第314話 皇太子*
クルルアーン龍帝国の皇太子アーディルは、再び戦場にあった。戦争に立ち会うのは、これが人生で二度目の経験だ。
戦場での自由を認められる赦免状を与えられているので、事情を知らない兵にたびたび止められることはあるものの、アーディルは比較的自由に戦場を見て回ることができた。
二年間の教育は、以前とはまるで違う視点をアーディルに与えた。冷静に陣容を把握できている実感がある。
軍の質が悪い。
それが、アーディルの抱いた正直な感想だった。悪い、というより、新兵が多い。水増しされている。それは、様々なところで悪しき弊害を与えていた。装備も訓練も足りず、いまごろになって槍の突き方の訓練をしている隊もあれば、隊列の組み方の訓練をしている隊もあった。
もちろん、アーディルがかつて率いていた(ことになっていた)竜人隊は精鋭中の精鋭であり、彼らと比べるのは愚かかもしれない。精鋭は育成に手間をかけるから精鋭なのであって、全軍でそれをしようとすれば数が揃えられなくなる。数の利を失うことになりかねない。
だが、それにしても……とは思う。
全体的な戦意は高いが、こういった弱兵では、本当の強兵が攻勢をかけたとき耐えることはできない。全体が敗勢に陥った際、粘り強く持ちこたえる、といった戦いもできない。
アーディルは本陣に戻った。空からの攻撃を警戒しているのか、本陣に特有の印は大きく掲げられてはいなかった。
馬を降り、馬止めに手綱を引っ掛ける。新しく入手した愛馬は、近くにいる好奇心の強いカケドリたちに鬣をついばまれ、些細なちょっかいをかけられているが、ここ数日で慣れたのか喧嘩に発展する様子はない。
本陣の天幕に一歩入ると、そこは厳粛な空気に包まれていた。
ホウ家の重鎮から部隊長級まで、さまざまな騎士たちが一堂に会しているが、彼らは身じろぎをするのも憚られる様子で、直立不動でいる。
ユーリ・ホウが纏う、重苦しい雰囲気からだ。殺伐としていて、迂闊に声を発せられない緊迫感が天幕に満ちている。
ミャロ・ギュダンヴィエルの死が、彼の纏っていた、どこか鷹揚な雰囲気を消し去ってしまった。
「――攻めてくる様子はないんだな」
ユーリ・ホウの声が響く。天幕のカンバス地を一枚挟んだ向こうから、軍隊の喧騒が聞こえる。そのせいで、天幕の中の静寂がむしろ際立つようだった。
彼は卓上に敷いてある布陣図を眺め、独り言のように、
「人のものを偸むしか能のない、匹夫の考えそうなことだ」
とつぶやいた。それはほんの小さな声だったが、天幕に不思議に広がった。周縁部にいるアーディルの耳にも、はっきりと届いた。
ユーリ・ホウが勢いよく席を立つ。
「全軍、北に軍を動かせ。身の程知らずの盗人に、格の違いを思い知らせてやれ!」
机を拳で叩くと、天幕にいた全員が競うように駆け出した。それは早く敵と戦いたいという、戦意に満ちた行動のように見えたが、天幕に満ちた緊迫から逃れたい一心からの行動のようにも見えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アーディルは、移動したユーリ・ホウの本陣にいた。といっても、先ほどの天幕は既に撤収され、今は接収した二階建ての民家の二階にいる。
二階というだけで、随分と遠くまで見渡せた。敵軍の陣容もはっきりと確認できる。
ユーリ・ホウはなにを考えているのか、じっと外を見ていた。入ってくる報告もまばらで、総勢五万に届こうかという軍を率いて、今戦争を始めようとしている最高指揮官の姿とは思えない。
報告が少ないのは、全軍の中で大運動しているのは、部下が率いる部隊であり、ユーリ・ホウ自身が率いる軍団はほとんど動いていないせいだ。教皇領軍と睨み合い、対峙している。拘束している、と言い換えてもいい。
「きみ、ディミトリのところに行ったほうが、面白かったかもしれないな」
と、ユーリ・ホウは突然、話しかけてきた。
「いいえ、閣下の采配を学ばせていただきたかったので」
「そうか。采配というほどのものでもないがな。つまらない戦いだ」
