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86話

長いです。

「ヒロ君の質問に答える前に、私から聞きたい事があるんだけどさ」


「……どうぞ」


 朱音の手配により完全に二人きりとなった美術室。

 扉から離れた朱音は再び俺の対面に座り直し、背筋を伸ばしてからそう言ってきた。


 質問に質問で返すな、等と茶化せる場でもなくなり聞く姿勢を取る俺に対し朱音は大きく息を吸ってから、目を瞑り静かに長い深呼吸をする。

 どんな言葉が飛んでくるのかと思わず身構えている最中、朱音は瞼を開かさせた。


 見せた瞳には今迄に見たことが無い程に。

 底冷えしてしまいそうな程の冷たい視線を持って俺を睨み付けた。


「あの質問の意図は、何なの?」


 俺の発言を鑑みれば当然の事だが、その声色には多少の憤りの感情を滲ませていた。

 先程までは失望でもしてくれればと安易に考えていたが……何年も付き合いのある朱音から初めて向けられたそれに、胸の内がきつく締まる感覚を覚える。

 だが俺としてもここで引く気は無く、真面目な顔を保ちながら見つめ返す。


「朱音としては我慢ならない内容だったとしても、俺からすれば重要なものだった。ただそれだけだ」


「どういう意味で?」


「それは……」


 慎重に言葉を選ぼうとして、思わず口籠ってしまった。


「ふぅん? はっきりしない所を見るに私には答え辛いものなんだね」


「ああ、そうだ」


「……いや、この場合は()()の両方と言ったほうが正しいかな?」


「……」


「こっから先は沈黙は肯定と見るからね。言い返したい事があるのなら言葉にしないと、私の中で勝手に結びつけるよ? 今のには省いてあげるけど」


「分かった」


 いっそここで俺が願い続けていた二人の恋路についてを語り出せば済む話ではあるのだが、ここでそれを言うのは憚れた。

 朱音の推測は正しかった訳だが……今にそれを聞き出したいだろう朱音には悪いが、この想いについては二人が揃った時と決めている。


「取り敢えず……納得は出来ていないだろうが、一応はお前の質問には答えたぞ。次は俺のに答えてもらっても?」


「うん、正直に言うと無理だね〜」


「……随分と軽く言ってくれるな」


 朱音が予想以上に軽い調子でそう告げるものだから、思わず睨み付けてしまった。

 ああ、こうなると簡単に予測出来てしまったからこそ、コイツらにこの手の話は避けてきた筈なのになあ。


「そりゃ言うよ……特に今は、()()()()()()ね」


 俺に睨まれているのに全くもって怯みもせず、朱音は寧ろ何処か楽しげに顔を緩ませる。

 何となくだが、今のこの状況に対して喜んでいる様に。


 だがそれはそれとして、好いた人を前にした様な今の言葉は中々に心に利く。

 それはもう、自己嫌悪で胸を掻き毟りたく成る程に。


「そんな嫌そうな顔をされると流石の私でも傷付くよ〜?」


「いや、すまん。こればっかりは朱音が悪い訳じゃ無いんだ」


 迂闊な事に油断して癖が出てしまったらしく、無意識に手のひらで目を覆った。

 しかし気になるのは、この顔を正面から向けられた筈の朱音が、言葉とは裏腹に全く傷ついた様子は見せなかった点だ。


 …………これは、どっちなんだ?

