70話
「……んあー」
視界が暗闇の中、妙に静かな空間の中でなにかが回る音が耳に届いた。
鉛でも付いているのかと思う程に重い瞼をゆっくりと開くと、音の正体はエアコンの回転ファンが回る音であり、視界には真っ先に消灯している天井照明が入る。
次いで周囲へ目を移すとカーテンの隙間から光が漏れており、何時の間にか寝落ちしていたらしいことを理解した。
確か……佑と朱音がイチャイチャしてる所を動画で記録して、無茶しやがってと言いたくなる姿で倒れ伏した朱音を思いっ切りおちょくった後は皆でUNOで馬鹿みたいに盛り上がって。
そこから記憶が途絶えているから、俺が何処かのタイミングで横になった際に魂が抜けたようにすぐ寝入ってしまったのだろう。
寝落ちしたら意外と早く起きてしまったやつだなこれ。
「……ん?」
ゆっくりと脳が覚醒していく中で軽く身体を起こそうとすれば、腹に圧迫感が残っていることに気付いた。
「……」
そちらに顔を向けると……今に小さな振動を感じてか頭の位置を此方に向けた、俺の腹を枕代わりにして眠る佑のご尊顔があるではありませんか。
「…………ふむ」
何度見ても睫毛長ぁ。イケメンは寝顔もやっぱイケメンですわ。
俺が今見たこの光景を、朱音はこの先で何度も見るんだろう―――ゲフンゲフン、こんな朝っぱらから邪な想像をしてはいけない。
自分のベッドがあるんだからそっちで寝ればいいものを、とは思ったものの、昔もこんな感じで何度も雑魚寝してたなぁと懐かしさがこみ上げる。
ゆっくりと羽毛を運ぶような手付きで眠る佑の頭を移動して、腹筋が攣りそうになりながらも音を立てずに起き上がった。
「ん〜、今何時なんだ?」
同じ体勢で床に寝ていたせいか所々痛む身体を適当に解しながら、日差しを浴びようとベランダに出る。
そして時間を確認しようとスマホの画面を付けた。
「七時ちょいか。意外と早かったな……メッセージは誰からだ?」
現在時刻を確認していると、時刻の下に新着メッセージのお知らせが表示されていた事に気付きアプリを開いて確認しようとして、その指が止まった。
「おいおい。誰だよこんな朝っぱらから悪戯してくんのは」
こんな早朝から通知が連続して届いており、スマホが細かい振動を繰り返している。
誰かが俺個人かグループチャットにスタンプラッシュでもしているのだろうと予測をつけ、その下手人が誰かを確認しようとメッセージを開く。
『おいおいおい新藤君よぉw』
『クソが。朝からこんなの魅せられる私の気持ちを述べよ』
『どっちが本命なのかな?起きてるー?し・ん・ど・うきゅん♡』
『返答次第ではクラスの男子全員が敵に回ると思え(#^ω^)』
『既読が二つ増えた!囲え囲えー!』
『お前は新藤?』
『流石にまだ寝てんじゃねーの?写真が貼られてからそんな時間経ってねぇし』
『いやこれは喜浩に違いないよ。僕の勘がそう言っている』
『宮本お前こえーよw』
「な、何が起こっているんだ?」
届いていたのは誰かのスタンプラッシュでは無く、起きているクラスメイトからの大量のメッセージだった。
しかも、何故か俺を名指しして物凄く盛り上がっているではないか。
『朝からピロピロうるせーと思ったらどしたん?』
『上見てみ』
『蔵元君入りましたー。さあ、今も返事しない君は一体誰なのかな?かな?』
『だんまりはいけないよー』
『よしひろてめぇ』
『蔵元の嫉妬丸見えの顔面想像すると朝から笑える』
『南は月曜日ぶちのめす』
『追い込み漁じゃー!初めて来た者は返事をするのじゃー!』
『そっとしてやんなよ童貞ども』
『違うし』
『あからさまな反応。俺でなくとも見逃せないね』
『なんかごめんね蔵元君』
『蔵元お前w』
『謝られてやんのー』
『勝手に自爆してやんのー』
『コロコロしちゃうぞー?』
『今度からは少しだけ優しくするから』
『変な気遣いはヤメロォ!!』
「元気過ぎだろ」
クラスの数人が面白可笑しく会話を繰り広げている。
何が原因なのかは不明だが、流れる会話を見て気が乗ったので俺も見ていることを伝えてみよう。
『情報通の前田さーん。これってどういう意味なんですかねー』
『ごめん私にもわかんないかな。けれども私はこう思うのよ』
『ちくわ大明神』(俺)
『深夜テンションで女子グループに送ろうとしたけどクラスの方に送っちゃったのでは、とね』
『なる』
『おい誰だ今の』
『何それ?』
『普通に笑ったわ』
『それ新藤じゃん』
一時期流行した言葉を挟み込んでみれば、誰かが俺に気付く。
するとパタリと一時会話が止まり、今度は怒涛の勢いでメッセージが届き始めた。
『キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!』
『おはよう新藤くぅん』
『おはよう』
『おはよう喜浩。本当に合ってて自分でもビックリしたよ』
『履歴は見たか?見たのなら疾く弁明せよ』
『はよ答えてよー。気になって二度寝出来ないじゃん』
『おうおう喜浩君よぉ?いい朝を迎えたなぁおい?』
ノリが某掲示板のそれに見えるんだよなぁ。このグルチャはスレッドだった?