戦いにつまらないもなにもあるのだろうか。歴戦をくぐり抜けてきたユーリ・ホウにとっては、面白い戦いというのがあったのだろうか。アーディルには分かり得ないことだった。
「なぜ、一度は俺を嵌めてのけた男が、これほど馬鹿げた発想をするのか理解に苦しむ。最初に砲撃を浴びた時の衝撃が、よほど強かったのか」
「その男とは?」
「ガートルート・エヴァンスという、そこで今軍を率いている、教皇領の男だ」
ユーリ・ホウは、開いた窓越しに敵陣を見ながら、それを考えていたらしい。
「先程は、匹夫の考えそうなことだ、と語っておられましたが」
「聞こえていたのか」
「はい、耳がいいもので」
「見てみろ。敵は、総勢で歩兵四万、騎兵五千もいる。大層な軍勢じゃないか」
窓の外には、大軍が広がっていた。ディミトリ・ダズや近衛歩兵軍の運動に連動して、軍を北に動かしている。
しかし、一定の枠を超えて出て来たりはしない。あくまで砲の射程圏内で戦いたいのだろう。
「こちらは騎兵の数でこそ優越しているが、歩兵の実際の数は二万五千程度しかいない。他は数合わせの新兵だ。銃も揃わなかったから、槍だけ持たせた兵も多い。つまり敵は本来であれば、真正面から戦っても、こちらを圧倒できるほど強力な軍団を揃えたんだ。それなのに、砲に頼るあまり、巣箱に籠もる小鳥のように縮こまっている。戦術において、自ら機動をやめ陣を収縮させることほど愚かな行為はない。そうなれば、こちらは包むだけのことだ」
そのために。と、アーディルは思った。
そのために新兵で数を水増ししたのか。
寡兵で大軍を包めば、どうしても層が薄くなる。例えば、隊列を組まず鎖のように横一列に繋がった兵が、一千名の敵兵を囲んだところで、脅威でもなんでもないのは自明のことだろう。油膜を破るような容易さで蹴散らされて終わりだ。
ユーリ・ホウはそれを嫌って新兵を大量に組み込んだ。層に厚みがあれば圧迫感が出るし、軍装のたぐいは予備が潤沢だったのか、兵の見た目はまったく一緒だ。仮に新兵の多い脆弱な箇所があったとしても、一目で判断することは難しい。
敵に攻め気がまったくないことを見破り、あえて軍の質より数を優先したわけだ。
「あの大砲は、元は俺の道具だ。そこにある丘は何年か前に三角測量で正確な高さを測ってあるから、射程は簡単な計算で求められる。相手に詳細のなにもかもを知られている丸裸の道具を戦術の核にするなど、正気の沙汰とは思えん」
ユーリ・ホウは、また敵の思惑を推理する顔に戻った。なにか、敵が秘策を用意していることを警戒しているのだろうか。
アーディルには、敵がそう思いたくなる気持ちも分かる気がした。
二年前、アーディルが名ばかりの総大将として戦ったあの戦争では、当時は秘密兵器だった大砲が、極めて大きな役割を果たした。居並ぶ将軍たちが軍議で決めた思惑を、小人の姑息な考えとばかりに、絶大な火力で全てをひっくり返して破壊した。
真面目に参加していたわけでもないアーディルにとってさえ、強い印象を与えたのだ。敗軍の指揮を取っていた者にとっては、印象が脳髄に刻み込まれるような、壮絶な体験だったに違いない。その兵器を自由に使える立場で握ってしまったら、そして相手がそれを持っていないとなったら、絶対の兵器のように過信してしまうのも仕方がない。
しかし、ユーリ・ホウは、あの大砲とどう戦うつもりなのだろう。その内情が丸裸であったとしても、今この場所から大砲の撃発を止められるわけではない。その操作をするのは、丘の上にいる敵軍の兵であり、命令を発するのはリャオ・ルベなのだから。
「閣下は、あの砲をどう攻略するのですか。私も戦場で相まみえましたが、あの砲撃下でまともに戦えるとは……」
「そうか? 対処法など、いくらでも考えられるだろう」
ユーリ・ホウは意外そうな様子で、いとも簡単に言った。
これほどの天才にかかってみれば、あの大砲の対処法でさえ簡単に思いつくものなのだろうか。
アーディルにはさっぱり分からなかった。
「そうですか? 私にはとても……」
