『黒幕』にご注意を
まったく、今日は最悪だ。
あと15分、何事もなく経過すれば夜勤チームと交代して明日から休暇。彼女と一緒に映画でも見に行こう、なーんて考えながら詰所で日誌を書いていた時にこれだ。よりにもよってザリンツィクの中央銀行に強盗が入った、という知らせが入り、俺たちの班は現場に急行する羽目に。
こりゃあ下手したら明日の休暇潰れたな、と助手席で水平二連式のマスケットに弾を込めている相棒が言う。冗談じゃない、最近なかなか休暇が確保できなくて彼女と会えてない中で巡ってきた千載一遇のチャンスなのだ。それを銀行強盗なんぞに潰されてたまるかってんだ。
「クソが、どんな間抜けだ? 休暇前日にこんな真似を……」
他の班のやり取りを聞いていたが、どうやらこれは計画的な犯行だったらしい。というのも、中央銀行には憲兵隊の駐屯地直通の通報システムが存在し、受付にある赤いボタンをポチっと押すだけで街中の憲兵がわらわらと出動する仕組みになっているのだ。
よりにもよってこの通報の信号を送信する電線が配電盤の中で断線していたのだという。しかも経年劣化による切断ではなく、人為的に切られていたのだそうだ。犯人が事前にこれを切り、憲兵の出動を遅らせるための工作を実施していたに違いない。
只者ではない―――手練れだ。何度も場数を踏んできた、ベテランの銀行強盗なのだろう。その辺のチンピラに毛が生えた程度の三下とはわけが違うという事だ。
間もなくザリンツィク中央銀行に差し掛かる、というところで、目の前の交差点の上を何かが横切った。
「「!?」」
いや、何だよ今の……鳥?
そんな馬鹿な、と自分で自分の意見を否定する。鳥じゃあない。こんな真冬に飛ぶ鳥なんて、少なくともノヴォシアでは見たことがない。みんな巣の中に閉じ籠ってブルブル震えている頃だろう。
じゃあ今のは何なのか。その疑問に、遅れてやってきた”それ”が答えをくれた。
「―――人だ」
そう、獣人だ。
大きなダッフルバッグを背負い、スーツとガスマスクを身に着けた獣人が、腕からワイヤーのようなものを撃ち出して壁面へと叩き込み、それを巻き取りながら空中を移動していたのだ。
何だありゃあ、新手のアトラクションか何かか? それともフリスチェンコ博士の発明品をテストしてる部隊なのか?
「おい、今の―――」
「待て」
助手席に座る相棒が、冷静に言いながらラジオの音量を上げた。駐屯地にある司令部からの通信だ。専用のチャンネルを通じて各パトカーに一方的に送信される、という画期的な代物である。
憲兵だった親父が聞いたら泣いて喜びそうな発明だ。当時は伝書鳩とか信号弾でやり取りするか、伝令を向かわせる必要があったらしい。
カーラジオから聞こえてきたのは、司令部からの新たな情報だった。
《HQより各班、HQより各班。犯人は現在、第七工業区方面へ向け逃走中。なお、犯人は女性3名。車両ではなく空中をワイヤーで移動しながら逃走中。繰り返す、犯人は女性3名。車両ではなく空中をワイヤーで移動しながら逃走中》
「車両じゃなく―――」
「ワイヤーで―――」
相棒と顔を見合わせ、同時に前を向いた。
「「今の奴らじゃねーか!!」」
慌ててハンドルを切り、サイレンを鳴らしながらアクセルを踏み込んだ。目の前の交差点は赤信号、除雪された未知のど真ん中で何両もセダンやクーペが信号の変わる瞬間を今か今かと待ち受けている。
そんな中に響いたパトカーのサイレンに、車列が道を開けた。
『緊急車両通ります、緊急車両通ります。道を開けてください、道を開けてください』
車外のスピーカーに繋がっているマイクに、助手席から叫ぶ相棒の声。それを聞きながらハンドルを切り右折、今しがた交差点の真上を通過していったクソッタレの銀行強盗を―――そうとも、俺の休日を潰しやがったクソッタレの、これ以上ないほどのクソ野郎共を追跡するのさ! 文句あるか!?
「クソ女共が! ブタ箱にぶち込んでメス豚にしてやる!!」
何度かスリップしながらも加速していくパトカー。やがて他の班の車両も合流し、ザリンツィクのメインストリートは一瞬にして、まるで建国記念日のカーニバルのように賑やかになった。
なーんか誤解を受けているような気がする。
後ろから追ってきているであろう憲兵たちにまた性別を勘違いされているのではないか。ミカちゃんのセンサーは敏感で、そういうのも何となく察知してしまう……多分。
俺 は 男 だ っ つ ー の !
