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真実は血の底に


 ハンガリア語とノヴォシア語は、系統が全く異なる言語である。


 例えばノヴォシア語とイライナ語は、起源を同じくする兄弟のような関係にある別の言語(これを言うとイライナ語を方言扱いしているノヴォシア人はキレる)と言っていい。系統が同じで使っている文字も同じ、キリル文字に似た形状の文字を使う。


 発音や単語の読み方、一部の文法に差異はあるが、お互いに自分の母語を話していても違和感を感じる程度で大体通じてしまうレベルである。


 しかしハンガリア語は、そもそもノヴォシア語とは系統が異なる言語だ。だから習得には色々と苦戦させられる……パヴェルがエルゴロドの書店で買ってきてくれたハンガリア語のテキストを見て単語を繰り返しながら、俺はそう思った。


「……どう?」


「まだノヴォシア訛りが残ってますわね」


 単語の発音を聞いていたクラリスにバッサリと言われ、ちょっと落胆する。


 さて、どうして今になって慌ててハンガリア語の勉強をしているかというと、姉上の救出と強盗のためにバートリー家に侵入した際、話している言語がノヴォシア語であるだけでこちらの正体を特定されてしまう可能性があるからである。


 まあ、ノヴォシア人の強盗というだけならばまだ良いだろう。犯罪者なんてどの国にも居る。しかしその犯罪者がイシュトヴァーンの妻であるエカテリーナを連れ去りに来た、という事実が組み合わされれば、イシュトヴァーンからすれば犯人を容易に絞り込むための条件が整ってしまう、というわけだ。


 ノヴォシア語を話し、エカテリーナ姉さんを連れ去りに来る相手なんて、多分思い当たる節しかないだろうから。


 だから少しでも特定を防ぐため、こうして(無駄だと知りつつ)ハンガリア語を勉強して特定を阻害しよう、と躍起になっているのである。


 ハンガリア語のテキストに栞を挟んでから一旦本を閉じ、椅子の背もたれに背中を預けた。


 今、セロたちが情報収集のためにニレージュバルザへと飛んでいる。この調査で得られた結果次第で、バートリー家と一戦交えるか、それともこれまでの準備が水の泡となるかが決まる。


 できるならば後者が良い―――杞憂で済むならば、どれだけ気が楽な事か。


 姉さんに降りかかるであろう災厄が、全て夢のまた夢であればいい。悪い想像が生んだ悪夢であればいい。


 しかしそうならない確率が1%でもあるから、俺たちは備えているのだ。


「それにしてもバートリー家ねえ……」


 ハンガリア語の単語をノートに書き写して練習していたモニカが、退屈そうに白猫の尻尾を揺らしながら呟いた。


「まさか、強盗のターゲットがついに海外にまで及ぶなんて」


「お金手に入ル、おネーさん助かル、良い事だけヨ」


 さっき駅のホームで買ってきたピャンセをパクつきながら単語練習をしていたリーファがさらりと言う。


 彼女には俺たちが強盗をやっている、という、いわゆる”裏稼業”については伏せていたのだが、これを機に詳細を包み隠さず話した。もちろん、金持ちを無差別に狙っているわけではなく、あくまでも法の隙間を利用して逃げている極悪人に限っての強盗であって、俺たちは義賊なのだ、という事は強調しておいたが。


 意外な事に、リーファはノリノリでOKしてくれたし、今回発生するかもしれないバートリー家強盗計画についても参加の意を示してくれた。


 この辺も仲間の性格が窺い知れるなぁ、とつくづく思う。シスター・イルゼのように強盗という行為そのものに抵抗を持つ人もいれば、モニカのようにポリシーさえ守れば金のために全力で協力するという人もいる。


 十人十色とはよく言ったものだ。


 とりあえず、今はバートリー家に関する情報が殆どない。ハンガリア語の勉強と戦闘訓練を積みつつ、セロたちが調べてくれている情報の到着を待つばかりだ。


 悪い知らせが無ければいいのだが……。













 格子を外し、するりと部屋に降りた。


 床にはふかふかの絨毯が敷いてあって、多少足音を出しても絨毯がクッションとなって吸収してくれる。貴族たちからすれば単なる装飾の一つという認識なのかもしれないが、盗人のポジションになると、なるほどなかなか便利なものである。


 金持ちというのはつくづく愚かだ。己の財力を誇示するために、とにかく屋敷も使用人も、そして己の持つ武器や服装に至るまで、なんでもかんでも派手に飾り立てたがる。


 このバートリー家もそうなのだろう。半ば呆れながら、私はエリザベート・バートリーの机の上に置かれている黒魔術の本を手に取った。パラパラとページをめくり、胸に下げたペンダントの隠しカメラでよく見える位置にページを持っていく。


「読めるか」


《……待って、ちょっと……これ……永遠の美……何の事かしら》


 永遠の美?


