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空が黒く滲んだ日


 子供に罪はない。


 本当にそうなんだなぁ、と無垢なサリーを見る度に思う。確かにこの子の父―――ステファン様は色々とダメな人だった。没落した一族の再興、そのための権力強化。救国の英雄たるイリヤーの末裔として、栄えあるリガロフ家の再興に情熱を燃やすのは別に問題ではない。


 問題なのは、一族の再興と自身の権力強化を履き違えている事。


 自分の権力ならば何でも手に入る、とあの人は勘違いをしている。金も、力も、そして―――女も。


 父が他界し、母だけでは生活が苦しいからこそ、私はキリウまで出稼ぎに行った。取り柄といえば母の手伝いで身についた家事くらい。それを生かせ、尚且つそれなりの収入になる仕事といえば貴族の屋敷にメイドとして仕える事、それくらいだった。


 毎日先輩のメイドたちから白い目で見られた。答えは簡単、私がハクビシンの獣人―――害獣として忌み嫌われている存在だったから。けれどもそんな嫌がらせにも屈せず、毎月母への仕送りは欠かさず行っていたし、いつかは楽な暮らしができると思っていた。


 そんなある日の事だった。旦那様―――ステファン様に、その欲望をぶつけられたのは。


 逆らう事など出来る筈もなかった。もし逆らい、あの人を逆上させればどうなるか。職を失えばアレーサの母への仕送りは出来なくなり、再び貧しい暮らしを強いられてしまう。それだけは是が非でも避けなければと思い、一度だけ、今回だけと思い―――あの人に身体を許してしまった。


 ただ一度、と誓ったそれがいったい何度あったかは、自分でも覚えていない。


 気が付いたら、お腹に小さな命が宿っていた。


 ミカエルという、小さな命が。


 今だから思う。あの時、この子を下ろさなくて本当に良かった、と。


 あの子は確かに、ステファン様から見れば不貞の証。貴族とメイドの間に生まれてしまった、一族の恥部―――けれどもそうしたのはステファン様、そして身体を許してしまった私であって、あの子が望んでそうしたわけではない。


 あの人には赤子を下ろせ、とも言われた。中絶の祈祷を行えば子を生まずに済む、と。けれどもあの時ばかりは食い下がった。この子は私の子でもある。だからこの子に家督継承権はいらない、その代わりに私が責任をもって育て上げる、と。


 ―――生まれてくる子供に罪はない。


 だからミカエルも、そして同じような経緯で生まれてきたサリエルにも、罪はない。


 誰が何と言おうと、この子たちは私の子供たちなのだ。


「あうー、うー」


「あらあら、どうしたの?」


 左手の指をしゃぶりながら、窓の外を指差すサリー。窓の向こうでは荷台に荷物をいっぱい乗せたトラックが、バシャバシャと泥を跳ね飛ばしながら豪快に道を走っているところだった。ついこの前までは車のエンジン音を聴くだけでびっくりし、泣き喚いていたサリーも車に興味を示すようになったのね、と感心していると、サリーは楽しそうに笑った。


「ぶーっ、ぶーぶ、ぶーぶ」


「ふふっ」


 小さい頃のミカエルもこんな感じだったかしら、と少し昔を思い出す。ミカエルはというと……どちらかというとあまり泣かない子だった。赤子にしては珍しく食事の時間が規則正しかったし、夜泣きもしなかったから育てるのにはあまり苦労しなかった。


 貴族としてのマナーや勉強も自分である程度予習してから学んでいるから理解も早かったし、読み書きに至っては多少は独学で身に着けているほど。手のかからない子供、とはよく言うけれど、あの子は次元が違うように感じた。早く大人になろうとしているというか、なんというか……。


 そんな兄と比べてしまうからなのかもしれないけど、サリーは今のところ普通の赤ん坊だった。普通に夜泣きするから大変だけど、何より可愛らしいから何とかなっている。


 ちゃんとした相手と結婚して子供を作りたかった、とは思わない。確かに今の環境に違和感は感じるけれど、それを理由に後悔なんてしてしまったらこの子たちの存在を否定することになってしまう。


