第061話 揉め事
「見てみろ、こいつをどう思う?」
カフが言った。
「すごく……長いな」
王都の南。
十七歳になった俺は、街道を見ていた。
街道には、二十台以上もの馬車が長々と帯を作っていた。
むろん、王都に荷物を運んできているのだ。
ついでにいえば、馬車に載っている荷物は、権利上は全て俺の所有物だった。
「一隻だけでこれだ。二隻あったらどうなる」
「うーん……」
「ホウ家の衛兵隊は、いっぺんに十人かそこらしか交代しないんだぞ」
ハロルの交易が成功した結果、出現したのがこの有り様であった。
ハロルの通商隊が、今交易に使っているのは、ハロルがアルビオ共和国に着いたあとに、向こうの進んだ技術で造船した船だ。
それは、今はなきハロル商会が乗り回していた船より、よほど大きい。
というか、この国にあるどの船舶より大きい。
それでも、王都の港は使えない。
使うとしたら、一回ごとに沖仲仕を束ねる大魔女家に頭を下げにいき、へへーと金の延べ棒の一本でも差し出す必要があるだろう。
荷の積み下ろしをする港湾というところは、ギャングやヤクザが成長するのにうってつけの条件というか、雰囲気をもっているらしく、王都の場合も御多分にもれず、えらく面倒なことになっている。
王都の港というのは、北港と南港で、三つの大魔女家がしのぎを削ってシマ争いをしている、そりゃもうえらく面倒くさい地域なのだ。
少しの荷なら問題はないが、これほどの荷となると、一つの魔女家に頭を下げれば済むことなのかも怪しい。
そんな有り様なので、しかたなく荷をスオミ海港で下ろし、陸路で王都まで運搬しているのだ。
だが、大きな船一隻分の荷物は、俺の想像を超えて多かった。
「この陸路の運搬費は、売値のうちどれくらいの割合になるんだ」
「ビュレ」
カフは、傍らにいたビュレに声をかけた。
「えっと、前回の場合ですが、荷の売値の総額が二五万六千ルガ、運搬にかかった費用は……総額で三万ルガ程度です」
もう慣れたものだから驚かないが、ビュレの記憶力は凄い。
やっぱり自分で計算して出した数字だから覚えているのだろうか。
それにしても、三万ルガとは。
売る値の一割を超えている。
三万ルガといえば、俺が社を作ったときに持っていた資金の半分にもなる。
それが一回の運搬費で消えるとは。
「そんなにするか……」
「馬は人間より食うんだ。当たり前だろう」
うーん。
確かに、カフの言うとおり、ハロルが二番船を就役させようとしている今、この現状はまずい。
これが二倍になったら、さすがに衛兵隊も警護しきれなくなるだろう。
現状でも相当負担を強いているはずだ。
「わかった。それじゃあ、王都の港を使えるようにしよう」
「それができないから苦労してるんだろうが」
そりゃそうなんだけどな。
「なんにでも抜け道というものはある」
「スオミで荷を小さな船に移して運ぶのか? それも重労働だぞ」
カフが言っているのは、荷を小さな船に移し、王都ではない近隣の港で降ろすという策だ。
なにも王都の港を使わずとも、港はどこにでもある。
では、荷を満載した船をスオミで荷降ろしせず、どこかの港で降ろせばよいのではないか。
そういった案があり、前回実行した。
だが、船というのは厄介なものだった。
船は、荷物を積めば積むほど、喫水が下がる。
荷物の重さで、水に沈みこむわけだ。
そうなると、砂浜のような場所では、陸地に上がる前に竜骨が海底に接触してしまう。
砂ならばいいが、岩であれば船底に穴が空いてしまうこともありうる。
それを避けるためには、ある程度沖まで陸地から橋をかけ、そこに接岸させればよい。
それが港であり、桟橋だ。
だが、ハロルに操らせている大型の船では、そこらの小さな港の桟橋では、まだ短かった。
桟橋に届く前に、海底に接触してしまうのだ。
そうしたら、荷物を小さいボートに移し替えながら、チビチビと陸揚げするしかなくなる。
結局、それでは何日もかかってしまうということで、スオミまで引き返すことになった。
だが、それは船が大きすぎるための問題であり、荷を小さな船に移せば問題なく使える。
小さな船を沢山雇い、スオミで分散させればよい。
しかし、船に満載された荷物を一度積み替えるというのは、これはコンテナとして規格化された荷物をクレーンで移動させるわけではないから、凄く手間のかかる仕事なのである。
当然、金もかかる。
「いや、それはしない」
「じゃあ、どうすんだ」
「この馬鹿みたいな状況のために、不利益をこうむっている連中がいるだろう」
そいつらには心当たりがあった。
「俺たちのことだな」