 事実ではあるがそこまで重く受け止めておらず冗談っぽく言ったものなのか、俺が見破れない程に隠しきっているのか……判断がつけられない。


「なんで無理なのか教えてもらっても?」


「うーん……」


 暗くなった視界を開かせて見ると、腕を組んで言葉を選ぶようにうんうんと悩む朱音。


「たすくんとは幼い頃から一緒に居たわけだしね。ありきたりな答えになるけど……今更恋愛感情は向けれない、かな?」


 なんてこと無いように。

 事前に並べていたありきたりな予想の一つを、告げてしまった。


「そうか」


 告げられてしまった。 

 この場を招いた要因が俺なので、こう言える立場ではないのかもしれないが。


 二人に向けて、理不尽にも何故両想いでいられないのかと、巫山戯るなと叫びたくなった。


「そっか」


 手前勝手ながらに我儘を夢にまで昇華させて見たかった、さぞ美しかろう光景が。

 こんな何気ない会話の一つでこうも簡単に崩れ去っていく事に、外聞も恥も気にせず怒り暴れたくなる。


「やっぱ、そうだったんだよなぁ」


 そんでもって……ここまできておいてもしかしたら、という一縷の望みを持ち続けてしまっていた自分の愚かさに酷く吐き気を覚える。


 つい最近で自分がこういう人間だと改めて自覚出来た筈なのに。

 高垣にも、近いうちに朱音を振るんだと息巻いていたのに。

 こうして言われるまでに……望みはまだ有るかもと、見られるかもと楽観視していた想いが捨てきれていなかった自分に唾を吐きたくなる。


 ぐちゃぐちゃになりそうな感情を整理していると、いつの間にか俺の視線は目の前の朱音からなんてこと無い美術室の天井へ向けられていた。


「あはは……ヒロ君からしたら、そんなになるまで私とたすくんを付き合わせたかったんだね」


 なんだか確信を得たかのような朱音のその発言に、身体が凍りついた様に固まった。


「なんで……」


「いやあんな風に聞かれればどんな馬鹿でも解るでしょ。それになんか勝手に不貞腐れてるのを見るに……ドンピシャって所かなぁ」


 言われてみれば、確かにその通りだ。

 すんなり言い当てた反応からして、恐らくは最初の質問をした段階でここまでの道筋に辿りついていたのかもしれない。

 絶賛悩みに悩んでいた最中とは言え、こうなる可能性を見込めないとは浅はか過ぎにも程があると言えた。


「う〜ん」


 動けない俺を余所に、朱音は顎に手を添え考え事を始めた。

 少し尖らせた唇を人差し指でトントン、と一定のリズムで叩きながら、思考の深さに比例してか視線をゆっくりと上に昇らせている。


「ヒロ君」


「お、おう」


「ヒロ君はさぁ、何で私とたすくんを付き合わせようとしてるのー?」


 様子を見守っていると、そんな事を聞かれた。

 ここまでの流れを汲み取ればそんな疑問が浮かび上がってくるのは不思議では無い。

 仮に立場が逆だったとしても、同じ様な疑問を俺も返していただろう事は想像に難くない。


「例え私とたすくんがカップルになったとしてさ? それを望んだヒロ君の心境ってのがいまいち掴めないんだけど」


 脳内で何らかのピースを一つ一つ当て嵌めているのだろうが、それでも足りない情報がある、といった印象を朱音に抱く。


「今は言えない」


「今は?」


 この際だ……自分が変にビビって逃げ出してしまわぬ様に、ここで一つ約束を取り付けてしまおう。


「ああ、と言っても返事を長引かせる気は無いんだが。今日の帰りで……佑も交えて、それから全部話す」


「……うん、分かった。それまでは何も考えないようにしとく」


「恩に着る」


「恩に着るだなんてちょっと大袈裟だなー」


 ちょっと感謝が重いねぇ、と苦笑いでそう答える朱音だが何らかの拍子で弱腰になってしまう俺からすれば、ある意味絶好の機会となった訳で。

 だからそう感謝を告げたのだが、朱音からすれば重く捉えるものでも無かったらしい。


「あ、じゃあさじゃあさ!」


「ん?」


「ヒロ君が自分を親友って呼ぶのも、もしかしてこれが関係あるの!?」


「いやそれは関係ないな」


「そっかー無いのええぇっ!?」


 続いての質問にはすんなりと答えたのだが、何を思っていたのか朱音は予想外の驚き様を見せて来た。

 思いもしなかった反応に俺も吃驚し、大きく肩を跳ね上げてしまった。


「え、ないの? 何で? 何で無いのヒロ君!?」


「違うも何も、まずは落ち着け」


「ぬぬぬっ!! これかなって思ったんだけどなぁー!」


 朱音は俺の宥める声が耳に届かないのか、一人で勝手に頭を抱え始めてしまった。

 何が違うと言われても、何が違ったのかさっぱり理解出来なかった俺は、落ち着きを取り戻すまで渋面で勝手に悔しがっている朱音を眺め続けた。


「いやでも急な距離感についてはこれっぽいような気もするし……本気でそれをさせたがっていたなら私にこれっぽっちも反応しないのも、まあ……めっちゃ腹立つけど……腹立つけどぉ!! ひとまず飲み込んでいやでもなぁ〜……やっぱ許せないなうん! いやいや落ち着けよ私ぃ―――」