 首を傾げながら、私もページに視線を落とす。が、書かれている言語は現行のハンガリア語ではなく、それよりもはるか前に話されていた古代マジャール語。ところどころに読めそうな単語はちらついているのだが、それを繋げて文章とし意味を読み取れと言われるとかなり難しくなる。


 というか、これ読めるのかマルガレーテ。今私の中でお嬢の株がどんどん上がりつつある。


 できれば盗んでいきたいところだが、それは出来ない。十中八九エリザベート・バートリーはこの部屋に戻ってきて、この黒魔術の魔導書を手に取ろうとするだろう。そうなった時、ここに魔導書が無ければ盗人が持っていったと考えるのが自然だ。


 ミカたちのエカテリーナ奪還計画も後に控えているのだから、ここで徒に騒ぎを起こして警戒レベルを上げるような真似はしたくない。


 コツ、コツ、コツ、と足音が聞こえてきて、私ははっとしながら魔導書を閉じて机の上に戻した。ジャンプして天井の通気ダクトへと飛び込み、なるべく音を立てないように注意しながら金網を元の位置へと戻す。


 くそ、身体が(色々と)大きいのはここまで不便なものなのか。胸はデカくてぶるんぶるん揺れるし、身体もこの通り2m超えだからこういうダクトに入るのも一苦労。ミニマムサイズのミカエル君が羨ましい……こんな事を言ったらぶっ飛ばされそうだから、心の中で思うだけにしよう。


 金網の向こうを見下ろすと、部屋に入ってきたのはこの部屋の主、エリザベート・バートリーだった。後ろには息子のイシュトヴァーンも控えており、肝心なエカテリーナの姿はない。


 さすがにこの黒魔術用の道具一式は部外者に見せられないのだろう、部屋に入ったイシュトヴァーンがドアに鍵をかける音がここまで聞こえてきた。


「いよいよですね、母上」


「ええ。あと一週間……災禍の紅月、紅い月が昇る夜に”儀式”を始めましょう」


「これで母上の夢が叶いますね」


「ふふっ、あなたのおかげよイシュトヴァーン。私の可愛い息子……エカテリーナには悪いけれど、結婚式からの4日間だけ……新婚生活を楽しんでもらいましょう」


 ……今の会話内容から察するに、今回の一件の黒幕はイシュトヴァーンじゃあなく、母親のエリザベートの方だったか。


 ”母上の夢”とやらが何なのかは分からないが、【永遠の美】という魔導書の内容から、おそらくは永遠の命を得ようとか、あるいは永遠の若さを手に入れようとか、そんな事を目論んでいるであろう事は明白だ。


 そして―――その生贄に使われるのは、エカテリーナ。


 黒魔術とは”人に害を成す魔術”の総称だ。こう定義するとほとんどの魔術が該当しそうだから補足しておくが、正確には『他者を生贄とし発動する魔術』がこれに当てはまる。


 ”己の欲望のために他人を踏み台にする”、あるいは”悪魔の召喚”に関連する魔術群が黒魔術として認定され、その力を貸し与えるものに対しての信仰や魔術の習得、使用に至るまでが厳しく禁止されているのだ。


 属性は色々あるが、特に血属性の中には生贄が必須だったり、発動に自傷行為が必要になるなどの危険な魔術も多く、上位の術の大半が黒魔術認定を受けている。こういう経緯もあって血属性は他の属性の宗教とは距離を置かれているのだとか。


 という事は、あの黒魔術も血属性のものなのだろうか。


 エリザベートが手袋を外し、素手で魔導書にそっと触れる。その左手の甲には逆向きの五芒星と幾何学模様、そして逆十字という随分と冒涜的な紋章を組み合わせたようなものが浮かんでいるのが、ここからでもはっきりと見えた。


 基本的に魔術師には、洗礼を受けた宗教の紋章が”利き手とは逆の手の甲”に刻まれる。そしてそれは改宗しない限りは一生消えない。


 だから紋章を見られるという事は、魔術師にとっては致命的なのである。紋章から宗教を特定され、その属性に対する対策を取られてしまうからだ。


 今のエリザベート・バートリーの紋章も、ばっちり隠しカメラで動画撮影している。お嬢が宗教の特定を行ってくれるだろう……もしそれが黒魔術を使うための宗教であれば、彼女は異端信仰の罪で逮捕される。


