第308話 その頃の皇子*
クルルアーン龍帝国の現皇太子であるアーディルは、王都にあった。
アーディルは、士官学校への参加を認められてから、かなり自由な行動を許されていた。監視の人員をつけられることもなく、ユーリ・ホウ直筆のサインが入った特別な滞在許可証さえ肌身離さずに持っていれば、ほとんどの行動に制約はなかった。虜囚の扱いというよりは、留学生のほうが近い。
反乱が起こった日は、士官学校の友人たちの間で、休日を花の王都で遊ぼうという話になっていて、王都の友人宅で一泊している最中だった。
王都が占領され、支配者が移り変わると、アーディルは自分で判断することを求められた。
母親がティレルメ地方出身であるため、南方の出にしてはアーディルの肌は白い。さすがにシャン人ほどには白くないが、船乗りなど日焼けする職業の人々もいるので、町中を歩いていて不思議がられるほどではない。
しかし、顔立ちはいかんともしがたかった。耳は隠すにしても、特徴的な彫りの深い顔立ちは、シャン人にしては少し造形がおかしく、普段でもしばしば衛兵に呼び止められた。その際は滞在許可証を提示すれば問題なく解決するのだが、反乱軍の支配下では当然そういうわけにはいかない。布を巻いて顔を隠す手もあったが、それはそれで不審者である。
そういうわけで、アーディルは近衛軍の家系出身の友人宅に匿われるかたちで、王都に潜伏していた。
日中は家の中で過ごし、夜に出歩く。士官学校で鍛えられた体は、走りに走っても疲れることはなく、衛兵に不審がられても逃げ切ることができた。ルベ家の衛兵は鎖帷子を着込んで槍を担いでいるので、追いかけっこでは有利だ。
ある日、夜明け前に帰ってみると、留守の間にルベ家の衛兵が来たと伝えられた。しかし、アーディルを匿っていることを疑っている様子ではなく、家探しもせず、何人かの重要な逃亡者の似顔絵を見せて帰っていったらしい。その中に、アーディルの似顔絵はなかった。
指名手配どころか、意識もしていない感じだ。ルベ家にとっては、アーディルの存在はどうでもいいのかもしれなかった。
ただ、シヤルタ王国がクルルアーン龍帝国と交わした密約は、あくまでユーリ・ホウが交わしたものだ。彼の先進的な考えを、リャオ・ルベが踏襲するとは限らず、見つかれば龍帝国への脅しに利用される恐れもある。
普通に考えれば、王都に潜伏するのではなく、夜陰を縫ってホウ家領に向かうべきだろう。そういう訓練も受けているし、さほど難しいことではない。
しかし、アーディルにはそうできない理由があった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
何度目かの夜間の訪問で、やっと顔を見ることができた。
シェール・マルマセットは、一人で帰ってくると、バッグから自宅の鍵を取り出した。ドアを開けたところで、声を掛ける。
「シェール」
「おわっ!」シェールはびっくりした様子でこちらを見ると、「なんだ。あんたか」
と、ホッと安心したように言った。
「無事だったのか?」
「……私のことを心配して来たの? あんたのほうが危険でしょ」
「心配ない。もう、あの頃の私ではないから」
そう言うと、シェールはフッ、とちょっとした笑みを浮かべた。
「市井で聞くシャン語にしては、格式張った表現ね。まあ、入んなさい。ここは安全だから」
シェールは玄関を開けると、アーディルを招き入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カチャカチャと茶器の鳴る音が響いて、お茶が運ばれてきた。
身内に茶を淹れる際の好ましいぞんざいさで、茶を注がれたカップが目の前に置かれた。
口をつけると、華やかな香りが広がった。
「元魔女は酷い目に遭っていると聞いていたから、心配したよ」
王城勤めになった官僚たちなどは、勤務が終わると魔女の森に連れて行かれて軟禁状態にあるという。それでは、ほとんど奴隷の扱いに近い。
商才を活かして成功した元魔女が、言いがかりをつけられて財産を没収されたりといった例も少なからずあると聞いた。シェールは、元魔女の中では最も成功している部類だから、とても心配していた。
「酷い目に遭っていたら、助けに来てくれたってわけ?」
「うん。何日か家に帰ってきていない様子だったから、どこにいるのか明日にでも調べ始めようかと思っていた」
「調べるって、どうやってよ。そのナリじゃ、情報集めるだけでも一苦労でしょーが」
「是非もないよ。やってみてから考える」
「呆れた。ていうか、是非もないって、日常会話じゃあんまり使わないから」
「士官学校では使うんだけどな」
作戦の無謀を咎められた時の反論などに使われる。是非もない状況だった、とか。
「そんなシャン語じゃ、すぐバレるわよ。イントネーションにどこの方言でもない癖が残ってるし」
「どのみち顔でバレるからいいんだ。それより、今は無事にしても、逃げなくてもいいのか? もし良ければ、ホウ家領まで送っていくよ。森の中を抜けることになるけど」
シェールと逃避行をするのは楽しそうだ。
「いいのよ。私、今はリャオ・ルベと組んでるから」
一瞬で、頭が真っ白になった。
「リャオ・ルベと? なぜ?」
「ギュダンヴィエルが気に入らなかったから。知ってる? 連中って私の家よりずっと格下の、七大魔女家では最底辺の家だったのよ。それが唯一の魔女って、ねぇ? 笑っちゃうわ」
シェールは、内心ではミャロ・ギュダンヴィエルに対してわだかまりのような気持ちを抱いていたようだ。それが理由で、馬鹿なことをしでかしたのか?