1人で勝手に憤りながら、次のアパートの壁面にアンカーシューターを撃ち込んで進路変更。予測通り、メインストリートにパトカーが集中し始めた。後方から聞こえてくるサイレンのボリュームを考慮すると、少なくとも5両から7両のパトカーが追ってきているのではないだろうか。
アパートの壁面に撃ち込んだワイヤーを利用し、ぐるーんと右へと90度進路変更。ミカエル君は共産主義者じゃないから絶対左には曲がらない……ごめん嘘ついた、時と場合にもよる。
雑貨店と薬局の上を飛び越える形で大きくショートカット。一時的にだが、パトカーのサイレンの音が遠退いていくのが分かる。
憲兵隊のパトカーのベースになっているのは、ザリンツィクに本社を置く”ゴスタロフ・モーターカンパニー”のゴスタロフGAZ-363。でっぷりと丸みを帯びた形状のボンネットやグリルが特徴的で、”スイカ”の愛称で親しまれている……らしい。
キリウ憲兵隊は違う車だったな……やっぱりゴスタロフ社のお膝元であるザリンツィクならでは、という事なのだろうか。
犯人確保のためにエンジンはかなーり強化されているようで、少なくとも160㎞/hは出るらしい。憲兵隊の車の速度に関しては機密事項だから公表していない(byマカールお兄たま)らしいが、だいたいそのくらいが最高速度なんじゃないだろうか。
さてさて、この世界の車の中ではなかなかの速度を出せるパトカーというわけで、単純なスピード勝負では軍配が上がるのは向こうの方。こっちの強みはあくまでも”遮蔽物がある環境に限り地形を無視できる”という一点に尽きる。
それに対し、向こうは道がある場所しか走れない。地に足を付けて走る事しかできない車両ゆえの悲しい弱点だが、数で上回っている以上、いつかは向こうが追い付いてくるのは想像に難くない。
さーて、そろそろか。
『ララバイより各員、間もなく予定ポイント』
「―――グオツリー了解」
壁面に撃ち込んでいたアンカーを放し、2秒の自由落下。ジェットコースターの急降下にも似た、あのなんかこう、膀胱のちょっと上辺りがゾワッとなるような感覚を味わいながら電柱の上に着地。そのまま跳躍して近くの看板を蹴って更に跳躍、アンカーシューターを工場のトタン屋根に撃ち込んで再び空へ。
工場の排気で(うわくっせ)煙る空へと舞い上がりつつ、地表を見下ろす。犯人を目前にした憲兵の執念とは凄まじいもので、餌を求める羆と良い勝負だと思う。羆ヤバいらしいよ、北海道の羆は特に。岩手じゃあのレベルのクマさんいないからねえ……。
話が脱線した。とにかくこんな人気のない工業地帯までクッソ真面目に追ってくる憲兵の皆さんには非常に、それはそれはもう大変申し訳ないと思っている。
工場のくっさいくっさい排気が遠ざかり、それと反比例して黴臭さが増してくる。大絶賛稼働中で煙突から濛々と煙を噴き上げている工場すら既に遥か彼方。今の俺たちの周囲に広がっているのは、経営会社が倒産したり撤退したりなどの大人の事情で閉鎖されて久しい廃工場だ。
ボロボロのフェンスに、色の剥げた立ち入り禁止の看板。かつて稼働していた頃の活気は見る影もなく、工場すべてがそっくりそのまま鉄屑と化しているような、そんな場所だった。
『グオツリー、追手が来ます』
殿を務めていたクラリスからの報告に、ガスマスクの中でにんまりと笑みを浮かべるミカエル君。ここまで計画通りに進んでしまうともうアレだ、一周回って俺たちが逆に罠に誘い込まれてるんじゃね、と疑いたくなるくらい。
パーフェクトだ、パヴェル。
ちらりと後ろを見た。はるか後方のスクラップ処理場から出る煙の向こう、うっすらとパトカーのパトライトが点滅するのが見える。
『あーあ、可哀想』
モニカがどこか楽しそうに呟いた。
まあ、確かに可哀想だよな。
こんな人気が無く、通行人を巻き込む危険のない廃工場地帯にやってきたら、こっちもやりたい放題できるのだから。
《―――フィクサーより各員、こっちはいつでも行ける》
「グオツリーよりフィクサー、射的の時間だ」
《ハッ、そりゃあいい》
右手に見える廃工場―――かつてはセメントでも作っていたのであろう廃工場、その煙突の中腹部分。高さ80mはあるであろうその中間部に設けられた整備用の足場に、一瞬ばかりキラリと輝く鋭い光。
だいたい900mくらいかなあ、と呑気に考えていた次の瞬間だった。
ヒュン、と何かが空気を切り裂くような音。それは死刑囚に向かって打ち下ろされるギロチンの刃のそれにも似ていた。
俺たちの後方、強盗犯を追跡するべく煙る工場の排煙のカーテンから躍り出たパトカーのボンネットが、唐突に吹き飛んだ。ひしゃげた金属片やエンジンの残骸が宙を舞い、動力を喪失したパトカーが車体を何度もスピンさせながら、後続車両を巻き添えにコンクリートの塀へと突っ込んで停止する。
