★春辺朱音のマジギレ事件1ー①
「ちょっと気になったんだけどよ、春辺さんってキレたことあんのか?」
とある日の昼下がり。
蔵元と宮本君の三人で昼食を共にしていた中で、購買から購入した菓子パンを頬張っていた蔵元からそんな疑問が投げ掛けられた。
「そういえば、いつ見てもニコニコしてるよね〜」
「だろー? なんか想像がつかねえし、昔から付き合いのある喜浩なら春辺さんがキレた瞬間とか見たことあるんじゃねーのって思ってな?」
先に弁当を食べ終え片付けを済ませていた宮本君も、言われてみればといった風に頷き、そして二人して好奇心を隠せない目を俺に向けてきた。
「…………」
そりゃあ……もう、ね?
なんだかんだ言って昔から付き合いがある訳だから、蔵元が言ったようにそういった場面を目撃したことは過去に何度かある。
その中でも一際印象深い過去を思い出して、思わず黙り込んでしまった。
「黙ってないで教えてくれよー」
「そうそう。言える範囲のだけでも良いからさ」
俺のその態度に尚の事好奇心を擽られたのか、急かしてくる二人を横目に、件の人物をそっと覗き見る。
当の朱音は机に置かれた蓋の開いた弁当をそっちのけに、対面で昼食を食べている最中の高垣に向けて何らかの話をずっと振っている様だ。
最低限のリアクションしか寄越さない高垣を気にすることなく、やや一方的ではあるが楽しそうに会話を振る朱音。
そういった姿だけを見ていれば、ついつい疑問に思ってしまうのも不思議な話では無いのかもしれないな。
「それはともかく、お前バカか?」
「なんで急に罵倒されたの?!」
同じ人間なんだ、この歳までに怒った時なんて山程あるに決まってんだろ。
「まあこの際だ。あいつが本気でキレたやつを一つ語ってやるよ」
「「おーっ!!」」
隠す事でもないので話すんですけどね?
俺が真っ先に思い浮かべた出来事も、今となっては同中の奴らと会話の種になるほどに面白話の一つとなっている訳だし、コイツらにそれを話したからと言って朱音が怒るほどのものでも無かろう。
それに、俺が変に勿体ぶったせいで二人も待ち切れないと言いたげな表情を見せてきているし。
「そうだなぁ。話の触りとして、様々な因果が絡んだ結果に生まれたあの出来事に、敢えて名付けるのなら……そう―――」
「「…………ごくり」」
「春辺朱音のマジギレ事件簿その①、〜しんどーずをぬっころす〜、だな」
「「しんど……なんて??」」
☆☆☆☆☆☆
あれはそう、中学時代の何時の日だったか。
昼休みの教室で、男子だけの集まりで馬鹿みたいな会話で盛り上がっている最中だった。
『時に新藤。俺の話を聞いてくれるか?』
『なんだよ』
些細な事で爆笑している周りを無視して俺にそう語り掛けてきたそいつは、普段なら生真面目で人当たりも良く成績も常にトップクラス、生徒会に所属していることもあり先生方からの評判もべらぼうに高い、そんな出来る男だった。
『新藤……俺は、昔から神童なんだ』
『ごめん、何言っているのか分からない』
だが、こと男子生徒と絡む時だけは、IQが幼稚園児並みにダダ下がりする様な大馬鹿者でもあった。
『俺の名字は佐藤、そしてお前の名字も新藤……一文字違うだけで何の違いも有りはしないだろうが!』
『何もかもと言うよりはそもそも藤の『う』の部分しか合ってませんが!?』
この時の俺は、新藤と神童を掛けての発言とは露にも思わず、いきなりのトチ狂った発言に勉強のし過ぎでとうとう頭が沸いてしまったのか、とそいつを憐れんだものだ。
『さと……いや、今日からお前は真の新藤。略して真藤だ』
『これから宜しくな、真藤』
『!! ……ああ、宜しくな!』
『妙に感動シーンっぽくなってる所悪い。何一つ意味がわからないんだが? なんならこの学年で新藤は俺だけなんだが?』
『うるさいぞエセ新藤。略してエセシン』
『なんなのコイツラ?』
そんな中でこの漫才擬きを見た周りは、やいのやいのとソイツを祭り上げるかの如く悪ノリを始めてしまった。
『そうだ!俺が……俺こそが、真藤だ!』
『そうだそうだ!』
『こうなれば、真藤たるこの俺が新藤らしく挨拶をしなければならないな!』
『『『それは誰にー!?』』』
『決まっているだろう……麗しの朱音に、な』
『『『ヒューヒュー!』』』
『朱音は麗しってより可愛い系だろ。なぁ?』
『いてこますぞエセドウ』
『マジでなんなの?』
普段なら朱音のことを春辺さんと呼んでいるそいつは、まるで洗脳が掛かったかの如くそう呼び捨てた。
