83話
自分の認識を改める事となった海の日も終わり、そこから何時もの日常に変化が訪れた。
二人とは登下校での挨拶だけは欠かさなかったものの、普段通りの会話をすることがめっきり減り、休み時間や昼食時には俺は蔵元と宮本君とよくつるむように。
周囲の奴らもその急な変化がどうしても気になったらしく、俺を除いた佑や朱音、時には高垣へと質問を投げかけている場面が度々目に映ったが、それに対し三人してハッキリとは答えを出さず何故かのらりくらりと躱していたのが印象的だった。
そんな日常が続き、本日は一学期終業式の日。
全校集会にて校長による有り難ーいお話を頂戴し、HRで担任による諸々の連絡事項、夏休み期間に入った事で変に浮かれて問題行動を起こすこと無くモラルを守った生活を送る様にといった注意喚起を送られて。
学業が終わり昼間を過ぎた事で本格的に長期休みに入った事を肌で感じながら、運動部員の者はグラウンドで暑さに負けぬ勢いで体を動かし、文化部員の者は室内で何かしらの作業をしている事だろう。
そして部活に無所属の俺は、何時もの高校玄関前にある古臭い木製ベンチに一人で座り、頭を抱えて項垂れている最中だった。
「……この先どう動けば正解なんだ?」
最優先事項として定めた、朱音の『今の恋』を断ち切る。
この数日で昔を振り返ってみれど、何がどうして佑では無く俺にその視線が向けられるようになったのか甚だ疑問ではあるが、兎にも角にも俺の理想を叶える為にはこの腹立たしい現状を変える必要がある。
だがしかし。
どういった場所で、どういった雰囲気でそれを実行すれば朱音が俺に失望の目を向け、この恋が間違いであったと気付くことが出来るのか……これが目下最大の悩みの種となってしまった。
寝る間も惜しむ、とは少々違うが毎日が寝不足になってしまうほどにそれを考え込んでしまう日々が続いている。
「これが変に転ばないようにするには……」
仮に今すぐ朱音を振って、『じゃあ次の恋を探してみよう』と思い直した時、それが幼馴染みたる佑では無く他の人間に向けようとする可能性が出てくる。
そこを上手くサポート出来るような行動を取れればと思っているのだが、これが中々思い付かない。
「うーん」
「お、新藤君はっけーん」
恋路の誘導、とも考えたがなんか洗脳か詐欺師みたいだな、と内心で自虐していると聞き慣れぬ声で名を呼ばれる。
誰だ、とその声の持ち主へと顔を向けると、玄関口から同じ一年ではあるもののクラスメイトの誰かでは無く、なんとなくだが見たことのある人物が俺に指を指していた所だった。
確か……廊下とかで度々朱音と話している所を見かけた覚えがあったような。
「えーっと、朱音と同じ部活の人だったよな?」
「どうも、高野でーす。以後ヨロシクー」
「新藤でーす」
「知ってるよ?」
うん、一方的に知られているとは言え自己紹介は大事って古事記にも書かれてるから!
だから「この人は何言ってるのかな?」って顔は止めてくれ。
「それにしても、どうしたのそんな所で頭抱えて」
「いやちょっと悩んでいる事があってな」
「へ〜……っ!! ねぇねぇ、それ教えてよ〜」
「なんでそんなグイグイ来れんの? 俺ら初対面よ?」
「自己紹介もしたんだからもう友達じゃん!」
「え……えぇ?」
最初は興味無さげに生返事で返したものの、何かに気付いたようにハッとした顔をした高野さんは、初対面であるにも関わらずパーソナルスペースも何のそのと言わんばかりに俺の隣に座り、次にキラキラと何らかの期待を込めた目で見てくる。
その一連の行動にドン引きをしていたのだが、その聞く姿勢を見ていると、まるで今から恋バナを聞くような姿勢として見えてしまい、コレは朱音絡みのやつだなと言うことを確信した。
「いや、教えねぇよ?」
それを言ったら俺がドン引きされる事は間違い無しだろうし、聞いてて気分の良い話でも無いだろうし。
「ケチな男は女子受けしないよ?」
「いやケチや受け云々の前に、その手の話は友情を育んでから聞いてきなさい」
「じゃあまずは連絡先交換しよ?」
「グイグイ来過ぎぃ! というかそう簡単に連絡先を渡そうとするなこういったものは相手をちゃんと選んでからしなさい!! そんな事を繰り返してるといつか勘違いしちゃった変な男とかに目を付けられる羽目になるぞ!?」
「も〜冗談に決まってんじゃん。初めて喋ったけど、新藤君ってなんか親みたいな事を言ってくるね〜」
「いやこっちは心配してんの! 危機管理しっかりしてお願いだから!?」
「はいはい分かった分かった。あはは、なんか面白ーい」
本当に理解出来たのだろうか、ケラケラと笑いスマホを仕舞った高野さん。
一見すればただおちょくって来ただけの様にも見えるが、俺を見つけた際の声色的に朱音の件で何かしら聞きたい事が俺にあり、こうして会話をしてくるのだろう。
よくよく見れば、どうも今から帰宅しますといった様子では無く、部活の合間に抜けてきたように学生鞄も何も持ってきてないし。
