53話(8/23修正)
★★★★★★
「むむむ」
美術室全部の窓を全開にしても部屋に染み付いた未だ慣れない塗料の匂いが鼻をくすぐる。
窓の奥からは微かに吹く風の音や煽られ揺れる白いカーテンと運動部の大きな掛け声が耳に入る。
「むむむ」
そして私は、イーゼルと呼ばれる三脚の台に置かれた下描きも汚れも一切付いていない真っ白なキャンバス―――ではなくスケッチブックの前で鉛筆を手に唸る。
高校に入ったら何かしてみたいと勢いだけで入部したこの美術部で私は今、デッサンの内容に頭を捻らせていた。
「むむむん゛ぬっ!」
「何がむむむよ。てかうっさいわ」
「酷い!何で叩くの真奈美ちゃん!」
「だったら黙って手を動かしなさい」
唸る声に煩わしさを感じたのか、少し離れた作業場から何時の間にか後ろに移動していた美術部部長こと福田 真奈美ちゃんが頭を叩いてきた。
じんじん痛む頭を手で押さえながら振り反る。
「はあ。んで、何か悩みでもあるの?やけに真面目になっているかと思ったけど雑念を感じた」
「うぇ?雑念って何さ。普通に何を描けばいいかなって」
「ダウト」
「へ?」
思ったことを口にしてみれば、此方に指を指され指摘が飛んできた。
結構真面目に考えてたのに……。
「私には理解出来た。朱音みたいなキャピキャピ女子かつ脳内ピンク塗れは、目の前の紙より男の事しか頭にないはず」
「酷い偏見!!今までそんな目で見てたの!?」
「五月蝿いよー二人とも」
自分の持ち場で私とは違いキャンバスへ油絵具で色を付け加えていたもう一人の部活仲間、高野 絵里ちゃんが注意してきた。
今の美術部の総勢が私含め一年生三人のみ。
少し前ならば三年生も数名居たけど、既にもう引退しており今現在この三人が美術部部員になっている。
二年生が誰も入ってこなかった事にすわ廃部になるかも、と嘆いていた元部長は一年生が三人も入部した事に凄く喜んでいた。
真奈美ちゃん、絵里ちゃんと違って初心者の私のデッサンを見て顔を引き攣らせ『練習あるのみね』と言われたけど。
「それと真奈美、そういった話なら朱音ちゃんは愛しの新藤君の事しか頭にないはずだよー。脳内お花畑だから」
「ああ、いつも浅見君の近くに居るあのパッとしない男の子よね」
「印象うっす!!って違うよ!?たすくんの方がヒロくんの近くに居るんだよ!」
「「言い返す所そこなんだ」」
「あ……そんなこ、……ぃうぐぬぬぬぬ」
「羞恥心で否定しようとしても感情が否定出来無いのね」
「ケッ、青春してやがりますわねー」
自分で墓穴を掘り、恥ずかしさの余り否定しようとしたけど、否定したくない気持ちが湧き上がり思わず口籠る。
その様子を方や楽しそうに、方や嫉妬の混じった顔で見てくる。
「それで、悩みってどんな悩みー?」
「ちょっと前の体育祭でべったり身体引っ付けたのに今も意識すらされないとか?」
「あ、そんな事もあったねー。それ私近くに居たんだけど新藤君におぶさりながらなんか特等席だーとか言ってたような」
当時の光景が脳裏を過った。
「んぎゃああああああ!!忘れて〜っ!!?」
「しかも新藤君、照れる素振り一切見せずだった。何なら冷や汗掻いてたねー」
「あらら」
「……シテ、…………コロシテ」
「テンションにかまけてあんな大胆な行動を取った朱音が悪い。残酷なことに過去は変えられないしこれは全校生徒が周知していることじゃん。放送でまでイジられてたし」
「ほれほれー」
体育祭のリレーの時、気が昂ぶり過ぎて衆目関係無くそんな言動を取った覚えはある……勿論はっきりくっきりと鮮明に。
体育祭以降は自分自身余り気にしていなかったし、周りの友達から心境の変化とか何があったのかと何度か弄られたりといったことはあれど、部活内では遠慮していたのか二人からこうして愉悦の混じった表情でイジられるのは初めてだった。
何度も振り返ったことのある光景をまた思い出す。大勢の生徒、親御さんの生暖かい数々の視線と、今回は言った内容が聞かれてしまっていたことに恥ずかしさが耐え切れず奇声のような声が出てしまった。
スケッチブックの上に突っ伏した。それに気付かない振りをして学校生活を謳歌していた私に心無い残酷な言葉と筆か何かで頭を突付かれるという追い打ちが掛けられるが気にする余裕も無かった。
「イジるのも程々に、悩みは何ー?内容によっては力になってあげるー。こんな面白おか……頼られ甲斐のあることなんてないからさー。それにいつ聞こうかなって度々思ってたんだよねー」
「絶対面白可笑しいって言おうとしたでしょ。てか愉しんでるでしょ」
「そんな事無いヨー」
