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第307話 愛人*


「どちらも断る」


 リャオは険しい顔で断言した。

 その回答に、ガートルートは眉をひそめた。それはそうだろう。先ほど述べた要求は、ひどく穏当で、実際のところ、普通に考えればなんの困難もない。

 イーサはクラ人たちが現住する東部地域で、ワタシ派(教皇領の禁令では、イーサ派という呼称がされている)を布教しているので、殺されれば統治面で混乱は生じるだろうが、どうせユーリがやっていた統治方針を踏襲するつもりはないのだろうから、リャオにとってはさほど大きな問題ではない。


「なぜです?」

「ミャロは反乱の協力者だ。昔から俺と愛人関係にあって、反乱の手引きもした」


 愛人関係!?

 なにを言っているんだ。放言も大概にしろ。


「今後も重臣として扱うつもりだ。殺すなどということは、考えられん」

「それはないでしょう」


 稚拙な嘘を鼻で嗤うような口調で、ガートルートは言った。


「私が事前に調べた話と異なります。あなたは、ミャロ・ギュダンヴィエルに惚れていて、口説いている最中だと。今回の反乱は、むしろユーリ・ホウから彼女を略奪するためにやったのだ、という噂まで耳に入っています。後者は行き過ぎたゴシップの話でしょうが、今のあなたの反応を見るに、前者はおそらくは信じていい情報です」


 市井の噂を信じるのはどうかと思ったが、的を射た分析なのは確かだった。本来なら罰するべき人間を、こうやって連れ歩いているのだから、そういう話が流布するのは仕方がない。真実、反乱の共犯者であったなら、もっと堂々と立場を与えるわけで、リャオの主張には無理がある。


「そんなもの、噂にすぎん」

「それはその通り。しかし、あなたが彼女を腹心の幕僚として扱っているのであれば、必ずこの場に同席させるはずです。私のような厄介な相手と交渉をするのに、彼女以上の人材はいないはずですから」

「なんでもかんでも意見を求めるわけじゃない。今回は、俺だけで十分だと判断したまでのことだ」

「そうですか? こういった外交交渉は、あなたにとっては初めての経験であるはず。なのに、ユーリ・ホウの下で長年外交に携わってきたミャロ・ギュダンヴィエルの知見を利用しないのですか? 考えられない選択ですね」


 まあ、それはそうだ。

 実際、本人はこうしてメイドの姿をして突っ立っているわけで、事実そういうふうに利用している。自分の外交感覚では、この件を処理できないかもしれないという不安も、現実にあるはずだ。

 要するに、すべて見抜かれてしまっている。


「まあ、いいでしょう。もし貴方がたが単独でユーリ・ホウを打倒できるのであれば、こちらとしては望ましい展開です。勢力が拮抗して内戦状態を維持できるのであれば、より望ましい」


 教皇領からしてみれば、長い間ユーリとリャオが内戦を続けていれば、その間にティレルメ地方を安定させられるだろうし、シャンティニオンからキルヒナまでの大陸を奪還することができれば、その後は内乱に干渉することもできる。

 ユーリがティレルメ地方の兄妹喧嘩に干渉していたのと同じ手口だ。

 それは、ユーリが一枚岩で治めている国と戦うのと比べれば、よほど簡単な仕事だ。赤子の手をひねるようにして、潰されてしまうだろう。


「そうはならない。ユーリは俺が仕留める」

「ええ、すべてが上手くいけば、そうなる可能性も大いにあります。あなたの耳には入っていないかもしれないが、彼は負傷していますから」

 なに?

