第310話 戦場視察*
リャオ・ルベは、近日中に戦場と化す予定地に立っていた。
そこは小高い丘になっている。背後では、砲の設置工事が進んでいた。
シビャクからホウ家領に通じる大街道の間に、砲の設置に適した丘はいくつもない。丘の高さは物足りなかったが、現実的にはここしか配備できる場所がなかった。
ユーリの作った砲は、案外不便な代物だ。
たしかに、火力の面では目覚ましい。天から降り注ぎ一撃で兵をすり潰す鉄の塊を、ドカドカ撃ち込むことができる。その威力は、たった一門で敵軍団の士気に甚大な衝撃を与えられる。
しかし、実際に運用してみると、移動が非常に鈍重であり、かつ思ったほどに射程がない。数千くらいの兵のぶつかりあいだったらともかく、数万の兵のぶつかり合いでは、こちらの兵の隊列もぶ厚くなる。あまり後ろに置いておくと、最大飛距離が出る角度をとっても、味方の頭の上に落ちかねなかった。
移動には荷馬六頭立ての専用の荷車が必要で、設置にも撤収にも時間がかかる。そのため、最前線に置いて、発砲し、歩兵隊列が戦闘を始めたらすみやかに撤収する、という運用もできない。
それでも使うためには、射程を伸ばす最も安直な案――つまり、高所に据え付けるというのが最も実用的な運用だった。というか、そうでもしないと使えない。
なんとももどかしく、そして忌々しい気分だった。
大砲を頼りにしようとすると、軍全体が鈍重な大砲を中心として動くことになってしまう。そうすると、軍から自由な機動がなくなる。自分が肥え太った肥満になった気分だった。
戦争とは、もっと華々しく兵が動き、将は采配を振るい、前線では槍や剣が鎬を削るものではなかったのか。
それが、こんな鉄の塊が火を吹き、兵たちをまとめてすり潰して肉の塊に変えるようになってしまった。
こんなもの初めからなかったら、戦争の形態がそれに振り回されることもなかった。しかし存在してしまったら、誰もが使わざるをえなくなる。
「リャオ・ルベ閣下」
ふう、ふう、と息を吐きながら、肥満が姿を現した。
丘を登ってきたわけではない。周辺を早足で歩き回っただけで、息を切らしている。
「問題ありません。これであれば空からの攻撃は防げるでしょう」
大砲は、頭の上を厚い天井で鎧われていた。
ガートルートは、大砲の弱点を、兵を飛び越えての空からの攻撃だと主張した。そして、ユーリが持っている対地兵器はすべて教皇領に対して使われたものであり、それに対する対策も研究されている。この設計の天井であれば、ホウ家軍が空から落とす兵器については、とりあえず全てを防げるらしい。
天井の下に砲兵たちが動けるスペースを確保し、脇には腰までの高さの塀を張っている。この塀は、屋根からギリギリの外に着弾した場合、可燃物の飛び込みを防ぐ狙いがあった。
これなら、相当な奇跡が起こらない限りは、空からの攻撃で砲が潰されることはないだろう。
そして、大砲は四門ある。そんな奇跡は、四回も起こらない。
「戦争の焦点は、必ずこの丘になります。ここを無視して、王都を攻めることはできません」
「ああ。そうだな」
リャオの考えも、その理屈の筋道を肯定していた。他には大軍の行動に適した街道はないし、軍の動勢も細かく偵察している。
もし、ユーリがこの場所での決戦を嫌い、湖から通じるルートでこちらを攻めるのであれば、それは事前に察知できるし、砲を移動する猶予もあるはずだった。敵主力は現在カラクモ近辺にいるから、そちらから攻めるのであれば軍の大転回が必要となる。
「それで、もう一つの仕掛けとやらは、準備できているのか」
「当然です」
ガートルートは、なるほど博識で、軍事にとどまらない様々な方面に目端が利いた。もう一つの仕掛けも、それをできる技術者はこの国にはいない。
味方にしてみれば、頼りになる男だ。
「しかし、準備というなら、リャオ・ルベ閣下、あなたのほうが問題です。約束はどうなっているのですか」
「……どうにかする」
「別に、私どもとしましては、どちらでも構わないのですがね」
暗に、ミャロを殺すか妻にするかしないのであれば、敵対して軍を動かすと言っているのだ。
その場合、リャオは当然破滅する運命だった。ルベ家本領は大丈夫だが、せっかく手に入れた王家天領の土地を滅茶苦茶にされてしまう。ルベ家の軍勢には他にもやるべきことが山程あり、それに加えてクラ人の軍勢に対する警戒までもやるのは不可能だった。どうやっても手が足りない。
「反乱を始めたことに、あなたは後悔していらっしゃるのですか」
