第313話 秘策*
軍議の席で、リャオはガートルート自身に作戦を説明させていた。
配下の諸侯に納得感を与えるためだ。直接説明され、不満があるなら質問をさせれば、納得せざるをえないだろう。
「見ての通り、今回の戦いでは右翼を我々が担当します」
先を赤く塗った棒で、壁に貼った布陣図を示しながら、ガートルートが流暢なシャン語で説明をする。
「我々は現在、縦に北から南に伸びる主街道を封鎖しています。そして、砲台はこの地点の高地にあり――」ガートルートは、高台にある砲台を棒で指した。「この円が射程の圏内になります」
軍の大部分が収まっている円をぐるっとなぞる。
「この内側で戦うというのが、我々の基本的な方針です。ユーリ・ホウ率いる敵軍は、もちろん殻を割るようにして我々を破り、この砲台を攻略しようとするでしょう」
下側から砲台に向かって勢いよく棒を擦ったあと、ガートルートは戦場を横によぎる線に先端を当てた。
「その際に、この川を利用します。この川は、皆さん一度は視察したかと思いますが、水深は最大で人間の脛が濡れる程度。馬で簡単に渡れてしまう浅い川です。カケドリは馬よりも不整地踏破性が高いので、渡河に障害はありません。街道にある橋も、土管を使った非常に簡易な構造です」
そういった橋は、水深が浅く、流れが穏やかな川でよく使われる。大きな土管を川底に沈める形で並べ、その上に土や石を敷いて橋にするのだ。
建設費は安価で、職人の技量も必要ない。耐久性は低いが、中には百年以上保っている橋もある。
「我々は、この川の上流に堰を設けました」
ガートルートが直接山に分け入って適地を探し、狭隘な岩場に基礎工事を施し、瓦礫を積んで川を堰き止めたものだ。構造の要所を破壊することで、一気に決壊させられる仕組みになっているらしい。
完全に堰き止めているわけではなく、水は今も染み出すように漏れている。
川が茶色になることでバレてしまうのではないかと思ったが、岩がちな地形を選んだためか、数日で元に戻った。砲を運び込む前の仕事なので、露見してはいないだろう。
「ユーリ・ホウ率いる軍団が我らを攻撃したとき、我々は微弱な抵抗をしつつ引き下がり、敵軍が川を半ば渡ったところで堰を切ります。我々の計算では、人が渡れないレベルの激流が最低でも一時間は続くはずです。その間に、分断され、川のこちら側で孤軍となった敵軍を打ち破ります。もちろん、砲兵支援の下で」
軍団というものは、一個に固まってはじめて強さを発揮するものだ。一万の軍勢と真正面から当たるのと、動揺している五千の軍勢を二度に分けて打ち破るのとでは、必要な戦力や敵の抵抗はまったく違う。
ガートルートは、木炭を摘んで布陣図に線を描いた。
「敵軍が主攻勢を我らにかけず、ルベ家との間隙を狙った場合でも同様、堰を切ることで敵を分断し、両軍で挟み撃ちにした上で、渡河部隊を殲滅することができます。なにかご質問は?」
諸将の一人が手を上げた。
「その、堰とやらはホウ家に露見していないのか? 彼らも鷲を飛ばして偵察をしているし、王剣という厄介な連中もいる」
「もちろん、その可能性はあります」ガートルートは素直に認め、頷いた。「ですが、堰の存在する場所には、最初から小さな池が存在していました。その出口を塞いだ格好になります。現在、池の水位は……そうですね、元々の水位がこの床なら、おおよそこの部屋の天井のあたりまで上がっています。もちろん、湖畔の木々は幹まで冠水していますが、そこは航空偵察では見破りにくい変化でしょう。堰本体も、上手く樹冠が覆い隠しています」
「では、王剣は?」
「それは分かりません。我々も、気取られぬよう特殊な部隊を森に投入していますが、知られていない絶対の保証はできません」
「気にするな」
と、リャオは初めて口を挟んだ。これ以上、ガートルートに話させても、不信感から説得力を感じられないなら無意味だからだ。逆に、軍に不安と動揺を広げる恐れがある。
「というより、心配しすぎるな。ユーリが知っている可能性? もちろんある。奴なら上空から湖を見ただけで気づくかもしれないし、なんの情報もなくとも川になにか仕掛けがあると察するかもしれない。その可能性をゼロにすることはできない。気にしても仕方ないことは気にするな」
……少し言葉が足らんか。と、リャオは思った。
「この作戦は、やる価値があると俺が判断した。気づかれていなかったら罠に嵌めるし、気取られていたら砲兵支援下で戦うだけだ。有利な状況で、更に有利に立ち回るための作戦だ。お前らは、俺の判断に従えばいい」
そう言い切ると、リャオは黙った。天幕を包む沈黙には、心なしか安堵感のようなものが漂っているように感じた。