「ユーリ・ホウは、先の戦いで足を撃たれ、左足を切断しました」


 気付いた時には、カランカランと木のトレイが床を鳴らす音が響いていた。


「……失礼」


 ミャロは、床に落としたトレイを拾った。


「なんの話だ? ここには通訳はいない。こちらの言葉で喋れ」

「あなたが、ミャロ・ギュダンヴィエルですね」


 ガートルートは、対面に座っているリャオを少しも見ず、まっすぐにミャロの顔を注視していた。

 さっき喋られた言葉が、何語だったのか思い出せない。リャオの反応を見るに、テロル語だったようだ。

 やられた。

 ブラフをかけられたのだ。


「なにを言っている。この女は、ただのメイドだ」

「なら、この女性がミャロ・ギュダンヴィエルで構いません。この場で殺してくれれば、それで彼女の代わりとしましょう」


 よほどの確信を抱いているのだろう。不確定な部分も多いはずだし、判断が間違っていたら大変な損害だ。

 だが、間違っていないのが始末に負えない。


「どうしたのです? 私が事実誤認をしているなら、それを利用すればよろしい。メイド一人と引き換えに、万の軍勢が味方になるのです。考える余地のない交換であるはず」

「……くだらん」

「ということは、やはり彼女がミャロ・ギュダンヴィエルなのですね」


 ガートルートは、脂肪のついた頬でにっこりと微笑んだ。勝手に決めつけている。


「どうでもいいことだ。どのみち、貴殿の要求は受け容れられん。ミャロを殺させるなど、ありえん」

「では、あなたは自力でユーリ・ホウに勝てると?」

「そのつもりだ」

「無理ですよ」


 断言した。


「あなたでは、ユーリ・ホウには勝てません。あなたは表向きは漂々とした貴公子だが、内面は実直な武人だ。常識に囚われ、古典的な発想しかできない。ユーリ・ホウの改革についていけなかった落ちこぼれを味方に引き入れ、信頼を裏切って簒奪したところで終わりです。満身創痍ならばともかく、十分に軍を温存したユーリ・ホウには、勝てませんよ」


 あまり可哀想なことを言ってやるな。と、ミャロは言いたくなった。


 べつに、リャオは無能なわけではない。人並みの野心があって、少しばかり自己評価が高かっただけだ。それ自体は騎士としては必要な気質だし、実際、将家の長としては優秀だった。

 でなければ、いかな無骨で知られるルベ家の家臣団といえど、反乱に付き合ったりはしなかったはずだ。キエン・ルベの葬式を国葬にしなかったことが侮辱だとか、戦勝に関して領地の加増がないだとか、なにやら焚き付けの燃料は工夫していたらしいが、そもそも将として人気がなかったら無理筋の命令にここまで従うはずがない。

 ルベ家の家臣団は、この男についていく、と心に決めていたから従ったのだ。一家という枠の中では、立派に後継者として認められていたし、人心掌握もできていた。

 だからといって、ユーリに勝てるのかというと、それはガートルートの言う通り難しいのだが。


「やってみなければ分からん。どのみち、貴様の提案は論外だ。検討するに値しない」

「イーサ・カソリカ・ウィチタについては?」

「そちらも同様だ」

「ふむ……」


 ガートルートは、考えるそぶりをみせた。


「では一体、どのような条件をお望みですか? まさか、我々が無償で全軍引き連れて救援に来てくれる、と思っていたわけではありますまい」

「まず、俺はお前らをまったく信頼してはいない。少しもだ」

「それは当然、そうでしょうね」

 ガートルートは、当然の摂理を復唱するように言った。

「だから、援軍を受け容れるとするなら、その対価は後払いになる。戦争に勝って、お前らが帰る段になってから渡す。そういう条件でなければ、はじめから王都にお前らを招き入れるつもりはない。最悪、ユーリと戦わず、国内を荒らし回る危険もあるからな」


 一応、そこのところは考えていたようだ。

 教皇領がイーサをどうしても手に入れたいなら、最後の最後に渡すことで手綱は握れるだろう。先払いで渡してしまったら、連中が約束を守る保証はない。処刑したあとでこちらを裏切ればいいだけの話だ。


