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第324話 小さな王

 居間に使っている大部屋で、アルビオ共和国の大評議会から発行された返答書を読んでいると、ドアが開いて小さな影が飛び込んできた。


「ただいまっ!」


 弾むような声を発したのは、シュリカだった。ああ、そういえばカラクモから戻って来るって言ってたな。今日だったか。


「―――っ!」


 仕事モードで俺が読み終わるのを待っていたメリッサが、シュリカを見るやいなや、家出した猫に再会した愛猫家のように強張(こわば)った表情を崩した。

 えらいもんで、目に生気が宿ったようにすら見える。


「シュリカ陛下、ご無事だったんですね! お怪我は?」

「ないよ? だいじょぶだいじょぶ」


 メリッサはシュリカに駆け寄った。反乱時にこの城から脱出してから一度も会わせてもらっていなかったらしいので、幼女分が不足しているのだろう。


「ああ、よかった……お元気そうでよかったです。陛下!」


 メリッサは感極まって、という感じで、どさくさに紛れて抱きつこうとした。


「だめっ」


 シュリカはピシッとお手々を伸ばす。細っこい腕が、突っ張り棒のようにメリッサを止めた。長さ数十センチの細腕だが、あれがあると上手くハグできないようだ。


「メリッサちゃん、だっこはだめっていったでしょ」

「で、でも……久しぶりにお会いしたわけですしぃ……」

「だめっ! あくしゅまでだよ」

「うぅ……」


 メリッサは残念そうな顔で幼女のお手々を握って握手をした。なんだこの絵面。

 握手が終わると、シュリカは今気付いたように、俺とすぐ傍にいるミャロを見た。


「あっ、おとーさんいる」

「うん。おかえり」

「ただいまぁ」


 シュリカはとことこと、こっちに駆けてくる。子供はなんでも走るな。


「おうち、とりかえしてくれてありがとーね」

「おうち? ――ああ、まあな」


 俺の中では家というより城だし、仕事場という認識はあれど、未だに自宅という感覚はない。だが、シュリカにとってはここが実家なのだろう。カラクモの本邸は、よそんちみたいな感覚だったに違いない。


「カラクモはどうだった? 結構長くいたろ」

「シャムちゃんにさんすうおそわったけど、よくわかんなかった……」


 しょぼんとしている。

 これが本当の休暇なら、サツキが腕まくりして文系教養を教え込んだのだろうが、さすがに今回は忙しくてそれどころではなかったのだろう。

 同胞相争う内乱という特殊な状況下では、サツキは本当に信頼できる人物以外は大切な女王に近づけさせなかったはずだ。で、シャムという人選になったと……。


「そうか。ま、戻れてよかったな」


 俺は手持ち無沙汰に、ソファに座ったままシュリカの頭を撫でた。


「……おとーさん、おひざ、のっていい?」

「いいよ」


 仕事中なので普段だったら拒否るところだったが、久しぶりに会った娘に膝に乗られたいという欲求があったのか、つい口をついて許可してしまった。

 後ろを向いて両脇を開いたシュリカを、一旦書類を横に置いて、持ち上げて膝に乗せる。

 ……ずいぶん重くなったな。


「……いいな、いいな、いいな」


 小鳥のさえずりのようにリフレインする小声が横から聞こえてきた。メリッサが羨望の眼差しで俺の膝を見ている。

 もう付き合いも長いし、抱っこくらいさせてやっても構わないと思うのだが……なんというか、本当に嫌というより、構いたがるメリッサを焦らして遊んでいるフシがあるんだよな。

 悪い言い方をすれば、(もてあそ)んで面白がっているというか……。


「仲がよろしいようで、何よりです」


 傍らに控えていたミャロが言った。早く仕事を進めて欲しそうだ。


「あ、ミャロちゃん。おつかれさまです」


 シュリカはなぜかミャロに会うと、「おつかれさまです」と挨拶する。これは誰にでも言うわけではなく、本当にミャロに対してしか使わない個人限定の挨拶なので、シュリカの幼い目からすると余程疲れているように見えるのかと心配になる。


