87話
投稿が遅れてしまい申し訳ありません。
今話も長く、少し生々しい描写がありますがご了承下さい。
「離して詩織ちゃん! 私はバカヒロを叱らないといけない―――」
「はいはい、愚痴は後で訊くから今は大人しく廊下に出てなさいね」
スマホに入った筈のメッセージを確認していなかったのか、頼んでいたスポドリを片手に怒り心頭のまま俺の跡を追ってきた朱音。
俺を見付けるやいなや問い詰めようと動いたのだが、何故かこの時間になってまで帰宅していなかった高垣に背後から羽交い締めを仕掛けられ、強引に廊下へ引き摺り出された。
俺に悟られない程度には胸の内に何かを抱え込んで、それが爆発でもしてしまったんだろうか。
事前にメッセージは送っていたし別に勝手に帰った訳でも無いのだから、そこまで怒ることも無いだろうと言いたいが……先程まで話した内容が内容だし、俺としても朱音とは顔を合わせ辛かったから高垣のこの行動には大変助かった。
「ヒロ、朱音と何が―――」
「浅見君、部活の方は大丈夫なのかしら。朱音は結構自由って聞くけれど、そっちはそうでもないんでしょう?」
「部活? ……あ」
部活動中でありながら何らかの理由によって此処へ訪れていた佑は、俺に事情を訊こうとして高垣のその一言にすっかり忘れてたという反応を返したあと、俺と高垣を交互に見ながら何かを聞こうとして、けれど別れの挨拶だけを済ませ急ぎ足で教室から飛び出て行った。
出ていく際にビクリと身体を震わせる程に怖いものを見たような反応をしていたが……恐らくは廊下に佇む朱音の顔でも見てしまったからだろう。
「……さて。取り敢えずは落ち着いたから、何時もの席に腰掛けなさいな」
「……おう」
一連の騒動を見守り落ち着いた頃合いでほっと胸を撫で下ろしていると、見事な手際で起こり得た騒乱を捌いた高垣が俺に座れと指示をする。
言われるがままに、放課後に使う何時もの席に腰掛けると、高垣も自身の席に座った。
「それで、朱音と一体全体何があったのかしら?」
「……言わなきゃ駄目か?」
「誰があの子達を追い払ったと思っているのかしら」
「分かった、分かったよ」
この場に居合わせた以上、事情が気になるのは仕方の無い事でもあるし、ましてや助けられた身だ。
一から何が起こったのか、高垣に説明する責任が俺にはあった。
「実はな―――」
☆☆☆☆☆☆
「呆れを通り越して何がしたかったの、というのが正直な感想よ」
大まかに流れの始まりから今に至るまでを説明して、開口一番の感想がこれであった。
説明の途中では何色にも染まらなかったその瞳は、終わった今となっては路端に捨てられたゴミを見る目に変わっていた。
「前にも言ったけど、今の状況を……」
「それは知っている。でも機会が訪れたにも関わらず結果として何も成していないじゃない」
「……」
「口にするのが怖いです、だから遠回しに気付いてねって……この期に及んで、女でもあるまいに何を女々しくなっているの?」
いつにも増して辛辣な言葉を投げ掛ける高垣に、俺は言い訳すら浮かばず項垂れる。
直接伝えずとも、伝わったのは確かなのだろう。
けれどそうすると決めた段階でハッキリと想いを伝えねばならない状況で、俺はその選択を取ることが出来ていなかったのは事実だ。
己の優柔不断ぶりに心底嫌気が差していれど、高垣はお構い無しに続ける。
「朱音も今回の件で全部とは言わずとも気付けたものがあったでしょう、アンタには見せずとも裏で思う所が出来たでしょう」
「……そうかもな」
「アンタが願いを叶える上で朱音の想いに拒否を突き付けなければならない立場であるくせに、チラチラと中途半端に希望だけを見せ付けて、けれどどう足掻こうと朱音の望みは絶対に叶えません……随分と、驕っているのね」
「……」