「そんなことはどうでもいい。具体的には、何をしたんだ?」
簒奪政権を支持するとかいう書類にサインしただけなら、まだ許されるかもしれない。脅されてサインするしかなかった、と言い張ればいい。
「王都内で蜂起した、元騎士家の連中を匿ったのよ。部屋を借りる手配をしたくらいかしらね。大したことじゃないけれど」
駄目だ。直接的に関与している。
ユーリ・ホウは族誅をするようなタイプではないが、反乱に直接協力した連中に容赦をするほど生易しい人間ではない。
「自殺行為だ。なにを考えて、そんなことをした」
「ユーリ・ホウは大陸から帰ってこれないのよ。そういう策略があるんだって」
ユーリ・ホウがこの半島に戻ったという知らせは、まだ届いていなかった。
「そんな話を真に受けたのか?」
「実際、見事にシビャクを陥落させてるじゃない」
アーディルには、目の前にいるシェールの思考が不思議でならなかった。
自分よりよほど頭が良いはずの賢女が、なぜこんな簡単なことを理解できないのか。
主人の留守にシビャクを陥落させた。だからどうだというのか。
背中から人を刺すのに、歴史に名を残す才覚などいらない。背中を預けられるだけの信頼と、それを裏切る卑劣な心があればそれで足る。
なんの実力の証明にもなっていない。
「馬鹿か。こんな簒奪、上手くいくはずがない。君もクルルアーンの歴史を学んだなら、七日天下のことくらい知ってるだろ。あれと同じだ」
「失敗する可能性があるのは分かってるわよ」
「馬鹿! ユーリ・ホウって人間をなんだと思ってる。終わりかけの落ち目国家をここまで再興した傑物が、こんなことであっさりやられるわけがあるか。裏切って最初にユーリ・ホウを殺したならまだしも、生きているんだろう!」
ユーリ・ホウに対して反乱を企てるなら、最初の一手で殺してしまう他ない。リャオ・ルベという人物は、イイスス教徒にどんな甘言を吹き込まれたのか知らないが、とんでもなく悠長な人間だ。アーディルは、そう分析していた。
「大丈夫よ。ユーリ・ホウなんてたまたま王女を口説き落として登りつめただけの人間だわ」
アーディルは唖然としてしまい、開いた口が塞がらなかった。
考えが甘すぎる……。
ユーリ・ホウとミャロ・ギュダンヴィエルが二人三脚で運営している政権を評価したくないという考えが先行しているのか、あるいは軍事的な実績を正当に評価する知識がないのか分からないが、認識がひどく偏っている。
三ヶ国語を完璧に操り、私塾の経営も成功させた優秀な頭脳の持ち主が、こんな簡単なことを理解できないでいる。アーディルは人類の不思議を見たような気分になった。
「……そもそも、シェールはルベ家が嫌いだったんじゃないのか」
「ラベロ・ルベは戦争で死んだしね。キエン・ルベも、もういない。好んではいないけど、リャオ・ルベに恨みはないわ」
「じゃあ、ミャロ・ギュダンヴィエルが気に食わなかっただけか? でも、彼女は……」
リャオ・ルベの想い人だ、という話を小耳に挟んでいた。何度か聞いた噂の中には、エスカレートして、リャオ・ルベは彼女をユーリ・ホウから奪うために反乱を企てたのだ。というものも混じっていた。
「そこは誤算。当然、捕まえれば殺すものだと思っていたけど、まさか最初からリャオ・ルベと恋仲だったなんてね。あの女狐には、まんまとしてやられたわ」
ミャロ・ギュダンヴィエルは、最初から反乱の共謀者であったらしい。アーディルにとっては初耳の説だった。そうなると、シェールは彼女を陥れるために活動していたのに、逆に利用されていたことになる。
といっても、今はそういった流説が無数に飛び交う時期だ。彼女が共謀者であったという説自体、信頼できるものか定かではない。
どちらかというと、シェールはそれを信じたがっているようにアーディルには見えた。
そういう前提なら、もしユーリ・ホウが帰還したとしても、ミャロ・ギュダンヴィエルはリャオ・ルベもろとも処刑される流れになるだろう。政権の内政を牛耳っていた彼女の智謀がなければ、反乱の加担者を草の根分けて探す捜査能力は格段に落ちる。
そうなれば自分は見逃される可能性が高い。という安心材料を、内心では信じたいのかもしれなかった。
「シェール、きみは判断を間違えた。もうリャオ・ルベに協力してはいけない」
「わーってるわよ。ミャロ・ギュダンヴィエルと懇ろだって知ってからは、協力なんてしてないわ」
「ならいい。じゃあ、私はもう行くよ。ホウ家領に逃げる」
アーディルは、そう言いながら椅子から立ち、残った茶を飲み干すと帰り支度を始めた。こうなったら一刻も早く行動するのが吉だ。士官学校でそう教わった。
シェールは意外そうな顔をしている。まさか、ホウ家領に逃げるとは思っていなかったようだ。
「そうするつもりなら、ルベ家が来た時に逃げればよかったのに。こんな危険なとこに居残ってないでさ」
その通りだった。シェールはこの街では安全だ。少なくとも、ユーリ・ホウが半島に帰還するまでは。安否を危惧する必要はない。
「仕方がない。好いた女のために馬鹿な真似をするのが男なんだ。自分一人で逃げるなんて、男がすたるよ」
そう言って、玄関のドアを開けながら、アーディルは思った。
案外、リャオ・ルベも同じ気持ちだったのかもしれない。
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