そしてキザったらしい男がする様に手で前髪をかき上げて、妙な自信を抱きながら当時は別クラスだった朱音の元へ挨拶をしに廊下を飛び出た。
ここでふと言いしれぬ不安を募らせたのだが、俺としては仮にそいつの好きな人が朱音だとしても、ああして突撃した所で幼馴染みたる佑には敵わなんだろうよ、という今にして思えば割と性格の悪い気持ちと余裕を持ち合わせていた訳で、ここまできてしまえばどうなるのかという好奇心を抑えきれず、この後の展開を見守る姿勢を取ってしまったんだ。
そんで残された俺達は、ゲラゲラ嗤いながらそいつの後を追うように教室を出た。
『よ、朱音っ!!』
『え? 急に何?』
そいつに追いつき、廊下から覗いた瞬間に目に映った光景は……。
普段から特別仲が良いと言える程でもない男子から意気揚々とした態度で下の名前を呼ばれ、真顔で返事をする朱音とその反応に固まってしまった馬鹿の姿。
『…………なーんて! ちょっと名前で呼んでみたかっただけでーす!』
『そうなんだ』
先ほどまでの勢いが嘘かと思えるほどに自身が新藤という名乗りさえ出来ていなかったし、思わず顔を仰いでしまう程に目も当てられない状況となっていた。
そんで俺の周りはこの光景が余程ツボに入っていたらしく、口から空気を漏らしながら肩を震わせる者ばかり。
そんな奴等にバレないように我慢しろと睨みを利かせている中。
『あれ? もしかして廊下の所に誰か……というかヒロ君居たりする?』
『え』
誰かの堪えきれない音を耳聡く拾ったのか、はたまた俺の存在をやんわりと感じ取ったのか、朱音はたまたま扉付近に居た男子にそう確認を取り始めた。
声を掛けられた男子は言われた通りに廊下側へと視線を向け、直ぐにバッチリと視線がかち合って。
『そこに―――』
『シ、シー……』
『そ、そうそう! 俺は新藤なんだよ!』
その男子への静止が間に合わず、居場所を伝えられるその瞬間に俺の名前から連想したのか、ハッと何かに気付いた愛すべき馬鹿は声を上擦らせながら遮る様にそう名乗り始めた。
『えっと、どういうことかな?』
『十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人って諺があるんだけど、悪巫山戯で新藤の苗字とその神童を掛け合わせてみたんだ! 春辺さんが面白いと感じたなら良いなーって思って…………なーんて……あっははー』
そいつは誰が見ても分かる通りにパニクってしまっていた。
流れについていけていないのか、若干戸惑った朱音の様子を見て、そいつはここに至って冷静になったのか『やらかしたー』と言いたげな顔で冷や汗を垂らしながら下を向く。
途端にシン……と静まり返った教室内、そんな中で皆が頓珍漢な会話を振られた朱音に注目し始めた。
そして、じっとそいつを見つめた朱音は。
『おー! 上手いこと掛け合わせたんだねぇ!』
変に漂い始めた気不味い雰囲気を払拭させるための気遣いだったのだろう、朱音なりの優しい対応にそいつはほっと胸を撫で下ろした。
なんなら事の成り行きを見守っていた朱音のクラスメイトの皆も同じ動きをしていた。
『佐藤くんって昔から勉強とか出来てたから、確かに神童って言えるのかもね! 勉強出来る人って格好良く見えるし、佐藤くんの真面目さとかも相まって、もっと頑張れば彼女さんとかすぐ出来るかもよ〜?』
『うおおおおぉぉぉぉ! ありがとう頑張るよぉぉ!』
煽てられた馬鹿正直なそいつは気炎を吐かせる程に喜んだ。
そんでもって、それを見てこの場の全員が単純な奴だなと思ったに違いなかった。
『そんな事よりそこにヒロくんが……』
『今日から俺も真の新藤、略して真藤を名乗るから宜しくな!』
『いや、それはなんかややこしくなるから止めてくれない? 普通に皆にも迷惑かかるし』
『はい、調子乗ってすいませんでした』
これが、この事件簿を語る上でのプロローグってところかね。
☆☆☆☆☆☆
「…………ん? それだけだと春辺さんがただそいつのやらかしに対して気遣って、そんで平和に終わっただけの話じゃないか」
「そうそう。僕達が聞きたいのは春辺さんがマジギレした場面であって自慢話が聞きたい訳じゃないんだよ〜」
「まあ待て待てお前達。俺は今し方プロローグと言った……待て、これのどこが自慢話だった?」
「いいからいいから」
中々本題に入らない俺に茶々を挿む二人だが、今に言った通りこれは話の導入部分であり、注目すべきはこの後の出来事だ。
