リガロフ家強盗計画
息を切らしながら屋根の上に昇り、電線を伝って道路の反対側へ。やっぱり幼少の頃からパルクールが得意―――というよりもこんな場所を移動するのが得意だったのは、ハクビシンの遺伝子を持つ獣人であるかららしい。実際、ハクビシンも木の上や電線の上を当たり前のように移動する事が多い。
こりゃあ逃げる時に便利そうだ。移動できる場所の選択肢が増えるというのは大きなアドバンテージである。
アパートの窓枠に飛び移り、縁に手をかけて勢いをつけ、隣の建物の屋根の上へ。屋根の上で鳴いていた鴉たちをびっくりさせてしまったようで、次の瞬間には黒い翼が一斉に天へと舞った。
そこから雨樋を伝って滑り降り、冒険者管理局の前に出る。
「ふう……」
日課のパルクールはここで折り返し地点。
登録できる年齢に達するまであと1年。そうなったらここに来て手続きを……と考えていたのだが、多分そうもいかないだろう。
というのも、リガロフ家は没落した貴族とはいえキリウ市内での影響力は依然として大きい。それは父上が一族の再興のためにあらゆる業界に顔を利かせられるようコネを築き上げた結果であり、そこはまあ評価するべき点なのだろうが……冒険者管理局もその例外ではない。
俺を冒険者登録させないよう圧力をかけたり要求するような工作は、既に行っているだろう。登録するとしたらここではなく、隣の街や地域での登録になる。
呼吸を整えながら汗を拭い去っていると、箒で管理局の外の掃除をしていた受付嬢と目が合った。まだ朝の5時だというのに、早いものだ。いつもランニングやパルクールの練習中にちらほら見ていたが、彼女たちは少なくとも5時にはこうやって掃除を行い、その後は建物の中に戻って営業準備に入る。場合によっては日付が変わるまで仕事をしている事も多く、世界中で活躍する冒険者たちを支える側の人々の努力が垣間見える。
目が合ったので会釈すると、掃除していた受付嬢は複雑な表情を浮かべながらこっちにやってきた。
「お疲れ様です。早いですね」
「どうも。ええと……リガロフ家のミカエル君?」
「ええ」
「あなた、冒険者を目指してるんですって?」
「はい。ノマドになろうかなって」
「そう……実はね、あなたのお父上から言われてて……」
「俺を冒険者にするな、と?」
分かっている、予想していた事だ。
そう口にすると、受付嬢は申し訳なさそうな顔をしながら首を縦に振った。
「本当にごめんなさい……ステファン様には逆らえないのよ」
「いえ、お気になさらず」
「でも、でもね……そう、隣町の管理局だったらリガロフ家の影響力も及ばないわ。登録するなら”ボリストポリ”にある管理局を目指しなさいな」
ボリストポリ……キリウの隣町とはいえ、それなりに距離はある。山を一つ越える最短ルートがあるが、大半の人は山を迂回するコースを選んでいる。まあいい、宝物庫を荒らしたらその足でボリストポリを目指すか。
「ありがとうございます」
「貴族っていろいろしがらみもあるでしょうけど……頑張って。私はあなたを応援しているわ」
そう言って、受付嬢―――ハスキーの獣人の女性は優しい笑みを浮かべた。
良かった、俺はそこまで忌み嫌われているわけではないんだ―――それが分かって、なんだか少しだけ救われたような気がした。
自由を掴むためにも、こんなところでつまずいてはいられない。
パルクールを終えて素早くシャワーを浴び、レギーナが持ってきてくれたライ麦パンを齧りながらスケッチブックに得た情報を更に記載していく。
強盗計画を立案してからというもの、落書きのためのスケッチブックにはすっかり物騒な単語が並ぶ事となった。子供向けの、ウサギやらクマやらが楽しそうに踊っている表紙とは裏腹に、その中には犯罪計画のための情報が、キリル文字に似たこの世界の言語でびっしりと書き記されている。
クラリスの協力もあって、宝物庫の警備兵の交代時間は把握できた。6時、14時、20時、2時の4回、警備兵は交代する事となっているようだ。基本は2名ずつ宝物庫の前を警備するが、非常時には全スタッフで問題の対処に当たる事となっているらしい。