絵里ちゃんは私の様子が余程面白いらしく、訝しむ私へ白々しい返事をしてから身に付けていた多少絵具で汚れたエプロンを綺麗に折り畳み、近くの作業台に置いてから椅子を引っ張り私の横に腰を下ろした。
「はあ。顧問に何て言おうかな。部活は中止して恋のお悩み相談になりましたとは素直に言えないし」
そう文句を言いながらも、椅子を持ってきて絵里ちゃんの反対側に置き、私を挟むように腰を下ろした真奈美ちゃん。最早二人にとっては相談に乗ることは確定らしい。
私が言うのも何だがこの部活、コンテストとか近く無ければ結構緩い。私はそれ以前の話だけど。
ただノリ気な二人には申し訳ないけど、悩み自体はあるがそれは恋では無く、もっと変わった別の悩み。
ただまあ、ここで無碍にするのも申し訳ないしもしかしたら何か手掛かりが掴めるかもしれないと思い素直に今の悩みを打ち明けてみることに。
「幼馴染みって何ですか?」
「「辞書ひいてこい」」
どうやら私の聞き方が悪かったらしく、真顔になった二人にはヒロくんとたすくんと私の三人の関係性を簡単に説明した。
出会いは小学高低学年から、それ以降ずっと一緒に居るけどある時を境に幼馴染みだと思っていたひろくんから自分は親友だと主張され距離を離すかのような行動を取り始めたこと、たすくんと共に訂正出来ないまま今の関係性をズルズルと引っ張ってしまったこと。
そして一週間前、ある事があって親友では無く心から幼馴染みなんだと気づかせる為にたすくんと決めたけど―――。
その時は分かりやすいように問い掛けて、ちょっと昔に近い対応をしてみれど。今すぐ、という淡い想定はしていなかったけど結果は思ってた以上に著しくない。ヒロくんはこの一週間アクションを起こすどころか私達の対応に困惑したまま。
挙句の果てには今朝、唐突に夏休み期間中はアルバイトをすると言ってくる始末。
まるで私達からの課題と言う名の罰から逃げるような印象を抱かされたのだ。同じ立場になれば誰だってあんな行動に移すはず……移すよね?
結果、何をどうすれば心から幼馴染みなんだと気付かせられるのか、たすくんと共に手探り状態が続いていた。
「えっと何々?幼馴染みとは、主に幼い頃から一緒にいる友達。まあこれは意味通りじゃん」
「こっちは十歳までに出会って異性として意識する前になった友達って載ってるー」
「だよね〜。私も調べたことあるけど似通った内容しか書いてないんだよ」
私としてはヒロくんも幼馴染みだと伝えた所で二人は少し驚いていたけど、どこか思い当たる節―――多分体育祭の件だろうけど―――があるように成る程と頷いた。
その様子にヒロくんは私達の親友か普通以上に仲の良い友人として見られてた事を理解した。
そして今、都合好くこの場に辞書が有る訳でもないのでそれぞれスマートフォンから幼馴染みについて検索をして貰っていた。
私は私で目の前のスケッチブックに今二人が言ったことを簡潔に文字に起こす。過去に何度か調べた結果とあまり変わらないなと思いつつも、こうして第三者の視点を聞いたことがなかったなぁと行動の遅さに少し後悔する。
そしてやはり、そのニ文だけでも改めるまでも無くヒロくんは私とたすくんの幼馴染みという関係性になっている。
「逆に親友は至極簡単。書いて如く親しい友人」
「親友と友人の違いもあったよー。えーっと、相手に合わせるのが友人で、逆に合わせず素直に発言や行動出来る相手が親友」
「やっぱそんな感じだよね〜」
幼馴染みの下の空白部に、今度は親友について文字に起こす。
そのニ文だけでも、ヒロくんは私とたすくんの親友という関係性で捉えられることも出来る。広い意味で見れば皆が皆親友とでも言える。強ち間違っているとは否定出来ない。
「じゃー次、幼馴染みと親友」
そう呟き次の検索にかかった絵里ちゃん。最初は二人ともこんな悩みでいいのかと不安になっていたが案外ノリノリだった。
多分面白いんだと思う。私達の関係性というよりは幼馴染みっていう響きが。まあドラマとか漫画の題材で結構組み込みやすいからそういった目線で見てるんだと思うけど。
多分私もその立場だったら目を輝かせていただろうし。
「うーん。色んな人の意見になるけど、幼馴染み=親友だとか、幼い頃から仲が良いならどっちでも変わらないとか。あと言われてみれば親友じゃなくて幼馴染みだったかもしれないと遅れて気付いた、とかあるねー」
「まあ、そこは人それぞれの主観って事だね」
「主観か〜」
そう言われてみればそうなのかもしれない。
ヒロくんとしては親友として、私達からそれは幼馴染みとして見ていて。
価値観の相違が出来てしまっていたのかもしれない。
―――それにしたって、何があって急に?