「アンタが朱音を振る―――これについては私から意見を物申す気はないわ。けれどね、すると決めていざその場になったら尻込みしましたって、馬鹿を通り越して情けないと思わないの? 自分で言ったことも守れないのだったら、最初から口にするなと言いたいわ」
「…………」
「まずもって朱音に対して不誠実極まりない。遠回しに伝えましたって言われても、その当人がどんな気持ちで受け止めたのか今のアンタじゃ理解すら出来ていないんじゃないかしら?」
「………………はい」
「はあ、呆れ果てるわね。正直な所、あの日にアンタが決意を示したのには感心したのよ? 今までおままごとの延長線みたいなものを続けさせようとしていたのに、切っ掛け一つでこうも意識を変えれるものだと……それがこの体たらくではねえ」
「お、おままごとの延長線?」
「アンタ自身も言っていたじゃない。今まであの子達の事を都合の良い玩具にしてきたって。役割分担を決めて演じさせる……アンタの恋愛感を鑑みれば、そのまんまの意味じゃ無いけれど、この例えが妥当じゃないかしら?」
「そ、そんなガキの遊びみたいな例えしなくても」
想像の斜め下の例えに、いくら何でもそれは無いと反論をしようとして。
「アンタがどう言い繕うとしてもね、私にとってはこれがしっくり来るのよ」
「そ……そうか」
思いの外、程度の低い恋愛観を持っていたことを叩き付けられて、自分に幼稚な部分があったことに肩を落とす。
「子守りみたいな状況が何時まで続くことかと待っていたものだから、私としては恋バナ擬きを始めた浅見君にはスタンディングオベーションを送りたい所よ」
「……そう思う程なら、お前が教えてくれてもよかったろ」
直ぐとは言わずとも何処かで変化を期待した言い分だった。
そういう視点で見続けてきたと言うのなら、高垣が何処かのタイミングでそう伝えても何ら問題は無さそうに見えたのだが。
「私がその切っ掛けを作ったら駄目なのよ」
「……なんでだ?」
「分かってないようだから言わせてもらいますけど……知り合ってたかだか数ヶ月の友人から「おままごとを続けてるの?」と言われて馬鹿正直に受け止められる?」
「……多分、信じられねえかも」
言いたいことは何となく理解した。
前までの俺ならば、高校生にもなってそんな子供じみた真似をしている筈が無いと否定から入るだろうし、まずもって信じられないだろう。
それこそ、高垣が今言った様にたかだか数ヶ月の付き合いで知った様な口を利くなと反発するだろうよ。
「それにね」
「?」
「前にも言ったかも知れないけど、そういった価値観の認識と変化をこそあの子達がしなければならないものだと、私は思っているのよ」
「…………そうか」
要するに、それらをすべき人が俺の側に居るからこそ、高垣は思ってこそいれど口に出す事は避けてきたと。
「別にこれだけに留まらず、他にも伝えたい事は山程あるのよ?」
「うえ?」
「でもそれ以上はアンタとあの子達の問題だから。部外者の私がとやかく言う積もりは無いけれど……高校生にもなってガキみたいな思考は捨てなさい。話はそれからよ」
「……はい」
厳しい意見を言いつつも優しく諭す雰囲気はさながら母親の様で。
居た堪れなくなった俺は、素直に頭を下げた。
「それで、話は変わるけれど」
「ま、まだ何かあるのか?」
話し続け渇いた喉を潤す様に、机に置かれていたペットボトルの中身を一息に飲み干した高垣はそう続ける。
先と似たような内容なのだろうかと、戦々恐々としていたが。
「アンタ、何で自分をゴミクズと呼べって言い出したの?」
「え?」
どうやら話は俺が此処へ訪れた際にしたお願い事についてで。
「アンタの言い分は分かるわ。朱音に不誠実で親友のしの字の欠片もない対応をし、自分の唯一誇れるアイデンティティを無くしたのだものね」
「は、はい」
思った以上の毒舌をもって俺の立場を懇切丁寧に説明してくれたのだが、そこまで理解しておいて何を知りたいのだろうか?