「なにを言っている。そんなはずはない」
ユーリ・ホウは、顔に疑問符を浮かべてアーディルのことを見た。
「君たちは、あの戦争で砲が現れたとき、すぐさま一つの回答を出した。竜騎兵を投入し、こちらの砲をいくつか沈黙させたじゃないか」
そういう見方もあるのか、と、新鮮な発想を突きつけられた思いだった。アーディルにとって、あの戦争は、なんの抵抗もできず、ただ一方的にやられた戦争でしかなかった。
しかし、見方を変えれば、確かにあれは一つの対策といえるものだ。竜騎兵を投入し、一時的にとはいえ、砲台を機能停止に追い込んだ。実際にしばらく轟砲のとどろきが鳴り止んだのを覚えている。決定的に沈黙させることはできなかったにしても、それは対策以外のなにものでもない。
「こちらにも、かつてそういう戦術があったと聞きました。鷲に人が乗って、敵陣に突っ込んでいくという」
「うん? まあ、そうだな」
考えもしなかった様子で言ったあと、ユーリ・ホウは、
「そうか。無理にでもやろうと思えば、やれなくもなかったのか」
と、つぶやき、その顔に悔恨の色を滲ませた。
きっと、ミャロ・ギュダンヴィエルを救う手立てがあったのかもしれない、と考えているのだろう。
そんな手立てはなかったと思いますよ。あなたの刃がリャオ・ルベの喉元に一週間早く迫ったとしても、彼女は一週間早く殺されただけだったでしょう。
アーディルはそう考えたが、それを口にすることは憚られた。
「ということは、別の方法があるのですか」
アーディルは替わりにそう口にして、ユーリ・ホウの思考を断ち切った。
「ああ、まあ、そうだ。砲に空襲が有効なことは馬鹿にでも分かるからな。連中はご丁寧にも、砲を屋根と土塁で鎧ってきた。だが、それでも砲を機能停止に陥らせることは、そこまで難しくはない」
「具体的には、どのように?」
「敵は投下爆弾に対する防御をしてきているが、これは鷲一羽が持てる限界の重さの弾頭に対して対策している。例えば鷲を二羽使って倍の重さの弾頭を使えば、防御を貫徹することができるだろう」
そんな発想があったのか。確かに、そうすれば敵が想定している前提をひっくり返すことができる。
「まあ、これは実際には難しい。やるとすれば足に繋げるしかないが、王鷲は足になにかされるのを嫌う。ましてや二騎が同時に急降下を始めて、まったく同時に切り離すなど、技術的には神技の域の芸当になる。大型船の甲板くらい大きな目標になら使える戦法かもしれないが、船に比べると大砲というのは目標が小さすぎるからな」
なんだ。言われてみれば、その通りだ。
確かに、二羽でものを運ぶとなると、これは中々大変そうだ。隊列を左右に組むにしろ、前後に組むにしろ、一羽単独で行動するよりは、ずっと融通の効かない難しい操縦を強いられるだろう。
「では、他にはどのような?」
「今回の方法は、船には使えないが、大砲には使える。いくら砲塁をこしらえたといっても、周囲全部を覆っているわけではないから――」
そこから先の言葉は聞けなかった。開けっ放しのドアに、伝令が駆け込んできたからだ。
「閣下!」白い軍服を纏った伝令は、敬礼をした。「各軍、移動が完了しました。現時刻まで戦闘は発生しておりません」
「よろしい」
ユーリ・ホウは、会話を中断し、階下に足を向けた。玄関を出ると、刈り入れの終わった農地に鷲がひしめいている。鷲を疲れさせないため騎乗していない彼らは、めいめい自らの愛鷲の世話をしていたが、ユーリ・ホウの姿を認めると一斉に姿勢を正した。
「出番だ! この戦いは、貴殿らの活躍にかかっている。総員、離陸準備!」
バッ、と動き出した天騎士と呼ばれる人々は、全員が空で目立つ赤い襷を袈裟にかけていた。
今回の戦いでは、敵と味方を識別する必要があるからだ。
鷲に乗る人々が空中で敵として出会う。それは彼らにとり、長い歴史の中で、忘却の彼方に消えてしまうほど久方ぶりの出来事であるはずだった。
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