「…………」


 何やら考えが渋滞し過ぎたかの様に百面相になりながら独り言を呟く朱音を前に、俺は耳に入る情報を流しながらそっと物置きに徹した。

 決して、腹が立つと言った際に見せた本気の怒りに恐れ慄いた訳ではないのだ。


「うん、取り敢えず思考を元に戻して」


「……」


「うーん、急に予定を合わせづらくさせてきたのも、理解は論外として、まあ納得出来る範囲ではあるけどー」


「…………」


「ヨシ! 単刀直入に聞くよヒロ君!!」


「はい」


 唸りながらも少しずつ落ち着いてきた朱音は、何かを決意した後に机の上にバンッと両手を乗せ、ずいっと勢い良く顔を近づけそう訊ねてきた。


「なんでヒロ君は親友なの!?」


「哲学か?」


「茶化さない! 思ったことを有りの儘話して!!」


 親友という単語に何を悩んでいるのか知らんが、今正にここは正直に話す場であるのだから率直に何もかもを聞けばいいものを。

 有りの儘と言ったって、俺からは『これが全て』と言えるものしか無いんだが。


「小学生の時にさ、お前達は転校したての俺と友達になってくれただろ?」


「うん、初対面で『友達になって下さい』って涙流してきたから、結構怖かった覚えがあるけどね」


「それがもう答えじゃないか」


「??」


「むしろそれ以外の理由が無いだろ。前にも同じような問答をした気もするが」


「…………―――???」


 言われた通り有りの儘にそう伝えれば、朱音は何故かピシリと石のように固まり……そして思考を宇宙へ放棄した猫の様な顔になっていた。

 猫と言えば朱音が飼っている暴れん坊のみぅちゃんは元気かねぇ、と場違いな思いを浮かべていると朱音は再起動を果たす。


 力が抜けたようにふらりと俺から離れ、ガタンと硬い音が鳴るほどに椅子に深く座り込む。

 そして祈る様な手を作ったかと思いきや、そのまま両肘を机に置き、頭が重いと言った様子で組んでいたその両手の上に額を乗せた。


「意味が分からないよっ……」


「俺も何を聞きたいのか分からないんだが」


「ヒロ君うるさい!!」


「えぇ……」


 そして何故か怒鳴られた。


「お前が何を気にしているのか知らんがなぁ、聞きたい事があるんなら詳しく聞けばいいだろ」


「負けた気分になるから絶対嫌ッ!」


「……えぇ―」


 親友という単語の何で勝ち負けが決まってしまうと言うのだろうか。

 朱音の望む回答が何なのかいまいち掴めないし、変に意地張っているしでこのまま触れていいのかいけないのか……コレガワカラナイ。


「ううう……アホヒロボケヒロバカヒロ!!」


「雑な罵倒だな」


「べろべろばぁー」


「ガキか」


 考え事で頭が沸き過ぎてしまったのか、朱音の知性は幼稚園児並みになってしまった。

 俺と出会う前の幼い頃では、佑にもこんな態度を見せていたのだろうか。


「まあ、これから先はそう呼ばねえよ」


「え?」


「いや、呼べる資格すら無いよなぁ」


 頭を抱えていた朱音は、俺の最初の呟きにピクリと反応を示し、次いで怪訝そうに資格が無いとはどういう意味だと問うてきた。


「俺にとっては、俺自身がお前達の害になっていたんだと、今日確定した」


「害?」


「ああ」


 俺があの日に友達申請をしていなければ。

 もしかしたら、俺が見たかった二人がいたのかも知れない。


 お互いで初恋を知り、恋を募らせて愛を与え合う、そんな幼馴染みカップルに。


 それが、俺という不確定要素が介入したことによって叶わなくなってしまったのかも知れないと。

 親友という立場に価値を見出してしまった、浅はかだった俺が邪魔をしてしまったのではと思わずにはいられなかった。


「こっから先……俺がお前達の親友と名乗るのが、とても烏滸がましく感じるよ」


「……ヒロ君」


 静かに聞いていた朱音は、俺を呼ぶ。


「それが、あの日の答えでいいの?」


 あの日とは、同じ問答をしてきたあの休日の事だろう。

 今までならば一貫して親友と答えられたが、これから先はそうもいかない。

 下心をもって友達申請をしたあの日から、俺が親友と語れる資格など無いはずなのだから。


「ちゃんと言うなら……そうだな。腐れ縁のある友人程度、だろうな」


「…………」


「これがあの日にお前達から受けた問題に対する、俺の答えだ」


「…………」


 嘘も誤魔化しも無いという意味を込めて、朱音を見つめる。

 対する朱音は、真面目と言うよりは何の感情も露わにすること無く、ただただ無表情だった。


 お互いに黙ったまま視線を交わし合い、窓の外から運動部の声が聴こえるほどに物静かになった美術室の中で、俺はただひたすらに朱音の反応を待つ。


 そのまま幾分か時間が過ぎて―――


()()、それで許してあげる。たすくんにも後でそう伝えとくよ」


 窓から小さく吹き込む風に、ふわりと揺れた髪を抑えながら俺から視線を切って、まるで妥協したかのようにそう言った。


「今はも何もないだろう」


「うるさいなぁ。そもそも、私達がそれで納得すると思ってんの?」


「それは……」


 明らかに不機嫌そうな顔をして、睨みを利かせてそう返す朱音に言葉が詰まる。


「ヒロ君なりに答えを出したのは良いことだよ? でも、それを受けた私達が完璧だと思わない限りは、ヒロ君に花丸を上げることは出来ないかな。現時点ではペケだよ、ペケ」


「花丸もクソもねぇだろうが」


「こーら。女の子に向かって下品な言葉は控える様にしてよね」


「……なんかすまん」


 口の悪さに叱りつける母親の様な態度を取られ、思わず謝罪を返す。

 即座に謝られた事を面白く感じたのか、朱音はくすくすと小さく笑った後、徐ろに席を立つ。


 次に何をするのかと黙って見ていると、朱音は長机を避けながら俺の近くに歩み寄って来た。

 そして俺の背後に周り込み、その場でピタリと足を止める。


「何を」


「はい、前を向いてね〜」


 向けていた顔の両頬に優しく手を添えられ、強制的に前を向かされる。

 俺が前を向いたタイミングで手は離れ……


「ヒロ君は自分勝手だね〜」


 何故か、頭を撫でられてしまった。

 何故こんな事をするのか理解が及ばなかった俺は、取り敢えず朱音のしたいようにさせた。


「ヒロ君は覚えてる?」


「なんだ?」


「私達がさ、ヒロ君の事を名前で呼ぶ様になった日の事」


「おお、今でも鮮明に覚えているぞー。あの時のお前達の反応は面白かったな」


 いつの時期だったか……学校帰りに二人して『しんどうくん』呼びから名前呼びに変わった日の事だな。


 何時もの三人でその日の出来事や授業で感じた事の感想を言いながら帰路についていた時、ふと気付けば俺は一人で先頭を歩いていて、後ろを振り向けば離れた所で足を止めてこそこそと何かを言い合う二人。