「アンタ、私に何か隠してるでしょう」
「……何故、そう思ったのか理由を聞いても?」
「何となくよ。強いて言うなら、勘ね」
「勘」
いやまあ、朱音との間で起きた喧嘩っぽい何かの内容こそ全部伝えはしたが、その後の下衆な想像については口に出すのも嫌気が差したので話していない。
前者の内容で俺が如何にゴミクズだったのか、高垣の今までにない辛辣さが物語っていた筈だが、勘だけで引っ掛かり感じるものなのだろうか。
「あるには……あるけどよぉ」
「ふぅん。ああ、そういうことね」
「あ?」
「アンタ、自分がその立場でいれたなら―――なんて淡い希望でも持ってしまった故の自己嫌悪かしら?」
「は……はぁッ!?」
図星も図星。
まさかドンピシャで答えを出された事に驚きを露わにしながら、思わず立ち上がる。
「馬鹿ね、こんなのただのカマかけじゃない」
「は、はあ!? ああ、クソが!」
「前々から言っていたけれど、ポーカーフェイスを覚えなさい」
その反応を見て、高垣はしてやったりと言いたげな表情でクスクスと笑いやがる。
たった一言否を突きつければ済んだものを、こうも簡単に掌で転がされた挙句、ここまで露骨な反応を示し暴かれたくなかった思いも俺自身で暴露してしまった。
高垣には敵わねぇと手で顔を覆いながら、全身の力が抜けたように再び席に座り着く。
「……怖えよ」
「あらあら。アンタ、ホラー系は好きって言ってなかった?」
「恐怖の質がダンチなんだよ、馬鹿たれが」
「それはそれは、光栄ね」
ボッチは人間観察が趣味、だなんて台詞を何処かで見た覚えがあるが、強ち間違いでは無いのかも知れない。
ここまで当てられてしまうと、幾らホラー系統のジャンルが好きな俺と言えどこんな時期に鳥肌が立つレベルだ。
「ま、まさか」
「何?」
「お、俺の性癖なんかも……当てれたりする?」
「それは知らん」
試しにそう聞いてみれば、返ってきたのは汚物を見た様な視線だった。
う、うん、まあ例えが酷かったなコレは。
ていうか、何故性癖なんてものを訊いてしまったんだろうな俺は。
「強いて言うなら、ヘソフェチかしら?」
「いや答えんでいいわ。ていうか違うし」
「あらそう。前に水着の感想聞いた時は直ぐに臍を褒めたから」
「あんなんその場凌ぎの褒め言葉だろうが。いやまあ確かに小さくて可愛らしいお臍をしてらっしゃアッダァ俺の脛ェッ!!」
数日前の姿を鮮明に思い出しながら、その時に思った感想の詳細を伝えようとして脛への攻撃で中断された。
痛みに悶える俺とは反対に、高垣は能面の様な顔をしていた。
「こんな下らない会話はどうでもいいのよ。話を戻すけど、アンタがそれを想像してしまった時に何を感じたのか、何を思ったのかを教えなさいよ」
「言わなきゃ駄目か?」
「この期に及んで、尻込みするの?」
同じ失態を繰り返すのか、そう言いたげな目を向けてくる高垣に、俺も緩みかけた緊張を今一度固く結び、姿勢を正して真っ向からその目を見詰め返した。
「ハッキリ言って、俺にそんな願望があったんだなってのが正直な感想だ」
つい先程に、それに至ってしまった状況を思い浮かべる。
「自分の都合で彼奴等を付き合わせようとしてきたこの俺が、まさか自分がその立場にいれたなら……どれだけ楽だったか、どれだけ満たされたんだろうとか、どれだけあいつを笑わせてやれたんだろうかとか……意外なことにポジティブな感想ばかりが頭を覆い尽くしたよ」
「そう」
「だからこそ、俺はそんな都合よく解釈した自分自身に唾を吐きたくなった、佑のポジションを自分の都合で横から奪い取って恋人に成り上がるなど手前勝手も甚だしいと、気持ち悪いと心の中を罵詈雑言で埋め尽くしたくなった」
そうすると、高垣には伝えるのは避けようと思っていた気持ちに反して、喉からはすらすらと言葉が飛び出てくる。
「所謂自己嫌悪の極みってやつかね。そんでその先でさ、俺がその道を進んでしまった時……ふと、こう確信を抱いたんだ」
「どんな確信かしら」
「その先で俺は……朱音に一片も恋愛感情を向けないんだろうなってさ。なんて言えばいいか……偶像崇拝、的な感じなのかな」
「ふうん? 仮に関係を持ったとして、つまりは都合の良い関係になるのではって危惧している訳?」
「いや急に生々しい例えはしないでくれないか? なんかその言い方だとさ、セ、セセヒュッリェ……なんかそういう関係に聴こえなくもないじゃんか」
