思いつき
ちくちく、ちくちく、ちくちく……。
今日は早く仕事が終わったので、アルフリード様の研究部屋でマスクを縫う。
横に座ったアルフリード様が物珍しげにわたしの手元を眺めている。
事の発端は一時間ほど前に遡る。
仕事にも完全に慣れて、手順の効率化も出来て、早く綺麗にこなせるようになって時間が余った。
そこで、わたしは欲しかったものを作ることにした。
それが布マスクである。
これまでは仕事が忙しくて作っている暇がなかったのだが、やはり、掃除中はマスクをつけていた方がいい。
魔法士の中には埃が苦手でくしゃみをよくしている人もいるから、マスクがあれば多少は違うだろう。
一旦自室へ帰って、前もって買っておいた布と紐と裁縫道具を持って倉庫へ向かう。
仕事中に自室で裁縫をするのは憚られたから。
倉庫でちくちくと布マスクを作っていると、倉庫の扉が開けられた。
「……こんなところで何をなさっているのですか」
開けたのはアルフリード様だった。
「裁縫をちょっと。アルフリード様こそ、倉庫に何かご用ですか?」
「備品数の確認をしに来ました。ミスタリア嬢が嫌がらせを受けていた時に、備品を壊したり隠したりする者がいましたからね。そういったことを防ごうと思いまして」
「……ありがとうございます」
わたしのことを気にしてくれているらしい。
アルフリード様は倉庫へ入ってくると備品の数や状態の確認を始める。
……まあ、いいや。
ちくちく、ちくちくとまた縫い始める。
可愛い花柄の布なので掃除中につければきっと気分が上がる。
くしゃみをしていた人には無地の白い布で、自分用には柄や色付きのもので作る予定だ。
最初なので今は自分の分を縫っている。
「何を作っているのですか?」
アルフリード様の声がする。
「マスクを作っています」
「ますく?」
振り返る気配がした。
「はい、埃っぽい場所や汚れた場所に入る時に口を覆う布のやつです。ほら、大きなハンカチで口を覆うのって跡がつきやすいですし、外したりつけたりする時に面倒じゃないですか」
コツコツと足音が近付いてきて、脇で止まった。
アルフリード様の整った顔がひょいと覗き込んでくる。
「この左右の紐は耳にかける部分ですか? 確かにこちらの方がつけ外しが簡単で使いやすそうですね」
その言葉に「ですよね!」と顔を上げる。
「それに実験の時とかもマスクをつければ多少は臭いも防げますし、風邪を引いている時につければ咳やくしゃみで唾液が飛ばないからいいんですよ」
「なるほど」
アルフリード様が曲げていた腰を戻す。
「ですが、こんな暗いところでやっていては目を悪くしますよ。私の研究部屋でやりませんか?」
「わたしがいたら気が散りません?」
「今日の分の仕事はもう済んでおりますので問題ありません」
「それに」とアルフリード様が続ける。
「好きな人を倉庫に放っておくなんて出来ません」
と、アルフリード様が横に置いてあった布を手に取った。
布を人質に取られてしまったら断れない。
道具の殆どを持ってくれたアルフリード様と一緒に、アルフリード様の研究部屋に移ったのだった。
それからソファーとテーブルを借りて、わたしはちくちくとマスクを縫っているのだが、仕事が終わったというアルフリード様が横でわたしの作業を黙って眺めている。
そう、一時間近く横に座っている。
「……楽しいですか?」
アルフリード様が頷いた。
「ええ、楽しいですよ」
その手には最初に縫ったマスクがある。
欲しいと言われてあげたのだ。
「ミスタリア嬢の小さな手が小さな針で一生懸命縫う姿が可愛らしくて、つい時間を忘れて見入ってしまいました。ご迷惑でしたか?」
……う、その言い方はずるい。
「迷惑ではないですけど……」
ちょっと視線が気になる。
わたしの手は水仕事もしていて、貴族のご令嬢にしては荒れていて、指先が赤くなって、カサカサなのであまり見ても気持ち良くはない。
真っ白で細く、整った手がご令嬢らしい手なのだ。
「わたしの手、結構荒れてるからちょっと気になったんです。綺麗じゃないですし」
「そうですか? 仕事をしている者の立派な手ですよ。それにわたしも手は荒れています」
アルフリード様が掌を見せてくれた。
その手はわたしと同じように指先や節が赤くなっていて、表面はカサカサになって、よく見ると所々皮膚が硬くなっているようだった。