「後悔は、していない」
それは、確実に断言できる。
ユーリの為政の下で、従順な部下として振る舞う。父親のキエンのように、ユーリを半ば信奉していたのであれば、それで収まりがよかったのかもしれない。
だが、リャオには、どうしても我慢ができなかった。何度考えても、これから五十年以上、そのように生きて老いてゆく、その想像ができなかった。
ユーリの実子である女王に対して膝を折り、槍を捧げて仕えるのも嫌悪感があった。自分以外の人々が、なんの違和感もなくユーリに私物化された王家を恭しく奉じているのにも吐き気がした。
ユーリは武力で国を私物化した。その際に武で屈して従うことになったのなら、まだ諦めがつく。しかし、リャオの場合はそうではなかった。なあなあの間に父親が服従し、そして後継者となる自分にも、当然のように方針の踏襲が求められた。到底、納得できるものではない。
「ならばいいのです。それなら、理解はできているはずですから」
「なにをだ」
「……私どもの国、教皇領の半島の根本には、ルビコ川という川があります。クスルクセス神帝国時代には、この川より先の領域には、挺身騎士団――あなたの国でいうところの、近衛軍以外の軍は、立ち入れないしきたりになっていました。しかし、乱を起こさんと欲するなら、その川を渡らなければヴァチカヌスにたどり着けないのです」
ガートルートは、関係のない話を喋り始めた。
「転じて、ルビコ川を渡る、という言葉は、引き返せない決断を下す、という意味の慣用句になりました」
……それが言いたかったことか。
「あなたは、すでに川を渡ったのです。女など世の中に幾らでも代わりがいる、などと、くだらないことを申すつもりはありません。ですがあなたは、惚れた女の心が傾くのを、悠長に待っていられる状況ではないのですよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
リャオは翌日、貴重な一日をミャロのために充てることにした。
朝食が終わった頃に大宰相執務室に向かうと、ミャロは椅子に座って退屈そうに本を読んでいた。
美しかった。大きな黒檀の机の向こうに在る小さな姿は、王に拝跪する霊獣のようだ。
リャオは、その気高さに魅入られていた。
美しいだけの女なら、いくらでも抱いた。身分が高く、頭も顔も優れていたリャオにとって、女とは、声をかけ、抱いて、飽きたら替える。それだけの生き物だった。しかし、ミャロは違う。自らが主と認めた男以外には仕えず、そして王でない男は、決して主とは認めない女だ。
「どうしましたか、リャオさん」
その小さな口が言葉を紡ぐ。この女は、リャオが支配する王城にありながら、南の地にいる主に向かって拝跪している。
口さがないものは、この反乱を他人の女を寝取るために起こしたのだと吹聴している。しかし、それは違う。もっと以前にミャロを得ていたとしたら、より早く反乱を起こしただろう。ミャロの認めた主であるなら、ユーリよりも王にふさわしい存在であるはずだからだ。
「どうかしましたか。用件を忘れてしまったとか? 呆けている状況ではありませんよ」
「そうじゃない。相談したいことがあって来た」
「どうぞ、喋るだけなら勝手です」
ここ最近は、ミャロの態度も軟化してきているように感じる。受容、というか。固く閉じた殻のような頑なさがなくなってきた。
「ユーリを倒すための作戦だ。気が向いたら、話してくれればいい」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「どう思う?」
一通り作戦を語り終えたリャオは、ミャロに問いかけた。
ミャロは、感心しているふうでもなく、驚愕しているふうでもなく、そして、ユーリの身を案じて恐怖しているようでもなかった。
まるでどうでもいいことのように、平然としていた。
「よい作戦なのでは?」
「ユーリを倒すには足りないと思うか」
「えーっと……リャオさんはご存知かと思いますが、そもそもボクはこの国の宰相であって、軍師ではありませんからね。作戦の立案はユーリくんの領分ですし、ボクはやったこともありません」
それは嘘ではない。リャオの知る限りにおいて、ミャロは自身で積極的に作戦を立案して、将軍の一人のように仕事をしたことはない。あえていえば、ついこの間、王城の防衛戦で近衛の一部を指揮したのが初めての経験だったはずだ。
「ですが、少なくとも破綻しているようには見えませんよ。実際、戦いになったら大砲の射程内で優勢を取るというのは絶望的になるのですから、ガートルート氏の主張も的を射ているのでは?」