辛うじて今の事故を回避し、追跡を再開した後続のパトカー。しかし待ち受けていたのは犯人逮捕という華々しい戦果ではなく、仲間と同じ運命だった。
遠方から飛来する重々しい一撃。それにエンジンブロックをものの見事に吹き飛ばされ、動力を喪失して廃工場のフェンスへと突っ込んでいく。
その光景を見ながら、アイツが味方でよかったと心の底から思った。
左耳に装着したイヤホンから流れてくるのは、陽気なジャズの旋律だった。前の職場にいた頃からだろうか、戦場で音楽を聴くようになったのは。周囲の音の一切をシャットアウトして、自分だけの世界に集中できる。己の内面を凝視するための通過儀礼―――最初はそういう認識だった。
俺にとって音楽とは、最初はそういうものだった。過酷な世界で生きていくために必要な事、己の内に目を向けるための一種の儀式。しかしいつしかその音楽にもこだわりを持つように至り、最終的にジャズに落ち着いた。そういう事だ。
白く染まった息を吐き、レティクルを次の標的へ。
残り2両―――その片割れに照準を合わせてから、スコープを2目盛り分右へとずらして引き金を引いた。
ドガンッ、と愛用の得物が吼える。薬室から放たれた弾丸があっという間に冷たい大気に風穴を穿ち、重力の束縛を食い破って、レティクルの向こうの標的へと向かって駆け抜けていく。
最初は直進するかに見えた弾丸も、風の影響と重力の影響を受け、徐々に弾道を狂わせていった。弾丸はレーザービームではなく、質量を持つ物体だ。だから宇宙空間でもない限り、重力とは無縁ではいられない。
しかし狂ったかに見えたその一撃も、最終的には狙い通りの場所―――ミカ達を追撃するパトカーの車体前部、そのエンジンブロックへと吸い込まれていき、ずんぐりしたスイカみたいなパトカーの”頭”を盛大に捥ぎ取った。
フロントガラスに金属片が突き刺さるが、運転手に怪我はないだろう。こればかりは俺じゃあなく、ミカの慈悲に感謝してほしい。アイツが「殺すな」と命じていなければ、今の一撃で吹き飛んでいたのはエンジンブロックではなく、犯人をいつまで経っても捕まえられない間抜けな憲兵たち、そのアホ面だったのだから。
―――”OSV-96”。
俺が今使っているライフルの名称だ。ロシアが開発した対物ライフルで、12.7×108mm弾を使用するセミオートマチック式の得物である。
分厚い装甲を撃ち抜く事も想定しているが、最大の目的は重機関銃用の重い弾丸を使用する事で、長距離の標的を撃ち抜く事。弾丸で戦車を撃破できる時代は第二次世界大戦序盤を最後に終わりを迎えた。今じゃあ戦車はミサイルやらドローンやら、空爆で仕留めるのが当たり前の時代だ。
そういうわけで、このライフルも対戦車ライフルとは違うカテゴリーに属する。
3両もエンジンブロックを撃ち抜かれて擱座、更に後続も巻き込んだ大事故を生き残った残り1両となって、ようやく憲兵のアホ共はこれが右側面、しかも距離950mからの遠距離狙撃によるものだと気付いたらしい。残った1両が狙いを絞らせまいとジグザグに走行を始めるが、そんなものは関係ない。
息を吐き、スコープを覗き込む。
ここから目標まで遮蔽物はない、丸見えだ。ミカが”射的の時間”と表現したのは適切であろう―――狙撃手からはやりたい放題できる、最高の環境だ。
距離950m。
呼吸を止めた。
肺へと流れ込む空気で揺れていた身体がぴたりと止まる。聞こえてくるのは自分の心臓―――半分以上が機械と化してもなお動き続ける、ペースメーカーの音にも似た心臓の鼓動だけだった。
やがてそれすらも、聴覚から消え去る。
引き金を引いた。
OSV-96が吼え、12.7mm弾が牙を剥く。マズルブレーキからガスを噴き出し、マズルフラッシュすらも置き去りにしたその一撃が、眼下のフェンスや廃材の山を飛び越え、鈍色のどんよりとした空の下を突き抜ける。
12.7×108mmの鋼鉄の流星は、やがてその終着点に辿り着いた。
レティクルの向こうで、スイカみたいなパトカーのエンジンブロックが派手に吹き飛ぶ。エンジンオイルやガソリンが血のように吹き出し、大きく抉れたボンネットから灰色の煙を噴き上げて、コントロールを失ったパトカーがそのまま電柱へと突っ込む。
エアバッグはしっかり積み込んでいたようで、運転していた憲兵たちは真っ白なエアバッグに思い切り顔を埋めながらも、爆発の恐れのある車両から何とか無事に脱出。憲兵全員の生存がこれで確認された。
『グオツリーよりフィクサー、これより合流地点に向かう』
「了解。分け前が楽しみだよ」
もっとも、俺の場合は殆どが酒代に消えるんだけどな……。
まあいいや、と苦笑いしながら、俺もアンカーシューターを工場の壁面へと撃ち込み、このクッソ高い煙突から降り始めた。