そしてそれからの展開については、男子特有の心理を刺激しながら、二人の理解が深くなるよう少しずつ紐解きながら話を続けていくとしようか。
「時に二人とも、聞きたいことがあるんだが」
「これからって時になんだよ」
「中学の時で……男子生徒共は女子に対してどのような態度を取っていたりしていた?」
「どうって……どうだったかなぁ」
「普通に話せる奴とか、いつまで経っても緊張で吶る奴とか、まあ十人十色ってところだな」
二人は揃って視線を上に上げ、過去に見てきた同学年だった男子達の様子を振り返っている。
うーんうーんと悩みながらもこれこれこういうやつが居た、と次々に当時の男子達の反応を語り始めた。
しかしながらどれに対しても余り反応しない俺を見て、理解及ばずと言った形で二人は降参するように両手を挙げた。
「質問の仕方が悪かったかね。つまりはだな……」
ここで俺は机に両肘を付き、誰もが知っているだろう某アニメの司令官の様なポーズとキメ顔を作って口を開いた。
「中学生にもなって、好いた女子とかにスカート捲りする様な男子をどう思う?」
「「……あっ」」
どうやら俺の言いたい事を察した二人は、その男子の心理をある程度理解してしまったようで何処か恥ずかしそうにモジモジし始めた。
今のはあくまで例えの一つだが、思春期の男子中学生など好いた相手にとって自分だけが特別で在りたいが為に、気を惹かせたいばかりに、相手に対し思わず大袈裟な行為を取ってしまうものだろう。
若さ故の過ちと言えるものでもあるそれは、時に周囲からは却って恥ずかしい姿とも捉えられるもので、なぜだか見ている此方が居た堪れない気持ちにさせられる。
控えめなアプローチならばほっこりしながら温かい目を向けるのだが、別に相思相愛という訳でも無いのに度が過ぎてしまえばどうなるか―――これ以上は語るまい。
要は男子にならばある程度理解が出来る故の、共感性羞恥心というやつだ。
因みに女子たる朱音にそれとなく話してみたが、全くもって意味が分からないと両断されてしまった。
「え、じゃああれか? その新藤の名前を騙ったやつが春部さんの気を惹きたい為に、その後にもそう接し始めたってのか?」
「それならまあ、うんざりしてしまうかも?」
「いや、そいつは朱音の否定を最後に元に戻った」
「ん? じゃあ何があってブチギレに?」
「これが厄介なことに、朱音の気遣い全開の態度が色んな奴からしたら一種の成功体験と見えたらしい。仮に掴みで失敗したと言えど、リカバリーしてくれる朱音との会話のネタになるぞ、とな」
「「うわぁ」」
ここまで言えば、二人としても先の展開なんて想像に難くないだろう。
その後は俺が語った通り、色んな奴―――主に成績が俺より上位や朱音と接点を持ちたがっていた奴等がこぞって神童を名乗り始めた。
最初のうちはお前も命知らずの勇者か、と見送っていたのだが、次第に増える神童(笑)どもに呆れる他無かったのを覚えている。
「いやいや、もう中学生なんだろ? もっとこう、他にいい手段があったんじゃ……」
「最初の悪ノリも相まって、そいつらの思考はほぼ無敵に近い状態になってしまったんだよ。赤信号、皆で渡れば怖くないって感じでな。実際、最初のうちはやりきった顔で生還した者が何人も居たんだ」
「それが男子達の尻に余計な火をつけた、ってところかな?」
「その通りだ。朱音も好きな人について一切公言していないから、これからワンチャンあるぞと言った風にな」
「でもよぉ、春辺さんて男女分け隔てなく接する人じゃんか。会話もある程度膨らみそうなものをそれだけじゃ満足出来なかったのか?」
「下心ってのは、時に人を単純化させ猿に退化させるんだよ」
「救えねえ奴等だな」
「男ってホンット馬鹿な生き物だよねぇ」
(そう言うが海音も男やろがい。言わんけど)
朱音もこれが男子特有のノリだと察していた部分もあったろうし、だから聖人の様に寛容な態度で接していた。
……だが、下心スケスケなそれが何度も続くとどうなるか。
『ねえ、いい加減辞めてくれない? 結構マジな方でさ』
当然の事ながら、朱音の堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。
『目を逸らさないでよ……ねえ、ヒロ君』
怒りの矛先を何故か俺に向けてなァ!!
春辺「お、何やら懐かしい話してるねぇ」
高垣「あんたも苦労してきたのね」
春辺「まああれも、実際の所はいい口実になったんだよねー」
高垣(あんな面倒事を口実。恐ろしい子...!)