警備兵の詰所も近いので、非常事態が発生すればすぐに警備兵が駆けつけてくるだろう―――時間との勝負になりそうだ。
さて……とりあえず、図面が欲しいな。
宝物庫の図面だ。父上の部屋はこの前探ったがそれらしきものが見当たらなかったので、多分だが警備兵の詰所にあるのかもしれない。非常事態―――盗賊が入ったとかそう言うのではなく、構造的な問題が発生した際に対処するための”写し”が必ず屋敷のどこかにある筈なのだ。となれば、その問題に対処しなければならない部署にあるのが自然である。
とはいっても、あそこには24時間警備兵が交代で詰めてるしな……。
「何とかならないかなぁ」
「ご主人様、クラリスに名案があります」
「マ?」
「ええ。警備兵は深夜0時、夜食を食べています。それに即効性の睡眠薬を仕込んで眠らせれば……」
ニヤリ、と笑いながら、彼女の顔を見上げた。
「お前も悪い女になってきたな、クラリス」
「メイドは主人に似るものでございます、ご主人様」
こいつめ、段々と感情豊かになってきやがった。いいぞもっとやれ。
「よし、その案を採用しよう。睡眠薬の準備が必要だが……」
「採用してくださると思いまして、実はすでにこちらに」
いったいどこから持ってきたのか、彼女はメイド服のポケットの中から小さな瓶を取り出して得意気に振ってみせた。中には真っ白な粉状の睡眠薬が入っている。
なんだこの超絶有能メイドは。
やろうと思ってる事を察知して事前に準備しておく―――前世の日本だったらクラリスは間違いなく会社の上司とかに気に入られているだろう。俺はというとそういうの苦手だったからなぁ……。
いかんいかん、嫌な事思い出した。
よし、まずは強盗計画の第一段階。図面強奪作戦から始めるとするか。
通気用のダクトの金網から、美味しそうな香りが漂ってくる。じっくりと煮込まれた野菜に肉の香り、サワークリームの優しい香り。真下にあるキッチンを見下ろしてみると、そこにはサワークリームの乗った赤いスープが置かれていた。
警備兵の夜食のためにと用意されたボルシチだ。こうして見てみるとトマトスープのようにも見える。
音を立てないよう、そっと金網を外した。途端に美味しそうな香りを含んだ湯気がダクトにまで入り込んできて、煮込んだ野菜と肉の香りが胃袋を直撃する。うがぁぁぁぁ、この時間にこの美味しそうな香りは反則だろ、やめろ。いやらしいわ、料理の現物が目の前にある分いやらしいわクソが。
そっと顔を出し、調理担当のメイドが居なくなったのを確認してから作戦を実行に移す。尻尾と両足をダクトの縁に引っ掛けて落ちないようにし、腹筋と背筋をフル活用してダクトから身を乗り出す。ちょうど、ボルシチの鍋の真上で逆さまに吊るされたような状態だ。
内ポケットから睡眠薬を取り出して、中身を鍋の中にぶちまけた。ほらほら、警備兵の皆さんお疲れでしょう? 眠っちゃっていいんですよ。労働者に睡眠時間という楽園を提供しようと思ってるだけなんですよ、ミカエル君は。決して強盗計画に邪魔だとかそんなわけじゃありませんからね。
両足に力を入れて再びダクトの中へ。もしミスったら頭からボルシチの鍋の中に真っ逆さまだ。ハクビシンのボルシチなんて笑えない。
ダクトの中に戻り、金網をそっと戻す。それから数秒後、真っ白なエプロンを身に着けたメイドが戻ってきて、鍋の中を軽く掻き回してからそれを皿に盛りつけ始めた。
よしよしいいぞ、計画通り。
なんかさ、こういう計画がとんとん拍子に上手く進んでるのって謎の快感あるよね。
さてさて、第一段階は成功。続けて第二段階だ。
ダクトの中を這い回り、今度はキッチンから警備兵の詰所へ。ふふふ、最近はダクトの中から様子を伺ったり偵察する事が多かったからな、屋敷の中のダクトの構造は全部把握してるのさ。ダクトのミカエルとは俺の事よ……うわクッソダセぇ……。
無事に詰所の上へと到達し、その時を待つ。詰所の中では警備兵たちが報告書を書いていたり、煙草を吸っていたり、コーヒーを飲んでいたりと、あと2時間後に控えた警備の交代に向けて各々好きなように過ごしているようだった。
