ブリーフィング バートリー家強盗計画
誓いのキスを、と神父様に促され、私とイシュトヴァーン様は互いに唇を重ねた。
バートリー家の屋敷の中に設けられた大聖堂の中、結婚式に招待された人々の拍手と歓声が上がる。私たちの門出を祝ってくれる人々の賛辞の言葉に背中を押されながら、私は唇をそっと放し、今この瞬間から夫となった男の目を見つめた。
今日から私は、エカテリーナ・バートリー。
リガロフ家ではなく、バートリー家の女として生きていくのだ。
客席の方を見た。
そこで拍手を送ってくれているのは知らない人ばかり。それもそうだろう、ここはハンガリア王国で、招待された人の大半はバートリー家と血縁関係にある貴族か、一族と長い付き合いのある富裕層の人間くらい。ノヴォシア側から招待されたのはリガロフ家の人間だけで、客席ではお父様がハンカチで涙を拭い、お母様は呆れたような苦笑いを浮かべている。
お父様のやり方にはちょっと思うところもあるけれど、ああやって泣いてくれているという事は、私の事を権力強化のための道具ではなくちゃんとした娘として見てくれていたんだなって思えて、嬉しくなった。
お姉様も、お兄様も、マカールもミカエルも、みんなお父様の事を嫌っている。没落した一族を再興するために権力を求めるのは分かるけれど、余りにも手段を選ばなさすぎるから、みんなお父様を煙たがる。
けれども、もし他の姉弟たちに会う機会があったら教えてあげよう。
お父様だって、こうして娘のために嬉し泣きしてくれる一面があるんだって。
「さあ、リーナ」
「ええ」
ハンガリア語で促され、私はイシュトヴァーン様と手を繋ぎながら、一緒に大聖堂を歩いていく。彼の左手の薬指にはめられた白銀の結婚指輪が、ステンドグラスを通して降り注ぐ光を受けて蒼く輝いていた。
大聖堂を去る前に、お父様のいる場所の前で立ち止まった。お父様ったら、私と目が合うとまた泣き出してしまって、リガロフ家当主としての威厳が台無しになっている。
「お父様、いつまでも泣かないで」
「エカテリーナ……どうか、どうか末永く幸せにな……」
「ええ。お父様もお身体にお気をつけて。お母様もお元気で」
「いつでもキリウに戻ってらっしゃい、エカテリーナ」
「はい、お母様。それでは行ってきますね」
久しぶりに話すノヴォシア語。今度はハンガリア訛りが無いかちょっとだけ心配だったけれど、両親にはちゃんと私の想いを伝えられた。
これから私はバートリー家の女になる―――けれどもたまには、祖国に戻って両親を安心させてあげたいな、とも思う。
父上と母上の2人に別れを告げ、イシュトヴァーン様と共に大聖堂を後にした。
ニレージュバルザの空は、どこまでも蒼く澄んでいた。
【ハンガリアにてバートリー家の結婚式、相手はリガロフ家の次女】
新聞紙を破り捨てたくなったのは一度や二度ではないが、今回は危うくマジでやるところだった。
バートリー家がクロと断定され、強盗計画が秒読みに入った現在では、もう姉上の結婚を祝福する気にもなれない。あの監獄のような屋敷から一刻も早く姉上を救い出し、報復として金品をごっそり盗んでやる事しか、もうミカエル君の脳内会議では議論されていない。
もちろん脳内会議では全会一致で可決、二頭身ミカエル君ズが「やれ、やっちまえ」と大合唱している。
「さて、こちらが入手した情報はこの通りだ」
1号車の1階にあるブリーフィングルーム。ホワイトボードに情報を書き込んでいたセロがこちらを振り向き、写真を張り付けながら説明を始める。
「バートリー家はニレージュバルザ市街地西部の断崖絶壁の上にある。侵入経路は確認したところ2つ……正門と裏庭からになるが、正門はオススメしない」
正門はオススメできない……そう言い切ったセロだが、しかしホワイトボードにある白黒の写真に写っているバートリー家の正門には、番兵が立っている様子はない。