「こうしてみれば新藤君の主張も強ち間違っていないんだよね」
「ねー。親友だと自分は思うから親友。何も間違っていない」
私が思ったことをそのまま口にした二人。
これでは何の改善策も出来やしない。
「うー……」
「そんな拗ねないで。これはあくまで私と絵里の意見であって真に受ける必要は全く無いし」
「そうだよー。あ、そういえば幼稚園に居た頃に良く遊んだ男の子が居たなー。今なら幼馴染みって言える?」
「いやその反応だとたいして仲良くないんでしょ。ならただの友人じゃん。それを言うなら朧気だけど私にもそんな記憶あるわ。今じゃ顔も名前も出て来ないけど」
「私もそうだねー」
確かに、幼少期に仲良く遊んだことのある友達は皆幼馴染みとも言える。
けれど不思議と小学生に上がればそういった関係だと言う人は案外見かけないが、昔からの友達とか親友と言う人は増えた印象。
仲の度合いで決まるのか、無意識にそういった線引をしてしまっているだけなのか、またはそもそもそう認識しないだけなのか。
「でもやっぱりあれよね。幼馴染みといえば異性の間柄として見てしまいがちね」
「あー確かに」
「んっ何で?」
ふと、何かに思い至った真奈美ちゃんの言葉に同意する絵里ちゃん。
当て嵌まることには当て嵌まるが、私は純粋に何故そう思ったのか首を傾げた。
「ほら、小さい頃って少女コミック流行るじゃん」
「あー見てた見てた!うわ懐かしいー」
「ああいうので『幼馴染み』を主題にした恋愛作品とか連載されるよね。それ見ていいな〜って思う気持ちも少なからず抱いたりするわけよ」
「あー解る超解る!コンテンツとして多いから私も幼馴染みって聞いてすぐに思い付くのってそんな関係だし!」
「あ〜言われてみれば」
やっぱり幼馴染みというワードは世間一般ではそういった目線で見られやすいんだろうなぁ。
「そしてお互い、或いは片方が異性として見れないってパターンも多い」
「ぐごごごっ」
「真奈美ちゃんストーップ!事実だけど朱音ちゃんにダメージ入ってる!」
真奈美ちゃんが悪い訳ではないけど、その意見に鋭い刃が刺さる。
「そして朱音の告白に幼馴染みの新藤君の断り文句はこう。『朱音のことは家族のような存在としてしか見えない。ごめん』」
「……」
「朱音ちゃーん!女の子の顔してないよー!」
その光景が思い浮かび頭が真っ白になった。
絵里ちゃんが気をしっかりと言って揺さぶってくるが、反応する気力が起きなかった。
「さて、知ってはいたけどこれで朱音が新藤君に恋してるのは確定ね」
「うわー鎌のかけ方がタチ悪い」
「そういえばふと気になったんだけどさー朱音ちゃん」
「何〜?」
あれから絵里ちゃんの必死な揺さぶりと真奈美ちゃんのからかい過ぎた事に対する謝罪により何とか回復した。
それから一旦話題を変えて私の昔話で少し盛り上がった後。何か気になったことがあるらしい絵里ちゃんから質問が飛ばされた。
「幼稚園とか保育園で仲良くなった友達ってさー、住んでる地区の関係もあるけど大体はそのままあがるじゃん」
「そうだね〜」
全員が全員、とは言えないが結構な割合はそのまま同じ学校に上がる。私達が通学していた小学校も、同じ幼稚園に通っていた子は何人も居たし。
「だから、当時は内気だったらしい朱音ちゃんが浅見君に引っ付いていて、それを昔から知る周りからは二人は幼馴染みって見られるのは何となく理解出来るよー」
「そうなのかな?」
「小さい頃にはっきりとそう思われるかは定かじゃないけど思う人は思うでしょうね。それがどうしたの?」