しばらくして、コンコン、とドアを叩く音がする。コーヒーを飲んでいた警備兵が「どうぞ」と返事を返すと、さっきキッチンでボルシチを盛り付けていたメイドが、トレイの上にボルシチを乗せて部屋の中へとやってきた。
大きな皿にはボルシチが入っていて、皿の隅にはサワークリームがトッピングしてある。だからやめろって、深夜に旨そうな飯を見せつけるのは。
「夜食をお持ちしました」
「おお、上手そうだ。今日はボルシチか。ありがとう」
「ええ、では私はこれで」
人数分のボルシチが行き渡り、警備兵たちがスプーンを手に取る。
「うーん、やっぱりリュドミラの作るボルシチは美味いな」
「ピロシキも絶品ですよ。今度頼んでみましょうか」
「あー、いいなそれ。リクエストしてみ……る……か……」
「え、どうしたん……で……」
音を立てないように金網を外し、詰所の中の様子を伺う。さすが即効性の睡眠薬、何度か口をつけただけで警備兵たちは眠りについた。
さてさて、こっちも仕事をしますかね。
手袋をはめ、詰所の中に降り立つ。さすがに監視カメラのような最新の機器は無いので、こういうところはやりやすい。
詰所の中には貴重品が入っていると思われる金庫があった。宝物庫の図面ともなれば、この中にあるのが自然と考えるべきだろう。さて、金庫の鍵はどこか……鍵を探すところからかと落胆しかけたが、それはすぐに見つかった。金庫のすぐ近く、壁にあるキーケースの中に金庫の鍵があったからだ。
こんなの、セキュリティが無いに等しいじゃないか。
金庫の鍵を引っ張り出し、それを使って金庫を解錠。中に入っていた書類を物色し、その中からまんまと図面を見つけ出す。
うん、確かにコレだ。宝物庫が建造された時の図面、その写し。さすがにオリジナルではないがそこは問題じゃあない。セキュリティシステムや構造についての情報が得られればそれでいいのだ。
金庫の扉を閉じて鍵を閉め、鍵をちゃんと元の場所に戻してから天井のダクトへ。
良い夢を、と警備兵諸君に告げてから、金網を戻してダクトの中を移動していく。
よしよし、これで準備は整った。
後は計画を練って時期を待つだけだ。
「あー……割と厄介だぞこれ」
「?」
入手した図面を広げ、そこから得られた情報をスケッチブックに書き記しながら呟くと、クラリスが興味深そうに後ろから図面を覗き込んだ。ずっしりと頭の上に乗っている柔らかいこれはおっぱいの感触なんだろうか。クラリス、わざとか? それとも意図的にか? いずれにせよ童貞にそれはヤバいからやめて。
図面にはセキュリティシステムについての情報も記されていた。まあ、金塊とか絵画、彫刻を盗む分には問題ないのだが……3つ残るイリヤーの秘宝、その収納スペースには厄介な仕掛けがあるらしい。
ガラスケースの中から中身が取り出され、台に乗っている重さが消失すると警報が鳴る仕組みらしいのだ。
「まいったな……秘宝を盗み出すって事は警報ボタンを押すのと同じか」
「では、諦めますか?」
「まさか。3つ全ては無理でも、どれか一つは貰っていくさ」
さて……これはどうするべきか。
一度中に入ったら、正面の扉からしか外には出られないのだ。どの道警備兵たちと一戦交える事になるのには変わりない。
だったら秘宝を貰っても別にいいだろう。問題は脱出手段だ。
幸い、侵入者を撃退するためのガス噴出機みたいなトラップはない。警報が鳴れば警備兵が集まり、正面の扉から突入してきて鎮圧を図るだろう。数の上でも、おそらく単純な戦闘力でもこっちが不利だ。
……いや、待て。
「ご主人様?」
「警備兵が突入してくるのはこの一ヵ所だけ……いけるか?」
相手が突入してくる場所が限られるという事は、上手くいけば最初の一手で一網打尽も期待できるという事に他ならない。
この入り口に内側から何か仕掛けを用意しておけば……よし、いいぞ、いける。いけるかもしれない。
警備体制も、宝物庫の図面も手に入った。そしてその計画を実行に移せるだけの力も、今の俺たちには備わっている。
計画はこれで決まりだ。後はこの屋敷を離れる時期を待つ、それだけだ。
―――そして、その一年後。
17歳の誕生日―――ついに、計画実行の日を迎えた。