履歴がどうのと言っていたので一旦無視し、画面をスクロールしてこの騒ぎとなる前まで遡る。
「なっ……!!」
それを見た俺は絶句する。
それは俺が寝たであろう時間の後に、同時期に投稿されていた二つの写真。
方や撮っただけのシンプルな自撮り写真で、方やアプリか何かでデコレーションを加え少しキラキラとした自撮り写真。
前者が佑で、後者は朱音が送っていたものだった。
問題なのは写している内容であり、そのどちらもが角度違いではあるがその背後に間抜けな顔で寝ている俺も写している。
そう―――見る人によっては事後の写真、と見えてしまいそうな、変な勘繰りをされても仕方無いのでは、とも思える写真だった。
クラスメイトはこれを見て、ワイワイと盛大に盛り上がっている訳である。
「あ……あばばば」
ふ、震えが止まらねぇ!!何でこんな写真を個人じゃなくて皆が見るグループに送ってるんだよ!?変な意味で見られるのは俺としても困るのに!!
しかも二人して『こんな仲良しです!おやすみんご。』と揃って変な文を送ってる!
なんかお腹痛くなってきたんですが!?
『今頃アホ面かましてるんじゃね?』
『いや、二人を叩き起こして事情聴取してんじゃね。浅見と春辺さんって幼馴染みで家も隣なんだっけか?起こすにしてもそっからそこじゃんね』
『そんな二人の家を行き来出来る新藤とは』
『仲良しですねぇ』
『皆さん今度からは生暖かい目でみましょうねぇ』
『男と女がひとつ屋根の下。なにもないはずが無く』
『汚れた目で見んなクズ共』
『朱音が仲良しですって言ってたでしょうが。つまりはそういうことでしょ』
『浅見もそう言ってんじゃん』
『それはそれでいいと思います』
『え?』
クソッッッ!学内で出回っている噂に更なる尾鰭が付きそうなこの勢いを止める手立てを考えねば!この押し寄せる誤解という名の濁流の流れを変えないと、この先どうなるか想像がつかねぇ!!
何か、何か有るはずだ!!
―――はっ!アレがあるじゃないか(名案)
『お前らこれ見ておったまげろ』(俺)
『ほほーん?』
『なんじゃろか』
急ぎ、昨日撮ったばかりの祐が朱音にマッサージをしているイチャイチャ動画を送る。
今にニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ俺達を見るクラスメイト共といえどこれを見れば、来週からは二人にだけ対して生暖かい視線を送ってくれるようになるはずだ。
あぁ、今の俺は冴えている。舵取りは完璧だァ。
爽やかな朝を迎える為にも……皆の衆、刮目せよ!
