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交換(トレード)


「んで、そのスリをやったガキに飯まで奢ってきたと……」


「ああ……いや、お人好しが過ぎるって言いたいのは分かる、分かるんだ」


 キッチンの向こうで何かを油で揚げる音を盛大に上げながら、パヴェルはまるで我が子の事のように問いかけてきた。俺と比較すると容赦のないパヴェルの事だ、どうせ内心では甘すぎるだの何だの思っているに違いない。


 けれども俺は、間違ったことはしていないと自負している。そりゃあ、まだ15にも満たぬ幼い兄弟があんなにも苦しそうな生活をしているとなれば、黙っていられない。


 おかげで財布の中身は減っちまったが、彼らの未来への投資だと思う事にしている。せめて日雇いの仕事でも見つけて、スリから足を洗い巧く食い繋いでくれればいいな、という期待を込めて。


 コトン、と目の前に昼食が置かれた。今日の昼食はチーズバーガー、バンズもパティも超弩級で、ソースと蕩けたチーズが具材の間から顔を覗かせ、食欲を掻き立てる。付け合わせのフライドポテトもやけにサイズが大きく、食べ応えがありそうだった。


 俺は前世の世界で目にしたお馴染みの食べ物だが、隣に座るクラリスとモニカの反応はと言うと、やはり未知の食べ物を見るような目だった。


「ご主人様、このサンドイッチみたいなのはいったい……?」


「この付け合わせは何? 揚げた芋?」


 ハンバーガーなんてノヴォシアじゃ珍しい……というか、これを知ってる転生者が居るか、本場の『アメリア合衆国』まで行かない限り口にすることは無いだろう。


 そういや気付いた事なのだが、この世界の地図を見る限りでは、大陸の位置や島の位置など、前世の世界とほとんど変わらないのだ。ノヴォシア帝国は前世の世界で言うところのロシア、イライナ地方はウクライナの辺りに位置し、そこから東に行くと中国にあたる”ジョンファ”、そこから海を渡っていけばアメリカにあたるアメリア合衆国がある。


 どうしてここまで似通っているのかは不明だが……一種の平衡世界パラレルワールドのようなものなのだろうか?


 考え事をしていると、パヴェルが冷蔵庫の中からキンキンに冷えた瓶を取り出した。栓抜きで蓋を開けると、中からは炭酸の弾けるシュワシュワという音が。


「ハンバーガーつったら炭酸飲料だろ」


「おー! ……なにこれ?」


 見た事の無いラベルだった。記載されてるこれはロゴマークだろうか。交差した金槌と鎌の上に星が1つ、右側に角度を付けた星が4つ描かれている。ソ連と中国の国旗を足したようなデザインのロゴマークで、下の方に配置されたリボンには何かが書かれている。


 良く分からないが、ノヴォシアの言語ではない。キリル文字と英語が入り混じったような形状で、『Дamplё soдa』と記載されている。


 なんだこれ?


「タンプル……ソーダ?」


「え、クラリスこれ読めるの?」


「ええ……」


 意外にも解読に成功したクラリスだが、理由は何となく察しがついた。


 彼女と出会ったばかりの頃、彼女はノヴォシア語とは違う別の言語を話していた。ミカエル君にとっては未知の言語だったが、次第にノヴォシア語を習得し今に至る。現在では殆どイントネーションに違和感なく話す事が出来るようになったので、彼女の学習能力のすさまじさが伺える。


 さて……彼女がこれを読めたという事は、これがクラリスの母語か。どこで使われている言語なのかちょっと気になるが、これをパヴェルが持っているというのもちょっと気になる。商人から仕入れていたのだろうか?


