33話
勢いの乗った状態で足を縺れさせた朱音は、砂埃を巻き上げながら地面を転がる。その様子を見て愕然した俺達、観客側からは誰かの小さい悲鳴が聞こえ、その場面を見ていなかった者達からも何事かと注目を集めた。
倒れ込んだ朱音。見える範囲では腕と肘に見るからに痛痛しい擦り傷ができていた。特に肘を強く擦ったのか、先が赤黒くなり直ぐにでも血が出てきそうな程。そこだけでは無く他の部位も同じに様になっているかもしれない。
しかし、そんな状況でもバトンだけは手放していなかった。
そして、すぐに朱音は地に手を付いて体を起こした。
自分が転んだ事にやっと気付いたような、呆然とした表情を作って前を見渡して、遅れて怪我の痛みが響いてきたのか苦痛の表情に変わった。よろよろと弱々しく立ち上がり手に持っていたバトンを確認してから走りを再開させようと姿勢を整えた……が、今の間にその光景を見ていたらしい他の走者五人共が心配そうな顔を作りながら朱音を一瞥して追い越していく。
朱音は後ろを見て、自分が最後尾になったことを理解したようだった。何時もなら笑顔を絶やさずごめん、と言いながら走り出す所なのだが、普段とかけ離れた朱音の様子に俺以外の周りは心配そうに大きな声を掛けている。
しかしその声に応える事はなく、朱音はゆっくり走り始めながら、前方で心配そうに構える佑の方に顔を向けて、次に視線だけを俺に向けてきた。
その姿を見て、ふと昔の朱音を思い出す。
クラスが別々になって、俺達を見つけて駆け寄ってくるまで一人寂しそうな顔をする朱音を。
此処でなぜ俺を見てきたのか、それは当の本人しか分からない。
―――そして、朱音の瞳に映っているだろう俺が今、自分でどんな表情をしているかも分からない。
朱音の今までに見たことのない痛ましいその姿に悲痛な表情なのか、いきなりの展開に困惑の表情を浮かべているのか。もしくは……、いや、今はこれは考えないでおく。
自分でも分からないほど、今は感情が綯い交ぜになっている。
「朱音!!」
喧騒の中で唐突に、珍しく佑の大声が俺の耳に届いた。呼ばれた朱音も聞こえたらしくビクッと肩を揺らし未だ構える姿勢を取っていた佑に視線を戻した。俺も急な事に佑を見てみたが、今度は真剣な表情をした佑が、朱音から俺に視線を寄越してきた。
そして佑と一瞬だけ視線を合わせ、俺は何と声を掛ければいいか悩んでいた事が愚かな事だと気付いて、俺達は笑って、頷きあった。
傍から見れば、ここで朱音をそっちのけにして笑みを浮かべた俺達は薄情者に見えるかもしれない。けれども、俺達はこれでいいんだ。
―――私ね、頑張るよ。
ふと、何故かこの言葉を思い出した。
少し前。あの夕焼けの中で朱音は俺にこう言った。
それが何を指しているのかは……未だに分からない。
「朱音!!」
今、俺の感情などクソどうでもいい。煩わしいだけだ。
今は、今度は俺の呼ぶ声に不安そうな顔をしながらも俺達に何かを期待する朱音に、あの日の返事という訳では無いが、俺は声を大にしてこれを言わなければと強く思った。
俺と佑はきっと、同じ思いを抱いて、同じ風景を思い浮かべて、そして同じ言葉を掛けるだろう。何年も一緒にいれば解る。
まぁ、言う事はこれと言って単純。こういう場面で言う事はこれだけでいい。これが、朱音の耳に届くだけでいい。
そして、こういう時は何時もみたいに、笑顔でこちらに駆け寄る朱音にしているように、笑って迎えればいいんだ。
それに、お前に辛そうな表情は似合わないしな。
★★★★★★
―――楽しい。
これが1年生最後の競技である学年対抗リレーが始まる前の、私が今日を振り返ってみた感想。
二人の活躍に触発された騎馬戦では中盤で鉢巻を取られて悔しかった。
体育祭という場で気持ちが逸り、昼時に独り寂しい顔をした彼に恥ずかしい事を口走ってしまった……。すぐに戯けてみせたけど、顔が紅くなっていなかったか心配だ。
―――というか高校生になってから色々揺さぶりを掛けても思ったより動揺しないんですけど!!
