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34話

 その光景を見逃さない様に目を見開いて、俺の意に反して視界がぼやけてくる。こういう時に自分の涙腺が緩いことに腹が立つ。


 ついた傷も何のその。吹っ切れた様な晴れ晴れとした表情になって朱音は残り短い距離を全力で駆け走る。


「たすくーん!!行って―――!!」


 まだバトンを渡すには距離があるにも関わらず、朱音は大声で佑に合図を送る。送られた佑は既に前を向いていて、後ろに右手を添えて走り出す。

 普段通りなら、佑より足の遅い朱音はこのままバトンを上手く渡せずになるだろう。

 けれども、今の二人を見てそんな不安を抱く者は居なかった。


「頑張れ!」


「ナイスファイト」


 そして見事、ぎりぎりの所で朱音は、佑へバトンを繋いだ。

 その瞬間、応援と歓声を置き去りに、佑は弾丸の様に飛び出した。


「はぁ……はぁ……」


 走り抜け、息を切らしながら朱音はゆっくりと列の後ろへ……並んだかと思いきや周りから励ましの言葉を浴びながら一直線に俺の元へ駆け寄って来る。


「私、頑張った!!」


「ナイスファイトだった。いい走りだった。怪我は大丈夫か?」


「わぁ、涙目じゃん。うん今は平気だよ。ほら」


「そうか。後で水で洗いに行こう。今は、特等席で佑を見届けるぞ」


「はーい。ん?特等席?」


「此処だよ。佑はアンカー。つまり?」


「あ、一周して此処に来るんだった」


 先程とは違って、心に余裕が出来たらしい朱音はむしろ傷を俺に見せて来るほどだった。念の為それを確認して、後で朱音が水で洗浄しているか間に保険係員の元へ絆創膏を取りに行こう。

 そして朱音が俺の問いかけに思い出したように、最終走者は一周、200mを走りきる。その到達点は俺達の目前。

 アンカーが全員走り出したことによって無人になった場所、白線の上に係員がゴールテープを準備する。


 今なお速度を出し続ける佑。前との距離はおよそ約半周分。一位組はまだ前方に居ることから流石に一位をもぎ取るのは難しいか、と思う反面今の状況にもしかすれば、と何処か期待してしまう。クラスメイト達も期待の眼差しと声援をこれでもか、という程にぶつけている。


「えいっ」


「うごっ!」


 状況を把握しようと周りを見ていた俺の首と背中に衝撃が走った。後ろに引っ張られ体幹が不安定になるが全身に力を込めて何とか踏ん張る。何事かと思っていたら視界に擦り傷を残した左右の腕が映り込んだ。


「何をしてらっしゃいますの?朱音さん」


「ふふーん」


 果たして正体は、俺の背中に飛び移った朱音だった。密着している事によって暖かく柔らかい感触。そして感じる少しの振動。

 俺は朱音に強制的におんぶをさせられていた。


「俺達高校生、恥ずかしい、降りなさい」


「ヒロくんの言う特等席がそこなら、此処が私の特等席だから!それとも、ヒロくんは怪我人を立たせる気〜?」


「むむむ!」


 何がむむむだ!と蔵元に似ている誰かの悔しそうな幻聴が聴こえたが気のせいだろう。そして離さないとしているかのように徐々に締まり始める首。それに合わせて朱音の膝裏に腕を差し込んで体勢を整える。ちゃんとおぶるから力抜いてください。


 まぁ、このぐらいの事なら。朱音の頑張りへの報酬と考えて好きにさせよう。ホントは佑にして貰って欲しい所だが。いや、後で洗い場の所へは佑にして貰おう。ふははは。いい作戦だ。

 取り合えずは、今に一人前を抜き去り全力疾走する佑に応援せねば……。


 ―――そういえばと、体育祭が始まる前に佑はあんな事を言っていたな、と思い出す。真面目な声援も大いに結構だが、何故か俺はこう言いたくなった。佑も、きっとそれを望んでいる筈だ。


「佑ぅ!!今こそ鍛えたその身体能力を魅せる時だぁぁ!!」


「そうだそうだ!たすくんなら行ける!行っけぇぇ―――!!」


 俺達の応援に、周りも触発されたのか手をメガホン代わりにして声の張りを変え始める。そしてやはり佑は反応して、また更に加速する。

 いや、どこまで鍛えたんですかね。ちょっと半信半疑だったんだがまさかマジでここまで鍛えていたのだろうか。


 そうしてふと気付いた事があった。

 中間を過ぎて、向こう列のクラスメイトの誰かがまた一人抜いて走り去る佑を見ずに、此方を見ていた。気になって目を凝らせば、その人物は何故か高垣。


 何故こっちを見て、と思った途端に先程気にならなくなった彼方此方からの視線を妙に感じるように。特に知った人物からの視線、と言うものを。そういえば今日は、母さんも来てる。二人の、両親も……。

 そう思った途端、朱音の言葉に渋々納得して押し殺した感情が剥き出しになってしまった。


 応援したい……、いやでも、観衆の中でこの格好はやっぱ恥ずかしすぎる!?