「ピュアか。誰かしらがそんな関係の一人二人持ってても可笑しくは無いんじゃないかしら? この学校で探せばそういう人達がゴロゴロ居るかもしれないし」
「いやいや可笑しいだろうが! 穿った考えは捨てろ!?」
「多感な時期に加え、手の早い人や興味本位で誘いに乗る人なんて幾らでも居るでしょう。ある程度顔の良い人から甘~い誘い文句に踊らされて、ズルズルと淫らな関係を続けてしまうとか」
「や、や……やめてくれよぉ」
「ガチ泣きじゃない」
何で今のタイミングで顔の良い人とか言っちゃうんだよ。
俺の中で顔の良い=佑か朱音って方程式が勝手に組み込まれて、頭ん中で想像したくない未来を想像しかけてしまうだろうが。
「い、嫌だ! 彼奴等にそんな歪で淫ら過ぎる関係性を持たせてたまるものかよ! 彼奴等にはもっと誠実で清楚で純情であって欲しいのによぉ! ていうか不純異性交遊は絶体に認めねえぞ俺はよぉ」
「その話は進まなくなるから置いておきなさい。実際問題、あの子達が慰めか何らかの理由で肉体関係から始まってしまったとして……アンタの願望が叶う可能性はゼロじゃないかもしれないわよ?」
「え?」
俺としてはこの手の話は嫌な方向に思考が傾くため早々に終わりたかったのだが。
高垣は興が乗った様に、次々に自分の意見を投げ掛けてくる。
「説明の前に改めて訊くけれど、あの子達って交際経験皆無なのよね?」
「あ、ああ」
「それならその交友になってしまった場合……自ずとお互いが初めての経験相手となるでしょう」
「……」
「シチュエーションもへったくれも無いけれど、キス一つとっても、忘れられない想い出になるのは確定じゃないかしら」
「…………た、確かにそうかもしれないけどさ」
「ふふっ……あの子達に清いお付き合いを望むアンタにとってはキツイ話かもしれないけれど、今一度我慢して聞きなさい」
妙に生き生きとしだした高垣に、俺はまさかと下衆な勘繰りが頭を過ぎった。
「た、高垣さん」
「何よ、急に畏まって」
「不快を承知でお聞きしますが―――」
「あるわけないでしょうが。次、不快な質問をしようものならアンタの股にぶら下がった爪楊枝を根元からへし折るわよ」
「ひ、ひぃっ……すいませんでした」
不快という単語だけで全てを察した高垣は、楽しそうに語る雰囲気から一転し、語気を荒げ冷たい目で睨みつけてくる。
思わず怯んで謝罪をしてしまったが、果たして俺だけが悪かったのだろうか、語弊を与えかねない程にこの手の話を嬉々として語りだす高垣も悪いのではなかろうか。
「何でそんな生き生きとしてんだよ」
「昼ドラって、ドロドロし過ぎて逆に面白いわよね」
「昼ドラ」
サブスクがあるこのご時世、一昔前に言われてた専業主婦だけの楽しみを若人も片手間で観れるとは言え……この歳にしてそっちの趣向に染まってしまっていないだろうか。
少し……いや大分、高垣の将来に不安を覚えた瞬間だった。
「話を戻すけれど、前に私が言ったことを憶えているかしら」
「憶えている? どの事だ?」
「私が恋愛や親愛、友愛だとかをアンタに語った日のことよ」
「ああ、あの日なら全部思い出せるが」
「……なんか恥ずかしいから忘れて欲しかったのが本音だけど、今となっては好都合ね」
「あん?」
あの日は高垣が熱く語ったからよく憶えているとも。
だがその本人は、当時の発言を思い出して恥ずかしげにそっと目を背け遠い目をした。
俺としては、あの日の会話の何処に今と繋がる部分があるのか理解出来ず、首を傾げるだけだった。
「ピンと来ていないようだから言うけれど、私が好きとは何か、を語る中で『特殊な事情を除いて』と言った事は憶えているかしら?」
「あ、ああ……確かにそんな事を言った覚えがあった……な―――」
そう言えばそんな事をと思い出した所で、言葉が詰まる。
あの日は然りげ無く言い流していた高垣だったが、今この場でソレを提示したのなら、特殊な事情とやらが肉体関係から生まれる『好き』もあるのだと、そう言いたいのは理解した。
理解したからこそ気になって仕方無いのが……幾ら昼ドラを観てきたからと言えど、たかだか高校生が恋愛を語る上でそんな喩えが出てくるものだろうか、という点だ。
高垣の恋愛観がそれなりに真っ当なものであり、その手に関しては不純なものであると理解している節があるのは先程の反応で確認できる。
普通の高校生ならば、真っ当な交際の果てでの経験をより望むものだろう。
不純異性交遊という名目ではあるものの、恋愛感情を与えあって、その上での行為ならばより強固な繋がりを実感するに必要な手段でもあるからだ。