『仲良いじゃん』
『朱音めっちゃ暴れてたじゃんwああ見えて意外と不健康?』
『蹴られても微動だにしない浅見くんの体幹にビックリ』
『浅見っちー女子相手に結構容赦ないね。Sっ気あるのかな?』
『は?女の子の柔肌に平然と触れられるとか万死に値する』
『同意』
『月曜日が楽しみだな浅見ィ』
『普通にキモいよお前ら』
『彼女居るからって余裕ぶっこいてんじゃねえぞ新井ィ!!』
『え、新井くん彼女居たの!?初めて知ったんだけど』
『居るよ』
あ、あかーーん!!何故か却って佑の株が下がってしまった気がする!特に男子側から!!
こんなんなるとは予想もつかんかった!!それはそれとして、都合が良い時に新井には詳しく話を聞こうかな、うん。
てか、もうちょっと俺の予想した感じで盛り上がれよお前達!
目が節穴な奴等しか居ねえのかよ!
『ちょっとまて皆』
『どしたん宮本』
『この動画ってさ、窓越しに撮ってるものだよね』
『そだね。なんか反射して背景が見えたりしてたし』
『僕、剣道してるから反射神経もそれなりなんだ』
『あんな可愛い顔してキエェェエッて言うの?』
『何が言いたいんだ?』
『撮影のブレで少し周りが反射したその一瞬にさ、喜浩の隣に黒い影が見えたんだけど?あと可愛いは余計だよ』
『はー?新藤、浅見、春辺さんの三人で居たんじゃねーの?』
『気になって見てみたらなんかすこしだけ黒い人影?ぽいのが見えるんだけど』
『え』
『幽霊?』
『やめてよ。冗談でしょ?』
『え、誰か一緒に行ってるの?』
『知らん』
『私も知らない』
『幽霊なんて居るわけないじゃん。誰かと一緒にベランダ?バルコニー?に居たんだよね?浅見くんの両親かな?』
『おい新藤はよ答えな』
『顔とかまでは映ってないんだけどさ、なんかうっすら手みたいなのが見えるんだけど』
『は?』
『そんで新藤の肩に手を置こうとしているようにも見える』
『え、何でこんな朝からゾッとしないといけないの?』
『夏と言ったらホラーだろ』
『やかましい』
すぐに挽回せねば、と焦っていると宮本の発言で流れが一気に恐怖映像を見た反応に切り替わっていく。
黒い影って……黒ジャージ着た高垣の事じゃん。幽霊扱いされてて草生える。
『おい新藤』
『ちょ、何で何も言わないん?』
『誰と居たんだ!』
そのメッセージを最後に、俺はスマホの電源ボタンを押して暗転させた。
「…………うん、真実は闇の中にしよう。まずは三人が起きたら既読無視だけさせて、何故こんな事を仕出かしたのか聞くか」
☆☆☆☆☆☆
「っていうことが昨日あったんですよね〜」
「ははは。楽しんでいるな」
昨日の夕方から連絡を取り合い、こうして猪田先輩の付き添いでアルバイト先に赴き面接という名の軽い顔合わせを終えた日曜日の昼頃。
せっかくだからと昼ご飯としてその店の焼き鳥を猪田先輩に奢ってもらい、俺からは僅かながらのお返しにと近くの自販機で飲み物を買い付近の紫外線で所々日焼けしたプラスチック製のベンチに座りながら話の種として昨日の出来事を話していた。
「その後はどうなったんだ?」
あの後は……寝る時間が時間だった為に起きる気配を見せない佑が起きるのを待ち、電話で朱音達も起床したことを確認してから呼び出して何故あんな写真を送ったのか詰め寄れば眠そうな顔で揃って『深夜テンションで』と言われ、ストッパーになりそうな高垣からはこれまた寝起きで不機嫌だったのか『面白かったから』と言われ、先に寝た俺も不注意だった事に気付き何も言えずに肩を落とした。
その後は各々で適当に朝飯も兼ねた昼食を済ませ、朱音のテニスをしてみたいという一言で俺は佑に、高垣は朱音から運動着を借りて比較的近くにあるテニスコートのある運動場にバスで移動してラケットも借りてテニスをする事に。
基礎練習の最中、朱音が思いっ切り振りかぶったラケットが手元から離れ綺麗な放物線を描いて俺のマイサンに直撃し悶絶するというアクシデントはあったものの、三時間位は楽しくテニスをした。
その時に肩を震わせていた佑と爆笑していた高垣は絶対に許さないけどな。