「佑ぅ!!早く来てくれ!恥ずか死ぬ!!」


「あ、懐かしい。でも何だか締まらないなぁ」


 晴れ渡る空にはきっと、俺の情けない声が1番に響き渡った事だろう。

 その証拠に、それが聴こえた佑は視線を前に向きながらも、横顔にはにこやかに笑みを浮かべていたから。


 ☆☆☆☆☆☆


 その後の話。

 結局、佑はあと少しといった所で一位をもぎ取る事は出来ず、六組中二位でゴールを過ぎた。

 しかし、あの光景があったことでビリから這い上がった佑がゴールした瞬間、拍手喝采を浴びたのを見届けた。


 ―――総評として俺は、紆余曲折あったがあの日思いつき、見たくなった光景をこの目で確りと見ることが出来た。


 この後に、佑と朱音がどう動くのだろうか。ワクワクしながらそう思って朱音を降ろそうとしたが、朱音はやだの一点張り。それ懐かしいな、と思いながらも退場するに整列をしなければ、だから降りてくれといえば周りから俺に対してブーイングの嵐。特に女子共。佑までもが蔵元達と一緒にブーブー言っていた。お豚さんの真似だったのかな?

 おかしいよ、味方は一人もいなかった。


 締めのアナウンスでも悪ノリなのか何故か俺指定で怪我人を保健室に連れてくださいとのお達し。会場には小さい笑みの数々。

 やはり、神は居なかった。


 保健の先生に消毒と絆創膏をお願いして、朱音の対応を任せる。その間に、椅子に腰掛けた朱音は染みる痛みを気にすることなく、両足をプラプラさせながら呑気に鼻歌を歌っていた。


 その後は二人歩いてテントへ戻って、残り二、三年生の対抗リレーの結末を見届けた。アンカーで圧倒的走りを魅せた猪田先輩、色んな意味でお疲れ様でした。白組優勝出来ましたね。


 閉会式も滞りなく終わった。

 会場の片付けも終わり、帰宅時間となったことで各々が帰る支度を済ませ、今日を振り返っているのか至る所から笑い声を出して校門を後にする。


 ―――そんな中、俺はある事から逃げている最中であり、そして鞄を肩に掲げた高垣とばったり出会していた。


「お、高垣じゃん。俺が提案したやつ。見事だっただろう」


「いや、アンタはたいして動けて無かったでしょうが」


「いや、まぁうん、そうだけどね」


 出会い頭の俺の言葉に、随分見慣れた、呆れたといった表情でそう返してくる高垣。

 まぁ、結果的に佑と朱音に発破を掛けただけだし、あまりサポートみたいな事は出来なかった。

 だがそんな野暮な事は言ってはいけない。結果が全てなのよ高垣君。


 そういえば高垣に聞きたいことがあった事を思い出す。メールでも良かったのだが、丁度良かったから今本人の口から聞いてみる。今日で気になった事と、もう一つ。


「あーそうだ高垣。聞きたい事があるんだった」


「?何よ?」


「あの時、何で俺達を見ていた?」


「……見てないわ。気の所為じゃないかしら」


 そう言って高垣は視線を切らし、俯き始めた。何か言い辛いことなのだろうか。

 まぁこの件に関しては気になっただけだ。本題は次。


「俺が言った通り、綺麗なものに見えただろう?」


「……」


 俺の問いに顔を上げた高垣は、能面のような表情になっていた。

 けれど何故だろうか。その瞳の奥に何かを宿したような気がした。

 それを見て何を言えばいいのか分からない俺、未だ口を閉ざす高垣。少しの間、俺達の間に沈黙が降りた。

 口火を切ったのは、鞄の取手をギュッと握ってから、口を開いた何かを堪えたような顔をした高垣からだった。


「私も……いや、何でもないわ。お疲れ様」


「え……あ、あぁ。お疲れ様。体調には気を付けろよ」


 急に冷たい態度を取り始め、何かを言い掛けてから別れの挨拶をしてきた高垣は、歩き出して俺の横を通り過ぎる。高垣の初めて見るその姿と聞きたい返事が聞くことが出来ずで俺は固まっていたが、何とか声を振り絞り返事をする。


