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次女エカテリーナ


「さっきは助かったわ。ありがとね、ミカ♪」


 感謝に加え、本当に久しぶりに再会した弟の成長も喜んでくれているのか、エカテリーナ姉さんの声は楽しそうだった。それこそ親しい友人と話しているかのような軽さで、しかし彼女の仕草や喋り方には、長年の特訓で染み付いた貴族としてのマナーが見え隠れしている。


 彼女には失礼だけど、エカテリーナ姉さんはマカールやジノヴィ、そしてアナスタシア姉さんほど強いわけではない。むしろか弱く戦闘向きではないので、屋敷の中で魔術の授業を受けたり錬金術を学んだりと、そういった勉学に勤しんでいる事が多かった。


 その分、魔術でのサポートや錬金術を得意としているらしいが。


 誰にでも平等に優しく接する慈愛に満ちたその笑みは、それこそ女神―――いや、聖母のようだ。だからなのだろう、没落したとはいえ祖先に救国の英雄イリヤーを持つリガロフ家、その次女ともなれば、容姿と優しい性格に加え魔術と錬金術の素質にも秀でた彼女へ縁談を持ち掛ける貴族は後を絶たなかったのだそうだ。


 まあ、傲慢な事にウチのお父様(ダブスタクソ親父)はその縁談を持ち掛けてきた貴族の中から権力強化に使えそうな一族を選び、結果的にハンガリアのバートリー家に白羽の矢が立った。


 無論そこに、彼女の……エカテリーナ姉さんの自由はない。


「いえいえ、当然の事をしたまでです。姉上には幼少の頃からお世話になりましたから」


「ふふっ、もう。そんなに畏まっちゃって……姉弟なんだからそんなに硬くならなくてもいいでしょう?」


 何だろうね、姉上からは母性を感じる。


 アナスタシア姉さんには無い、全てを優しく包み込むような母性が彼女にはある。こらそこ、アナスタシア姉さんの事をメスゴリラと呼ぶんじゃない。あの人戦闘以外は不器用で威圧感半端ないし長女というポジション故になかなか色々と融通が利かないとか、そういう要因が重なって嫁の貰い手が居ない……というかウチに貰える婿が居ないなんて口が裂けても言えない。


 それに対して戦闘を除けば器用で誰にでも優しく愛嬌があり、誰にでも愛されるエカテリーナ姉さんが一番最初に結婚するだろうな、というミカエル君の予想は何となくだが的中したわけだ。


 歳が2つしか違わない筈なのに圧倒的な母性を放つ姉の前で、さて次は何を話そうかと言葉を選んでいるうちに、喫茶店のウェイトレスが紅茶を運んできた。ありがとう、と笑みを浮かべながらウェイトレスに礼を言った姉さんは、テーブルの上に置かれたティーカップへとジャムを少し混ぜてから、ティーカップを手に取った。


 ミカエル君はというと、ジャムだけではなく角砂糖も4つ……いや5つ投下して、冷ましてからティーカップを口へと運ぶ。そこに糖分があるなら摂取しないわけにはいかない。糖分をスルーするのは大罪、ミカエル君の脳内議会でもそう結論が出ている。


「そういえばミカ、お父様が貴方の帰りを待っていたわよ? 冒険者なんてやめて帰って来なさい、ですって」


「それは丁重にお断りしたいですね」


 あのダブスタクソ親父、まだミカエル君の事を諦めていなかったのか。どーせ帰ったら帰ったで適当な貴族の所に婿としてぶち込むつもりなのだろう……まさか嫁としてぶち込むつもりじゃないよね? それはやめて、マジやめて。アッー! だけは洒落にならない。


 とにかくあのクソ親父が、その辺のキッチンの油汚れとは比較にならない程のしつこさなのはよ~く分かった。これホントマジで、クソ親父どころか兄姉たちにすらミカエル君に実は妹がいる、という事を話さなくて良かったと思う。もしあのクソ親父の耳に母がもう1人子を産んでいた、という話が入ろうものならば、今頃アレーサへ押しかけてサリーを取り上げていたかもしれない。


 せめて彼女には、俺が味わったような理不尽な経験はしてほしくないものだ。サリーを、妹をリガロフ家のゴタゴタから遠ざけるためならば俺はどんな手でも使う。


「まあ、そう言うだろうと思ったわ。私もお父様のやり方はどうかと思うの」


 ウチのクソ親父、我が子全員に嫌われてて草。


「ところでミカ、冒険者になったんでしょう?」


「ええ」


 返事をしながら冒険者バッジを見せると、姉上は興味を持った子供のように無垢な笑みを浮かべた。


「ねえねえ、私にお話聞かせてくれない? 冒険者ってどう、自由気ままに生活できるの? 魔物って怖い? ダンジョンってどんなところ?」


「あ、あはは……まあ、順を追ってお話しますよ」


 予想以上の食い付きに苦笑いしながらクラリスの方を見上げた。クラリスもまさかエカテリーナ姉さんがこんなにも冒険者に興味を持つなんて思っていなかったのだろう、予想外の熱量にちょっと苦笑いしている。