『どしたん、二人してこそこそと』


『あー、新藤』


『ん?』


『こ、ここっこ……』


『本当にどうした?』


 気になって近付けば、俺の接近に気付いた佑が急に鶏の声真似を始めてしまった。 

 あの時は本気で心配したものだが、今にして思えば佑なりに緊張していたんだろうな。


『これから、よ、よっ』


『よ?』


『よろしく』


『おう? よろしく?』


『たすくん!?』


 急に握手を求められたもんだから戸惑いながらその手を取ったけな。

 その横で朱音が梯子を外された様に盛大にずっこけてたけど。


『新藤くん!!』


『どしたん、春辺も慌ててよー』


『これから、ひ、ひっひっひ』


『なんで笑って、てかなんか怖っ』


『ひ……ひっひっひっふー?』


『朱音?』


 今度は我こそが、と勢いよく出た朱音も奇妙な笑いの様な声を出したかと思えば、今では洒落にならんが何故かラマーズ呼吸法をしだしたし。

 梯子を外された佑は朱音にジト目を送っていた。


『これから、ヒロくんって呼んで良いかな!? 良いよね!?』


『おう、よろしく朱音ー』


『なんか軽い!?』


『喜浩って呼ぼうと思ったけど、じゃあ俺もヒロって呼ぶね』


『おう。よろしくな佑』


 いやぁ、懐かしい。

 あの時は軽い感じで済ませられたけど、内心で涙を流した覚えがあるなぁ。

 とうとう二人から名前呼びしてくれたぞうおおおー!的な感動で。


「あの時は気付かない振りしたけどさ、泣きかけてたでしょ」


「そんな事実はありません」


「えー? 本当かなぁ?」


「ホントホント」


 ばれてらぁ。

 だがそんな出来事もあったからこそ、たかが名前呼びだけでも俺は本気で嬉しくて、コイツらの側に居れることに幸せを感じていったのは確かだ。


「ていうか、お前のあの時の緊張しいは色々不味いやつだったな」


「うるさいなぁ……その口閉じるよ」


「すいません」


「勿論、私の唇で」


「…………」


 何と言う爆弾発言をかましてくれたのだろうか。

 俺の顔はきっと、形容し難い感情を出しているだろう。


「なーんてね、あはははは!! 今の本気で嫌がってたねー!」


「笑い事かよ。というかお前の視点からじゃ俺の顔は見れんだろ」


「何年の付き合いだと思ってるの? 見えなくてもそんな雰囲気位、私には簡単に感じ取れます〜!」


「腐れ縁故な」


「むう……こんにゃろめが!!」


 そう言えば朱音は急に不貞腐れた様に撫で続けていた手をピタリと止めて、鬱憤を晴らすかの如く両手で俺の髪をワシャワシャと乱し始めた。


「私が男の子に対して名前呼びするの、今までもこれからもヒロ君とたすくんの二人だけなんだからね! 光栄に思ってよね!!」


「今にしちゃ思えねぇよ」


「カッチーン!!」


「あざといな」


「生意気が過ぎるね!」


 実際問題、今のが大分失礼な返しだと自覚はしている。

 だがしかし、先の爆弾発言も相まってそんな事を言われれば、此方もそう言わずにはいられないだろう。


 朱音の両手によって俺の髪型が今どの様な感じになっているかは不明だが、爆発でもしたかのようにあちこちに跳ね上がっていることだろう。

 一頻り朱音の好きなようにさせていると、満足しかけているのか、徐々にその手の動きは遅くなっていく。


 そして深いため息と共に手も止まり、頭に感じていた温もりが離れたと瞬間だった。

