命ある限り
やっと、彼奴めに手が届いた。
振り下ろした刀の一撃が、マガツノヅチの柔らかい鱗を切り裂いた。堅牢な外殻もなく、ただただ柔らかい鱗しか持たぬマガツノヅチはその一撃をあっさりと受け入れるや、まだまだ熱い血を迸らせてもがき苦しむ。
それを浴びながらなおも刀を振るおうとするが、しかし欲張りは禁物とはよく言ったものだ。危ないかもしれん、と某の第六感が危険を察知すると同時に、刀を振るう事しか考えていない頭に代わって身体が勝手に突き動かされる。
咄嗟に飛び退いた某の目の前に、白濁した氷の柱が突き立てられたのを見て、背筋を冷たい感触が走った。
今の一撃を躱していなければ、脳天から股まで串刺しにされていた……。
あれと炎の雨を組み合わせた爆発ばかりに意識が向きがちだが、あの氷の槍は単純な貫通力も恐ろしいものがある。
それはそうであろう。彼奴めが生成する大きさにもよるのだろうが、だいたい20から30貫(約120㎏)ほどの重さがあると見た。そんな重量の物体があんな高さから落ちてくるのだ、ちょっとした大砲の砲弾の如き重さの物体が人体目掛けて落ちてくれば、それはもうヒトの身で耐えられる代物ではない。
更に先端部が鋭利に研ぎ澄まされた錐のような形状をしていれば猶更だ。どんな職人の手による鎧兜だろうと、障子の如く突き抜いてしまうであろう。
単なる火薬の代用品だけに非ず。いざとなればその質量をそのまま攻撃に転用できる、思った以上に多彩な武器として機能する。
それに対して某の武器はこの刀一本のみ。
多彩な技を持つ相手が勝つか、それとも愚直に剣術のみを学んできた某が勝つか。
まだ、自分自身の事を最強の剣豪だなどとは思っておらぬ。上には上がいる、という言葉は戒めとして、常に心に刻んでいる。事実、雪ふ……しゃもじ殿のような努力の擬人化ともいうべき相手が居るのだ、某などまだまだ青二才である。
だが―――彼奴めを倒すためだけに学んできた薩摩の剣術が、相手も同じ土俵に立つという条件付きではあるものの、こうして古の龍にも通用するとは。
師範や兄弟子方も、きっと黄泉の国で喜んでおられるだろう。
脚を踏ん張って前に出た。手の中の柄をくるりと回し、刃ではなく峰を相手に向けた状態で刀を振るう。
狙ったのはマガツノヅチではなく、彼奴めが某の目の前に、さながら墓石の如く突き立てた白い氷柱。深く踏み込み、遠心力を乗せて振るった本気の峰打ちが氷柱を強かに打ち据えるや、透き通るような打撃音と共に、周囲に白濁した破片を舞い散らせた。
生じた亀裂が一瞬にして広がり、氷柱の大小さまざまな破片が、マガツノヅチ目掛けて飛んでいく。
そのままさらに一歩踏み込む。
黒く焼け焦げたベラシアの大地に某の足跡を刻みながら、振るった刀を傍らの木材に突き立てた。
かつては廃屋の一部であったのであろうそれは、彼奴との戦闘に巻き込まれてすっかりバラバラになっていたが、しかし黒く焦げたその表面にはまだ微かに、赤々と燻りを残していた。
木材を串刺しにした刀を思い切り古い、マガツノヅチ目掛けて飛んでいく白い破片の群れの中に、一片の火種を投じる。ぐるぐると回転しながら破片たちに追い付いた火種は爆発的にその勢いを増し、目の前で純白の閃光を生み出すまでになった。
南部藩から薩摩藩までの旅の途中で立ち寄った江戸で、某は花火を見た。徳川家の将軍曰く、『遥か昔、戦国乱世に散っていった武士たちの魂を鎮めるためのもの』だそうだ。
その音はあまりにも大きく、そして儚く美しい。
鉄砲のための火薬がこうも美しいと思える日が来るとは、思った事もなかった。
今しがた目の前で生じた爆発は、あの夜の江戸に咲いた火薬の大輪にも似ていた。周囲の大気を爆発的に吸い込んで爆ぜたその一撃は、生みの親であるマガツノヅチすらお構いなしに飲み込んだ。
苦痛の叫びも聴こえない。というより、某の耳が一時的にだろうが、死んでいる。
まるで寺の鐘を間近で打ち鳴らされたかのように、何も聞こえない。彼奴の叫びも、某の鼓動も、風の音も、何もかも。
熱く、焦げ臭い空気を吸い込みながら爆炎の中を突っ切った。その向こうに姿を現すのは、今の爆発と衝撃波をもろに浴びたのであろう、左目を潰され血まみれの顔をこちらに向けるマガツノヅチだった。
『ギィィィィィィィィ!!』
退化しかけの前足を振るい、某を叩き落そうとするマガツノヅチ。