「なるほど。では、イーサ・カソリカ・ウィチタについては、後払いであれば渡す用意があるということですね」

「ああ。できれば手元に残しておきたいがな」


 内心では、イーサについては心底どうでもいいと思っているはずだ。それで本当に援軍を得られるなら、石っころと金塊を交換したような気分だろう。


「いいでしょう。それについては信じます。あなたにとっては、どうでもいい存在であるはずですしね」

 やはり、ガートルートはリャオにとってのイーサの価値を正確に評価できている。

「問題は、ミャロ・ギュダンヴィエルです。イーサ・カソリカ・ウィチタのほうは、聖職者どもが口うるさいだけで、戦略的には重要ではない。やはり、重要なのは貴女だ」


 と、ガートルートはミャロの顔を見た。


「ユーリ・ホウが獅子に翼の大活躍ができているのは、貴女の存在があるからだ。貴女を消せば、ユーリ・ホウから翼をもぎとることができる」


 私を過大評価しすぎだ、と、ミャロは思った。ユーリの下には次々と優秀なスタッフが集まってくるし、心情的にも、今はユーリを支える女たちが他にいる。

 ガートルートは、リャオを見た。


「我々にとって、最悪なのは、ミャロ・ギュダンヴィエルがユーリ・ホウの下に戻って、再び辣腕を振るうという状況です。なにがなんでも、それは阻止したい」

「だからっ」

 リャオは苛立ったように言った。

「ミャロは、既に俺の身内だ。処刑などありえん。そこを譲歩できないのであれば、これ以上の話は無駄だ。帰ってもらおう」

「こちらを立てればあちらが立たず……困りましたねえ」


 ガートルートは、苛立ったように頭をガシガシと掻いた。

 しばらく考えたのち、


「……よろしい。では、ユーリ・ホウとの戦いの前に、あなたがミャロ・ギュダンヴィエルを口説き落とし、式を挙げるというのは、いかがでしょう」


 なんだそれ。


「イーサ・カソリカ・ウィチタの件を確約した上で、こちらが大幅に譲歩して、の条件です。公的にミャロ・ギュダンヴィエルを共謀者であると公表し、あなたと結婚して夫婦関係になれば、彼女は確実に裏切り者と見做されます。ユーリ・ホウからの信頼にもヒビを入れることができるでしょう。これまで通りのような重用はされなくなる」


 こいつは、ユーリのことを分かっていない。ろくに話したこともないのだから当たり前だが、正確な人物像を形成できていないようだ。

 ユーリはそんなことは露ほども気にせず、他人に文句も言わせず、重用を続けるだろう。しかし、この男にはそれが分からず、一度は片足を叛臣に突っ込んだ者として、信用を置かぬ扱いをするだろうと考えている。


「口説き落として、婚姻して、臥所を共にする。先ほどおっしゃったように愛人関係であるなら、それは容易いことでしょう?」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「――ふうっ」


 ミャロは執務室に戻ると、カチューシャと伊達メガネを放り投げるようにテーブルに捨て、来客用のソファに乱暴に座った。

 メイドの服装を着替えたかった。可愛い系のフリルのついたエプロンドレスが、いつものピシっとした服装とは真逆で、なんだか自意識の混乱を招いてくる。

 だが、着替えるわけにもいかない。リャオが、当たり前のように追って入ってきたからだ。


「どう思う?」


 追って対面のソファに座ったリャオが言う。


「どうもこうも」


 頭が痛かった。


「一つだけ差し上げられる助言があるとするなら、もし敵軍を招き入れないのであれば、あの男を生きて返さないことです。もし、万が一、あなたがユーリくんに勝利することになったとしても、ここで帰したことを必ず後悔しますよ。後顧の憂いは絶っておくことです」

「俺は、あの男の智謀も、万の軍勢も必要だ。ユーリに勝つためならなんでもする」

「なら、ボクを殺すことですね」

「俺が……それをしたいと思うか」


 リャオは、俯いた顔をわずかに上げると、責めるような眼差しでミャロを見た。


「……いいえ。それくらいは、分かってますよ」


 ガートルートに顔を確かめられたのはまずかった。と、ミャロは思った。

 普通なら、気付いたとて黙っていればいいものだが、ガートルートはわざわざ断定的に伝えてきた。それは、リャオが適当な女囚を処刑して、その死体を寄越したりするのを防ぐ狙いがあったのだろう。