 歩み去る高垣の後ろ姿を見て、俺もこの後の事を思い出して急いでその場を後にしようとして高垣とは正反対の方へ足を進めたその時だった。


「せいぜい今の環境を謳歌する事ね。その内……」


 突然、高垣は俺に聞こえるように言葉を発して来た。何事かと思い、振り返れば高垣も同じ様に此方を見ていた。

 だが俺は、高垣の今の姿を見て、目を見開いた。


 ―――自分で壊して、私と同じように……後悔するわ。


 前と同じ様に此方を見定めるような目をしながら、何処か遠くを眺めている、そんな顔をしていた。


 そう言ったきり、高垣は今度こそ背を向けて去っていった。それを見えなくなるまで、俺はその背中を見続けることしか出来なかった。


「見つけたー!確保!」


「お、やっと見つけた」


「おごおぉぉ!?」


 呆然と立ち竦んでいた俺の耳に、聞き慣れた声が聞こえる。そして次に、先程と同じ様に体全体に衝撃が来る。

 そこで、俺は時間を無駄にしてしまった事に後悔する。俺は、今に飛びかかってきた朱音から逃げていたからだ。


「さぁ、帰るよ!このまま送ってね」


「どこ行ってたのさ。二人で結構探し回ってたのに、こんなところに居て。はい、鞄」


「もしかしてこのままお前の家に!?無理だろ!佑も何か言ってくれ!」


「私怪我人だし〜。後、お母さんが車用意してくれているからそこまでね」


「……だそうで。今日は我儘姫みたいだ」


「……お前の急な変化に俺は驚いけばいいのか嘆けばいいのか分からないよ」


「笑えばいいと思うよ」


「佑はシャラップ!この状態で笑ってたら変な人に見えるでしょうが!!」


「も〜うるさい!変なヒロくん!!」


「嘘だろ。お前ら敵だわ」


 うらー!と態と走って朱音を揺らす俺、ひゃー!と楽しそうな声を上げる朱音、何やってるんだか、と言いながらも俺の隣に走ってくる佑。そうして和気藹々と昔の様に賑わう。


 それでも先程の高垣の言葉が耳から離れない。高垣の過去に何があって、何を思ってあんな事を言ったのか、何故あの表情を作っていたのか。もしかしたら、今までの助言等もそれが起因しているかもしれない。

 だがそれは何も知らない俺が推し量っていいものでは無いのだろう。


「今日は皆で焼肉だって〜」


「いいね。何か想像したらお腹空いてきた」


「助けて……助けて……腰が死ぬぅ」


 ならば、今は高垣が言った様にぬるま湯の様に暖かい、この環境を謳歌しよう。

 そして高垣。お前に心の中で伝える。

 お前を俺に一番に紹介したのは朱音だ。きっと、朱音から何かが見えていたのだろう。


 この二人が結ばれるまで、お前にはまだ協力してもらうぞ。お前にはまだまだ助言を貰いたい。お前に二人の関係は綺麗なモノだと今度こそ返事を貰う。

 見返りに、俺はお前を手伝う事を誓う。どんな事だって聞いてやる。それぐらい、俺が成し得たいことは大切な事だから。


 そして能面の様な顔で覗かせた高垣のあの目。朱音を見て今になってやっと分かった。

 あの目は、()()を期待している目だ。


 お前が弱音を吐くまで、根比べと行こう。ふっふっふ。俺は諦めの悪い男だからな。


 ★★★★★★


 彼の言う言葉に、過去に割り切った筈の感情が湧き上がる。

 あの光景は、確かに、私にとっても綺麗なものに見えた。彼とは違う視点だろうけれど。


 それを見て、私は……。


「……夢見ているのは、私の方かしら」

※思い付きと勢いで書いているため、今後話の内容、矛盾点等を少し訂正する場合もありますが、流れは変えないようにします。


ブックマーク、評価、いいね、感想ありがとうございます


次回から多分日常回に入っていきます

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― 新着の感想 ―
[良い点]  うわー小っ恥ずかしい青春送ってんなこいつら。    悔しくなんてないやい。 [気になる点]  これは高垣さん、幼馴染仲良しグループをクラッシュさせてしまった経験でも有るのか…
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