しかし、普段は悠然と天を舞うばかりで、身体を休める時にしか使わぬ小柄な前足では、攻撃の間合いは短く、攻撃そのものも単調であり過ぎた。
左から右へと薙ぎ払うその一撃を跳躍して躱すや、落下する勢いを乗せ、彼奴の胸元へと刀を思い切り突き立てた。
心臓でも貫く事が出来れば良いのだが、しかしそう甘くはない。
渾身の一太刀でも倒れぬというならば、死ぬその瞬間まで本気の一撃をひたすら叩き込むだけよ。
刀を引き抜いて飛び退き、刀身に付着した返り血を払い落す。
その時に、気付いた。
「……」
いつも白銀の輝きを発する某の刀―――その刀身の半ばほどに、それこそ肌に浮かんだ小さな皺程度の物であったが、微かに小さな亀裂が生じていた。
なるほど、酷使が過ぎたか。
まだまだ某も青いな、とつくづく思う。
一流の剣士とは、刀を乱雑に扱わない。得物に負担をかける事なく、常に相手を一撃で斬り捨てる―――そういう存在だ、と某は信じている。
こうして得物を壊しているようでは半人前もいいところだ―――自嘲する一方で、相応の危機感も感じていた。
万一この得物が、某の刀が折れたらどう対処するべきか。
ミカエル殿やその仲間たちから武器を借りる、というのが一番だが、しかしミカエル殿たちの得物は鉄砲(それも倭国で見た火縄銃とは違い連発できる)。某に鉄砲の心得は無いし、これは某の復讐。そんなところまでミカエル殿たちに頼るわけにはいかぬ。
ならば選択肢は一つ。
この刀が折れる前に、決着をつけるまでの事。
一撃一撃を必殺と思い、常に急所を狙う他あるまい。
幸い、そのような戦い方は慣れている。というよりも、薩摩で血反吐を吐くほどの思いで身体に刻んだ剣術がまさにそれであったからだ。
薩摩式剣術の真髄は”一撃必殺”。渾身の一撃、初手から放つそれで全てを終わらせる。それが薩摩式剣術の真髄であり、道場で習ったどの構えも、刀を振るう両腕に力が込めやすいよう考案されている。
されど、相手は龍。ヒトを相手と考えたこの剣術で、いったいどれだけの斬撃を打ち込めば斃れるものか……。
いや、考えている暇はない。これしか手がないというならば、全力でその道を突き進むのみ。疑うは弱さに繋がる、ただただ前進あるのみ。
そうと決まれば、もう止めるものは何もない。
己の胸中に浮かぶ疑問や躊躇さえも封じ、大きく前に出た。
マガツノヅチが氷柱を放ってくる。火と組み合わせて起爆するためのものではない、ただ単に鋭い穂先で相手を刺し貫く事を想定した攻撃だ。この間合いで火を使おうものならば、某は確実に吹き飛ぶだろうがマガツノヅチも同じ道を辿る事になる。
生への執着が強いマガツノヅチは、そんな自爆に等しい事はしない。
最短で、最強の一撃を。
飛来した短刀のような氷塊が足を貫き、肩を射抜き、胸板に突き刺さった。皮膚を、筋肉を貫く激しい痛み。激痛が脳天にまで駆け上がり、身体の力を抜こうとする。
攻撃を弾く時間すら惜しい。
しゃもじ殿やミカエル殿……某に”生きろ”と言ってくれた、あのお二方には申し訳ないが、それは某に余裕があっての事。このマガツノヅチ相手に、死力を尽くして戦わねば、それこそ相打ちに持ち込む覚悟で戦わねばならぬ相手との一騎討ちで、生還を考える余裕などやはり某には無かった。
マガツノヅチよ―――黄泉への旅路、付き合ってもらうぞ。
歯を食いしばり、激痛を発する足に力を込めた。食い縛った歯の間から、鉄の臭いがする熱い何かが溢れ出す。
頬を掠めた氷塊が、また新たな傷を刻んでいった。
あと少し。
あと少しで、この龍に手が届く。
天を悠然と舞い、火の海と化した大地を睥睨する忌むべき龍―――彼奴の居座る高みに、もう少しで手が届く。
パキン、と嫌な音が響いた。
ああ、そうか。
天は某には味方をしてくれなかったっか。
微かな金属片を散らしながら、ゆっくりと落ちていく刀―――その折れた刀身を見上げながら、某は己の敗北を悟った。
やはり、届かなかったか。
あの高みに。
マガツノヅチの居る領域に。
所詮、ヒトはヒトだ。
力の象徴たる龍には、どう足掻いても勝てんのだ―――。
諦めが滲み出す胸中に、しかし小さな炎が燈る。
―――それがどうした。
小さな火種はたちまちのうちに、あっという間に燃え広がった。目に焼き付いた故郷の惨状、力尽き黄泉の国へ先立った母上の姿、薩摩の地で倒れた師範や兄弟子たち。
それを見て、それだけのものを奪われて、だから復讐を誓ったのではないか?