「……」


 まじまじとタンプルソーダの瓶を見つめるクラリスを、パヴェルは何かを察したような表情で見つめていた。まるで前々から懸念していた事が現実になったような、あるいは俺たちの知らないところで何かが繋がったかのような、確信を抱いたような表情だった。


「パヴェル?」


「いや、何でもない。それより早く食え、冷めるぞ」


 そう言い、一足先にハンバーガーにかぶりつく。


 それも確かにそうだ。ハンバーガーは出来立てが一番、これは何にでも言える事だ……いや、カレーは例外か。あれは一晩寝かせてから食べるのが一番だ。


 遠慮なく、俺もハンバーガーに齧りついた。濃厚なチーズとパティの肉汁、トマトをベースにしたソースの味が絡み合い、そこにピクルスの酸味がアクセントを加える。前世の世界で食べてたハンバーガーよりも遥かに美味い。


「あー美味い、最高」


「そりゃあどうも」


 タンプルソーダを口に運んでいると、隣に座っていたクラリスとモニカもハンバーガーに齧りついた。


「……!」


「うっま!!」


 2人とも分かりやすい。特にモニカ、彼女の魂の叫びを聞くのはこれで二度目である。


「パヴェルさん、申し訳ありませんがおかわりは……?」


「え、もう食ったの?」


「ええ、美味しくてつい……」


 モニカのリアクションに目を奪われている間に、いつの間にかクラリスの分のチーズバーガーが消えていた。そう、消えるのだ……彼女の分の飯はいつも消える。そして最初に出された分では多分クラリスからすると量的に物足りないのだろう。意外とクラリスは大食いなのである。


 まあ、あのサイズの身体であの身体能力なのだ。新陳代謝しんちんたいしゃの早さやカロリー消費量など、通常の人間とは異なる部分も多いのだろう。


「待って、今2つ目用意してたから」


「あっ、はい」


「ああ、それと」


「?」


 ウォッカをタンプルソーダで割りながら(なんつー飲み方してやがる)、パヴェルが嬉しそうに言った。


「例の件、買い手がもうザリンツィクに到着したらしい。午後にも盗品と現金の交換トレードを行いたいんだそうだ……お前ら、午後の予定は空けとけよ」


「ついにか」


 やっとだ。


 やっと金が手に入る。


 屋敷に入って金品を盗んでくるのは良いが、それをそのまま使うのは随分とリスクが高い。金塊や宝石はもちろん、盗んだ現金だってその流れを追跡し、犯行に及んだ個人を特定する事も可能だ。


 それを防ぐために資金洗浄マネーロンダリングが必須となる。


 俺たちにそのノウハウはないので、パヴェルの人脈に頼らざるを得ないのが現状だ。


 まあいい……やっと金が手に入るのだ、さっさと盗品を持って行ってもらおう。


 札束の山が手に入ると思うと、ハンバーガーの味もより一層美味く思えた。













 工業都市ザリンツィクの駅前広場。


 赤と白のレンガできっちりと舗装された美しい広場の中央には騎士の銅像があり、それを囲むように噴水が配置されている。普段であれば派手に水を吹き上げ、行き交う人々を楽しませるそれも、冬が訪れた今となってはすっかり凍てついてしまい、鏡面のような氷と化してしまっていた。


 交換トレードの目印となったのは、その噴水だ。


 パヴェル曰く、『盗品の入ったダッフルバッグを噴水の根元に置け』との事だ。


 言われた通りに金塊やら宝石の入ったダッフルバッグを噴水の根元に置き、ちょっと距離を取った。当たり前だが、資金洗浄マネーロンダリング済みの金を持ってくる買い手の顔を見たりするのは好ましい事ではない。可能であれば直接接触せず、会話も交わさずに交換トレードを済ませるのが理想だ。


 というわけで、俺たちは四方に散開して噴水を見張っていた。


 中身が分からないようにしてあるとはいえ、中身は金塊やら宝石やらの山。治安がお世辞にも良いとは言えないノヴォシアだから、買い手が受け取るよりも先にチンピラやごろつきが盗んでいく可能性も否定できない。


 だからコートの内側には、いつでもそういう不届き者をぶち抜けるようにMP17を忍ばせている。とはいっても弾薬は実弾ではなく。9mm麻酔弾なのだが。


 噴水を見張る事5分、ベージュのコートに身を包み、フードを被った人物がやってきた。両手には大きなダッフルバッグを2つも抱えており、”中身”は随分とぎっちり詰め込んであるように思える。