武装した番兵が、不審者に目を光らせているというのならば分かる。しかし無人の正門からの侵入がオススメできないとはどういう事か。
その疑問を口に出すよりも先に、腕を組みながら話を聞いていたモニカが呟いた。
「もしかして、感知結界?」
「ご名答」
答えたのはセロの隣に用意された椅子に座り、優雅にジャム入りの紅茶を飲んでいたマルガレーテだった。
「知らない人もいるだろうから説明するけど、感知結界はその名の通り、侵入者の侵入を感知できる索敵用の結界よ。展開した結界の内部に常に魔力を循環させておくことにより、侵入した”異物”が魔力に接触した際の魔力損失を利用して侵入者を検出する仕組みなの」
まあ、分かりやすく言うと、感知結界は魔力が常に循環しているエリアである。
触媒の一件でも述べたけど、全ての物質には魔力を通しやすいものと通しにくいものがある。剣とか杖に魔力を流したところで、100%の魔力が放出されるわけではなく、その過程で抵抗を受け損失を出した状態で放出される。この損失を『魔力損失』と言い、これを数値化したものを『魔力損失係数』と呼ぶ。
さて、感知結界はこの原理を利用した結界だ。
特定の範囲内に魔力が循環するよう経路を設定し、そこに魔力を流す。その途中に障害物が無い限り、魔力は100%の状態でスタート地点へと戻って来る。
しかし、もしその循環経路に侵入者がうっかり立ち入ってしまった場合、魔力は侵入者の肉体を通過し、魔力を損失した状態でスタート地点へと戻って来る。そうやって侵入者の存在を検出する結界を『感知結界』と呼ぶ。
俺も以前に魔術の教本でそんな技術が存在する、という事は知っていたが、実物と対面することになるのはこれが初めてになりそうだ。
「これによる感知を免れる方法は2つ……”魔力損失0%の鎧を着て通過する”か、”そもそも結界に入らない”かのどちらかだ」
「結界の範囲は?」
腕を組みながら問うと、それまで黙って話を聞いていたパヴェルが立体映像投影装置の電源を入れた。蒼い光の粒子が空中で幾重にも絡み合い、やがてバートリー家の屋敷の形状を再現する。
やがてそこに、紅くハイライト表示されたエリアが出現した。断崖絶壁の反対側、緩やかな勾配を登っていく屋敷への正規ルートを完全にシャットアウトする形で、感知結界の予測展開範囲が表示される。
「セロの衣服に付着した魔力濃度から予測した、結界の展開範囲よ」
「うえぇ……?」
上り坂の入り口から屋敷の正門に至るまで、推定で高さ10m程度の感知結界が壁のように幾重にも展開されている。しかも屋敷は断崖絶壁の上にあるから、結界の脇をすり抜けていく、なんてことも出来ない。
唯一、断崖絶壁側を除いては。
「侵入経路は断崖絶壁か、あるいは空からか」
「飛行機さえあればな……」
「ヒコーキ?」
まだこの世界には、飛行機は存在していない。アナリア合衆国では実用化への実験が繰り返されているらしいが、まだ満足に空を飛ぶには程遠い段階なんだとか。
一応、転生者の能力でヘリは召喚できる。が、肝心な俺が操縦できない。パヴェルは一応操縦できるらしいのだが、実働部隊たる俺たちが肝心な降下の訓練をしていないので、今回はヘリによる降下は見送らざるを得ないだろう。
訓練している時間的猶予は無い。災禍の紅月まで―――姉上が黒魔術の生贄にされるまで、あと4日しかないのだ。
なんで訓練してなかったんだ、と言われたらもうアレである。列車にヘリを運用するための設備なんて無いし、そもそもヘリを使うなんて想定もしていなかったからだ。こればかりは仕方が無い、結果論である。
こうなると侵入経路はただ一つ―――崖を自力で上り、裏庭から侵入するしかない。
「裏庭しかないか」
「どうやって上る? ロッククライミングでもするってか」