勿論、避妊云々については確実な話としてだ。
自分の欲を満たす為だけの手段として使うような腐れ外道に関しては置いといて、普通ならもっと綺麗なものを想像し願うもの。
あの時点でその喩えが出てきているのは……納得出来ないというかなんというか―――
「なあ……」
まるで高垣の近くにそういう人物達が居て、そういう関係性であることを何処か知ってしまって。
「何かしら? 変な勘繰りだったら―――」
それでも、その関係性の先で真っ当に好き合う事が出来るのだと、信じているのだとすれば。
そうなると友好関係を簡単に築くことのしない高垣の周囲の人物など、必然的に限られてくる。
「あの二人が……それらに関係してる、のか?」
事実か否かは定かでは無いとしても、手前勝手に幼馴染み達を疑うようなものを言われた高垣から激怒され、絶縁状を叩きつけられても俺は拒否を出来ない立場となる程の失言だ。
それに気付いた時点で時すでに遅し、思わずと言った風にそんな言葉が溢れてしまった。
「―――」
普通なら、お前如きが失礼な事を言うなと頬を叩きに来るものだろうに。
普通なら、勝手にそんな顛末を想像した俺を気持ち悪いと侮蔑を込めて拒絶するべきなのに。
対する高垣は……驚きこそすれど、微笑んでいた。
「―――ふふっ、全く、貴方も人の事を言えないわよ」
目を見開き固まる俺に、高垣は可笑しそうに笑い始めた。
そして徐ろに人差し指を立て、俺に続きを言わせぬように俺の唇にソレを優しく当てた。
「人のこと勘が鋭いとか散々言っていた癖して、貴方も大概ね」
果たして、俺の考えが全部合っているかは確認が取れなかった。
高垣もきっと今に至るまでの詳細を、俺に伝える気は無いのだろう。
そっと指を離され、そしてお互いに何も発さずに静かな空気が流れる。
夏の昼時だと言うのに、妙に涼しさを感じるこの空間を肌で感じ始めた頃……パンッと軽くて高い音が教室内に木霊した。
高垣が、空気を払拭する様に拍手した音だ。
「今更になってしまうけれどこれ以上は朱音の名誉にも関わることだし止めましょうか。それにキリがいいし、ここで一学期のおさらいをしましょう」
「は? いやまあ、彼奴等に聞かれたら不味い話ではあるけどよ。おさらいって何だ?」
「意味が分からないって顔をしているようだけど……この一学期の間でアンタが起こした行動云々に対しての成績表についてよ」
「え?」
突然と、高垣はそう切り出した。
流れについて行けなかった俺は、只管に高垣の言葉を聞き漏らさぬよう注意するしか無かった。
「総評価、一以下よ」
「最低評価を更に下回ったな」
「当たり前でしょ。なら聞くけど、自信を張って成し遂げたものでもある?」
「……ありません」
でしょうね、と溜め息をついた高垣。
「最後の最後で自分の立場に気付けたのは良いとしても、結局は浅見君の功績であって、本来ならアンタが自主的に気付くべきものであったのよ」
「返す言葉もありません」
「あと、私のアドバイスを鵜呑みにし過ぎ」
「はい…………え?」
予想外の反省点に、俺は目を剥いた。
「え? いや、だって……え?」
「アンタね、私が色んな経験を経た大人にでも見えているの? 同い年よ、同い年。同じ数の人生しか送ってない小娘に、あれこれと大層なアドバイスなんて出来る訳ないでしょうが」
「え、ええ?」
「あんなの半分位がその場で思いついた簡単なアドバイスに過ぎないわよ。半分はアンタがそれらの意見をどう応用していくのか見たかったに過ぎないわ」
意外な事実を呆れた視線と共に伝えてきた高垣に、俺は呆けた声しか出て来なかった。
「コレはどうだった、アレはどうだったと犬みたいに報告ばかりするばかりで全く成長しないんだもの、私も何を伝えようか随分悩んだものだわ。考えてものを言いなさい、という簡単なアドバイスも意味を成してなかったわけだし」
「ひ、酷い」
「酷いも何も、今のアンタが物語っているのよ」
「そ、そうですね」
何も返す言葉が見つからなかった。
それからも、鬱憤を晴らすかの如く褒め言葉の一つ無い反省点のオンパレードが続いて、一頻り伝え終わった後のことだった。
「打ちひしがれる所悪いけれど、最後よ」
「はい」
「最後の最後……今のことね。目の曇りは晴れたかしら?」
「曇り、晴れ? え?」
「気付いて無かったのね。まあ、自分のことは意外と気付かないものだし仕方が無かったかもしれないわね」
目の曇りとは、一体何の話だろうか?