 嫌な事はたくさんあったけれど、その先でこの子たちに会えたのだから、その幸福を神に感謝しなければ。


「ほーらサリーちゃん。ウサギさんですよー」


「きゃっきゃっ♪」


 母さんが手作りの人形を持ってやってきた。サリーは祖母の作る人形が大好きで、眠る時は人形を抱いていなければ安眠出来ないほどだ(最近はクマさんがお気に入りらしい)。


 本当、この子たちが父親に似なくてよかったなあ、と変に安堵したその時だった。


 カッ、と窓の向こうが光ったかと思いきや、アレーサの町中、ちょうど市場の辺りに大きな火柱が噴き上がったのだ。


 火柱が瞬時に冷却され、濛々と黒煙が噴き上がる頃に、ドンッ、とやっと遅れて爆音が響く。まるで映像と音声のタイミングがずれてしまったようにも思えるけれど、違う。ただ単に光と音の早さが異なるだけだ。


 突然の轟音に、母の作った人形で遊んでいたサリーも泣き出してしまう。泣き喚く孫をあやす母の傍らで、私は目を見開きながらアレーサの町を見つめていた。


 事故―――ではない。一体何が?


 その答えは、続けて生じた第二、第三の火柱が教えてくれた。


 これは事故などではない、砲撃だ。半ば反射的に目を海へと向ける。いつもは漁師たちの船で賑わうアレーサの港。そのはるか向こう、黒海の広がる沖の方に、一際大きな船―――いや、軍艦が1隻停泊している。


 黒海艦隊の軍艦かと思ったけれど、様子が違った。


 艦首をアレーサへと向け、甲板に搭載された大砲らしき武器も天空へと向けられていて……。


 次の瞬間、その砲身が火を噴く。


「!!」


 あれはあの軍艦からの砲撃なのだ、と理解した頃には、新たな火柱が町中に生じていた。白いレンガの建物がいくつも吹き飛び、窓が衝撃波でびりびりと揺れる。町から少し離れた位置にあるこの家でもこんなに衝撃波の影響を受けているのだから、町中では相当なものだろう。


 三度目の砲撃を受けて、やっとアレーサの町から非常事態のサイレンが聞こえてきた。


 我に返り、ラジオをつける。周波数をいつものチャンネルから、アレーサ放送局の周波数に切り替えると、数秒のノイズの後にアナウンサーの緊迫した声が流れ始めた。


《―――緊急放送、緊急放送です。アレーサ沖にワリャーグの装甲艦が出現しました。アレーサ市民の皆さんは落ち着いて避難してください。繰り返します、アレーサ沖にワリャーグ》


 ぷつん、と唐突に放送が中断される。


 まさかと思い再び市街地に目線を向けると、ラジオ局のある辺りから黒煙が濛々と立ち昇っていた。


「レギーナ……」


「母さん、最低限の荷物を用意して。私は食料とこの子のミルクを」


「待って、どこに逃げるっていうの」


「ここから北に行ったところに森があるでしょう? そこに逃げるわ。いつでも逃げられるように準備しないと」


「ああ、そんな……神様、そんな……」


 困惑しながら、母さんは暖炉の上の父の写真を手に取った。


 白黒の写真の中で、戦艦の甲板の上に立つ水兵服姿の父は、いつもと変わらず勇ましい笑みを浮かべている。


「アンドレイ、お願い……私たちを守って」


 今にも泣き出しそうな声で今は亡き父に願う母の声が、いつも以上に弱々しく聴こえた。













 最悪だ。


 悪態をつきながら武器庫からマスケットを引っ張り出し、予備の弾薬が入ったポーチをベルトに通す。鞘の中からスパイク型銃剣を引っ張り出して銃口の右側面に装着、応戦の準備を済ませる。


 ヒュンッ、と空気を切る音がしたかと思いきや、次の瞬間にはどこかに砲弾が落ちてくる。


 俺の親父は9年前のアスマン・オルコ帝国との紛争で左足を吹き飛ばされ、傷痍軍人となった。そんな父はいつものように「砲弾が降ってきたら神に祈れ」と言っていた。


 その意味が今、やっと分かった。


 砲弾が俺のところに落ちてきませんように、五体満足でいられますように。いつどこに落下するか分からない榴弾の恐怖に怯えながら、ひたすら神に縋るしかない。祈りを小さな声で唱え、胸の前で十字を切って祈る事しかできないのだ。