 そんな下手な嘘でも、検証能力がなければ、向こうは受け入れるしかない。

 だが、顔を確かめられた今となっては、そう簡単にはいかない。


「式を挙げるのは、援軍が到着してからでもいい。と奴は言ってきた。なぜ、そんな条件にする?」


 わざわざ条件を悠長にしたのはなぜだ、と思っているのだろう。本来なら、明日にでもやれ、と言ってもいい場面だ。


「大軍をシビャクに入れることは、それ自体大きな意味を持ちます。ボクが殺されず、婚姻もならなかったら、敵対して略奪と虐殺をはじめ、シビャク及びその周辺を焦土にするつもりでしょう。人口密集地帯なので、それなりの戦果にはなるはずです。そのときあなたのルベ家軍は、おそらく半数以上はユーリくんを抑えるために王都を留守にしているはずですから」

「……そうか。なるほどな」

「信頼もできない敵と轡を並べて戦うより、一枚岩で戦ったほうがいいんじゃないですか?」


 ミャロからしてみれば、こんな馬鹿な作戦は中止して、ガートルート及びその護衛たちを帰さず、ここで皆殺しにしてしまうのが最も望ましい。


「それは駄目だ。俺は、ユーリと戦えるほどの神算鬼謀の持ち主じゃない。状況が変わった以上、戦力の底上げをする必要がある。そうしなければ、奴には勝てないだろう」


 殊勝な考えだ。ユーリに出鼻を挫かれて考えを改めたのだろうか。

 スオミから奪った砲は、リャオが持っている。現状でも、戦力的な優位はそこそこあるのに慢心していない。


「……連中の目的は、我々の戦力を削ることですよ。我々が同族相討って削り合えば削り合うほど、連中の思う壺です。戦わずして戦力を削ったことになるのですから」

「分かっている。どちらが勝つにしろ、戦争が長引けば長引くほど、やつらが有利になる。できれば、一度のぶつかり合いで、どちらかが圧勝する戦いのほうが望ましい」


 分かってるじゃないか。


「……だったら、俺が勝ってもいいだろう。俺に協力して、ユーリを倒して、さっさと国をまとめたほうがシャン人全体にとって幸福だとは思えないか」


 そう言ったリャオの目には、強い感情が浮かんでいた。切望、という言葉に近い感情が、ミャロになにかを訴えかけてきていた。


「お前がこちらについてくれれば、連中との交渉だって、ずっと上手くまとめられる」

「……えっと」


 ミャロは、戸惑いの声を出すのがやっとだった。男女の感情を向けられるのに慣れていないからか、うまく処理ができない。


「お前は、ルベ領の実家から去ったとき……俺に必要なのは有能な事務員だと、そう言ったな」


 改めて言われるとゾワっとする。

 たしか「あなたに必要なのは、有能な事務員ですよ。ここには、ボクの狂気の居場所はない」とかなんとか……そんなことを言った覚えがある。

 思い切りよく去らなければならず、威勢をつけたかったとはいえ、なんだか薄ら寒いことを言ってしまった。

 そのあと、ユーリにリャオの実家に行ったことを話した。すると彼は、切れ味鋭い短刀をミャロに見立て、机に突き立てると、「俺にはこれが必要だ。お前も、包丁が必要な料理人のところにはいくな」と言った。

 今思い出しても頬が緩んでくる。その殺し文句に、私はやられたのだ。


「俺が今必要なのは、事務員じゃない。正真正銘、お前の能力を必要としている。やりがいもあるはずだ。頼む。協力してくれ」


 そんなこと言われても、困る。


「こんな服を着ているときに、言わないでください。真面目に受け取れません……」


 ミャロは、自分の着ているメイド服を言い訳にして、はぐらかした。


「……分かった」リャオは、その不誠実を責めるような目を一瞬したあと、ソファから立ち上がった。「考えておいてくれ。頼んだぞ」

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― 新着の感想 ―
まあミャロが揺れてる事がお気に召さない人もいるみたいだけど、ここまでが幸せだったなら興味がなかった男に心揺さぶられる事もないだろうしね 私は内政の右腕として彼の役に立てればそれで良いんだと思い込む事…
リャオ、詰んでるな・・・ 何がしたかったんだお前は。
ミャロが反乱側に付くと勝ち目が出て面倒になるな。しかも教皇側からしたら荒れるだけ荒れて共倒れになった方が万々歳。絶対に嫌がらせしまくって引っ掻き回す。
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