そんなにどんよりとした視線を向けてきたと言うのだろうか?
「アンタが私にあの子達の未来とか願望を話す際ね、それはもうドロッドロの瞳をしてたのよ?」
「そ、そうなのか? 今までずっと?」
「一から全部って意味じゃ無いわ」
そうして語るのは、今までの放課後の時間での事。
口ではキラキラした物を語るが、その目は何時も泥の様に濁っていて異様に映っていたらしい。
「浅見君なのか朱音なのか、それは私には解らないけれど。アンタはずっと嫉妬に似た何かをあの子達に向けてきていたのよ。あの子達の前では見せてこなかったという点だけは、褒められるのかもしれないけれど」
「な、何で高垣がそんな事を知っているんだよ」
「朱音が言うには、『何か』を期待するような目に見えていたらしいのよ。これについては浅見君も同意見とは朱音の言ね。強ち間違いでも無いのが厄介な点ではあるでしょうけど」
「そ、そうなのか」
どうやら高垣と朱音の間でそれらしい会話をしたことがあったらしい。となれば、今回の内容も朱音に伝える気でいるのかもしれないな。
俺がとやかく言う立場では無いのは理解しているが、出来ればぼかして伝えると嬉しいかなって思っていたり。
「心配しなくても、今回のコレを朱音に伝える気は無いわ」
「そうなのか?」
「ええ」
それなら安心、なのかな?
どっちみちこの後で佑と朱音には今までの事を伝えるから、その件で連絡を取り合いそうなものではあるけれど。
「そして最後に」
「あれ、さっき最後って」
「つべこべ言わず聞きなさい、ゴミクズ君」
「あ、はい」
「二学期以降は……そうね、これはちゃんとしたアドバイスだけれど、自分にもっと目を向けてなさい。アンタ、自分に対してあまりにも無頓着過ぎるのよ。興味が無さすぎると言ってもいいわ」
「……うす」
今の今まで厳しい言葉しか出て来なかったのに、此処に来て突然と優しい言葉をかけられた。
なんとか返事は返せたものの、思わず視界がぼやけてしまい、それを隠す様に頭を垂れた。
「そこはハイ、でしょうが馬鹿たれ」
「はい!!」
「うっさいわね。目の前で叫ばないで」
前言撤回、出かけた涙は直ぐに引っ込んだ。
「ついでだから、次に向けての餞別を送ってあげるわ」
「は、はい……餞別? なんかくれるの?」
「はいこれ」
「うおっと……なんだこれ?」
餞別とは何の事かと疑問符を浮かべていた所、高垣が机の上にあった小さい箱を投げて来た。
てっきり誰かからの貰い物か何かと思っていたのだが、これが餞別の物らしく、吃驚しながらも難無く受け止めた。
手の平に置きながら、ソレを見てみる。
よくよく見ればお菓子の入った袋にあるべきラベル表記など無くギフト用とかで見る様な包装紙にリボンが施された四角形の箱で、俺の広げた手と同じ程度の大きさ、中身は軽いと言えど妙な重さを感じさせる物だった。
「そのラッピングとかは自前よ」
「ほえ〜。綺麗にできてるし手先器用なんだな」
「どうも」
「開けていいの?」
「どうぞ」
中身が気になった俺は、許可も取れた事で破かないよう丁寧に解いていく。
そして姿を見せたのはなんと……透明な箱に入っていた全体的に丸びを帯びた黒い容器だった。
「なんだこれ……ワックスか?」
「正解」
ぱっと思いついた名前を言えば、当たっていたらしい。
箱の側面を見れば、確かに男性用のワックスといった表記が記載されていた。
何でコレを餞別として選んだんだろうか、と考えているとある出来事を思い出した。
「え、もしかしてあの日に俺の髪型崩しちゃった事をずっと気にしてたん?」
「違うわよ」
前にデートした日、待ち合わせに使ったあの喫茶店で整えられた髪型を乱された事があったが、その時の挽回でもしたいのかと思ってしまった。
しかしながらそれは違ったようで、高垣は溜め息をついてから続ける。
