81話 海の日⑩
★★★★★★
あの日朱音がヒロを好きだと宣言してから、こんな過去を思い出した。
『喜浩ってさ、好きな子とか居るの?』
あれは小学生の何時頃だったか……俺とヒロの二人だけで帰り道を歩いていた時に、ふと気になってそんな質問をしたことがある。
道端に居たカマキリを観察していたヒロは、これでもかと言う程に目と口を開かせて、酷く驚いた様子で振り返った。
『……こ』
『こ……小城さんかな?』
『恋バナ!?』
『そっちか』
『んだよも〜! じゃんじゃん話し合おうじゃんか……あれ、なんか思い出しそうで思い出せない感じが?』
『ん? 思い出す?』
『ん〜、まあいっか。なんでもなーい』
威嚇をするカマキリから興味が此方に移り、妙にテンション高めなまま俺の背負うランドセルをバンバンと叩くヒロ。
『好きな子か〜! ん〜…………』
『……』
『はははっ! 居ねぇ!!』
『へー』
腕を組み深く考え出したヒロの答えは、誰かを思って頬を染めたりすることも無く、堂々としたものだった。
この時、ヒロも俺と一緒なんだなと仲間意識を抱いた覚えがある。
『結構前にも聞いたけどさ、佑は朱音だろー?』
『いやまあ、好きと言えば好きだけどさ……』
確かこの時は、それは一人の友人として、と続けたかったんだけど……
『ヒューヒュー! ヒューヒュー!!』
『え、ウザ』
『ごめんて! 拗ねないでくれ!』
『拗ねてない』
『そう言ったってよー、そんな顔してんじゃんか』
『してない』
『うわ、顔の筋肉が止まった』
はしゃぐヒロの所為であやふやになったんだっけ。
『それにしても好きな子か。俺はボンキュッボンのおねーさんがタイプだし。となると同い年や年下はそもそも論外という話だな!』
『それ、道に落ちてたエロ本見た時にも言ったよね』
『あん時は胸がドキドキしたぜ。結果朱音に見つかってぶん投げられちまったけどよ、ふほーとうきはいけねーぜ全く』
そういえばそんな事もあったな。
秘密基地を作りたいな、という考えであちこち探索して、偶然ソレを見つけた俺達が興味を持って中身を覗いた。
けれど一緒に来ていた朱音が雑誌を広げ見る俺達を見つけて、更にはその中身を見て、『ばっちいーーー!!』と奇声を発しながら強引に取り上げ、近くの川にぶん投げてしまった。
ヒロはまだ読みたかったのか、浅い川に落ちてびしょ濡れになった本を慌てて取りに行き、けれどふにゃふにゃになり読めなくなった事に涙して、結果として近くのゴミ捨て場に置いてあった雑誌の束に重ねていった。
『どうなんだろーな』
『どうって何が?』
『好きな子についてだよ。んー、上手い具合に言えないんだけどさ』
夕方と言えどまだ明るかった空を見上げて、言葉に出来ない思いを何とか口にしようとしていたのか、ヒロはまたも考え込む。
ヒロが話すまで暇になった俺も、同じ様にぼんやりと空に流れる雲を眺めた。
『そうだ! これならハッキリと言えるぞ、うんうん!』
『教えて』
『ンフフフ。聞いて照れるなよ〜?』
『……』
『……教える。教えるから真顔でガン見してくんなって』
勿体ぶるヒロをただじっと見詰めて、無言で続きを促して。
そんな俺に苦笑いを向けたヒロは、ぴょんと飛びながら対面に立ち、そして両手を広げ大きく胸を張った。
『俺はな、お前の……じゃなくて、お前達の幸せを見届けたい!!』
『幸せ? お前達って、俺と朱音の?』
話題の趣旨からは離れてしまったけれど、ヒロの言わせたいままにして。
『そうだ! 俺みたいなヤツと友達になってくれたお前達が、俺は心の底から大好きなんだ! だからお前達にはずっとずっと笑っていて欲しいんだ!』
『へー』
『反応が薄過ぎる!』
『俺もヒロのことは好きだよ』
『……んだよも〜! ういやつういやつ!!』
『んぶっ』
俺の返事に顔を赤くしたヒロは、照れ隠しなのか無理矢理俺の顔を胸に埋めさせるようにハグをして来た。
バクバクと鳴る心臓の音が耳に届き、後で朱音に自慢してやろうと同時にヒロ的には嬉しかったんだなーと感じながらそれを聴いていると。
『なあ佑』
頭上から、先程とは打って変わって落ち着いた声で呼ばれる。
『ん?』
『少しずつで良いからさ。お前の幸せ見せてくれよー?』
『……まあ、ぼちぼち? それがいつになるかは分からないけど』
『はははっ! じゃあきーめた!!』
『何を?』
俺の頭に回した両腕を離し、少し距離を取ったヒロは。
声高らかに、空に響き渡るようにこう言った。
『俺、お前達が幸せになるまでさ……誰も好きになんねえからな!』
『え』
『そんな事に現を抜かしていたら、見逃しちまうじゃんか!』