腕を組みながらセロが言うと、パヴェルがドヤ顔でテーブルに小型クロスボウのような装備品を置いた。後部にはワイヤーを巻き取るためのリールがあり、矢の代わりに杭が装填されている。
ザリンツィクの強盗の時にも使った『アンカーシューター』だ。壁面にあの杭を打ち込んで巻き取る事で、高所への高速移動を可能とするパヴェル作の装備品。これの出番がこんなところで来るとは。
「なんだそれは」
「アンカーシューター……俺の自信作さ」
「コイツがあれば断崖絶壁なんて障害にならない。後は裏庭から侵入して、姉上の身柄を確保、そしてバートリー家の金品を奪って離脱する……これでいいな」
「強盗計画はそれでいい。問題は入国方法だが……」
「それは大丈夫だ」
懸念を振り払ったのはセロだった。
「ニレージュバルザ東部に、今では廃線となった路線を見つけた。線路は今でも残っていて、古い地図にしか記載されていないルートだ。そこをこの列車で通っていけばいい」
「なるほど、廃線となった線路か……」
「レールの幅は?」
「ご安心を、ハンガリアとノヴォシアのレール幅は同じだ。そうじゃなきゃここから貴族専用列車がハンガリアに向かえるわけがない」
確かに……そう言われてみれば、エカテリーナ姉さんを乗せた貴族専用列車はそのままニレージュバルザ駅へと向かっている。レールの幅が異なるならば、そんなことは出来ない筈だ。
「となると、念のため列車の外装を偽装しなきゃダメだな。さすがにこのままじゃバレる」
「パヴェル、偽装にはどれくらいかかる?」
「うーん……急ピッチでやっても5日はかかる」
「4日以内で終わらせてくれ」
「人使い荒いねぇ……まあいい、分かった。やってみよう」
どう考えても、襲撃できるタイミングは災禍の紅月当日か……。
時間との勝負になりそうだ。
廃線となった古い路線を走るのは、これで二度目だ。
一度目はアレーサへの道中……そして今度は、ニレージュバルザへと向かうため。
ポイントが切り替わり、重装備の列車が向きを変えた。ノヴォシア語で『Йё згаяё(進入禁止)』と記載されたバリケードを、最後尾の格納庫に臨時で搭載された障害物破砕用の衝角があっさりとぶち破る。
舞い散る木片から両目を守りつつ、格納庫の前方に見える景色を睨んだ。
大きな口を開けるトンネルの中へと、列車は躊躇せずに後進で突っ込んでいく。ごう、と風を切る音がトンネルの内部で幾重にも反響を繰り返し、まるで巨大な竜の唸り声を思わせる禍々しい音へと変質していった。
後進で進んでいる理由は単純明快、強盗作戦を成功させて脱出する際に、方向転換をせずそのまま離脱へと移れるからである。方向転換できる場所が存在する確証がなく、侵入時にそこまでの速度が要求されない以上、こうして突入するのが一番合理的だった。
たった今、俺たちの列車『チェルノボーグ』はノヴォシア領を脱出、ハンガリア王国領へと侵入した。もちろん正規ルートからの入国ではなく、れっきとした密入国―――当局に知られようものならば、俺たちは全員斬首刑……密入国幇助を行ったセロとマルガレーテの2人は無期懲役クラスだろう。
そうならないために、列車の外装はパヴェルによってだいぶ手を加えられている。
客車の外周部には擬装用の簡易装甲が取り付けられ、火砲車に搭載されているチハの砲塔や客車上部の機銃も迷彩ネットで覆われている。傍から見れば武装しているようには見えないほど、武装や国籍を識別できそうな部分は巧妙に隠されていた。
「ご主人様、そろそろお支度を」
「ああ」
クラリスに促され、武器庫へと向かった。
射撃訓練場近くにある武器庫の前にはノンナが居て、俺たちの姿を見るなり武器庫の鍵を開けてくれる。ありがとう、と彼女に礼を言い、今回の作戦で使う武器へと手を伸ばした。
メインアームはキャリコM960A。100発入りヘリカルマガジンにロシア製ドットサイトのPK-120、そしてサプレッサーを装着したミカエル君仕様だ。