「あれ?」


 シュリカは首をかしげて、ミャロをじっと見ている。二人は普段絡みがそんなにないので、珍しい事だった。


「えっと、ミャロちゃん……」

「どうしました?」

「きょうは……おつかれてないね? なにかいいことあった?」


 えっ、とミャロと顔を見合わせた。

 思い当たることは一つしかない。一目で分かるもんなのか。けっこう鋭いとこあるな。


「えっ、ええ。個人的に、ちょっといいことがありまして」

「へえ、そうなんだ」


 そう言うと、シュリカは俺の膝からぴょんと降りて、「しゃがんで?」とミャロに言った。


「はい。どうされました?」


 ミャロが揃えた膝を折ってしゃがみ、目線を合わせて言うと、シュリカは小さなお手々をミャロの頭に乗せた。

 花咲くような笑顔を浮かべて、よしよしと撫でる。


「よかったね、ミャロちゃん。よかったよ。よかったですよ」


 なんだその活用変化みたいな言い回しは。


「……ありがとうございます」

 ミャロはちょっと気恥ずかしそうにしているが、まんざらでもなさそうだ。

 キャロルの娘に言われているという部分に、なにか感じ入るところがあるのかもしれない。

「いいのいいの。じゃ、おひざもどるね」


 シュリカは手を引くと、再び俺に背中を向けて両脇を開いた。こいつ王様か。

 仕方ないのでもう一度膝に乗せた。

 ああ、そういえば。


「そうだった。シュリカ、来週から習い事を一つ増やすからな」

「えーっ!? やだぁー!」


 シュリカは身を捩ってこっちを見ながら、不満気な声を出した。


「心配するな。勉強じゃなくて、茶を習うんだ」

「ちゃ? なにそれ」

 なにそれって言われてもな。

「お茶の淹れ方を習うんだよ」

「おちゃなら、たのめばもってきてくれるよ?」


 そりゃ、お前はそうだろうけど……。


「いいや、お前が淹れ方を覚えるんだ」

「えーっ、なんでとつぜん」

「キャロルがそうしろってよ」


 俺がそう言うと、シュリカは顔を見上げながらぽかんと口を開け、幼いながらも唖然とした表情を作った。

 ミャロも、羨ましそうに見ていたメリッサも、揃ってびっくりしたような顔をしている。


「えっと、きゃろるって、つまりおかーさんのことだよね? あったの?」

「ああ。こないだ夢に出てきた」

「ええっ、なんだか、おとーさんらしくないねぇ」


 ふふっ、と笑いながら言う。視界の端でメリッサがうんうんと頷いているのが見えた。ミャロの方はというと、そーとー怪訝そうな顔をしている。

 夢の中で誰かが言ったことを真に受けて、習い事を増やす。

 たしかに、俺らしくない。普段はそういう心霊的な示唆を真剣に受け止めるようなタイプじゃないからな。


「なんだか、信じざるをえんくらい本物っぽかったからな。俺はこないだまで、ある人が死んだと思ってたんだが、夢の中であいつに生きてるって言われたんだよ。そんで目を覚ましたら、目の前にそいつがいた。びっくりしたぞ」


 ミャロのほうを見ると、あの時の俺の反応が腑に落ちたのか、胸を打たれたような顔をしている。

 いや、俺も完全に信じてるわけではないんだけどな。


「……へぇ~、そうなんだ」

「別れ際に、我が家の伝統を絶やすな、って釘を差されてな。実際、キャロルも習ってたんだ」

「おかーさんもならったんだ。じゃー、やってみようかな……」

「そうしろ」


 と言いながら、置いておいた書類を手に取る。実は結構、急ぎの確認が必要な文書なのだ。

 俺の胸に背中を預けているシュリカは、目の前に広げられた書類に目を向けると、


「うわー、めっちゃてろるごじゃん。おとーさん、よくこんなのよめるね」

「勉強したからな」


 つらつらと読み進めてゆく。どうやら、大評議会は俺が出した条件で概ね納得したようだ。

 やはり、血を贖うには血、ということだろう。兵が血を流した対価を金で払うのでは、どうしても天秤が釣り合わない。

 そして、今は贖うべき血が余っている。


「おとーさん、よむのはやすぎぃ」


 膝の上で読める単語を目で追っていたっぽいシュリカは、ページを捲られたことに対して文句を垂れている。読んでも、教材にしてる絵本や童話にでてくるような単語はあんまし出てこないだろう。


「――いいようだな。ミャロ、ルベ家の大将を呼べ。メリッサ」


 メリッサは、シュリカの一挙一動を熱の籠もった視線でじっと見ている。

 目があったシュリカがにっこりとした笑顔を送ると、胸を射られたように幸せそうな顔をした。

 笑顔一つでこの反応をするのだから、確かに面白く感じるのもわからなくもない。


「メリッサ。お前も同席するんだぞ。準備しとかなくていいのか?」

「えっ、ああ、もちろん」


 名残惜しそうに姿勢を正したメリッサは、シュリカに深々と頭を下げて、

「では、名残惜しいですが御暇させていただきます。シュリカ陛下」

「じゃねー。おしごと、がんばってねー」

 シュリカが俺の膝の上から手を振ると、メリッサは短い距離で二回振り返りながら出ていった。

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小さな王ねぇ…将来的に、シュリカがユーリに楯突き、引きずり下ろしたり、女王としての実権を取り戻すみたいな成長と親からの独立が見たいかも。
ああ自分の子供育児放棄するんじゃないかとひやひやした時期もあったけど仲良くてほっこり
ぅゎょぅι"ょっょぃ
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