「毎日紙や薬品に触れるので、どうしてもこうなってしまいます。……こういう手はお嫌いですか?」
「いいえ、嫌いじゃありません! きちんと働いている人の手だなと思います」
「良かった。私も同じ気持ちですよ」
アルフリード様が手を引っ込める。
……嬉しいな。
イルンストン伯爵子息には「もっと綺麗に保て」と言われたし、弟には「こんなに苦労をかけてごめん」と言われてきた。
でも、わたしはこの手に誇りを持っている。
ご令嬢にしては荒れているが、仕事をする人間の良い手だと思っている。
「ところで、それはいくつ作る予定ですか?」
訊かれて考える。
「とりあえず十枚作るつもりです。自分用と、あと掃除の時によくくしゃみをしてる方がいたので、その人の分と、布がある分は作りますね」
アルフリード様が言う。
「これ、型紙を作ることは出来ませんか?」
「出来ますよ。でも何で型紙を?」
「ミスタリア嬢がおっしゃっていたように、実験の時や掃除の時に使いたいなと思いまして。きっと、私以外にも欲しがる人間はいるでしょうから、いっそ、どこかの店に頼んで作っていただきませんか? 何でしたら売ってもいいでしょう」
その言葉にキョトンとしてしまう。
「お店って、そんなに売れますかね?」
「売れますよ。と言いますか、紫水は少なくとも購入します。実験の時に薬品を吸い込んでしまったということもあるので、これがあれば、そういう問題も減るのでは?」
「ああ、そういうことですか」
少し考える。
別にマスクの作り方を教えるのは構わない。
でも、お店側が作ってくれるだろうか?
「うーん、でも、簡単に作れますし」
「しかしミスタリア嬢に全員分を作れと言うのは無理でしょう? 裁縫は得意な者に任せれば良いのです。それにマスクが売れたらその何割かは発案者のミスタリア嬢に支払われますよ」
なるほど、と思う。
「けど、わたしにお店のツテとかありませんよ?」
「そこは紫水を経由して、ローブを発注している店に任せるか、私の伝手を使って探せば良いのです。そうすればマスクは備品扱いに出来ますから、初期費用もかかりません」
「……前者は職権乱用になりません?」
アルフリード様の目が細められた。
「必要なものを作ってもらうだけですよ」
「他に必要なものはありますか?」と問われる。
必要なもの、と言うか、欲しいものはある。
マスクをちくちく縫いながら話す。
「あと、防水の手袋があるといいですね。ほら、実験器具を洗う時に薬品で手が荒れちゃって、たまに痛いので、手袋があったらいいなと思います」
「革のものでも構いませんか?」
「どうでしょう。生地が強くて、水が染み込みにくくて、あまり厚手でなければいいです」
「ふむ……」
横でアルフリード様が考え込んでいる。
最近、アルフリード様も洗い物を覚えたから、わたしの言いたいことが分かるようだ。
ぶつぶつと「革……」「蝋を塗るにしても……」と真面目に考えていて、わたしの小さな希望を叶えてくれようとする気持ちが伝わってくる。
「それから掃除機も欲しいです」
「……ソウジキ、とはどういうものですか?」
「筒型のもので空気と一緒に埃やゴミを吸い取って、中で空気とゴミとに分けて、空気だけ後ろから出すんです。ゴミが溜まったら自分で捨てるって感じで。あ、吸い口はちょっとクッションがついていて、床に直に当たらないようにすると床が傷付かなくていいですよね」
掃除機があればきっとアニーの仕事も楽になる。
いつも平気そうな顔をしているけれど、タウンハウス中を毎日箒で掃いて、拭いて回るのは大変だ。
せめて大きな埃やゴミだけでもサッと掃除出来るだけでもかなり違うと思う。
長い筒型の吸い口があれば、ちょっと高いところの埃も吸えていいだろう。
「そういうのがあれば、ちょっと自分で気になる場所の掃除も出来ますし、使用人達も楽にならないかなって思うんです」
……でもこの世界、電気はないんだよね。
だから家電製品は難しい。
アルフリード様が数秒押し黙った。
「……それ、作れるのでは?」
「え!?」
思わず顔を上げれば、真面目な顔のアルフリード様と目が合った。
立ち上がったアルフリード様が紙とペン、インクを持って戻ってくる。
「試しに、ここにそのソウジキというのを書いてみてください。大まかで構いませんので」
そう言われてペンを渡された。
裁縫道具を横に避けて、紙に掃除機のイメージを描く。