「では、他に質問は?」
ガートルートが言った。
誰も答えない。
「それなら、私からの説明は以上です」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なぜ、攻めてこないのだと思う」
リャオは、砲塁のある高台に上っていた。傍らにはガートルートがいる。
目線の先には、遠く軍団が見えていた。言うまでもなく、ユーリが率いている軍だ。しかし、攻めてはこない。
それは、リャオとガートルートにとっては都合の悪い現実であり、共通の不思議だった。なぜ動かない。一体、なにを待っている。なにを目論んでいる。その答えは確実に存在するはずなのに、誰にも理解ができない。
不気味だった。
「分かりません。待っていればこちらから高台を棄てて攻めてくると考えているのか、もしくは援軍を待っているのか、砲塁を攻略する手段を考えているのか……あるいは、新たに作った大砲ができあがって、届くのを待っているのかもしれない」
どうだか、とリャオは思った。届いたところで、射程は高地を利用しているこちらに遠く及ばない。つまり、常に有利を取れるのだ。もし前線に押し出してくるなら、砲撃で砲を潰すことさえできるだろう。高地を利用している以上、こちらの砲撃は届くが向こうの砲撃は届かない、という領域が確実に生まれる。
射程を数倍にした新型を投入してくるというなら理解もできるが、そうでないならやる意味が薄い。
「……つくづく、スオミを奪われたことが悔やまれます。あれさえなかったら、戦略に大きな幅ができました。ユーリ・ホウに様々な選択を強いることができたんですが」
「蒸し返すな。責任者の処罰はした」
責任を負うべきジャノ・エクは、もう死んでいる。穏便に部屋を与えて軟禁しておいたら、騎士たちに腎臓を一つ寄越せと不気味な交渉をするようになったので、他人と接触させること自体が悪影響を及ぼすようになったからだ。
状況から考えて、ユーリにジャノ・エクを無傷で逃がすという選択肢はない。
裏切り者への報復として何かしらの措置をしたのだという認識は誰もが持っていたので、その結果であるところの、苦しむ姿や無惨な死に様を目撃させること自体も、ひどく都合が悪かった。
かといって処刑するわけにもいかず、結局は、使われていない古い魔女家の地下牢に放り込んで放置することにした。誰の目にも留まることなく、ひっそりと死んで貰うのが最も都合がよかったからだ。
ジャノ・エクは、苦しみの後に待っている確実な死を見つめながら、誰からも看取られることなく、悔恨と苦渋に満ちた死を迎えた。それは、おそらくユーリにとっては望ましい顛末だったのだろう。
あの男には、そういった陰湿な部分がある。
「攻めてこない理由ですが、航空偵察の報告が気になります。敵軍は四万以上の兵力があるということでしたが、どうもそれはおかしい。大陸から引き返してきた全軍より更に数が多いほどです。キルヒナ地方の兵は減っているはずなのに」
それは、リャオも耳を疑う報告だった。こちらの軍は、先の戦争で捕虜になり身代金も払われず、労働によって自身の身代金を稼ぐことになったクラ人たちを教皇領軍が吸収し、騎兵を除いて四万近い兵力にふくれあがっている。
それで、少なくとも数では圧倒できるはずだったが、ユーリはどこかから兵を集めてきた。
「軍は無から湧いてくるわけじゃない。大急ぎで徴兵したんだろう。いや、徴兵するまでもないかもしれん。志願兵を募ればいくらでも集まる状況だ」
「問題なのは、それを使ってなにをするつもりなのか、ということです」
状況が状況だ。今のホウ家の領民は怒りで沸きかえっているだろうし、帰還したユーリが志願を募れば、新兵はいくらでも集まる。
しかし、昨日今日集めてきた新兵を戦場に投入したところで、数通りの働きをしてくれるわけではない。
水を増やして嵩増しした粥のようなもので、それで軍が強くなるわけではないのだ。人数分の装備が必要だし、槍ならともかく、銃などの産業製品は数を揃えるのに金と時間が要る。強度が信用できない軍は迂闊に使うこともできない。思った以上に簡単に破られるため、そこに置いておいても頼りに出来ないからだ。
ましてや、砲撃というのは実際に殺される人数よりも、心理的な動揺を与える効果のほうが大きい。愛国心に突き動かされるまま戦場まで来た新兵の戦意など、炸裂する砲弾の前では一瞬で粉々になる。
それは、リャオ自身がシャンティニオンを攻略したあの戦争で目の当たりにした現実だった。
祖国本土を守らんと集まった兵でさえ、隣で砲弾が炸裂して十人の仲間が肉塊と化せば、突撃の足を止めて戦慄するのだ。