刀一本が折れただけで、戦いを投げ出すのか?
己の敗北を認めるのか?
―――否。
刀は折れた、もう得物は無い。
だが―――それがどうしたというのか。
―――某は、まだ生きている。
命ある限り、まだ負けはしていない。
刀が無いというならばこの両手で、足で、爪で、牙で、全身全霊で足掻き続ける。そう、足掻く事ができるではないか。
だから戦え。
戦い続けろ!
折れ、宙を舞う刀の刀身に手を伸ばした。度重なる戦で酷使し、劣化してもなお鋭い刃を握り込んだ指の皮膚に鋭い痛みが走る。津軽の雪の如く淡く白い刀身に、紅葉のような色合いに雫が滲んだ。
折れた刀身を逆手持ちにし、全体重をかけた状態で、それをマガツノヅチの眉間に突き立てた。
ドチュッ、と湿った音がして、切っ先が硬い何かにぶち当たる手応えがあった。おそらく骨だ。頭蓋にまで切っ先が達したのであろう。
しかしそれを刺し穿つ事は叶わなかった。力を込めるよりも先に頭を大きく振り払ったマガツノヅチの抵抗を受け、某の身体は蹴鞠の如く吹っ飛ばされ、地面に背中を強かに打ち付けながらゴロゴロと転がる羽目になった。
背中を走る激痛。少し体を動かすだけで、背骨が軋むかのような嫌な感触を返してくる。それだけではない、脇腹にも何かが突き刺さっているような痛みが生じていて、腹の中でじんわりと暖かい感触が広がっていくのが鮮明に感じられた。
ああ、肋骨が折れたか。
それが内臓を傷付けたか、刺し貫いているのだろう。
身体を動かすだけで、発狂しそうになるほどの激痛が牙を剥く。
全身が必死に叫んでいるのが分かった。範三、もういい、もうやめろ、と。
いや、まだだ。
まだ戦える、まだ……。
「どうした……どうした、マガツノヅチ……!?」
眉間に折れた刀身が深々と突き刺さったマガツノヅチ。某も無残な姿だが、彼奴もなかなかに無残な姿だった。苦しんでいるのはこちらだけではない。
折れた刀の柄を握り、構えた。
命ある限り、某は戦う。
得物は刀身の半分が折れて喪失した大太刀1つ……それさえあれば十分だ。
某はまだ、生きている。
まだ、負けていない。
黒曜石の懐中時計―――イリヤーの時計の針は、既に午前4時30分を指し示していた。
空を見上げると、あんなにも暗く、無数の星々が煌めいていた夜空の色合いも変わりつつある。完全な闇から、海原を思い起こさせる紺色へと変色を始めていた。夜空の真ん中で輝いていた満月も色が薄まり始め、夜は終わり始めている。
もうすぐで夜明けだ。
しかし、未だに戦闘は続いていた。
そこかしこで聞こえてくる銃声に爆音、魔物たちの断末魔。パパパ、と銃声(たぶん5.56mm弾のフルオート射撃だと思う)が響いて、ああこれはクラリスの攻撃だな、となんとなく思った。
かつては集会所に使われていた廃墟の前に停車したタンクローリーからホースを伸ばし、それを機甲鎧の給油口に接続。燃料の補充を行いつつ、無線で仲間たちの状況を把握する。
予想通り、戦闘は長期化した。今まで一度もなかったが、野外での機甲鎧への給油が必要になるケースはこれが初めてだ。今後はこういった給油用の設備の拡充も必要になるかもしれない、と今後の課題を頭に思い浮かべていたその時だった。
『アイヤ、ダンチョさん! 突破されタヨ!!』
「了解!」
胸のホルスターに収めていたMP17を引き抜き、手慣れた動作でストックを展開。リーファが担当していた戦域を頭の中に思い浮かべ、彼女のところを突破してきたという魔物への迎撃準備を整える。
MP17にマウントしたドットサイトの向こう、確かにあまり思い出したくない魔物たちの姿が見えた。ヴォジャノーイだ。中には紫色の表皮を持つ亜種や、奴らの親玉―――”ルサールカ”と呼ばれる大型の個体もいる。
さて、9mmパラベラム弾のセミオート射撃しかできないピストルカービンで何とかなる相手だろうか、と思いながら最初の1体に向かって発砲しようとしたその時だった。
ドガガガガッ、と勢いの良い銃声が響くや、こっちに向かって突進していた数体のヴォジャノーイが、横合いから飛来したライフル弾(おそらく7.62mmクラスのフルサイズライフル弾だ)に被弾、頭を大きく欠損させながら、燻る大地に脳味噌やら内臓やら、柔らかい肉体の内臓物をとにかくぶちまける。
気色悪い光景に、さっき非常食として食べた胃の中の蕎麦の実のお粥を吐き出しそうになった。グロ耐性のないミカエル君にそんなもん見せんなよ、と思っている間に、今度は白い影がルサールカに躍りかかる。
手には数多の血で塗れた、妖刀みたいな姿になった刀がある。
ルサールカの脳天に本気の斬撃を放ち、背後にあった廃墟諸共真っ二つに(何だこれアニメか???)してしまった白い影―――アイヌの民族衣装と鉢金、そして血に塗れた刀を手にした彼女の正体を、俺はよく知っている。
しゃもじだ。
では、さっきのライフル弾の掃射はおもちか?