「アンタ、バイトとかで接客する機会が増えるのでしょう? 前までは放ったらかしにしてた寝癖とかはここ最近で見なくなったけれども、あれってただ水をつけただけの処置だったでしょう?」
「お、おう」
「折角なのだから、これを機に身嗜みというものを少しでも身に着けなさい」
「う、うん」
「面倒くさがるな、絶対にやりなさい。いい?」
「はい」
なんか約束を交わしてしまった感がするけれど、帰ってからワックスの浸け方の練習をしなければならないなあ。
佑に手伝いでも……いやでも、この後の流れ次第では無理かもしれんな。
蔵元か宮本君にでも聞きながらしてみるか。
「改めてありがとな高垣。一生もんの宝物にするよ」
「消耗品なのだから大事に保管せず全部使い切りなさい」
「う、うっす」
何だろう……この先で中身の使用状況とか聞かれそうな予感がするな。
「さて、私の用事は全部済んだし、ぼちぼち帰るとするわ」
「おう。何から何までありがとうな、高垣」
「どういたしまして」
言葉通り、やるべきものが済んだ様で帰り支度を始めた高垣は、仕舞うものを鞄に入れ、肩に掛けてから席を立つ。
「アンタは、ここを出たら朱音の所に行くの?」
「んにゃ、ここで彼奴等の部活が終わるのを待つよ。少し考えなきゃいけないこともあるし」
「そう。それなら帰りに朱音に挨拶していくから、その旨伝えておくわ」
「おう。何から何まで恩に着る」
「ホントにね。それじゃこの後の事、後悔なき様に頑張りなさい」
「おう」
別れの挨拶も程々に、教室から出ていく高垣を見送った。
本当に、何から何まで高垣には世話に成りっぱなしだ。
同い年として情けなく感じるものもあるが、なんというか、ついつい甘えてしまう部分が顔を覗かせてしまう。
「まさか、高垣の姉御肌にでも触発されているのか俺は?」
そんな事を面と向かって言えば、蔑む目で見られることは必須だろう。
だけどなんか、そんな感じがしてならないのは間違いなのだろうか。
「……いかんいかん、先の事を考えないと」
ここまま高垣について考えを深めてしまうと、要らん所まで考えを巡らせてしまいそうになる。
それは、高垣にとっては不誠実な対応になるだろう。
「…………後悔無き様に、か」
帰り際に言われた言葉を、復唱する。
果たして俺は、今日の帰りに、その選択を取ることが出来るのだろうか。
昼時の空は、ムカつく程に快晴だった。
★★★★★★
「ヒロ君、私が聞き耳立ててるの全く気が付かなかったね」
「それだけ余裕が無かったということでしょう……それにしてもごめんなさいね、朱音。貴女の名前を使ってあんな生々しい会話をしてしまって」
「ううん、別にいいよ〜」
「あの馬鹿に何を言われて、何を感じたのか。私には全てを推し量ることは出来ないけれど。今のあの馬鹿に優しくするのは却って悪い結果を招くわ」
「うん」
「いい機会なのだから、なりふり構わず伝えるものは伝えておきなさい」
「うん、色々終わったら、またメールか電話するね」
「ええ、待っているわ」
「それにしても」
「ん?」
「詩織ちゃんには先を越されちゃったな〜って思って」
「……私だってタイミングを見計らっていたのに、そもそもそっちの行動が遅いせいでしょうが。私に八つ当たりするのはお門違いというものよ」
「う、そうなんですよねえ。えへへ」
「ま、なにはともあれ貴女も後悔の無いようにね」
「うん、また今度! ちゃんと運動とかするんだよ〜?」
「……はいはい」
「あ、一個言いたいことがあるんだけどさ」
「何かしら」
「爪楊枝ってのは、ちょっと言い過ぎなんじゃって思いました!!」
「指摘する所が可笑しいでしょうが。さては貴女、意外と余裕あるわね?」
新藤くんと高垣さんの生々しい会話時
春辺さん「う、うわあ......うわわわ」(顔真っ赤)