その後の、色んな意味で破茶滅茶だった応援団では彼のあられもない姿を楽しみにしていただけあって満足だった。恥ずかしいと思っていた気持ちが何処かに吹き飛んでいた。
そのまま彼のお母さんに私と彼のツーショットを撮られた。恥ずかしい気持ち半分と嬉しい気持ち半分。後で絶対に貰う事を約束してもらった。
そして私は、このリレーだけはどうしても活躍したかった。順番決めをしたあの日、彼は私とたすくんの活躍が見たいと、皆の前でそう言ったから。だから私の頑張りを、誰よりも見て欲しい彼に見せつけたかった。
緊張しながらも遂に自分の順番が来て、バトンを受け取って順調に走り出す事が出来た。そのまま勢いに乗って彼の前で1番でたすくんに繋げて、どうだー!と胸を張って言いたかった。
―――けれども気持ちだけが空回りして、失敗してこの様。
一瞬だけ視界に映る彼を見た瞬間に、目が合って、何故か体が硬直してしまって。
そして視界がぐるぐると回りはじめ気が付けば地面を眺めていた。急な事に困惑しながらも立ち上がろうとして何故か痛む身体を何とか起こして立って、そこでやっと理解した。私は、転倒してしまったんだと。
唯一の救いは、握り締めていたバトンだけは手放さなかった事。
相当派手にいったのか、クラスの人達は開いた口が塞がらないといった表情で固まっていた。前で私を待っていたたすくんも、近くで私と目が合った彼も。
至る所から刺さる様々な視線。
そして不安でいっぱいになった私の横を、距離が離れていた走者が次々に追い抜いていく。まさかと思って恐る恐る後ろを見てみれば、誰も走って来ていない。
―――やってしまった。
クラスの皆はこんな所で転んだ、皆の頑張りを無碍にしてしまった私を怒ってないだろうか。呆れていないだろうか。憐れんでいないだろうか。
振り返りたくない。
でも、何とかたすくんにバトンを繋げなければ次に進まないと気持ちを押し殺して前を向いて、先程までとは違って思ったように力が入らないまま走り出す。
誰も何も言ってこない。
いや、きっと会場には未だ声が上がっているんだろうけど、まるで私の周辺だけに静けさが漂っているようだった。このままバトンを渡して、身を隠したい気持ちでいっぱいになる。
前には心配そうな表情のたすくん。
そして、複雑そうな顔をした彼。
彼は、今の私を見てどう思っただろうか。聞いてみたいけど聞きたくない。そう思ってしまったせいなのか、思わず彼に視線を送ってしまっていた。
「朱音!!」
突然、前で私を待っていたたすくんが大声で私の名前を呼んできたので驚きながら見てみるが、たすくんは私の反応を見た後に彼に視線を送っていた。そちらを見ろ、という事だろうか。
視線を追って彼を見る。彼は声を発したたすくんの方を向いていた。
そして目が合ったらしい彼とたすくんは、互いに小さい笑みを作って、互いに頷きあって、二人はそのまま笑みを、此方に向け始めた。
その表情は―――
「朱音!!」
今度は彼から呼ばれた。何だろうか、と思うと同時にその表情を見て、何かを期待してしまっている自分が居て、思わず視界が揺らぎ始めた。
「「後少し!!」」
「……ゔん」
「いつものように笑って!!」
「そんで此処まで!」
「「頑張れ!!」」
打ち合わせをしていないのに、目が合っただけでお互いが掛ける言葉が解るような遣り取り。息ぴったりな二人を見て自然と笑みが零れた。
―――私ね、頑張るよ。
内気な私から今の私に変わって、そこからまた色んな悩みが沢山出来たけど、それらを引っくるめて色んな意味を込めて二人に宣言した私に。
何故か、今の状況じゃなくて、その言葉に応えてくれたような気がして。
二人の言葉に、私の心臓が一層速く動き出した。
先程まで情けない私とは違って、痛みなんて気にならないぐらい元気が湧いた気がする。いや、気じゃなくてきっと湧いたんだ。
―――私の好きな、あの時間に浮かべる2人の優しい笑顔。
私の隣で何時も見守ってくれた君へ。
私の前で何時も助けてくれた貴方に。
私は。
もう、弱音は吐かない。今もこれからも、私の頑張る姿を見てくれると嬉しい。
あの日から貴方の事を知ろうと決意して、貴方の言葉で余計に心を乱されて。
やっぱり内気で臆病な私はそれを直接貴方に聞くことが怖くて出来ないけれど……。
私を見ているようで私を見ていない、にぶちんな貴方に絶対に気付いて貰えるように。
掴み所が無くなりかけた、離れ行くその背中をあの日の様に掴めるように。
「……うん!!頑張る!!見逃したら怒るからね!」
力強く思いを込めてたすくんの元へ、バトンを―――。
※思い付きと勢いで書いているため、今後話の内、矛盾点等を少し訂正する場合もありますが、流れは変えないようにします。
ブックマーク、評価、いいね、感想ありがとうございます。
※まるで完結に向けていくような内容、俺でなきゃ見逃しちまうね。
というのは冗談でまだまだ続きます。
今回は急展開に感じたかもしれません。申し訳ないです。