「ミカ、無事?」
「お、おう……というかしゃもじ、それどうした!?」
血まみれになりながらこっちを振り向いたしゃもじ。ほとんどは返り血だろうけど、しかし血涙や鼻血、そして耳から出血した痕跡がしっかりと残っていて、ここに戻って来るまでの戦闘で相当身体を酷使したという事が伝わってくる。
そーいやさっきの空にぶち上っていった光、アレ多分しゃもじの仕業だよなぁ……あんな魔力放射、姉上以外で見たことが無い。
というか、そんな大技を繰り出したのだから魔力欠乏症の症状が出ていてもおかしくないと思うのだが……意外な事に、しゃもじはピンピンしていた。
「大丈夫、致命傷よ!」
「ダメじゃん! せめて回復しろって!」
「問題ないわ!」
「何故!?」
「生の喜びを知ったのよ。それだけで無敵になれるし、ご飯32万8500杯はいけるし素手で核爆発を紅葉おろしにできるわ!」
「いやいや意味わからん」
「というわけでこのタンクローリー貰うわね」
「……はい?」
勝手にホースの根元にあるバルブを閉め、何を血迷ったかペタペタとC4爆弾を張り付け始めるしゃもじ。おもちはというと、こっちも勝手に俺の機甲鎧の背中にあるパワーパックから給油ホースを取り外すや、丁寧に蓋を閉じてからホースを所定の位置に戻した。
いや、いやいやいや。
しゃもじさん、何?
そのC4 is 何?
瞬く間に爆発反応装甲を満載した、東側のMBTみたいな暖かみのある(?)姿になったタンクローリー。すっかりもうアレだ、ああ、このタンクローリー返す気ねえな、って姿になった車両を背景に、ぐっ、としゃもじが親指を立てる。
「大丈夫、戦いはもう終わるわゴフゥ」
「しゃもじ、薬」
「ありがとおもち」
ニッコニコで勝利宣言しながら吐血するしゃもじ、そしてそんな瀕死の彼女に回復アイテムではなく、何故か加工前の薬草をそのまま渡すおもち。情報量の多さと戦闘中のストレスで、脳内に生息している二頭身ミカエル君たちが知恵熱を出してダウンしている。
もっしゃもっしゃと薬草を咀嚼し飲み込んだしゃもじは、メニュー画面を召喚して自分の銃……L119A2にMR73、そしてそれらの予備弾薬の携行に適したチェストリグを見に纏う。
腰の左右には大小拵え(本差と脇差のセットだ)がそれぞれ1セットずつ、そして背中には刀を4本も背負っていて、なんというか、現代に蘇り銃の扱い方まで学んだタクティカル弁慶みたいな姿になっている。これでいいのか義経。
怪我人とは思えないほど軽やかな身のこなしで運転席にぬるっと乗り込んだしゃもじは、エンジンキーを回してエンジンをかけるや、いきなりアクセルを吹かしてタンクローリーを急発進させる。
背後を見ていなかったのだろう、後ろにいたミカエル君の顔面に泥が……あぁ……。
「……」
スタイリッシュにタンクローリーを奪い去っていったしゃもじ。そして何故か、俺の隣に置き去りにされ、マヨネーズを塗ったセロリ(待てお前それどこから取り出した?)をしゃくしゃく食べるおもち。
何喰ってんの、と彼女の方を見ると、おもちは無言でマヨネーズを塗ったセロリを俺に1本くれた。
「……ありがと」
「ん」
鮮度抜群のセロリを齧りながら、ミカエル君は思う。
タンクローリーをスタイリッシュに盗んでいったしゃもじの向かう先は、マガツノヅチと範三が死闘を繰り広げている廃村の中心部。
ああ、絶対あのタンクローリー返って来ねえわ……。