『そっか』
『それまではそうだな、お前達の横にへばり付いてやる! 覚悟しろよ!』
『それはいいよ気持ち悪いから』
ああ、確かにヒロはそう言ったんだ。
だから俺は、この先で俺が幸せというものを見つけるまで、それまではヒロも誰かを好きになることをせず、ずっと三人で馬鹿しながら遊べるのだと子供ながらに思って……そう思い込んで生きてきた。
ある時を境にヒロが俺達から距離を離そうとするのは、何時の日か俺達の幸せとやらが何なのかを視た結果なのか。
親友と呼び始めた因果関係も解らない以上、これらの推測が正しいのかどうかはやっぱり分からない。
そして同時に気になってしまうのは、ここ最近のヒロの高垣さんに対する接し方。
今迄のヒロならば俺と朱音は別として、それ以外は思春期に入ろうとも異性間を問わず一友人として、本当の意味で平等に接してきていた。
そんなヒロが、高校に入り朱音から高垣さんを紹介してもらって……そこからは、目を見張る勢いで彼女との距離を詰めだしている気がしてならない。
学校の時でも一緒に居る所を結構見掛けるし、なんならこの間の俺の家で遊んだ時もそうだ。
何時も俺達に見える範囲に居るにも関わらず、二人の間で俺の知らない何らかの繋がりが見えきて、それがチラついてどうにも仕方が無い。
だから今日、ヒロが企画したらしいこのゲームに便乗して、上手いこと二人だけの空間にさせてみた。
その結果、やはり俺の目には何処か楽しそうに、何処か嬉しそうにするヒロの姿が映り……それは俺達にも向ける感情と似ている様にも感じてしまった。
昔はああ言っていたけれど……それはとうの昔に忘れてて、実際に今、高垣さんに好意を寄せているのならば、そんなヒロに好意を向ける朱音には申し訳ないが、諦めてもらう他無いのかもしれない。
けれどそれは、前提として確かな好意であるのならば、の話だ。
淡い希望ではあるものの、そのどれもがそうでないのなら……。
今後の振る舞いを決める為にも、一度くらいはこうして面と向かって聞いておかねばならない。
こんな場ではあるがそれを今、どうしても問い質してみたくなった。
「な、何を言ってんだよ佑。こんな所でよ」
「何って……普通に恋バナしようかなって」
「え?…………ええ!?」
今の問いに対して、ヒロは昔と同じく酷く驚き、けれど昔とは違って興味では無く、今は何故か怯えを含んだ目で俺を見返す。
「ん、前々から思っていた事ではあったけど、グイグイいくじゃん。高垣さんに対してさ」
「そんな事は……」
「あるんだよこれが。昔から、この目でヒロを見てきたから」
「なっ……」
そう断言するとヒロは顔を歪ませて、まるで俺から逃げようとするかの如く一歩後退る。
その表情が……まるでこれ以上詮索してくれるなと言っているようにも感じ取れてしまった。
けれど、逃がす気は無いと言わんばかりに足を踏み出した。
「とにかく、止まってくれ」
「止めないよ」
「……妙に活き活きしてやがんな」
「まあね。だって恋バナだよ恋バナ。ヒロだって他人の話には食い付く程度には好きでしょ?」
「それは……そうだけどよ」
「じゃあ恋バナをプロレスで捉えてみて。そしたら出来るんじゃないかな?」
「ちょっと何言ってるのか分かんないな」
ふと、強張るヒロの後方で、此方を見守る朱音が目に入った。
端的にこの二人だけで一騎打ちをするから場が整ったら離れてね、と言っただけでこういった話をするとは伝えていなかったけど、聴こえないながらにこの場に流れる雰囲気に何かを感じて、何かを察したのだろう。
ここを離れるまではニコニコと笑っていた顔だったのが、今となっては何処か真剣な表情をしながら様子を窺っていた。
そして話題の中心たる高垣さんは―――腕を組み、何時もの鋭い目を更に細め、ただただ此方に視線を向けているだけだ。
「それで、どうなの?」
「どうって……」
「ヒロにしては珍しくハッキリさせないんだね」
「っ」
違うのなら違うと断言しそうなものを、ヒロは何かを言いたいけど言えずにいる。
ここまで来て否定の一つしないのならば、今だ推測の域は出ないが正しいものであるのかもしれない。
成程、あの時にも可能性の一つとして浮かび上がったが。
朱音が恋をして変わったように、ヒロも恋に纏わる何かで今みたいになったと言うのならば。
「じゃあ俺から先に言おうかな。俺はね、ヒロ」
「……?」
つい先日のあの夜に、朱音も言っていたように。
どうあがいても、『この先もずっと三人で』という俺の望みは叶わない訳か。
「残念ながら、昔から好きな人というのは一人として居ないかな」
「……あ?」