 まあ、それもそうだろう。


 エカテリーナ姉さんはさっきも述べた通り、アナスタシア姉さんやジノヴィ、マカールのように戦闘に秀でているわけではない(それでも戦ったら多分ミカエル君じゃ勝てない)。どちらかというとパーティーの後方に控え、仲間に治療魔術を使って回復させたり、バフをかけるような役割が適任となる。つまりは根っからのサポート担当というわけだ。


 そういう事もあって、クソ親父はエカテリーナ姉さんをあまり外に出したがらなかった。アナスタシアのように騎士団の部隊による魔物の討伐に同行させたり、ジノヴィのように熟練の法務官の元へ弟子入りさせるような事もなく、安全で温かい屋敷の中で過保護に守られながら、しかし怠けることなく自分の長所を伸ばしてきた。


 誰にでも優しく、誰からも愛される次女エカテリーナ。姉弟の中で真っ先に嫁の貰い手が現れるであろう彼女に傷が付いてはならぬ、という判断なのだろう。だから彼女にとってはあの屋敷の中が世界の全てで、窓の向こうに広がる世界は書物と他人から聞いた話から想像し、期待に胸を膨らませる他なかった。


 ある意味で俺と同じ境遇と言っていいだろう……姉さんは庶子ではなく、リガロフ家の正式な子なのだが。


 だからなのだろう、自由に国中を行き来して仕事をする冒険者、特にノマドに興味を抱くのは自然な流れと言える。


 久しぶりに再会した姉弟のやり取りを、随分と離れた場所にあるテーブルから伺うパヴェルとモニカ。パヴェルに至ってはギリースーツ姿(待て待てどこから出した?)で双眼鏡を覗き込みながらこっちをガン見している。おかげで隣にいるモニカが気まずそうだ。


 せっかくの姉弟の再会なのだからと配慮してくれたようだが、配慮するつもりならむしろ近くで話を聞―――いや、コレで良かったかもしれない。モニカはともかくパヴェルの奇行で姉さんに変な心配をかけそうだ。


「クラリスも変わらず元気そうね」


「はい、お嬢様。おかげさまで」


「屋敷を離れてもミカエルに尽くしてくれて本当にありがとう。これで私も安心できるわ」


「勿体ないお言葉でございますわ」


「これからもミカエルの事をよろしくね」



「 任 せ て く だ さ い ! ! 」



 なんだろう、クラリスの目つきが肉食獣のそれなんだが。まるでシマウマを見つけた空腹のチーターの如く……。


 母さんの時といい、今回といい……なんだか段々とミカエル君の外堀が埋められつつあるように思えるのは気のせいだろうか。いや、気のせいなどではない。既にミカエル城の外堀はすっかり埋め立てられていて、無数のクラリス軍の兵士たちが城への突入を開始している状態。


 どうなされるおつもりか殿。ご決断を。


 覚なる上は籠城の一手しかありますまい……って何を言わせるんじゃクラリス。


 気のせいだろうか。がうっ、ってサリーの威嚇の声がアレーサの方から聞こえたような気がした。さすがミカエル君の妹、地獄耳である。遠く離れた地であろうとお兄ちゃんの事を思ってくれるとは、きっと将来は優しい女の子になるだろう。ミカエルお兄ちゃん楽しみである。


 しばらく運ばれてきた紅茶を楽しみながら、今までの旅の話を姉さんにした。もちろん、強盗とか謎の組織についての危なっかしい(センシティブな)部分は抜いた健全エディションでお送りしています。修正なしの全部見えるやつが見たかったら円盤買ってね。


 紅茶のおかわりが運ばれてきた辺りだろうか。カランカラン、と喫茶店の入り口のベルが鳴り、客の出入りを告げる。


 いらっしゃいませ、と出迎えるウェイトレスだが、先ほどと比較するとその声はやや硬い。遥か雲の上の、住む世界の違う身分の相手を出迎えているような感じの声で、ああ、客は貴族なんだな、と紅茶を口に含みながらミカエル君は敏感に悟る。


 そりゃあ何か貴族相手に粗相があれば首が飛びかねない。比喩表現的な意味か物理的な意味か、そこは皆さんに想像してもらう他ないが、まあたぶんみんなが思い浮かべている想像がそのまま答えになると思うよ。


 その足音がこっちに近付いて来るのを、ミカエル君のケモミミがピンと立ちながら敏感に察知する。はて、こっちに空席なんてあったか―――そう思いながら振り返ると、そこには白銀の装飾で彩られた黒いロングコート姿の、やや赤みがかった金髪の男性が立っていた。