もちろん、近い将来、その光景が当たり前になれば、兵も慣れていくのかもしれない。しかし、少なくとも今はそうではない。
「あるいは、見せかけの兵として、我々を拘束するためにここに置いておいて、主戦力は素通りして王都まで北上するつもりなのか……」
ガートルートが言う。
奇抜な案だ。なくはないか、と、リャオは考える。
砲塁が脅威ならば、こちらの軍を射程圏から追い出せばいい。そのためには、こちらを無視して北上するという方法は、現実としてあり得る。
現実の戦史にも、似たような戦いはあった。敵軍を無視して通り過ぎたあと、追ってきた軍がたどり着いたときには、すでに陣形を整えていて迎え撃ったという形だ。
だが、今回においてはそれはない。
「ありえん。馬や鳩で命令を伝達するそちらと違って、俺たちには鷲がある。隣を横切った瞬間には鷲を飛ばすし、そうなれば到着するより前にシビャク側で兵が集まる。俺達は、こちらを拘束している軍を多勢に無勢で打ち破ってから、補給線を断ち切って、孤軍と化した本隊を南北で挟み撃ちすればいい」
「ですよねぇ……」
ガートルートは頭を掻いた。
「わかりませんなあ……一体、あの方はなにを考えているのか……」
「湖の仕掛けのほうは大丈夫なのか。気取られていて、決戦が始まる前に壊されでもしたら、お前らは増水した川の向こう側で孤軍になる。そのために、猛爆を仕掛ける投下弾が揃うのを待っているのかもしれん」
「それは想定済みです。鷲に抱えられる程度の投下爆弾では堰を破壊することはできませんし、破壊用の火薬も実行の寸前に設置する手筈になっているので、鷲で誘爆させることはできません。軍が衝突している最中に、そんなことを決行してくれるなら、むしろありがたいですね」
「……ふーむ」
ユーリの考えを読み尽くすのは難しかった。様々な推論を立てることはできる。しかし、的を射ている、読み尽くした、という感じはしない。
「しかし、あれだけの挑発をしても乗ってこないのですから、なにかしら策があるのは確実でしょう」
死体を満載した馬車を送りつけた件だろう。深夜の夜明け前に馬車を発進させたが、結局、今日攻めてくることはなかった。
「ミャロの死体は、結局どうしたんだ」
「神殿騎士団の前で磔にして燃やしました。士気が上がりますから」
「そうか」
リャオは言った。心は動かない。
「関心がないのですね。想い人の亡骸を焼かれたら、もっと怒るかと思いましたが」
「どうでもいい」
「そんなものですか」
「どうやっても、俺の物にならないと悟った。そんな女なら、いっそ、消えてくれた方が助かる。人生から煩わしさが一つ減った気分だ」
事実、吹っ切れた気分になっていた。いつか解決しなければならない課題をずっと抱えていたのを、ようやく荷下ろしできたような気がする。
「我々にとっては、それだけで十分な戦果です。戦勝後、もしあなたが裏切って私を殺したとしても、十分にお釣りがくる」
「そういうあけすけな態度は、嫌いじゃない」
もちろん、戦勝した場合、リャオは教皇領軍を裏切り、機会があればガートルートも殺すつもりだった。帰してしまえば、次に軍勢を率いてやってくる際はリャオが相手をしなければならない。
だが、もう一つ腹案もあった。
「お前は、戦争をするのが好きなのか。人生において、それさえできれば他はいらない、というほどに」
「ええ。その通りです。私は、こうして戦争をするのがたまらなく面白い。本来なら傷つけただけで罰せられる人々の命を塵芥のように扱い、国境に屍山血河を築くのが楽しい。平和と条約ではなく、戦争と軍事で歴史が紡がれてゆくのが嬉しい。人類は皆、私のように愚かな鬼畜なのだと、確認できるような気がするのです」
その理屈は、リャオには分からなかった。人を治める者の考えではない。ただただ人を殺す者の考えだ。
しかし、大量殺人に長けた者が歴史を紡いできたというのは、間違いなく歴史的な事実の一つではあるのだろう。
「ならば、もしユーリに勝ったら、俺のところに来るがいい」
「……はい?」
「ユーリがいなくなれば、お前はもう向こうでは用なしだろう。こっちについて、軍を率いてイイスス教のやつらと戦ったほうが楽しいぞ」
リャオがそう言うと、ガートルートはわずかな間放心したように口を開いていたが、そののち、表情を凄惨に歪ませた。
リャオは、ガートルートの本性を垣間見たような気がした。
祖国に牙を剥き、凄惨な戦争を生涯続ける様を想像したのだろう。おそらくそれは、リャオが継いだシヤルタ王国を滅ぼす戦いよりずっと難しく、長く険しい戦いになるはずだ。
「……考えておきましょう」
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