吸い口は筒で、でも取り外しの出来る横長の吸い口の部品があって、長い首部分には三段階で空気の吸う勢いを変えられるボタンがあって、後ろにアーモンドみたいな胴体があり、そこで空気とゴミとを分けて後ろから空気だけ出る。中にはゴミを貯めておける部分もある。足元には引いて回れるように小さな車輪もあって……。
「えっと、こんな感じ、ですかね?」
前世のわりと安くて一般的な掃除機はこういう形だったはずだ。
電気がないのでコードは描いていない。
一応分かりやすいように、あれこれと説明文も書き加えてあるそれをアルフリード様がジッと見る。
しばしわたしの描いた掃除機を眺めた後、頷いた。
「やはり、作れますよ、これ」
と、言った。
「本当ですか?!」
つい身を乗り出してしまう。
「材質は木製か陶器か、まあ、置いておくとして、ゴミを空気と一緒に吸って、中でゴミと分離して、空気だけを排出するというだけならば風魔法で十分行えると思います」
「あ、そっか、魔法!」
この世界には電気はない。
でも代わりに魔法はある。
つい電化製品と思っていたけれど、動かせるなら電気でなくとも良いし、必ずしも機械で作る必要はない。
そして魔力は大抵の人が大なり小なり持っている。
わたしみたいな魔力を体外に出せない内向者もいるけれど、それはごく少数だ。
「これなら基本的に魔力のある者は誰でも使えるでしょうし、小さな風魔法であれば使用する魔力量も少なくて済みます。強弱も魔法式で魔力量を調整すれば簡単に出来るかと」
ガッとアルフリード様の手を握る。
「アルフリード様、天才です!!」
その掴んだ手を気持ちのままにブンブンと振る。
……そうだよ、魔法があるんだった!
わたしは身体強化しか使えないから、掃除機を魔法で作るなんて考えもしなかった。
前世では機械だったから、今生でも機械を用いて作らないとダメだと思ってた。
でも機械に固執する必要はない。
同じ結果を作り出せるなら魔法でも良い。
「掃除機が作れたら、建物の中だけですけど掃き掃除の代わりになるのでずっと楽になります! しかも魔力があればいくらでも使えるんですよね?!」
「ええ、恐らくは。実際に作ってみないことには他の欠点は分かりませんが、作ること自体は可能でしょう。魔法式もそこまで複雑にせず、単一の効果のものをいくつか組み合わせたものなら刻印も簡単に出来ますね」
「凄い!! 凄いですよ、これ!!」
わたしのイメージ図にアルフリード様がいくつか更に書き込んで、二人で紙を見る。
今生でも掃除機が手に入るかもしれない。
あの、前世では掃除のお供に欠かせない存在がこの世界でも使えるようになったら……。
「ミスタリア嬢、私と共同名義でこれを作ってみる気はありませんか? ミスタリア嬢が発案者で、私が出資して、試してみませんか?」
アルフリード様の提案に驚く。
「いいんですか!?」
「もちろん。これが実用化して売れた際には何割かいただきますが、もし実際に使えるようになればそれなりに売れると思いますよ。掃除を行うメイドは女性ばかりですから、掃除の労力が減らせるというのはなかなかに魅力的に感じるでしょう」
「おお〜!」
いかがですか、と言う風に目で問われる。
わたしの答えはとっくに決まっている。
「是非よろしくお願いします!」
「こちらこそ」
興奮のあまり両手を繋いだままだと気付くのは、それからかなり後のことだった。
我に返って手を離したら、アルフリード様は少し残念そうな顔をしていた。
その日、あまりにワクワクし過ぎて夜になかなか眠れなくなってしまったのはさすがに自分でも子供みたいだと思うけれど、それくらい楽しみなのだ。
ちなみにマスクは次の日もアルフリード様の研究部屋にお邪魔させてもらって作りつつ、掃除機について話し合った。
「作れそうな工房を探しておきますので、見つけたら一緒に話をしに行きましょう」
「分かりました!」
……掃除機、楽しみ!
「ただ、この構造だと現状ではミスタリア嬢のような内向者には使えないですね」
アルフリード様の淡々とした言葉に固まった。
「…………え?」
「いずれは魔石を使用して内向者や魔力のない者でも使える構造の掃除機にも挑戦してみましょう」
「あ、お、そ、そうですね!」
……わたし使えないの?!
まさかの事実にショックを受けたのは言うまでもない。