「俺たちの他にも、いるんだ。幸いな事に、そいつらは魔女の連中と仲がいい」
「ああ……なるほどな」
カフはピンときたようだ。
「お互い同じ不利益をこうむっているんだ。話し合いができないわけがない」
「そりゃあそうだな」
カフも納得したらしい。
「じゃあ、集めてくれ」
***
その日、俺は壇上にあった。
シビャク商工会議所の一室には、ホウ社と取引のある小売業者や、仲買業者が集まっていた。
カフの営業の成果なのか、その数は五十人にものぼる。
「我々の商品を購入いただいている皆様方。まずは日頃のご愛顧を感謝したいと思います」
壇上の俺が大きな声で喋ると、パチパチとまばらに拍手があった。
「今日、皆様方に集まっていただいたのは、当社から皆様に通達しておきたい事項ができたからであります。その事項というのは、たった一つのことです」
俺は落ち着いて、ここにいる連中の顔を見回した。
何を言われるのかと、戦々恐々としている。
「我々は、王都において、ホー紙を含む全ての商品の販売を停止することにしました」
ざわ、とにわかに騒がしくなった。
それはそうだろう。
こいつらは、異国からもたらされる珍品を販売することで、巨利を得ているのだ。
「静粛に! 王都において販売を停止するといっても、皆様が購入できないというわけではありません!」
俺が大声でそう言うと、会議室は再び静かになる。
「今後は、我が社が根拠地としている、南部スオミの街で商品を販売させて頂きます。もちろん、シビャク営業所においても、商品の注文は今までどおりお引き受けします。ですが、販売地はあくまでスオミ。支払いは王都でも、所有権の移転は当地で行われることとなります。つまり、皆様方には、スオミにおいて買い付けた商品を、なんらかの方法でシビャクに運ぶ必要が生じることになります」
壇上から見ていると、業者どもが一様に渋い顔をするのが見えた。
なんというか、良く判らんが凄く面倒くさいことになったなぁ。という顔をしている。
そりゃそうだよな。スオミって馬で何日もかかるし。
わかってんだよ、面倒くさがるってことはな。
「同時に、我々は船舶によるスオミ・シビャク間の輸送サービスを皆様に提供します。これは、非常に良心的な価格で、ご購入いただいた商品をシビャクまで運ぶサービスです。ただし、輸送中の船舶の沈没、あるいは港湾においての紛失などで、商品が失われた場合、我々は責任を負いません。もちろん、これを利用するか否かは、皆様にお任せします。利用しない場合には、スオミにおいて引き渡しをするか、あるいは当社所有の倉庫に一時的に保管し、引き取りに来られるまで待つことになります。そして最後に」
俺はゆっくりと顧客を見渡した。
「皆様方に輸送の費用をご負担いただく代わりに、我々はホー紙を含む当社の取扱全商品について、現在の卸し価格から、一律に一割の値下げを行います……それでは、詳しいサービスの内容や、運送費用などを、当社社長を務めるカフ・オーネットが説明いたします」
***
俺は一足先に会議室を出た。
背後では、カフが客に細かな価格などを説明をしている声が聞こえる。
輸送サービスといっても、それは商品の値段から考えれば無料のようなものだから、皆がそれを使うだろう。
要するに、港湾の使用で生じるリスクを、魔女と仲の良い小売の連中に押し付けたわけだ。
そのかわり、現在価格から一割の値引きはすることになったが、これは本来の輸送業務でかかっている金額上乗せ分より低いのだから、こちらは得をすることになる。
「ふう……」
俺は一仕事が終わってため息をついた。
人前に出るとやたら疲れる。
さっさと帰って休もう。
そのまま、商工会議所の廊下を、出口に向かって歩いていると、前から人が歩いてくるのが見えた。
俺はいっちゃなんだがとっても目がいいので、もう遠くの遠くから彼女の顔が見え、誰だか解った。
彼女はジューラ・ラクラマヌスという。
俺に面目を丸つぶれにされた女だ。
去年卒業したと聞いたが、仕事で来たのだろうか。
挨拶をするような間柄ではないが、俺だけ背中を向けて走って逃げるのもなんなので、そのまま廊下を歩いていった。
というか、この廊下は袋小路になっており、奥まで引き返しても、出口へ通じるような道はない。
二人の距離が近づくと、ジューラにもさすがに俺が誰かわかったようだ。
顔がこわばった。
ジューラは廊下の右を歩いていた。
俺は真ん中を歩いていたが、接触したくないので、左に寄った。
だが、ジューラはわざわざ真ん中に移動し、俺を通せんぼする構えをみせた。
なんでそういう意地悪するの?
