことがある」
一匹と一人はじめじめした地下を抜け地上に出た。
「フェリシエルのところに行くのか?」
人に戻ったアルクがわくわくしている。
「こんな夜更けではもう寝ている」
付いていこうと思っていたアルクはがっかりした。
「なあ、王宮退屈なんだが、どうにかならんか?」
「もう、国に帰れよ。お前」
「いやいや、俺をとらえた悪の組織をせん滅するまでは国へは帰れん」
「なおさら、帰れよ」
二人が言い合っている間に夜はしらじらと明けていった。
欠けた月が空に昇るころ。フェリシエルはミイシャをかまいつつ、新たなハムスターグッズをせっせと用意していた。いまミイシャの首にはフリフリのリボンが巻かれている。
ハムスターと仲良しなので、おそろいで作らせたものだ。今度、でんちゃんが来たら首に巻いてやろう。ハムスターが喜んでジタバタと暴れる姿が目に浮かぶ。でんちゃんは照れ屋さんだ。次に遊びに来るのはいつだろう。
それから、王子に連れ去られたセイカイテイオーはどうなったのだろう。王子が楽しそうに城内の馬場で乗り回していたら、とても悔しい。ペットたちに会いたい。
こつんこつんとドングリで窓を打つ音。カーテンを引くと、サテンシルバーのハムスターがつぶらな瞳でフェリシエルを見上げる。
「でんちゃん、来てくれたんですね」
フェリシエルは早速抱き上げる。頬ずりし、ふわふわな毛をひとしきり撫でまわす。ハムスターは一連の動作にぴるぴるしながら大人しくしている。
「殿下、そういえば、セイカイテイオーはどうなったのですか?」
「飼い主に引き渡した」
「はあ……。お別れ言いたかったのに」
フェリシエルががっくりする。
「そのうち来るかも知れんぞ」
「本当ですか! 楽しみ。あ、そうそう、回し車で遊びますか」
「うむ」
早速、王子を鳥かごに入れるとたったか走り出した。
「フェリシエル、以前に前世の話をしていたよな。ジークが前世でお前と会っているというのだが、覚えてないか?」
「さあ?」
覚えていないし、全く興味もない。いまはハムスターのことで頭がいっぱいだ。ミイシャが鳥かごをじっと見つめている。でんちゃんに遊んでほしいようだ。ちょっと猫じゃらしでかまってやる。喜んで飛びついてきた。無邪気な姿に癒される。
「お前と一時期付き合っていたというのだが」
「はい?」
前世の記憶がおぼろげだ。最近は思い出す必要もないかと忘れがちだった。
「誰だろう?」
ぴたりと回し車がとまる。
「ん? 誰だろうとは、どういうことだ」
ハムスターの目がきらりと光る。動きを止め、まあるくなってこちらをじっと見つめるモフモフ。今日は新月ではない。下手に刺激して人化すると面倒だ。せっかくのかわいいマシュマロが!
「いえね。前世は恋愛に寛容な世界だったのです。でもそれほど仲良くなった人はいませんよ。もう覚えてませんしね」
「ジークは前世で、お前の家の郵便受けというものに愛の証を入れていたらしいぞ。覚えはないか」
「愛の証って、なんでしょう? 贈り物など入っていたことはありませんよ。そういえば、月一で生ごみが入っていたような。それと『殺す』と書かれた脅迫文?」
「お前はいったいどんな前世を送っていたのだ。おそらく生ごみの方がジークだな。あいつはそういう奴だ」
呆れたように言うと王子は再び回し車をしゃかしゃかと漕ぎ始めた。もふもふな毛をなびかせる。
「なんでそんなことが分かるのです? 両方かもしれないじゃないですか」
「ジークが見たと言っていた。線路というところに前世のお前が突き落とされたところを」
「え」
「顔までは見えなかったと言っていたが、お前を突き飛ばしたのは女だそうだ」
薄れていく前世の記憶に、心当たりはなかった。
なんにしても今日はでんちゃんがいるから、安心だ。