「んで、朱音のことで何か聞きたい事でもあんの?」
「……へえ、気付いてたんだ」
「そもそも、接点という接点がそれ位しか無いだろう」
「それもそうだね〜」
試しにそう言ってみると、一瞬だけ驚いた顔をした高野さんは、今度は興味深そうな顔をして俺を見る。
「それじゃ単刀直入に聞くけどさ〜」
「おう」
部活内で朱音がどの様に過ごしているのかは直接目にしておらず全て朱音から聞いただけである為に、今から聞かれる部活仲間たる高野さん視点からの質問がどんなものであるのか固唾を飲み込み……
「朱音ちゃん、部活に対して急に真面目になったんだけどさ〜。最近何かあった?」
「……はぇ?」
少し……否、大分肩透かしを喰らった気分になった。
☆☆☆☆☆☆
返答に困る俺を見た高野さんからの「直接見た方が良いかも」という提案のもと、何気に初めてとなる美術室の前に案内して貰った。
器用に音を立てずに扉を開いた高野さんからアイコンタクトを受け取り、中の様子を盗み見る様に高野さんと並んで顔を覗かせてみた。
「まずは物体の線を描かず、こうやって……」
「ほーほー……」
中では、部員の二人が此方に背中を向ける形で作業をしていた。
前に朱音を引き摺っていった事のある生真面目女子がお手本となる様に目の前の紙に何かを描き、それを素人の朱音が感心した様子で後ろから眺めている。
状況的にデッサンの仕方を教えているようにも見えるが……朱音とて元より絵心の才があるという訳でも無いから、上達する為の手法を教わっているだけなのではと思っていると。
「今迄はさー」
「ん?」
俺の考えている事を察したのか、高野さんは小声で口を開いた。
「私達が描く様子を見て凄いなーとか、ざっと描いてみたんだけど採点してみて〜とか、そーんな緩い感じだったんだー」
「……何時もうちの朱音がお世話になっております」
「まるで朱音ちゃんのお母さんじゃん……ってそうじゃなくて」
「?」
「ああやって真面目に何かを描こうと始めたの、今週からなんだよ?」
「……そうか」
「急にコロッと変わるもんだから、何か切っ掛けでもあったんじゃないかって思うのは別に不思議じゃ無いでしょー?」
「そうかもなぁ」
高野さんとしては、朱音が変わったその切っ掛けが何なのかを、知りたくて仕方ない感じなんだろう。
だからこうして俺を探し出し実際に状況を見させた、と言った所か。
「佑にも聞いたのか?」
「あー、浅見君はねぇ……」
「?」
それなら幼馴染みの佑でも良かったんじゃないか、と思った俺はそう聞くと、高野さんは苦笑いをしながら何処か恥ずかしそうに前髪を弄り始めた。
あー、はいはい。その反応で大体分かりますよー(棒読み)
「顔面偏差値が高過ぎて私にはちょっと無理かなー」
「理由が想像してたより面白いな」
てっきり佑に一目惚れしてて、かつ本人に異性の事を聞くのは気後れするというありふれた理由かと思いきや、斜め上の理由だった。
「ちょっと笑わないでよ」
「くっ……いやだって、理由がなんか可愛らしくてな。んなもん笑うだろが」
「いじわる」
「いでっ。すまんすまん」
つい吹き出しそうになって堪える俺の脇腹に、高野さんは拗ねたように軽い肘打ちをかましてくる。
小声でそんなやり取りをしていると、何やら中で進展があった様で。
「一先ず休憩しようか」
「そうだね。そうしよっか!」
「それにしても、ジュース買いに行っただけの絵里は随分と時間掛かってるわね」
「確かに! そういえばまだ帰ってきてないね?」
「もう少し遅れる様なら今日の片付けは絵里だけにさせよう」
「それはちょっと可哀想じゃない?」
「偶には良いでしょうこんな感じでも」
休憩に入ったらしく生真面目女子は道具を片して肩を解し、朱音は高野さんが未だ戻ってこない事に疑問を抱き始めて、挙句の果てには高野さんにとって不都合な展開へとなりかけてしまっていた。
チラリと話題の高野さんを見ると、視線を感じたのかガッチリと視線が合った。
「あーは〜ん?」
すると、高野さんは妙案を思い付いた様に物凄く怪しい笑みを俺に向けた。
何か悪寒がするなぁと感じた俺は、中の二人にバレぬ様に忍び足でその場を去ろうと足を動かして。
「ごめんあそばせーっ」
高野さんは調子良く、お嬢様口調で上半身だけを美術室に覗かせた。
―――角度的に中の二人には見えていないが、俺の手首を逃がさぬ様にガシリと掴んで。
「あ、おかえり。噂をすれば何とやらだね〜」
「絵里、早速だけど頼んでた新メニューのやつ頂戴」
「真奈美ちゃん、さっきも言ったけどあれ激甘だよ?」
「そう言われると冒険してみたくなるでしょうが。それに糖分は疲れた頭に効くものだし」
「……」
「……さっきから黙ってどうしたの? お金渡したのに、まさか私の分だけ忘れたとかでは無いでしょ?」
「…………」
「ありゃりゃー」
……俺を見つけたのって只の偶然であって、本命は玄関外にある自販機にしか無い激甘ジュース(朱音談)を買いに行ってただけだったん?