「なんなの? あなた」
「……?」
どちらかといえば俺のほうが言いたいセリフなんだが。
どけよ。
「なんでこう私の邪魔をするのかしら。死んだらいいのに」
ジューラは顔をヒクつかせて言った。
死ねばいいのにとか。
俺もよく思うけど。素直に口に出しちゃいかんでしょ。
「ハハッ」ジューラはなんだか乾いた笑い声を発した。「なんであなた死なないの? 死ぬべきでしょ」
いや、ワケがわからん。
元からヒステリーの気がある女がキレると、こういう風になるんだよな。
ストレスが溜まった原因も、元をたどれば俺という理屈になっているんだろうが。
「ねえ、馬鹿なの?」
なんともまあ語彙が貧弱である。
キャロルのほうが、間抜けとか変態とかトンチンカンとか言ってくる分、まだ語彙が豊富なように思える。
「えー……っと、よく解らないけど通りますよ」
こういうのには関わりあいになるのを避けるに限る。
「待ちなさいよ」
「え」
「一人じゃなにも出来ないお坊ちゃまがいきがるんじゃないわよ」
やべえなこいつ。
「はい。すいません」
「……謝るなら最初からやるなってのよ」
ジューラは、腰に下げていた細身の剣を抜いた。
うーわー、抜いちゃったよ、このひと。
どういうつもりだと顔を見ると、表情筋がヒクヒクと震えている。
変な薬でもやってるのか?
ジューラの剣は、護身用なのか、それはもう小指の先ほどの太さの鉄を叩いて伸ばしたような、俺からみれば針金のような剣だった。
長さも短い。
俺の短刀よりは若干長いが、せいぜい二の腕くらいの長さの、中途半端な剣であった。
両側に刃がついている。
「やめたほうがいいですよ」
「ほら、あんたも抜きなさいよ。怖いんでちゅか~?」
あーもうホント性格悪いなこいつ。
つーか馬鹿なのかよ。
剣に自信があるのか知らないが、剣の達者ならそんな剣は使わないから。
どこの馬鹿が作ったのかしらないが、綺麗なだけで、持ち手の作りも刀身の造りも、なにからなにまで機能美からかけ離れている。
「貴方じゃどんなに頑張っても僕に傷ひとつ負わせることはできませんよ。人が集まってきてオオゴトになる前にやめといたほうがいいです」
「……ほんっと、人をいらだたせる男ね」
「いやいや、やめましょう。お互いなんの得にもなりませんから」
いやほんとに。
ぴゅん、と刃が伸びてきた。
俺は反射的にそれをかわす。
「いやいや、なんで切りかかってくるんですか」
もう本当どうしよ。
「あんたのっ、せいでっ、私の人生はめちゃくちゃっ、よっ」
といいながら、連続的に剣をふるってくる。
そんなこと言われましても。
「いやいや、自業自得でしょうが」
俺は斬りかかられながら返答した。
「死ねっ! 死になさいっ!」
むちゃくちゃな剣さばきでピュンピュン振ってくる。
もーどないやねん。
というか、剣撃に対する先入観からなのか、ピュンピュン振り回すだけで一向に突いてこないのだが……。
ああいう剣は、もともとフェンシングのように突いて攻撃する武器だから、これではほとんど脅威にならない。
食らっても、布の服と体の表面くらいは切れるだろうが、骨までは達しないだろう。
反りが入っていないので、刃が肉を断ちながら滑っていかないからだ。
致命傷になるとしたら、それこそ頸動脈を掻き斬られた時くらいだろう。
しかも、よりにもよって両刃の剣だ。
片刃と比べれば、自分が傷つく可能性がひどく高い。
とはいえ「あの、突いて攻撃したほうがいいですよ」と助言するわけにもいかない。
もう大声で人を呼ぶか。
その時だった。
「イタッ」
小さい悲鳴があがった。
「あっ……あーあ」
ジューラは顔をおさえていた。
ピュンピュン振っていた剣が、勢い余って顔にぶち当たって、頬のところが切れてしまったのだ。
よりにもよって顔を……足とかならまだ良かったのに。
「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……私の顔が」
ジューラは押さえた手が自らの血で染まっているのを見て、呆然と言った。
