リュディガー公爵家
午前中は服飾店で過ごし、レストランで食事をしてしばし休憩した後にリュディガー公爵家へ向かった。
アルフリード様の話ではタウンハウスはそれほど大きくないそうだ。
そのはず、だったのだが……。
「うわぁ……!!」
馬車が停まって降りると、目の前にとんでもない豪邸があった。
王都の中だと言うのに庭もあって、建物も四階建てで、真っ白な綺麗な建物はまるで宮殿かと思うくらい大きくて、門前に使用人達がズラッと並んでいる。
そして先頭に四人、立っていた。
すぐに公爵家の方々だと分かる。
特に中年の男性と若い男性はどちらも金髪に青い瞳で、それでいて、中年の女性はアルフリード様にどこか面差しが似ているような気がした。
若い女性は赤みがかった金髪に金の瞳をしており、恐らく、アルフリード様の義理のお姉様なのだろう。
目が合う前に礼を執る。
貴族の礼儀の中に、親しくない間柄では目下の者から目上の者に話しかけてはいけないというのがある。
「ああ、顔を上げてくれ」
低く深みのある渋い声に言われて顔を上げる。
「初めまして、私はウェインツ=リュディガーだ。アルフリードの父であり、公爵家の当主でもある。こちらは私の妻のディアナ、長男のアーノルド、そしてアーノルドの妻のリュミエラだ」
公爵様が紹介してくれて、全員がわたしに丁寧に礼を執ってくれて、わたしもそれに返した。
「初めまして、リルファーデ子爵家の長女・ミスタリア=リルファーデと申します。この度はアルフリード様との婚約を認めてくださり、そしてリルファーデ子爵家に手を差し伸べてくださり、ありがとうございます」
今回の婚約で得をするのはリルファーデ子爵家だ。
子爵家への支援に、婚約者の装いなどの費用、わたしの婚約破棄の醜聞を覆すことなど色々あるが、どれもリルファーデ子爵家の利になるものばかりだ。
頭を下げようとすると公爵様に手で止められた。
「それに関しては気にしないで欲しい。息子の婚約者になってくれるのだから、それくらいは当然のことだ。むしろ我々はアルフリードが愛する人を見つけてくれたことが何よりも喜ばしいのだ」
見上げれば、公爵様が微笑んでいる。
それを見て、あ、と思う。
……アルフリード様と笑い方が似てる。
目尻を少し下げて目元を和ませる感じが、その雰囲気が、凄くそっくりだった。
「あなた、こんなところで立ち話ではミスタリア嬢が疲れてしまいますわ」
「そうだな、さあ、中でゆっくり話を聞かせてくれ」
アルフリード様のお母様、公爵夫人の言葉に公爵様が頷き、促されて歩き出す。
当たり前のようにアルフリード様がエスコートしてくれて、それを見た公爵家の方々が和やかに微笑んで、想像していたよりもずっとわたしに好意的だった。
子爵家の娘だからと下に見る様子もない。
中へ通されたが、建物は外見通り、中も素晴らしかった。
白い壁に赤い絨毯、どう見ても高そうだけど嫌味のない上品な調度品や絵画、置かれている家具は重厚な木製のもので、玄関や廊下には花が飾られて良い香りが微かにする。
……こんな広いのに埃一つ落ちてない!
毎日使用人達が綺麗に清掃しているのだろう。
きっと玄関で見た以上に使用人達がいるのだろうけれど、それにしたって、この広さを整えるにはかなりの労力と人手が必要だ。
リルファーデ子爵家のタウンハウスなんて、ここに比べたら小屋と言ってもいいかもしれない。
……ここまで差があると別世界みたい。
羨ましいとか思う以前に、もはや、自分とは関係のない世界のように感じて観光気分である。
歩きながら公爵夫人が庭の話や通りかかった絵の話などをしてくれるので気まずさもなく、しかもその話がまた面白い。
それを聞いているうちに応接室に到着した。
向かい側に公爵様と公爵夫人、アルフリード様のお兄様が座り、斜め前の一人がけのソファーにアルフリード様の義理のお姉様が座り、わたし達は公爵様達の正面にあるソファーに腰かけた。
アルフリード様が横にいて、座ってからも手を繋いだままでいてくれるのは緊張が解れてありがたい。
繋がったままのわたし達の手を見て、夫人がほほほと笑った。
「まあ、アルフリードったら、本当にミスタリア嬢のことが好きなのね。こんなに誰かにくっついているところを見るのは子供の時以来だわ」
「そうですね、昔を思い出します」
夫人の言葉にアルフリード様のお兄様が頷いた。
それでもアルフリード様は離れなかった。
「母上、兄上、からかわないでください」
アルフリード様の淡々とした言葉に、お二人は全く気にした様子はない。
「ミスタリア嬢、アルフリードとお付き合いしているそうですが、どうですか? この子はこの通りなかなか感情が表に出ない上に仕事を優先してしまうので、ミスタリア嬢に我慢を強いてはいませんか?」