 視界の両端から朱音の両手が映ったかと思いきや、伸び切った腕が曲がり、俺の首を囲うように動く。

 そして背中には、今しがた頭部に感じていた以上の温もりが訪れた。 


「ヒロ君」


 俗に言う『あすなろ抱き』というものだろうか。

 朱音の様な女の子にこんな愛情表現をされたものならば、大抵の男はコロッと堕ちるものなのだろう。


「ヒロ君の事情は、たすくんと一緒に聞くとしてさ」


「…………おう」


「私が伝えたいものは、今言うからちゃんと受け止めてよねー?」


「おう」


 けれどやはり、俺の心は変に冷静になるばかりだ。


 ああ、俺が居る立場に佑が居たのならば。

 俺は、どれだけ感動していたんだろうなぁ。


「ヒロ君が私にこうされるのを嫌っているのは気付いてるけど、ちょーっと我慢してね〜」


 朱音がそう言ってから、背中により一層の温もりを感じた。

 恐らくは、顔を埋めているのだろう。


「ヒロ君がしたかったものは、最初の質問で粗方察したよ」


 朱音はやはり、俺の思惑に完全に気付いていた。

 俺が、その好意に良い返事を返すことは無いことを。


「でもね……私が『はい、そうですか』と簡単に頷くとは思わないでね」


「……」


「ヒロ君の操り人形の様に動く積もりは更々無いよ」


「…………は?」


 簡単に諦めはしないだろうと勘づいてはいたけれど、つい先日に俺が例えた言葉を朱音が口にした事に驚く。

 あの日それを聞いたのは高垣しかいない筈だ……まさか、こうなる事を予想して事前に全部話していたのか? 


 だが高垣はどうして? 

 話した理由はなんだ? 

 もしかして、朱音が自力で気付いたのか?


 俺が疑心暗鬼になりかけていようとも、お構い無しに朱音は続けていく。


「私のこれ(初恋)は私だけが決めるもの。ヒロ君が勝手に決めて良いものじゃないでしょ」


「っ!!」


「諦めるも諦めないも、ぜーんぶ私だけが決めるんだ」


 正論を叩き込まれ、俺の肩は揺れる。

 朱音にもその動揺は伝わってしまったが、何を思ったか俺が苦しくならない程度にぎゅっと腕が力んでいた。


「諦めが悪いと言われようとも、意地汚いと思われようとも、想いが重いと捉えられようとも」


 そこまで言ってから、朱音はそっと俺から離れた。

 そして、元に居た場所に座り、照れくさそうな表情で続ける。


「例え叶えられないかもしれない道だとしても……それら全部引っくるめて、恋愛ってもんじゃない?」


 そう問い掛けた朱音は、頬を真っ赤に染め恥ずかしそうにしながらも、はっきりとそれを口にした。

 それがまるで、告白をした後の反応かの様にも見えた。


 あぁ……端から見れば、これは綺麗なワンシーンなのかもしれない。

 けれども、けれどもだ。

 当事者となってしまった俺としては、ああ、到底受け入れられるものではないんだ。


 俺なんぞにそんなもの(恋心)を向けるなよ。

 何で俺なんだよ、何故それが佑では無いんだ。


 俺なんか、取り柄なんぞ何も持たないというのに。


「そうか」


 とても肯定的に受け入れられるものでは無い。

 だから、冷たい態度を取る他無かった。


 対して朱音は、予想が付いていたように苦笑いを浮かべた。


「勘違いしないで欲しいんだけどさ?」


「なんだ」


「別に、告白をした訳じゃないからね」


「は?」


 ドッキリが成功したかのように笑う朱音に、俺は戸惑いを隠せ無かった。

 いや、え……は? 何処からどう見てもそう言う雰囲気だっただろう?