サイドアームはキャリコM950A―――こちらは50発入りのヘリカルマガジンが装着されている。
メインアーム、サイドアーム共に命中精度にはやや難があるが、近距離において弾丸をばら撒く運用を前提にしているし、今回はそのつもりで装備を選んだ。もちろん装填されている弾丸は全て実弾、”人を殺せる仕様の”9mmパラベラム弾である。
なるべく殺さないように細心の注意を払うが、仲間や姉さんの命が危険に晒された場合は話は別だ―――今回ばかりは、俺も腹を括った。
”強盗装束”に身を包み、特注のチェストリグにヘリカルマガジンをぐいぐい押し込んでいく俺の隣では、専用の強盗装束に着替えたクラリスが、ブルパップ式のアサルトライフルにSTANAGマガジンを装着、コッキングレバーを引いて初弾を装填しているところだった。
いつものQBZ-97―――ではない。それにしては大型のキャリングハンドルがある。
フランス製ブルパップ式アサルトライフルの『FA-MAS』だ。連射速度の速さと命中精度に優れるライフルだが、残念な事にフランスでは退役が決まっていて、HK416に置き換えられつつある。
彼女が選んだのは、M4のマガジンであるSTANAGマガジンに対応した”G2”と呼ばれるモデルだ。キャリングハンドル上にピカティニーレールを増設し、そこにドットサイトをマウントしている。
手榴弾と、タンプルソーダの空き瓶に謎の液体を充填した”電撃グレネード”をいくつか掴み取り、武器庫を出た。
「ミカ姉、気を付けて」
「ありがとう、ノンナ。行ってくるよ」
ぐっ、と親指を立て、クラリスと共に格納庫へ。機甲鎧用の格納庫を通過した先にある車両用格納庫には、既に今回の作戦に参加するメンバー全員が集まっていた。
モニカ、シスター・イルゼ、リーファ、そしてセロにマルガレーテ。パヴェルは列車に残り、サポートに徹するとの事だ。
全員、既に出撃準備は済んでいるようだった。
「―――みんな、俺の我儘に付き合わせてしまってすまない。だが、今回の作戦には家族の命が懸かっている。生まれた母は違えど、血の繋がった姉の命だ。彼女の命を救うため、どうか力を貸してくれ」
仲間たちの顔を見渡しながら言うと、仲間たちは頷いてくれた。
行こう、と促し、駐車してある車両へと乗車。乗っていく車両はいつものブハンカだが、血盟旅団所属である事を隠すために塗装とナンバープレートは変更されており、ルーフにあった銃座も取り外してある。代わりに設置されたルーフラックにはスペアタイヤが乗っていて、傍から見ればこれから長距離を走りに行くバンにしか見えない。
助手席に乗り込み、シートベルトを締めてから、格納庫にある管制室に向かって親指を立てた。そこでスタンバイしていたルカが頷き、手元のレバーを操作して格納庫のハッチを解放していく。
黄色い警報灯が点滅する中、ハンガリアの夕焼けが露になった。
赤かった。血のように、炎のように、ただただ赤かった。
それはこれから流れるであろう血を、犠牲を暗示しているように思えて、途端に恐ろしくなる。
『それじゃあ、先に行くよ』
無線機で一言そう告げてから、前に停車していたセロたちのランドクルーザー70がアクセルを吹かす。マフラーから排気ガスを盛大に吹き上げて、マルガレーテを乗せたランドクルーザー70は一足先に、ハンガリアの大地をそのタイヤで踏み締めた。
《俺たちはここで待つ。いいか、全員無事に帰ってこい。これは命令だ》
「はいよ……夕飯までには戻る」
無線機越しに言ったパヴェルにそう返したところで、クラリスもアクセルを踏んだ。
急加速したブハンカも、錆び付いた線路を踏み締め爆走を始める。
目指す先はニレージュバルザ―――バートリー家の屋敷。
今宵は、紅い月が昇る。