 その人物は周囲をきょろきょろと見渡す事もせず、淡々と手にしたダッフルバッグを噴水の根元に置くと、盗品の入ったダッフルバッグを全部拾い上げ、人混みの中へとあっという間に消えていった。


 散開していた仲間たちにハンドサインを送り、噴水の前に集合。置かれたダッフルバッグを拾い上げ、広場の隅へと向かう。


 公衆トイレの脇で周囲に誰も居ないのを確認してから、おそるおそるダッフルバッグのチャックを少しだけ開く。


「「「!!」」」


 中身は―――期待通り、山のようなライブル紙幣。


 ちゃんと数えたわけじゃないけど、リガロフ家強盗とレオノフ家強盗の分を合わせても300万ライブルはあるだろう。この金を全部ぶち込めば屋敷が建てられるレベルである。


 まあ、これを均等に4人で分割するわけなので、そう上手くいかないのだけど。


「お、久々に儲けになったな」


「今夜は打ち上げか!?」


「こんなに一杯……!」


「きゃはっ、お金ぇ☆」


 ちなみにこれは資金洗浄マネーロンダリングの”手数料”を差し引いた金額なのだそうだ。今後も強盗をやった後、買い手からは手数料を差し引いた金が渡されることになる。向こうからすればその手数料が報酬だ。


 さて、いつまでも外で大金を手にキャッキャウフフしているわけにもいかない。とりあえず列車に戻ってからお金を分配しよう。もちろん仲間割れの原因にならないように分配は平等に、な。


 











 スラムがあるのはどの街も同じだった。


 資産を持て余し、権力闘争に余念のない貴族たち。過酷な労働に耐え、何とか今日を生きていく労働者や農民たち。そしてそれらの共同体コミュニティから弾き出され、文字通り”捨てられた”スラムに住む者たち―――その社会構造は、このザリンツィクでも例外ではないらしい。


 白く変色する息を吐き出しながら、工場の方をちらりと見た。大きく開け放たれた巨大なシャッターの向こうでは、巨大な砲身らしき部品がクレーンで釣り上げられ、複線を使って運航される専用の貨物列車に乗せられていくところだった。


 おそらく、あれは戦艦の主砲の砲身だろう。


 噂で聞いた話だが、最近ノヴォシア帝国は西方の制海権を『聖イーランド帝国』と争っており、両国の間で熾烈な建艦競争が始まっているのだという。


 聖イーランド帝国が確信的な新造戦艦『ドレットノート』を建造、主力艦隊旗艦として就役させた事に端を発するこの建艦競争。ドレットノートがどういう戦艦かは不明(多分前世の世界のドレットノートみたいなものだと思われる)だが、もし仮にこれが前世の世界のドレットノートと同一、あるいはそれに準ずるスペックの戦艦だった場合、この世界の技術は前世の世界よりも進んでいる事になる。


 こっちの世界は今の時点で1888年。前世の世界のドレットノートの就役は1906年だから、実に18年も技術が進み、建造が前倒しされている事になる。


 強力な海軍を背景に版図を広めようとする聖イーランド帝国。それに対抗するため、ノヴォシア帝国議会は新造戦艦『インペラトリッツァ・カリーナ級戦艦』の建造承認に踏み切った、と新聞に載っていたが……女王の名前を冠した戦艦の実力や如何に?


 オイオイ戦争はやめてくれよ、ミカエル君は平和主義者なんだ。


 などと考え事をしながら工場の前を横切り、スラムへ。周囲に工場ばかりあるからなのか、ここのスラムからは機械油や石炭の臭いがした。ボロボロの小屋の前に座り込む人々の服は煤で汚れ、黒ずんでいる。


 ザリンツィクのスラムが他の街のスラムと特異な点は、他にもあった。


「……」


 力なく座り込む人々の中に、腕や脚が欠損した人が紛れ込んでいるのだ。それは子供も例外ではなく、中には昨日知り合ったルカとそれほど歳も変わらない、まだまだ勉強したり遊んだりする年頃の子供まで、腕を失ったりしている。