 前髪の一部には灰色に染まっている部分がある。


 ケモミミの形状や他の身体的特徴から判断するに、キンイロジャッカルの獣人ではないだろうか。それも獣に近い骨格ではなく、ヒトに限りなく近い骨格を持つ第二世代型の獣人である。


 肉食獣の獣人は総じて目つきが鋭く、どこか獰猛な印象を与える者と知的な印象を与える者に二分されるが、彼の場合は後者だった。ちなみにマカールお兄ちゃんの場合は前者である。


 冷淡で、世界の全てに興味がなく退屈しているような―――魂でも抜けてるんじゃあないか、と邪推してしまうような、虚ろな雰囲気を纏った貴族らしき男性だった。


「あら、あなた」


 そんな彼を見たエカテリーナ姉さんは、にっこりと笑みを浮かべながら彼を出迎える。


 あなた……って事は、まさかこの人が?


 席に座りながら困惑する俺と、傍らに控えるクラリスに説明するように、エカテリーナ姉さんは言う。


「紹介するわねミカ。このお方が私の夫の”イシュトヴァーン・バートリー”」


「……リーナ、心配したんだぞ」


 イシュトヴァーン、と紹介を受けた男は、しかし俺たちの事など眼中に無いと言わんばかりに自分の妻の方を振り向いてその手を肩に置いた。その目には自らの伴侶の身を案じる、良き夫の想いが宿る。


 ちょっと失礼なんじゃないかとは思うが、仕方ない話である。明日明後日には自らの祖国で式を挙げ、共に幸せな将来を作っていくであろう伴侶パートナーが白昼堂々銀行強盗の人質になった、という知らせでも聞けば冷静ではいられない。


 むしろここで妻の事を案じず、自らの権力を見せつけるかのような態度を見せつけるような相手だったら、姉上に結婚は考え直してもらうところだった。どうやらイシュトヴァーンとかいうハンガリアの貴族の息子の想いは本物らしい。


「ごめんなさい、あなた。でも大丈夫よ、ミカが助けてくれたの」


「ミカ?」


 今にも抱き寄せて唇を奪いそうだったイシュトヴァーンは、姉がこっちに話を振ったところでやっと俺たちの存在に気付いたらしい。こちらを振り向くや、少し不器用そうな笑みを浮かべた。


「何者かは知らないが、私の妻が世話になった。このイシュトヴァーン・バートリー、礼を言わせてもらう」


 ややハンガリア訛りの残った、しかし綺麗な発音の標準ノヴォシア語で礼を言うイシュトヴァーン。俺も被っていたウシャンカを手に取ると、席から立ち上がってぺこりと頭を下げる。


「ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフです。当然の事をしたまでです、バートリー様」


「ステファノヴィッチ……リガロフ?」


「ええ、そうよあなた。ミカは私の妹なの」


 泣きたくなった。


 姉上まで俺の事を女だと認識していたらしい。


 この肩の震えは、きっと姉上には見えていないだろう。


「それはそれは……」


「姉上、そしてバートリー様、この度はご結婚おめでとうございます」


 妹だと間違われたのはアレだが、伝えるべき事は伝えようと思う。結婚おめでとうございます、と。そしてこれからも末永くお幸せに、と。


「ああ、ありがとう。君のお姉さんの事は、ハンガリアの地で必ず幸せにしてみせよう。バートリー一族の名に懸けて、な」


 ああ、この人になら任せられるな……。


 姉さんの将来の事だ、俺がとやかく言える話ではない。けれどもこの人ならば―――イシュトヴァーン・バートリーというこの人が将来の伴侶となるのであれば、姉さんも安心であろう。


 これで心残りは無い。


「ミカ、ところであなたはこれからどうするの?」


「仲間と共にベラシアの地を目指します。その前に、今日は姉上に挨拶を、と思いましてエルゴロドに立ち寄った次第です」


「そう……わざわざありがとう、ミカ。私、絶対幸せになるからね」


「ええ。いつかお手紙も出しますよ」


 そう言ってからもう一度2人に頭を下げ、クラリスを連れて席を離れた。離れる間際にクラリスもスカートの裾を摘まみながら一礼し、俺の後をついてくる。


 カウンターで姉さんやモニカたちの分の会計を済ませてから、遠く離れた席でこっちの様子を伺っていたモニカとパヴェルの2人と一緒に喫茶店を後にする。


 さっきまでギリースーツを身に纏っていた筈のパヴェルがいつの間にかソ連兵のコスプレに変わっている事には驚いたが、たぶんツッコんだら負けるやつだろう。触れずにしておくが吉である。


 ともあれ、これで安心した。


 姉さんの結婚相手が、彼女の身体目当ての下衆な貴族ではなく、しっかりと相手の事を想い誇りもある相手だという事が分かったのだから。


 末永くお幸せに、姉さん。





 

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