75話 海の日④
「はぁ、はぁ……疲れた」
朱音の突拍子も無い行動によって海の中へ引き摺られ、なし崩し的に三人で鬼ごっこのような遊びをしながら動き回る事になったが、鬼になった朱音が佑を狙うその隙を見てなんとか抜け出した。
佑の裏切り者を見る視線を背に受けつつ、水を吸って重くなった上着だけを脱ぎ雑巾のように絞りながら休憩所を向かう。
「あら、お疲れ様」
「お前……まだ着替えてないのか?」
そこには、俺達が設置したビーチパラソルの影の下で以前として変わらぬ格好のままの高垣が携帯扇風機を片手に寛いでいた。
よもや本気で着替えを持ってきておらず泳ぐ気は更々無かったのだろうか、と勘繰っていると、高垣は自身が持ってきた鞄を肩に掛け、腰を上げた。
「はぁ、ここまで来て泳がないわけ無いでしょう」
「やっぱそうだよな! どんな水着か楽しみにしてるぞー」
「セクハラね」
「……うん、ごめんよ」
俺としては何となく口にしただけだったが、どうやら今のはセクハラ発言と受け取ったらしい。
高垣はジロリと軽く睨んできてから、更衣室の方へ向かおうとして……踏み出したその一歩から動かなくなった。
「……そういえばアンタも、着替えてなかったわね」
「お? うん、高垣が戻って来たら代わり番こな〜」
「ふむ」
顔だけを振り返らせ、今度は思案下な表情を浮かべた高垣に俺は首を傾げる。
「……新藤君」
「んだよ」
「自分と浅見君の荷物を持って立ちなさい」
「はあ?」
「いいからしなさい」
変な事を言うな〜と思いながらも、せっつかれたので言われた通りに立ち上がって二つの荷物をそれぞれ持ち上げる。
こんな事をして何がしたいのやら、と疑問に思っていると、次に高垣は朱音が持ってきた鞄の紐を空いた肩に掛け始めて、今度こそ更衣室の方向へ歩き始めた。
「この際だから、あの子達のもコインロッカーに預けに行くわよ。貴重品やら何やら入れっぱなしでしょう? クラスの子達は見る限りでは預けに行ってるみたいよ」
「……はぁ?」
確かに、この共有スペースには俺達以外で貴重品が入った様な物は置いておらず、飲み物やら遊び道具、拭くためのタオルなどが置かれているだけだ。
だがそんな事よりも、気になることが。
……つまりはアレか?
このままと高垣だけで一緒に更衣室に向かって、自分達の物と序でに彼奴等の荷物を預けてこようって言ってんだろうか。
俺の困惑など気にしていないのか、一人で歩き続けた高垣の横に着く。
「いやいや代わり番こでいいだろう? このまま高垣が朱音のを持っていって、お前が戻って来たら次に俺が佑のやつを持っていく、ってか佑もまだ着替えてないから呼んで一緒に行けばいいし」
「ええ、そうね。別にそれでもいいけれど……」
「いいけれど?」
何を勿体振った言い方をしてんだか、と立ち止まった高垣を訝しげに見ていると、急に溜息をつき始めた。
「ナンパとかに遭遇したくないわ」
なるほど、要は俺に男避けとして行動してくれって意味なのか。
高垣の魂胆に内心でそれなら別に、と頷いていると、ふと気付いた。
―――そう言いのけるという事は逆に、周りの男共の視線を奪ってしまう自信があるという事だ。
「ぷぷー自意識過剰乙〜。自分で言ってて恥ずかしくないんですか?」
「黙って男避けに徹しなさい」
「いったっ!?」
「ふん、後で浅見君にコインロッカーの場所を教えときなさいよ」
癪に障ったのだろう高垣は、問答無用で俺の足を踏み抜いてきやがった。
両手に持った荷物を落とさぬようにしながら悶える俺を一瞥した高垣は、歩みを強めて先に進み始めてしまった。
不承ながらも追い掛けようとして、はたと気付く。
平静を保っているつもりだろう高垣の、揺れる髪からはみ出た耳が……見て分かる通りに赤くなっていたのは見なかったことにした。
「そういえば新藤君」
「んだよ」
「少しは筋トレでもして、身体を鍛えたらどうかしら?」
「余計なお世話だよ。てかジロジロみんなし……いやーん、変態」
「上着を脱だままだから見せびらかしているのかと誤解していたわ。あと、その言い方は大分気持ち悪いからやめて」
「俺が悪いのか? これ」
☆☆☆☆☆☆
「これでよしっと。佑の鍵はこっちの番号だな」
海パンと薄いシャツを羽織るだけの簡単な着替えを済ませ、二人分の荷物を預けてから建屋から少し離れた場所に出る。
男避けとして機能しなければならない為に、此処で一人戻ってしまえば朱音の様に拳骨を頂くことは目に見えているので、 手元にあるナンバープレートの付いた二つの鍵で遊びながら今に遊び回るクラスの連中の姿を探しながら暇を潰していく。
「お待たせ」
「おう」
ワーキャー言いながら思いの外楽しそうに過ごしている様子を眺めていると、背後から声を掛けられたので振り返る。
見れば高垣は上下黒一色のビキニタイプの水着を選んだ様であり、フリルの付いたビキニトップスにスカートタイプのボトムスと、朱音が可愛らしいと例えるならば此方は気品があると言えるだろう。
常々思ってはいた事だが、高垣の雰囲気と落ち着いた色がマッチし過ぎてて感心を通り越して恐怖すら覚える。
これがたった数ヶ月前までは中学生だった奴の姿か?……これが?