 本来は死罪が妥当な重罪であるが、ハンガリアでは貴族の特権として『貴族には死罪を適用できない』。だから一番重くても無期懲役、あるいは生涯の幽閉になるだろう。


 このまま王国議会に告発しても良いが……それではエカテリーナも巻き込む恐れがある。あくまでも彼女は被害者で、危うく黒魔術の生贄にされるところだった、という形にするのが理想だ。今すぐに手を下すのは危険だろう。


「母上、少し失礼します」


「?」


 唐突に、イシュトヴァーンが腰の鞘からダガーを抜いた。


 接近戦、それこそ剣すら振り回せない程の超至近距離で相手を攻撃するためのダガーなのだろう。それを引き抜いたかと思いきや、彼は何の気配も見せずに―――そのダガーを、私の潜むダクトに向かって投げつけてきやがった。


 ヒュッ、と風を切る音がして、私はぎょっとしながら頭を引っ込めた。部屋を見下ろす位置にあるダクトの金網、その僅か7mm前後の隙間の金網をすり抜けた薄いダガーが、ストンッ、と小気味の良い音を立てながらダクトの天井に突き刺さる。


「……」


「何かしたの?」


「いえ、勘違いのようで」


「そう」


 あっぶねー……。


 あと少し反応が遅れたら、喉元をアレでぶち抜かれているところだった。


 イシュトヴァーンはキンイロジャッカルの獣人。肉食獣ゆえに”鼻は利く”のだろう。これは長居は危険だ、一刻も早く脱出した方が良い。


 音を立てないようにゆっくりと後ろへ下がり、ダクトをするすると降りて1階へ。先ほど見つけた裏庭に通じる経路を目指し、私は狭いダクトの中を這い続けた。













 悪い予感というものは、どうしてこうも的中してしまうのか。


 危うく膝から崩れ落ちそうになるのを堪えながら、ヘッドセットから聞こえてくるセロの報告に耳を傾ける。その情報はどれも衝撃的に過ぎ、覚悟も無しに聞いていたら卒倒しそうになる。


『―――奴ら、エカテリーナを生贄に黒魔術を発動するつもりだ』


「……冗談……じゃあないんだよな」


『ああ、申し訳ないが事実だ。決行は6日後の災禍の紅月、紅い月が昇る魔の夜……何のための黒魔術かは分からないが、おそらく永遠の命とか永遠の若さを手にするための代物だろう』


「そんな事のために姉さんが……!?」


「ご主人様……」


 全身の血が沸騰しそうだった。


 そんな事のために―――自分の欲望のためだけに、人の命を奪うなど。


 しかもそれの白羽の矢が立ってしまったのは、他でもないエカテリーナ姉さん……誰にでも優しく、誰だろうと愛し、そしてみんなに愛されたリガロフ家の次女。


 庶子である俺に優しく接してくれたのも、屋敷では母さん以外では姉さんだけだった。


 そんな姉さんを生贄にしようとしているバートリー家の連中にも腹が立つが、そんな連中の元に放り込んだクソ親父にも腹が立つ。あのクソ親父はこの事を知っていたのか? 知っていて姉さんを権力強化のためだけに人身御供として差し出したのか?


 いずれにせよ、双方には報いを受けてもらう必要がありそうだ。


 まずは手始めにバートリー家。今はまだこちらの準備も、情報も足りない。2日後の結婚式を台無しにしてやるという計画は無謀が過ぎるが、6日後の災禍の紅月に行われるであろう儀式だけは何としても阻止しなければならない。


 そのためには装備品の確保や逃走経路の用意、後は綿密な作戦計画の立案……作戦決行までの5日間の間で、やらなければならない事が一気に増えた。


『こちらで調べた資料は明日届けに行く』


「すまない、よろしく頼む。報酬は資料を受け取った後、そっちの口座に振り込むよ」


 投資は無駄ではなかったらしい。


 通信を終え、そっとヘッドセットを置きながら、衝撃でぶっ倒れそうになる身体に鞭を打ちながら立ち上がった。


「―――バートリー、ただでは済まさんぞ」


 バートリー家強盗計画。


 目標はエカテリーナ姉さんの身柄の確保及び、屋敷からの金品の強奪。


 決行まで―――あと5日。





 

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