 クソッタレ、なんて気まぐれな死神だ。


 ダムンッ、とすぐ近くで爆発が起こった。真っ白なレンガの破片がいくつも弾け飛んで、鋭利な破片のいくつかが、不用意に頭を上げていた冒険者の頭を深々と抉った。赤い飛沫と一緒にピンク色の肉片みたいなのも飛び散って、どさり、と頭の3分の1を失った死体が石畳の上に血の海を作る。


 クソ、クソ、クソ……。


 地獄だ、ここは地獄だ。


 死神とやらが本当に要るのだとしたら、そいつは絶対に最悪な野郎だ。さーてどこに砲弾を落としてやろうか、と天高くからニヤニヤして見下ろしているに違いない。


 タイミングも何もかも最悪だった。


 1年前だったら虎の子の黒海艦隊が常駐していて、ここを攻めようなどと思わなかった筈だ。そんな事をすれば、粗末な装甲艦しか持たないワリャーグの連中なんぞ蹴散らされるのがオチである。


 だが、黒海艦隊は海軍戦略の見直しで各地に引き抜かれてしまい、今では残っているのは旧式の軍艦ばかり……いや、軍艦って言えるのか、あれは。旧式の大型ボートに機銃と外付けの魚雷発射管を据え付けただけの魚雷艇だ。そんなものを駆逐艦と言い張らなければならない今の黒海艦隊は本当に情けなく見える。


 その魚雷艇たちが、沖に居座り我が物顔でアレーサを砲撃する装甲艦―――元黒海艦隊所属の装甲艦『パーミャチ・メルクーリヤ』へと肉薄攻撃を敢行する。砲撃を掻い潜り、必殺の魚雷をお見舞いしてやろうというのだ。


 しかしその目論見は、魚雷の射程距離に入る前に打ち砕かれた。出撃した2隻の魚雷艇の目の前に水柱が出現したかと思いきや、瞬く間に魚雷艇たちが装甲艦に据え付けられた速射砲の餌食になった。


 水柱の中で、それが火柱へと姿を変えていく。


 せめてもっと大型の水上艦があれば、と歯噛みしているところへ、更に悪いニュースが入ってくる。


「ワリャーグの上陸部隊だ!」


「……!」


 鉄屑と化し、炎上しながら沈んでいく魚雷艇。その両脇を、金属製の装甲にガトリング銃を据え付けられた3隻の高速艇が全速力で通過し、港へと向かって一直線に突っ込んでくるのが見える。


 高速艇に乗り込んでいるのは間違いない、マスケットやサーベル、斧にハンマーで武装したワリャーグの陸戦部隊。奴らに捕虜を取る、という選択肢は殆どない。あったとしてもそれは女ばかりだ。男は皆殺しにされ、女は―――特に良い女だったら、奴らのアジトに連れ去られ、少なくとも女としての尊厳を踏み躙られることになる。快楽のためだけの玩具にされる。


 クソッタレ、海上騎士団は何考えてやがる……今までは黒海艦隊が奴らに対しての抑止力だったというのに……!


「軍曹、敵艦が!」


「クソ……!」


 高速艇の接近に合わせ、装甲艦もじりじりとアレーサへ接近し始めた。


 いずれにせよ、ここで俺たちアレーサ憲兵隊が退くわけにはいかない。せめて民間人の避難が済むまでの間、時間を稼がなければ。


 たとえこの命を失う事になっても、だ。


 憲兵たるもの、命を賭して帝国臣民の楯となるべし。


 理想を抱いて憲兵隊に入隊したばかりの頃、上官から口うるさく言われていた言葉だ。今、その覚悟が試されている。俺の死に場所はここだ。そう自分に言い聞かせるが、それでも足の震えは止まらない。故郷に残してきた妻と、まだ幼い娘に会いたいという気持ちが消えない。