 この街で流行している赤化病、それに感染した部位を切り落とした―――というわけではない。


 さっき工場を見ながら歩いてきたが、どうやら労働環境に問題があるようだ。


 普通、ああいう工場では作動中の機械に巻き込まれることが無いよう、機械の稼働部には接触防止用のカバーがかけられたり、作業員に機械の動作範囲に入らない、動作中の機械には決して触れないなどの安全教育が徹底される。


 けれどもこっちの世界では、まだそう言った安全作業の概念が浸透していないようで……機械の動作部は剥き出し、動いている機械にも平気で触れる作業員が目立った。前世の日本だったら責任者の首が飛ぶ案件である。


 おそらくここに居るのは、そういう環境での労働を強いられ、手足を失った人たちなのだ。片腕や片足になって使い物にならないと判断され、ここに捨てられた―――けれども働かなければ路頭に迷う、でも働くための手足がない。だからこうして、スラムで呆然とするしかない。


 地獄のような場所だ。


 そう思いながら、両足を無くして座り込んでいる元労働者の男性の前に、そっとコインを置いた。安物であれば、パンをいくつか買えるくらいの値段だ。


 こんな事をしても見返りは無いし、事態は好転しない。そんな事は分かっている。偽善だと言われても良い、やらない善よりやる偽善だ。何か文句あるか。


 スラムを進み、周囲を見渡した。ボロボロの、腐りかけの木材で造られた小屋の近くに見慣れた獣人が居たので、大きめの声で声をかける。


「おーい、ルカー!」


「ミカエルさん……」


 手を振りながら駆け寄ると、彼はちょっと嬉しそうな笑みを浮かべた。


「おう、元気してたか?」


「なんとか。ミカエルさん、何でここに?」


「いや、ちょっとな。ちゃんとご飯食べてるかなって。ここ、お前の家か?」


「うん……勝手に住んでるだけだけど。もしよかったら上がっていってよ」


 お言葉に甘え、中に入った。


 強風が吹いたら倒れてしまいそうな小屋。中には薄汚れた椅子とテーブルがあるばかりで、奥の方にはボロボロの毛布が敷いてある。あそこで眠っているのだろう。キッチンやらシャワーやらといった設備は無く、本当に”寝るだけの空間”だった。


 でも、雨や風をしのげるだけマシなのかもしれない。


「あ、ミカエルさん!」


 裏口の方から顔を出したのは、彼の妹のノンナ。ビントロングの獣人であるルカとは異なり、パームシベットの獣人だ。獣人としての種類が異なる事からも分かる通り、この2人の間に血縁関係がない事が伺える。


 あるいは、母親か父親が違う”腹違いの兄妹”か。


 ニコニコしながら駆け寄ってきたノンナに、持ってきた紙袋を渡した。


 中に入っているのは缶詰と黒パン。一週間くらいは何とかなるくらいの量がある。


「え、こんなにいっぱい……?」


「ちょっとした”臨時収入”があってな」


「でも高かったでしょう?」


「……まあ、気にならんくらいの収入だったから大丈夫だよ」


 冬になると列車や商人たちの往来が完全に止まる。その影響で、必然的に食料から日用品に至るまで、あらゆるものの値段が高騰するのだ。


「ありがとう、ミカエルさん」


「”さん”はやめてくれ、なんか恥ずかしい」


「じゃあ……ミカ姉」


「俺男なんだが」


「でも可愛いじゃん、女の子みたいで」


 うーん……キリウに居たフョードルを思い出す。元気かなアイツ。


「他、他の呼び方は?」


「ふにゅう……タクヤ?」


「それ違う人ぉ!!」


 なんか背筋がゾッとしたんだけど気のせいか? ヤンデレのお姉ちゃんが頭に浮かんできたんだが大丈夫か?


「分かった分かった、好きに呼べ」


「じゃあミカ姉!」


「ミカ姉ミカ姉!!」


「……」


 男なんだけどな、俺……まあいいか。




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