「小学二年の時に新藤君と会ったって言ってたけどさー」
何かそこで疑問に思う所があったのかな。
「それって周りは朱音ちゃんと浅見君、つまり幼馴染み組に出来た友達って感じで見ちゃわない?」
「え」
「言い得て妙ね。つまりその立場なら自他ともに幼馴染みじゃなくて新藤君の言う親友にも見えるし」
「えっ」
思わぬ指摘に、言葉が詰まる。
はっきり違うと言いたいけれど、先程話題に上がった主観の違いについて思い出し、心のどこかで納得してしまった私がいた。
話を聞いただけの二人がそう見えるなら、最初からヒロくん自身も周囲に居た友達もそういう視点で見ていていたとしても何ら可笑しくない。
思い返してみて過去に一度もヒロくんが私達に幼馴染みかといった確認の言葉を聞かれたことが無いし、逆に幼馴染みだと紹介された憶えもない。その時は友達って括りで紹介されたっけ。そしてそれは私もたすくんも、周りも一緒だった。
昔から仲の良さを知る周りの友達に改めて幼馴染みですと伝える機会も無かったのが理由かもしれないけど。
だから、ヒロくんは幼馴染みだと一切思い込まず、親友だと主張し始めた時期にきちんと問い質した時にも迷わずそう断言してきたのだろう。
―――だとしたら、何故その時になって急に主張し始めたのだろう?私やたすくんの知らない所でヒロくんがそう強く認識してしまう何かがあった?
そういえば、親友と主張する前に毎日毎日何か考え事をしているようにずっと上の空だった期間があった筈。その時期にあった出来事といえば、私やたすくんがよく告白される事が多くなった、学年で流行った恋愛ブーム……。
でも、それが影響してヒロくんに好きな人が出来たとしても私とたすくんには一目瞭然で見抜けるはず。距離を取られそうな時にもしやと思った瞬間もあるにはあったが、そんな素振りは一回も無かったから安堵していたのははっきりと覚えている。
それと―――
「っていうかさー」
はっきりと繋がりが見えず、何か掴めそうで掴めないような。そんな思考の海に漂っていた私は絵里ちゃんの声で現実に戻る。
「何で三人でじっくり話し合わなかった訳ー?浅見君なんか頼りになりそうだけどー」
「それな。聞く限りではただ単に仲を拗らせたようにしか聞こえないけど」
絵里ちゃんの疑問も、同調するような真奈美ちゃんの意見もご尤も。
けどそれには理由がある。
「あー……時間が解決すると自惚れてたのもあるんだけど、なんかそれ以上しつこく踏み込むと関係が壊れるかなって思いまして」
「「でた定番」」
「う゛っ」
そう言われればそうなんだけど。
それにたすくんはたすくんでああ見えて慎重、というよりは私と同じくどう踏み込めばいいか解らなかったのが理由だと思うけど。
「いつの時代も厄介なのは人間関係」
「なんかおばさんクサーイ。昔何かあったの真奈美おばちゃーん」
「いつか泣かす。絵里おばさん、略してエリオバ」
「あ゛?」
「何よ?」
口喧嘩を始めた二人は無視して、中断された疑問の続きを考える。
同じ時期に増え始めた、偶に私達を見る時に感じる、何か違うモノを見る妙な視線は何?
ヒロくんやたすくんに紹介する前、私達の昔話を聞いて何故か色々と動いてくれている詩織ちゃんを初めて見た時、私達を見詰めるその瞳がヒロくんと重なったのは何で?
「結論、もう前向きに捉えて親友と呼ばせてもいいんじゃない?」
「あ、それ良案ー」
「えッッ!ここに来て何で?」
「「え?だって結果を見たらあまり重要じゃなくない?」」
「へ?」
結果とは?全然意味がわかんないんだけど?