 静かに内ポケットから写真を取り出した。アレーサへの赴任前に最後に撮った、家族の集合写真だ。


 妻の腕の中で無邪気に笑う娘を見て、唇を噛み締めた。


 ごめんな、アリサ……。


 パパ、ここで死ぬかもしれない……。


「軍曹! 敵が射程距離内に!」


 写真を内ポケットへと押し込んだ。指揮官たる俺が弱気でどうする。俺の元には他にも、故郷に家族や婚約者を残してきたむさ苦しい男共が居るのだ。


 そいつらを奮い立たせてやらねば。民間人の楯となって死ぬ、憲兵としての責務を立派に果たした最期という名誉で、彼らの死に意味を与えてやらなければ。


 こっちの武装は野砲6門、ガトリング銃1門。いずれも旧式で前線からは引き上げられた二線級の旧式兵器、しかも扱うのは憲兵士官学校や訓練校を卒業して間もない新米たち。


 制帽を直し、腹の底から声を絞り出した。


「―――砲撃開始! 砲弾が尽きるまで、怒りを込めて撃ち尽くせッ!!」













 テーザーXREPが装填されたマガジンを、そっとヴェープル12モロトに装着してコッキングレバーを引いた。ジャキンッ、という力強い金属音と共に初弾が薬室へと装填され、あとは安全装置セーフティと引き金を引くだけで発射できる状態に。


 これは人を殺すための銃じゃない、人を無力化するための銃だ―――そう自分に言い聞かせるが、結局は覚悟が出来ていないじゃないか。問題を先送りにしただけじゃないかという自責の念が湧いてきて、それをすぐに噛み殺す。


 メインアームはテーザーXREPを装填したヴェープル12モロトと、実弾を装填したAK-19。ハイドラマウントはスリングに引っかかる恐れがあるので取り外し、通常のPK-120とブースターを装備している。


 サイドアームはピストルカービンのMP17。こちらは9mm麻酔弾装備だ。パヴェルが用意してくれたものだが、数を用意できなかったようで麻酔弾は最初のマガジンの分のみ。それ以降は実弾となる。


 できれば実弾は使いたくないな、と思いつつ、ブハンカの助手席に乗り込んだ。


《各員に通達。いいか、これは誰からの依頼でもない。しかし目の前で海賊に襲われている民間人を見殺しにするわけにはいかない。現地の憲兵隊及び冒険者と共同で海賊の迎撃に当たる。なお、あくまでも最優先目標は民間人の保護だ。海賊共の射殺は許可しておく》


 最後の一言で、ブハンカの車内が一気に重くなる。


 一応、帝国議会で可決された法案の中に『山賊/海賊対処基本法』というものがある。要は、【自分または他人の命・財産・その他の人権が他者の明確な殺意によって危険に晒されている場合、敵対者の殺害を合法化する】というものだ。


 人権保護を大義名分とした、殺戮のフリーパス。


 だからこの場合、何人海賊の命を奪っても違法とはならない。むしろ憲兵や当局から、民間人を守った英雄だと祭り上げられるだろうが、俺たちが気にしているのはそこじゃない。


 相手が善人であれ悪人であれ、下手すりゃ自分の手を血に染める事になるという事だ。


「……みんな、もし危なくなったら自分の身を守る事を優先してくれ」


 俺なりに、かなり遠回しに言ったつもりだった。自分が危険になるようであれば、敵を殺しても構わない。いつものルールは忘れろ、と。


 後部座席でマガジンをチェックしているシスター・イルゼも、そしてブハンカの屋根に設置されたブローニングM2(50口径)についているモニカも、いつもより表情が硬い。


 唯一、運転席にいるクラリスだけはいつもと変わらなかった。むしろ、こっちのほうが本来の顔だと言わんばかりに鋭利な視線をフロントガラスの向こうへと突き立てている。


 警報音と共に、格納庫の扉が開いた。


 その先に見えるのは、火柱が噴き上がるアレーサの市街地と、黒煙で滲む青空。まさに戦場のようだった。





「1人でも……1人でも多くの民間人を救出するんだ!」





 サリー、母さん、お祖母ちゃん……みんな、無事でいてくれ。




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[一言] 土方さんみたいなセリフが。
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