ミャロにそう言われると、自分の考えは正しい、と自信が深まる思いがした。
ユーリが大砲の射程内で軍を当てたくないと思っても、大軍で迂回してシビャクを直接攻めるという案はナンセンスだ。
過去においては、それをやって追いかけてきた敵軍を待ち構え、撃破した戦いもある。しかし、リャオはその点も配慮していた。
もしそれをされたら、鷲を使って迅速に連携を取り、シビャクから出動した別働隊と挟み撃ちにするつもりだった。どちらに転んでも、有利に展開を運ぶことができる。
「少しは安心したよ」
「安心?」
ミャロは不思議そうな顔でリャオのほうを見た。
「なんだ?」
「いいえ、ユーリくんは決戦を前にして安心するなんてことは、少しもなかったな、と思って」
なぜ今、ユーリのことを口にする。
「俺に、将たる者の心構えが足りないというのか」
「いえ、批判ではありませんよ。別にいいんじゃないですか? だって、自分の不足を補うためにガートルート氏を招聘したんでしょう。彼は今、リャオさんの代わりにユーリくんに勝つ方法を必死に考えているはずです。それだけが取り柄の人ですから」
ミャロは本気でそう思っているように、リャオには見えた。実際、ガートルートは少しも安心せず、油断もせず、ここでユーリを仕留めることだけを考えているだろう。
既に上陸した教皇領軍の動向は、つぶさに探っている。しかし、ユーリを斃したあと、政権が移り変わったあとのことを考えて、兵を幾分か割いておく……などという姑息な動きは少しもなかった。
もちろん、ガートルートは戦いに勝利したあと、裏切られることは想定しているはずだ。ああいう男が、そんな馬鹿でも最初に警戒する事柄を想定していないはずがない。
しかし、そうなったらそうなったで構わないと考えているようだった。それでも、ユーリを仕留めるという大目標のほうが優先されるし、他のことにかまけてその目標が達成できなかったら本末転倒、という考えなのだろう。
要するに、舐められているのだった。ユーリさえ倒してしまえば、その後にリャオが軍権を握ったところで、あとはどうとでもなる。という考えが透けて見える。
「……そうだ。俺は自分が足りていないことは自覚している」
自分だけでは、ユーリに勝てない。それが現実だ。
だが、だからどうだというのだ。戦史を紐解けば、たった一人の力だけで歴史に名を残した王など少ない。
「それは、リャオさんの長所だと思いますよ。ただ、敵国の将軍を頼りにするというのはどうかと思いますけどね」
未だにミャロはそのことについては不満があるらしい。
「俺は、ガートルートを信頼しているわけじゃない。ただ、奴はユーリを斃すために全力を尽くすだろう。そのことについては確信している」
「まあ、それはそうでしょうね」
「それ以外の部分については、奴は敵だ。その一線を間違わなければ、奴は利用できる。軍師としての能力もそうだし、連れて来る教皇領軍についてもユーリに当てたほうが利口だ。どうせ、ユーリに勝ったあとは、俺が戦うことになるんだからな」
ユーリを倒したら、奴らはのんびりはしていないだろう。とリャオは読んでいた。口ではシャンティニオンを含めた東部地域を永久に安堵するなどと言っていたが、そんな約束を守るはずがない。
ならば、結局は戦うことになるのだ。
つまり、今回轡を並べて戦うことになる教皇領軍は、将来的には自分が殲滅することになる軍なのだ。将来自分が戦うか、今ユーリと戦わせるかの違いしかないのなら、ユーリと自力で戦い、あとで教皇領軍とも戦う。というのはあまりに馬鹿げた戦略だ。ユーリに当てたほうがいいに決まっている。
「まあ、判断を間違えないことですね。厄介な人たちですから」
「なら、お前が助言してくれ」
「はい?」
ミャロは、首を傾げながら聞き返すように言った。
「ユーリに対しての助言は求めん。信用もできんしな。だが、ガートルートについての助言ならできるだろう。それについてなら、俺も無条件に信用できる。あの太っちょがユーリを斃すのに一所懸命なのと同様、お前もこの国を乱されるのは好まないはずだ」
「まあ、それはそうですね」
「だから、助言してくれ。俺が判断を間違えないように」
「はぁ……」
ミャロは、軽いため息をついた。
「まあ、いいでしょう。ちょっと考えてみましょうか」
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