「いやいや、思いは伝えるとは言ったけれど、別にこれが告白としてってこれっぽっちも言ってないし〜? なーんかヒロ君が勝手に勘違いしてそうだなーって思ってさ〜?」


「…………え?」


「どう見てもこのタイミングでするのは悪手でしょ。ちゃんと時と場を整えて、然るべきタイミングでしますとも」


 チッチッチッと人差し指を振り子の様に回しながら、えっへんと威張る朱音を見て俺は―――


「……ああ、クソが」


「もしかして勘違いしてました〜? やーい勘違いのバカヒロ乙〜」


「……このっバカタレ朱音ェ!」


「はーーッ!? 今なんて言った!? 無礼千万なクソバカアホタレヒロの癖に!!」


「女の子がクソって言うなばかたれが!!」


「うるさいなあ! ヒロ君だって今言ったじゃんか!! それに女の会話で私も時たま使います〜!!」


「どんな女子とどういう会話してんだお前!? ていうかさっき俺を叱っておいて何だそれは!?」


「え〜、何のこと?」


「コイツ!!」


 振り回された挙句に煽られた俺は、乱雑になった感情も相まってか堪忍袋の緒が切れたかのようについつい喧嘩を売ってしまった。

 朱音も朱音で、この喧嘩を買った様に捲し立ててくる。

 そう言えばコイツ、最初に喧嘩をしようとかほざいていたな!!


「言わせてもらいますけどね! 私とたすくんをくっつけたいだぁ? 馬鹿も休み休み言いなよにぶちんが!」


「馬鹿と言ったか!? 聞き捨てならねぇな! 俺は昔からその未来に進んだお前らを心底望んでいたんたぞ!」


「はーーっ! 昔からってのは初耳でしたが勝手な妄想お疲れ様でしたぁ! 望んだ展開にならなくて悪ぅ御座いましたねぇ!!」


「言わせておけばこのお転婆娘が!!」


「何よこの朴念仁が!!」


「ぐええぇえっ!」


「あ、ごめん」


 互いに喧嘩腰が止められず、馬鹿みたいにヒートアップして。

 朱音がついとばかりに俺のネクタイを掴み、思いっきり引き寄せてしまったことにより俺は蛙が潰れた様な声を上げてしまった。

 流石にやり過ぎたと感じたのか、朱音は一瞬だけ素に戻り謝ってきたのだが……何故かチャンスと言いたげな顔を作った。


「隙あり!!」


「好きとか簡単に言ってくれるなアホがぐえぇっ!」


「いやそっちじゃ無いから」


 俺が咳込んでいる最中で、再び背中に温もりと共に人一人分の重みが加わった。

 コイツ、今の俺におんぶさせるとか容赦なさ過ぎだろうが!!


「いい加減にしろよ朱音! この歳になっておんぶをせがんでくんな!?」


「はー? ここは昔から私の特等席ですけど何か文句でもありますか!?」


「体育祭の時はお前が怪我してたから許してやったけどなぁ! そもそも許可下ろしてねえんだよ! お陰様で全校生徒に俺達の痴態が知れ回ったんだぞ! ていうかお前、昔迷子になったよな!」


「痴態とか言うな!! あの時は迷子になりましたねごめんなさい!!」


「その時の帰り、あの長い道を俺だけにおんぶで帰らせたの、忘れてねえからな!? 次の日も疲れ果てた俺の身体を佑と一緒になって虐めるように突付きまわりやがってよぉ!」


「それは、なんかごめんね。私も若かったからさ!」


「んなことより当たってんだよ! さっさと離せ!!」


「態と当ててんのよ! 気付け!!」


「破廉恥が! そんな風に育てた覚えはねぇぞ!」


「破廉恥言うなバカヒロ!」


 それからも昔の出来事をお互いに引き合いに出し、小学生の喧嘩かと言われるとても程度の低い言葉の応酬と格闘が続いた。


 廊下にまで聞こえそうな程に二人して暴れ回って、お互いに体力が尽きかけてきた頃になってから、朱音はようやく俺の背から離れた。


 こんな夏場で暴れたせいで、今になって滝のような汗が流れ始めた。

 朱音も多少の汗はかき始めていたが、俺に乗っかって抵抗しただけで俺ほどでは無かったが、それでもおでこや頬といった部位には多少の髪が汗で引っ付いていた。


「はぁ、はぁ……ちょっと休憩」


「もうしねぇよ、ふぅ、こんな馬鹿な喧嘩は」


 揃って息切れを起こしながら、朱音は飲み物を取るためか自分の鞄を漁り始めた。

 俺も俺で、近くにあった椅子に無造作に座り込む。


 学校の予算が関係しているのかは不明だがそもそもこの部屋に空調が付いておらず、外からの風が唯一の猛暑対策と言っていいこの美術室は、俺達の熱気が溜まったのか軽いサウナの様な空間に。