なんてこったい……。
顔の傷というのは残りやすいから、どうやっても全く傷痕が残らないようにはならないだろうな……。
「……」
「……元気だしてください」
元気を出されちゃ困るのだが、俺はあまりにも哀れだったので、そう言ってしまった。
自業自得とはいえ、女の顔というのは、女が幸せを得るのに重要な要素の一つだ。
それが傷物になってしまったのだから、なかなかかける言葉がみつからなかった。
こんなんだったら一か八か真剣白刃取りでもやってみせればよかった。
そうすれば、この女は傷つかずに済んだのに。
割りと本気でそう思った。
可哀想に。
「あなたのせいよ。訴えてやる」
…………。
はあ、心配するんじゃなかった。
「え、えーっと、どういうふうに僕に非があるんですかね」
首を傾げるしかない。
どういう理屈なんだ。
「貴方の剣で傷つけられたことにするわ」
あー……。
うわー。
転んでもただじゃ起きないってやつかこりゃ。
つーても、意外に面倒だなこの流れ。
下手すりゃ法廷に召喚されることになるか。
「裁判にするつもりですか?」
「そうよ」
やはり、そういうつもりであるらしい。
「といっても、あなたの背中の向こうから、騒ぎをききつけてきた人々が来て、さっきから何人も見ていきましたよ。あなたが剣を持って大暴れしていたので、驚いて去っていったようですけど」
「え」
ジューラはぽかんとした顔をしていた。
「僕は顔を覚えているから証人にできますけれど、あなたは見ていなかったので無理ですね。確か、十人くらいいたかな……。はやいとこ彼らを探しだして、賄賂を渡して口封じをしなきゃいけませんね」
俺は嘘を言った。
本当は一人も来ていなかった。
つまり、証人などいない。
だが、もちろんジューラは乱行の最中に後ろを振り返ったりはしていないし、目撃者が背中を見ていたかどうかなど、分かるわけもない。
「……くっ」
「まあ、お祖母様と相談して決めてください」
無理だろうけどな。
こう言った以上は、証人の存在を無視して裁判に持ち込むことは出来ないだろう。
顔も知らぬ、居もしない証人を探しまわれば、捜査する過程でたくさんの弱みを見せることになる。
十人を探しだすのに、百人か二百人には聞き込みをする必要があるだろう。
彼ら全員に弱みを見せ、賄賂を与えるというのは、これはもう現実的ではない。
「なんでよ……なんで私をこんなに苦しめるの?」
ジューラは悲痛に顔を歪ませながら言った。
なんでって。
苦しめられてるのは、主に俺のほうな気がするが。
お前が苦しんでる理由?
そりゃ、自分で勝手に苦しんでるんだろう。
もっと言えば……、
「それは、あなたが他人を苦しめることで幸せを得ようとする人間だからですよ」
そういうことだろう。
「それが悪いとはいいません。そういう生き方もあるでしょう。ですが、力も才もない人間がそれをやっても、うまくいくわけがないんですよ。不幸を得てまであなたの幸福の糧になりたい、などという人はいないのですから」
俺だって、別にジューラを苦しめてやりたかったわけではない。
だが、こいつは俺が屈辱に塗れるとか、大損をするとか、そういう不幸を得なければ、勝ったとは思えず、勝ったと思えなければ、幸せを感じられないのだろう。
そうしなければ胸の内のわだかまりが抜けない。そういう人種なのだろう。
そして俺には、そういう形でジューラの幸せの糧になるという選択肢はない。
それだけの話だ。
「ましてや、家で飼っている貧民出のメイドか何かならともかく、僕のような人間が、あなたのような人に黙って幸せを奪われると、なぜ思うのですか?」
ジューラは意外にも、喚くこともなく黙って言葉を聞いていた。
「要するに、あなたはラクラマヌスという名前に頼れば、何でも思い通りになると思っている甘ったれで、喧嘩を売る相手を間違えた。それだけの話なんですよ。最初から、葛藤するほど難しい話ではないんです」
「……殺してやる」
話が通じないようだ。
ま、いいか。
俺は彼女の脇を通って、その場を去った。