却って男避けとして機能しないのでは?と目を細めていると、高垣は掛けているサングラス越しに俺と視線を合わせてきた。
「あら? 五年後と言わず、既に釘付けになってしまったわね」
「戯言を抜かすなよ高垣ぃ」
腰に手を当て誇らしげに若干胸を張る姿は様にはなっているが、別に釘付けになっていた訳じゃない……怖気づいただけだバーカ!
というかこれって、土曜日にでも買いに行くって言ってた朱音が見繕ったものなのだろうか?
「ふむ……新藤君、これ持っていてちょうだい」
「んあ?」
高垣は一度俺の格好を眺めた後、顎に手を添えまたも思案下な顔を作ると、次に二つの鍵と手に持っていたタオルや携帯の入ったジップロックを手渡してきた。
そして手隙になった高垣は近くにある水道の蛇口に向かい、両手を洗い始め、何故か濡らしたままの状態で此方に戻って来た。
「ほい、タオル」
「まだ持ってなさい」
「え?」
「屈みなさい」
「え? なんで?」
「いいから早く。乾くでしょうが」
てっきり手を拭くと思いきや、高垣は水を滴らした手はそのままに意図の読めない指示を出してくる。
困惑しながらも、言われた通りに従い腰を落とし屈んでみた。
「うおっ! な、何事?」
何故か濡れたその両手で俺の髪を触り始めた高垣に大変驚くが、それを無視して手を前髪から掻き上げるような動きに変えていくではないか。
こそばゆい感触に身の悶えを堪えながらも、高垣の気の済むままにさせていると、今度は立てと指示が飛んできた。
今度はシャツのボタンを勝手に下から閉じていき、胸元だけが開く辺りで手を止め、一歩後ろに身を引く。
そして俺の全身を下から上へと見定める様な視線を送り始めると、やっとこさ口を開く。
「なんかアレね……まぁまぁだわ」
「何がしてーんだよ、お前は」
「シャツもサイズがいい具合にピッチリしてスマートにはなったから、見てくれだけは何とかマシになったわね」
「サイズも何も、コレは中学の時に使ってたやつをそのまんま持ってきただけだぞ? まだ着れたからさ」
「……高校生なんだからちゃんと見繕って来なさいよ。この雑魚が」
「なんで罵倒されたん?」
そりゃあレディース系なら種類が豊富だから色んなタイプが有るだろうけどさ、メンズ物なんて探せばさっきの俺と同じ格好の奴あんて何人も見かけるレベルだぞ。
別段、可笑しい格好では無いと思うんだがなぁ。
「……まあ、多少は溜飲が下がったからいいわ」
「え? 俺なんかしたっけ?」
「私が此処にいる理由」
「……は?」
「……はぁ。まあ、それは今はいいわ。さっさと戻るわよ」
「あ、ああ……分かったよ」
俺に対してどんな不満を抱えていたのか不明だが、溜息はつけど今の遣り取りで気が晴れたらしい高垣は、俺に持たせた荷物を受け取ろうと近付いてくる。
しかしその足は目の前で止まり、今度は俺の顔をまじまじと見てくる。
「……そうねぇ」
「……今度はなんだ」
「コレ、掛けてみなさいよ」
「うおっ! ちょっ!?」
高垣は徐ろに自身が掛けていたサングラスを外し、サイズの確認もせずに俺の目元に近付ける。
思わず顔を逸らそうとしたが先手を打たれ、やはりと言うべきか、若干サイズの合わない高垣のサングラスを掛けられた。
微妙に肌に食い込むフレームを気にしながらも、変わった視界越しに高垣の反応を待っていると―――
「…………フッ」
「てめぇっ」
「あら、メンチ切るなんて分かっているのね」
「メンチってまた古い言葉を……って何でそんな台詞が出てくんだよ」
「さて、行くわよ」
「おい無視すんなよ!」
「はいはい。これで無視はしてないことになったわね」
「うっぜぇ!!」
俺の風貌を小馬鹿にする様な鼻笑いを寄越して直ぐに荷物を奪い取り勝手に戻っていく高垣に詰め寄るが、子供をあしらう様な態度を取られる。
一体全体何がしたかったんだと思いながらも、俺達は並んで休憩所に戻りに始めた。
「二人とも戻って……おおー! やっぱり私のセンスに間違いは無かったようだね? 詩織ちゃーん?」
「純粋にうざいわね」
「ヒロ、俺のリュックしらない?」
「ああ、ロッカーに預けてきたから着替え序でに確認してくれ。これ鍵な」
「おー、ありがとね。お金は後で返すよ。それにしても……ヒロ」
「んだよ」
「なんかあれだね……高校デビューに失敗したなりヤンみたいだ」
「あ、それ私も思ってたよ! イメチェン?」
「……」
「…………おいゴラ高垣ィ゙!! 表出ろやァ!」
「表よここは。朱音、休憩中に悪いけれど泳ぎに行くわよ」
「へ―――ちょっ!」
「逃げてんじゃねぇぞ! テメェらァ!」
「何で私まで!?」
「行ってらー」