 引かない汗を少しでもと窓際に立ち、微風を受けながら手を団扇にしてなんとか冷やそうと頑張ってみる。

 だがあまり効果が無く、流れる汗に鬱陶しさを感じ始めた頃、持参していた水筒の中身を飲み干した朱音が口を開いた。


「多少は気が晴れた?」


「……お陰様様でな」


「ここ最近は今まで見たことが無いくらいの不貞腐れ様だったから、少しは元気になって良かったよ」


 たはは、と笑う朱音は何処かスッキリしたかのように爽やかな笑顔に。


「……色々あったんだよ」


「この間のでたすくんとどんな会話をしたの〜?」


「……何も聞かされていないのか?」


「全然? 言うまで待ってるんだけど、これが中々教えてくれなくてねぇ。話す内容を整理しきれないんじゃない?」


「そうか」


 てっきり二人だけで情報共有していると思っていたのだが、どうやらあの件について朱音は待ちの姿勢をしているらしい。

 それもこれも、今日の帰りで伝えることになるから佑の努力は無駄になる訳だが……まあ大丈夫だろう。


「はあ……それにしても、夏場でこんな暴れるもんじゃねぇな。汗が全くと言っていい程引かねえぞちくしょう」


「昔はこれ以上に遊び回ってやっと疲れたってとこだったのにねぇ。お互い歳を取りましたなぁ」


「発言がババアじゃねえか」


「……あ、やば」


 ふう、と一息ついて座る朱音だったが、何かに気付いたかの様に急ぎその場を立った。

 何事かと目で追っていると、朱音はそれはもう申し訳無さそうな顔をしていた。


「二人の事、放置し過ぎたかも……」


「二人? ……ああ、部員のか」


 そう言えば、朱音に遠慮してか部室を離れてもらっていたんだっけか。

 俺と朱音だけになってから何分経ったのか、事前に時間の確認をしていなかったせいで分からない。


 ただ分かるのは、朱音がそんな顔を作る程に放置してしまっていたという点だけだ。


「取り敢えず、言いたいことはまだまだ沢山あるけど一旦はこれでお終いね」


「ああ」


「私は二人を呼びに言ってくるから」


「行ってらー。俺は図書室とかで涼んでお前達の帰りを待つとするから」


「なに言ってんの、私の部活に協力してよ」


「無茶振りしてくんな」


 あんな幼稚な喧嘩を起こしておいて尚、さも当然でしょと言いたげな顔で言う朱音に、俺は溜息をこぼす。


「勝手に逃げないでよ?」


「分かった分かった。逃げないからさっさと呼んでこい」


「はーい」


「あ、ついでだからなんかスポドリ頼むわ」


「もー仕方無いなぁ」


「元凶はお前だからな?」


「あんな事を聞いてきたヒロ君も大概だけどね」


 憎まれ口を叩き合い、部屋から出た朱音は廊下越しに再度逃げないでよと俺に釘を刺してから、二人を探しに行った。


 そうして一人になり落ち着いた事で、俺は朱音達のこれからを一つ一つ丁寧に整えていく。


 一つ、佑は、現時点で恋愛をする気は毛頭ないだろうこと。

 二つ、朱音は、佑に対し幼馴染み故に恋愛感情を向ける気になれないこと。

 三つ、今回で俺が朱音の好意に絶対に応える事が無いことを朱音が知ったこと。

 そして最後、朱音はそうであろうとも諦めるつもりがないこと。


 何がそうまでして朱音を突き動かすと言うのだろうか。

 俺に好意を向けるという、無価値にも等しいものに価値をつける愚考など、これからの人生で何の役にも立たないと言うのに。


「はあ」


 手前勝手に朱音を振り、序でに失望の一つしてくれていたのならと思っていた俺は、予想以上に朱音を見縊っていたらしい。

 試しに脳内で二人を当て嵌め様々なシチュエーションを想像してみたのだが、今までに視れていた筈のものは、その尽くがただの妄想だったのだと知らしめる。


 今の俺では、どう工夫してもただ仲のいい幼馴染みの関係で止まってしまう。


「胸糞悪いな」


 不意に出た言葉だが……ああ、本当にそう思う。

 誰かがそれは冗談だと、俺を笑い種にするための盛大なドッキリなのだと思い込みたかったが……現実はどうも思う通りにはいかないらしい。

 二人の視線の先に、意味合いは違えどどうしても俺が存在してしまうのが証左だ。


「傍から見れば、よくあるご都合主義に見えるなぁ」


 朱音の好意を受けながら、それに目をくれることもせず。

 剰え高垣の様な女子と仲良くさせてもらっている。


「ああ……だからいいご身分、か」


 少し前、他クラスの男子からすれ違い様にそう呟かれた事を思い出した。

 俺がこんなだからこそ、確かに良い目を向けられる訳ないわなぁ。