夫人に言われてわたしはすぐに首を振った。
「いいえ、そのようなことはありません!」
これまでアルフリード様と一緒にいて、何かを我慢したことなんて全くない。
それどころか、いつも、わたしを気遣って、見守ってくれている。
「アルフリード様は優しい方です。確かに少し感情を表に出すのが苦手なのかもしれませんが、よく笑いかけてくださいますし、とてもわたしを気遣ってくださって、今日のこのドレスもアルフリード様に贈っていただいたものです。我慢どころか、アルフリード様はいつも、わたしの願いを叶えてくれるんです」
一度でいいから着飾ってみたかった。
わたしだって女の子なのだ。
みんなに「可愛いね」「綺麗だね」と褒められてみたいし、目一杯可愛い格好もしてみたいし、イルンストン伯爵子息と婚約する前は幸せな花嫁に憧れたりもした。
……アルフリード様となら、きっと、幸せだ。
それにアルフリード様は淡々として見えるけれど、その目は真っ直ぐにわたしへ向けられて、ずっとわたしだけを見てくれている。
言葉でも、態度でも、好きだと表してくれる。
「え、アルフリードが笑ったのですか?」
アルフリード様のお兄様が驚きの声を上げる。
「はい、こう、目尻を下げて和ませるだけですが。……それはアルフリード様なりの笑顔ですよね?」
後半はアルフリード様に問えば、アルフリード様がコクリと頷いた。
その目が嬉しそうに細められる。
……うん、やっぱりそうだ。
これがアルフリード様の感情表現なのだ。
「ミスタリア嬢はアルフリードのことをよく見てくれているのだな」
公爵様の言葉にニコリと笑う。
「アルフリード様のことが好きだから、つい見てしまうんです」
「ミスタリア嬢……!」
横からアルフリード様に抱き着かれた。
ふわっと軽くなので重くはないけれど、ご家族の前でこんなことをして良いのだろうか。ちょっと気恥ずかしい。
公爵様とアルフリード様のお兄様が目を瞬かせ、公爵夫人とアルフリード様の義理のお姉様が扇子で口元を隠しながらほほほ、ふふふ、と小さく笑う。
アルフリード様が凄く喜んでるのが伝わってくる。
「ですが、本当にわたしがアルフリード様の婚約者で良いのでしょうか? わたしは婚約も一度破棄されておりますし、子爵家も有力な家ではありませんし、その、わたし自身も地味で貴族のご令嬢らしいとは言い難いです……」
言いながら、わたしって全然公爵家に相応しくないなあと思ってしまう。
わたしをいじめていた人達の気持ちも分かる。
貧乏な子爵家で、見た目も地味で、お淑やかさはないし、家柄としても公爵家とは釣り合わない。
自分よりも明らかに劣る者が、自分が入りたかった場所にいたら、きっと嫉妬するだろう。
公爵様がゆっくりと首を振る。
「それを選ぶのはアルフリードであり、そしてアルフリードが選んだのは君だ。自信を持ちなさい。それから、我が公爵家は現在力を持ち過ぎているのだ。これ以上の権力は望んでいないと示すためにも子爵家との婚約はむしろ丁度良い」
「そうなのですね」
公爵様の説明に少し安心する。
夫人がわたしを見た。
「ミスタリア嬢はご自分を地味とおっしゃるけれど、そんなことはなくってよ。私やリュミエラのような派手さは確かにないかもしれませんが、ミスタリア嬢はそもそも、私達とは美しさの方向性が違うのでしょう。これから磨くのが楽しみだわ」
ほほほ、と夫人が笑った。
……なんだろう、なんか怖い。
笑ってるんだけど、目が、わたしの全身をくまなく観察している気がする。
アルフリード様の義理のお姉様も「そうですね、お義母様」と微笑んでいる。
「母上、姉上、ほどほどでお願いします。彼女は慣れていないのですから」
瞬間、キッと夫人がアルフリード様をきつい眼差しで見やった。
「何を言うの、アルフリード。ほどほどなどと適当なことは許しませんよ。磨けば光るのならば磨くべきです。あなただってミスタリア嬢の美しい姿を見たくはありませんか?」
「それはそうですけど……」
「何より義理とは言え、私の娘となるのですから、娘の装いを気にするのは母として当然です」
母、という単語にハッとする。
……そっか、結婚したら家族になるんだよね。
三年前に父も母も亡くして、それからは弟と二人で暮らしていたし、ヴァンスとアニーは家族だけど使用人でもある。
父方の祖父はわたしが生まれる前に亡くなっており、祖母は旅に出たっきりと言うし、母方の祖父母は領地がかなり離れているので疎遠だった。
母が病で亡くなった時にやっと母方の祖父母に会ったくらいだったけれど、元々父と母の結婚を良く思っていなかったそうで、それっきり付き合いはない。