あらヤダ、てっきり俺に目的があって〜(ドヤ!)とか思ってたから推測が思いっ切り外れてて恥ずかしいんですけどー!!
ていうか高野さんや、何か弁明しないとヤバイ感じしますよ!
朱音は兎も角、なんか生真面目女子からはピリリとした雰囲気が漂い始めていますわよ!?
「……ふっ、そんな小さいことなんて気にしてたら皺が―――」
「今日の片付けは絵里だけでやってね。これ部長命令だから」
「職権乱用じゃん!」
「部長だからこそ、私念では無く正当な権利を行使しているの。そもそもだけどお金だけを盗ろうとした下衆が何を言っているの?」
「今私念って言った! お金はちゃんと返すよ!? ていうかそれから買おうとしたら自分のも忘れちゃったんだって!」
「どういうこと?」
何やら騒がしくなって来たな逃げたいな〜と思う俺を蚊帳の外に、必死に弁明する高野さんの言葉に朱音の気になった様子の声。
大方、先に俺を見つけ興味が移ったせいでジュースを買い忘れた経緯を説明するんだろうなと思っていると、掴まれた手首へ更なる圧迫感がきた。
「ふふふ。頑張る意思を見せ始めた朱音ちゃんにとって、都合のいい被写体を持ってきたのデース」
「おお! 絵里ちゃんそれは何でしょうか!?」
「ジュースまだ?」
「鬼部長はシャラップ!! おいでませ、ポチ!」
女三人寄れば姦しいとは聞くが、今のこの状況こそ本当にその通りだと思う。
なんて思っていると不意にぐいっと引っ張られ、なすがままにこの身を任せてしまった。
「ポチ? 犬?」
「まさか校内に迷い込んじゃったどっかの飼い犬?」
俺は犬じゃねぇぞ!
面白半分で変なキラーパス寄越してくんなよ高野さーん!?
「あれ、ヒロ君じゃん」
「ああ、噂のあ―――」
「ぬあーーー!! むあーーーーー!!」
「ふふーんっ! いい仕事をしたなあ私は」
俺の姿を見た朱音は、思いもしなかった人物を見た反応をしていたが、何かを言いかけた生真面目女子こと真奈美さんの口を大声と共に物理的に遮って、場を乱した元凶の高野さんは爽やかな顔で汗を拭うポーズを決めている。
そして、何故此処にという視線を二人から向けられた俺といえば。
「わんわん」
高野さんから受けたキラーパスに便乗してみた。
まさかこんな行動を起こすとは思いもしなかった高野さんは、驚愕に満ちた顔で俺を見ている。
なんせ前の二人には、飼い主(仮)の真横に座りまるでリードを着けられている様にも見える形になっているからなぁ!
「…………いやあの、何してるのかなヒロ君は」
「わんわんお」
「朱音ちゃん……コレってまさか―――」
「いやいや、なーんか言いたいことは分かるけど百歩譲ってもコレは絶対違うでしょ!? 絵里ちゃんこれはどういう意味かなあ!?」
「うええっ!? ち、違うの朱音ちゃん! 新藤君のノリが良すぎてコッチが困ってるんだよ!? ほら新藤君も、悪ノリはもういいから立って!」
「くぅ~ん」
「そ、そんな……。ヒロ君……」
「違うこれお手じゃ無いよ!? うわわわ朱音ちゃんの視線が痛いー!」
大慌ての高野さんを見て幾分かスッキリした所ではあるが、俺は俺で、これはいいチャンスだと思えてきた。
現状では一人で考えてもどう動けばいいのか策も練れない状態で、今日はまだしも、明日からは本格的に朱音達と会う機会がめっきり減る。
であるならば、部活動が終わった後に佑も交え、今一度二人に俺の理想を伝えてみてその反応を伺うのも一手だと。
その反応を基にこれからを考えて、最善の道を尽くす。
その結果で、目の前ではしゃぐ朱音が、俺に失望でもしてくれれば万々歳なんだがな。
生真面目女子「激甘ジュースは?」