 自分のクラスではそんな目を向けられた覚えが無いのが、却って不思議に思える位だ。


「……やっぱり当事者以外の連中だけで、情報共有か統制をしてやがるのか?」


 あの男子生徒だけがそう思っている訳では無いはずだ。

 他にも数人、そう言う生徒が居たって別段可笑しい話でもないし、この噂自体が三年の猪田先輩の耳に入るまで広がっている。

 クラス全員を牽引出来る存在とすれば……体育祭とかで纏めに入った前田さんか蔵元とか、か?

 蔵元と言えば、なんか知ってそうな雰囲気をしていたしなぁ。

 でも前田さんから脅されてビビっていた節も見られたし。


「……噂も時間が解決すっか」


 結論、噂の件については後回しにすることに。

 今の俺にとってその件はそれほど優先度も無いし、今となっては下らなくどうでもいいものに成り下がった。


 そんなものよりも、朱音の対応についてだ。


「一番手っ取り早いのは……夏休みの間で本当に彼女を作ること、か?」


 噂を聞いたその後に思いついた即案ではあったが……あの時は仄めかす程度で良いと考えていたが、意外と重要なものに成り得る可能性がある。

 それらが事実にまで出来るたのならば、流石の朱音とて諦めの一つ感じるものがある筈だ。


 だが、その相手はどうする?

 そこだけが、問題点だ。


「俺なんかがなぁ……どう足掻いても無理だな」


 こんな浅ましい人間の何処に惚れる要素なんてものがあると言うのだ。


「…………いや、いや無いな、これだけは在り得ない」


 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ一つの案は浮かんでしまったのだが、それはあってはならない未来だと即座に拒絶する。

 この件については、()()も絡んでいる訳で。


「マジの前途多難ってやつか? これは」


 ここに至ってマシな案が一つも出て来ない。

 整理すべき情報が多いせいか、思考が変な偏りし始めてしまう。

 壁を背凭れ代わりにして、制服の皺も気にせずズルズルとその場にへたり込んだ。


「ああ、どうすればいいんだろうか」


 今までにない程に悩みを抱き、不安を募らせる。

 今までならば楽観的な発想に一喜一憂だけで済ませられたものが、結果が不安定なものしか思い付かない。


「……いっそのこと―――」


 いっそのこと俺が……俺が朱音の―――


「は……ははははは!!」


 弱ったせいなのか……ここにきて俺は、()()()()()()()()()()()()()()を思い浮かべてしまった。

 ここにきて、()()()()()()()()()()()()()()()等と烏滸がましくも思ってしまった。


「ああ、それは駄目だな」


 それだけは絶対に駄目だ。

 俺は、それを叶えられないと知っていた筈だ。


 なのに何故、そう思ってしまったんだろうか。


「馬鹿馬鹿し過ぎるのも程があるだろ」


 やめだ、これ以上は考えるのを止めよう。

 でなきゃ俺は、自分が何を成し遂げたかったのかが霞のように薄くなってしまう。


「ああ、帰ったら問題提起しよう。一個一個取り上げて……」


 一旦、抱いた疑問の全部を課題として取り上げて、間違い無いように、間違えてはいけないものを取り零さない様に。

 高校で提出するものは早いうちに終わらせて、バイトもして……


「課題……課題って、そう言えば机の中に入れっぱじゃなかったか俺」


 そこでふと、ここ一週間の各授業で配られた課題の件を思い出した。

 ぼうっとし過ぎて机の中に入れた後、鞄に収めた記憶が微塵も無かった事に気付いて、俺は立ち上がる。


 此処から出ることにはなるが……スマホに一報入れておけば大丈夫だろうよ。

 それに今は、考えたものがものであったことで朱音の顔を直接見てはいけないと感じてしまっていた。


「あー、俺って本当に自分勝手で……ゴミクズな存在だな、うん」

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― 新着の感想 ―
おもしろい イライラするなー
新藤君、その一瞬だけ浮かんでしまった案が、ぜひどこかのポンコツさんに聞かせてほしいね笑 でもやっぱり新藤君は自分も幼馴染であることに対して拒否な反応をしているな.....なのにちょっとだけそれを想像し…
 詰んでるけど貫き通せるか?
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