わたしにとって血の繋がりのある家族は弟と叔父様くらいのものだった。
イルンストン伯爵子息はあれだったし、イルンストン伯爵家は優しかったしいつか家族になれるかもと思っていたが、結局なれなかった。
三年前、母が亡くなっていなかったら、こんな風にわたしの装いについて気にしてくれただろうか。
……きっと、もっと可愛い服を着なさいって困ったように言ってくれたかも。
「……嬉しいです」
生きていたら、一緒にドレスを選べたのだろうか。
「わたしの両親は三年前に流行病で亡くなったので、ドレスのこととかよく分からなくて……。お二人に色々と教えていただけたら凄く嬉しいです」
「まあ……」と夫人とアルフリード様の義理のお姉様が言い、それから何度も頷かれた。
「そうだったのね。それなら尚更、私達がミスタリア嬢を美しい貴婦人にしなければなりませんわね」
「ええ、ええ、本当に」
「ミスタリア嬢、今度のお休みは是非我が家にいらしてちょうだい。公爵家で一番腕の良い者達を揃えておきますから」
アルフリード様が小声で「大変なことになりますよ」と教えてくれたけれど、わたしは頷いた。
公爵家の皆様がわたしを家族として迎え入れてくれるのであれば、わたしもそれに応えたい。
「はい、その時はよろしくお願いします!」
それにアルフリード様の横に立っても恥ずかしくないくらいには綺麗になりたいのだ。
「大丈夫よ、私達があなたを誰もが羨む貴婦人にしてみせますわ」
堂々とした夫人の言葉は不思議な説得力があった。
公爵家の方だし、流行にも敏感そうだし、何よりどこからどう見ても凄くオシャレなのできっと大丈夫だろう。
夫人の言葉にふとアルフリード様のお兄様が言う。
「そういえば、ミスタリア嬢は話題の人と言えばそうですね」
「兄上、それは……」
「ああ、言っておくが『あの魔窟を綺麗にした』という方だ。あの件についても話題に上がるが、最近は氷の貴公子が熱を入れあげている人物としても有名だぞ」
……話題の人?
「あ、だからよく話しかけられるんですね」
最近、紫水以外の知らない人からも「ミスリル嬢」と呼ばれたり、挨拶をされたり、たまに話しかけられて雑談することもある。
あとどこかのメイドさんに「あなたなんて相応しくないわよ!」とか「なんであなたみたいなのが?」みたいなことを言われることもあって、でも、それ以上何かされることもなくて疑問だった。
……まあ、アルフリード様、別に態度を隠したりはしなかったからなあ。
見る人が見れば気付いただろう。
そうでなくとも、アルフリード様とよく一緒にいたので、わたし達の様子を見かける人は多かったはずだ。
「話しかけられる? もしや男性にですか?」
アルフリード様がパッと振り向く。
「男性も女性もいます。騎士の方にはよく『どうやって騎士三人を叩きのめしたのか』と訊かれます。説明するんですけど、わたし、説明が下手みたいでなかなか分かってもらえなくて」
そう言えばアルフリード様に「ああ、なるほど」と何故か納得されたが、一体どこに納得したのだろうか。
「騎士達がミスタリア嬢と是非一度手合わせしてみたいと言っておりましたよ。私もそう思っています」
「わたしも一度手合わせしてみたいです!」
「ではしてみませんか? こう見えて私も騎士なので、それなりに戦えると思いますよ」
「そうなんですか? それでは是非!」
……久しぶりに体を動かせる!
「いけません、怪我をしたらどうするのですか」
アルフリード様に横から止められたので、大丈夫だと、その腕に手を添える。
「お願いです、アルフリード様、絶対に怪我をしないと約束しますから。お願いします! わたし、最近体を動かせなくてずっとモヤモヤしてたんです。ちょっとだけですから!」
両手を合わせてアルフリード様にお願いする。
騎士様と戦える機会なんてそうそうない。
「でも危険ではありませんこと? たとえ訓練用の木剣を使ったとしても、当たれば怪我では済まないですわ」
夫人の言葉にアルフリード様と、アルフリード様の義理のお姉様もうんうんと頷いている。
…………あれ、言ってなかったっけ?
「大丈夫ですよ。わたし、身体強化が得意なんですけど、身体強化中は馬車に轢かれても怪我一つないので! 実際、轢かれたので経験済みです!」
「は?」「え?」と公爵家の皆様の声が重なった。
アルフリード様まで固まっていた。
馬車に轢かれても完全無敵。
わたしがミスリルと呼ばれる所以の一つである。
ただ、それを聞いた両親には凄く心配をかけてしまったし、母には泣かれたし、珍しく父に怒られたので、もう二度と馬車に轢かれるつもりはないが。