そしてその帰宅後に春辺家の敷地に見覚えのある車が停まっているなと気付き教えて貰ったことなのだが、呑みに出ていた両親達は代行を使って五時頃に帰宅していたらしく、俺の両親は春辺家の客室を借りて、全員がその時間までずっと寝ていたらしい。
移動は俺の帰りも含めて新藤家の車で移動していたので俺はそのまま家へ、高垣は朱音の両親に送ってもらったらしく家についてからは猪田先輩と連絡をしてその日は終わった。
それらを伝えれば、案の定と言うべきかラケット直撃の件にだけは爆笑されてしまった。
「それにしても、初めてこの店の食べましたけど目茶苦茶美味いっすね」
「出来立てだから尚の事美味いだろう? 何年も通っているけど飽きないんだなこれが」
「その気持ち解りますわ〜」
サービスとして店長直々に焼いてくれた焼き立てのとり身を頬張れば、引き締まった身の程良い焼き加減で歯応えが非常に良く、噛めば噛むほどに醤油ベースのタレが鼻腔をくすぐる。
一度口にすれば無意識に手が伸びてしまうほどの味に、猪田先輩が言った飽きない理由が込められている気がした。
そんな一品を自分も作れるのだろうかと不安になりながらも、夏休み期間中にお世話となる、行列の並ぶ焼き鳥屋へ視線を向ける。
今回面接に対応してくれた店長さんは結構なお年のお婆さんであり、聞けば昔に開店して以来、夫婦で経営してきたらしい。
しかしながら数十年前に元店長だった旦那さんが亡くなり、暫くは一人で店を続けてはいたが歳を取ると共に捌ききれなくなったらしく、今じゃ三人程雇ったもののお客さんの増える時期にはこうして一人でも多くアルバイトを募集していたとの事。
時には食材が詰まった重量物を運んだりすることもある為に、昼時はお客さんが爆増するので高校生という若い力は欲しかったと言っていた。それと孫に会えないから、若い子と沢山会話をしたかった、という動機もあるにはあったらしいが、これは蛇足だな。
面接の終わりには若干不安そうにしながらも給料の話をされたり、家からはバス通になって大変かも、と心配はされたが……そんなことは最早考えるまでもなく、俺は「よろしくお願いします」と告げていた。
「後もう一人、アルバイトの子が来るんですよね?」
「そうだ。面接やらなんやらはもう既に終えているから会うのは夏休み入って以降になるだろうな」
「ほほーん。了解です!知り合いだったらテンション上がりますね」
「まあ、此処から十分歩けば別の高校があるしな。案外、新藤の同級生が来たりするんじゃないか?」
「違ったとしても仲良くしていきましょうね〜!」
「……あんまり他の従業員に迷惑が掛からないようにな?」
「そんなことしませんよ?」
常にテンションが高い奴と思われているのか、ジト目を送られる。
「それじゃ、ここいらで解散といこうか」
「うぃっす。印鑑ラッシュはいつぐらいにしますか?」
「バイト先に記入して貰わないといけないものもあるから、再来週の始めで済ませようか」
「了解っす。今度来たときは自分が奢りますんでね!」
「ははは、わかった。種類別で五十本な」
「ははは。流石に冗談ですよね〜?」
「テストで赤点とかは取るんじゃないぞ? 押印を貰う際に面倒になる場合があるからな」
「そこは大丈夫っすよ!さっきのは冗談ですよね!ね!?」
猪田先輩は俺の返事には答えずに、別れの挨拶をしてから自転車の乗って帰ってゆく。
猪田先輩なりの冗談だと思い、その背中を見届けてから殻になった容器を鞄に押し込み、帰りに使う近くのバス停に向かった。
そして比較的早い時間で来たバスに乗り込み、少しして乗車口が閉まるその直前に。
「あれ……あの人って確か。し、しん……新ど―――」
外から何処かで聞いたことのある声が、聴こえた気がした。
翌日
「なあ何で既読無視してんだよ!あの正体を教えろ!」
「逃さないからね!心霊映像見た気分になって夜眠れなかったんだから!」
「浅見も春辺さんも教えてくれねーんだよ!口止めしやがって!」
「うるせええ!朝から騒ぐなよ!?」
「「黙秘権を行使します」」
(面倒だから黙っておきましょうか)