「むしろ今となっては、恋なんてものクソ食らえだとすら思ってるよ」
「あ……え?」
故にこんな話題を振った側の癖して申し訳ないとは思うが、そんな悪態がついつい出てしまっていた。
これを聞き、顔に妙に焦りを滲ませながらも返す言葉が出ない様子のヒロは、まるで俺の目から逃れるように目を背けさせた。
「俺は言ったよ。次はヒロの番ね」
「……」
「……何も言ってこないんだね。いや、言えないのかな?」
ここで無理矢理話題を切り、戦意が喪失した様に見えるヒロを撃ち取っても良かったけれど、それはそれで何処か中途半端だなと感じて更に追撃を加える事に。
「……ねえ、ヒロ」
「……」
「朱音の事はどう思う?」
「……え、は? えっな、何でここで朱音の名前がでてくるんだよ、可笑しいだろ」
朱音の名を出せば、引き攣った笑みを浮かべ酷く狼狽する。
それはまるで、この場で出るべきでは無い言葉だとでも言うように。
最近ではあるものの一年の間では、既にそういった噂すら流れているのだから、ここで出しても別段可笑しな言葉では無いだろうに。
「……さあね、それは自分で考えてみて。序でに聞きたいんだけどさ、ヒロが昔言っていた俺達の幸せって何なの? 俺、見つけた覚えこれっぽっちも無いんだけど」
暗に、この現状で恋に現を抜かすのかと問うてみた。
これを聞いた上で今の発言を押し切って、それでもとヒロが言うのなら、それはそれで構わないと信じて。
「あっ……は、え、それは……」
「それとも今のヒロの目にはさ、俺が……俺達がヒロの言う幸せとやらを見つけた様に見えてる?」
「…………」
俯きかけていたヒロは叱られた子供のように、怯えた様にビクリと肩を揺らす。
恐る恐る上げたその顔の……かち合った視線の中に困惑の色を大きく映し、何もかもが普段とは大きく違ってとて弱々しく、まるで蚊が鳴くような声となっていた。
「ねえ、ヒロ」
「こ、今度は何だよ」
「何をそんなに怖がってるの? こんなのたかが恋バナじゃん」
「あ……う」
そう言ってやれば……ヒロは今度こそ顔をくしゃくしゃに歪ませて、まるで見たくない物から目を背けるように、何も無い砂地に視線を向ける。
俺にとってはその通りとしか思っていないが、ヒロにとっては態度をここまで豹変させてしまう程のものらしい。
「それで、高垣さんの事はどうなの? 好きなの?」
「…………」
不意にその名を出しても、ヒロは俯くばかりで何の反応も返してこなくなった。
暫くは俺も口を閉じ、ヒロを行動を起こすまで見守る事にした。
「……」
「……」
けれどヒロは何時まで経っても動かず、ただただ時間だけが過ぎていく。
そして―――
「はい、一位が決まったんでゲーム終了ー!!」
「……ん、時間切れか」
無慈悲にもゲーム終了の合図が告げられた。
元より一騎打ちをするとチームに説明した俺と朱音は言わずもがな、ヒロと高垣さんの両名もリーダーを務めてなかった様で。
これを機に周囲を見渡せば、遠くの方で拳を空に突き付けるようにした前田さんと宮本だけが幾多の屍の上で何やら雄叫びを上げていた。
聴こえる範囲では「陸上部舐めんなや!」やら「僕達の勝利!」やらと叫んでいるが、結果がこうなれば最早俺達には関係の無い話となる。
そういえば残りの蔵元は……どこの居るのか分かんないからいいや。
俺も俺でこの後は、一騎打ちらしい一騎打ちを全然していない件について、後を任せてくれたチームの皆に問い詰められるだろうから今のうちに弁明を考えなきゃいけない。
さあ、切り替えていこう。
「じゃあ、今日はこれでお終いかな。これは……優勝?と言えばいいのかな? とにかく、おめでとう」
「……あ、ああ」
「一騎打ちらしい一騎打ちは出来なかったから、それはまた今度ね」
「……おう」
既にゲームも恋バナも終了したと言うのに、そこからのヒロは当初のハキハキとした態度は鳴りを潜めまるで借りた猫のように大人しくなってしまった。
その変化に気付いた周りが心配そうに声を掛けてみても、「何でも無い」の一点張りで。
ただただ俺と朱音と……そして高垣さんを順々に見遣るだけ。
そんなヒロを観察しながら今の時間を振り返り、俺は一つ確信を得た。
ヒロは、俺達を見ていた様で何も見ていなかった、という事実。
―――そしてそれは、俺と朱音にも言えるものだった。
グイグイ詰める浅見くん
「恋バナ、恋バナ、恋バナ」
推し?の押しに弱し、の新藤くん。
「わァ........ァ...」
見守る春辺さんと高垣さん
「あれ、なんか泣きそうになってる?」
「(また警戒されてる気が......)」
次回は、何も言えなかった新藤君の胸中&海の日エピローグ




