第305話 スオミにて
スオミから休むことなく行軍をし、上流にある工業地帯まで敵を一掃し終えると、俺はやっと戦果の拡大をやめ、現状確認する余裕ができた。
これから周辺の領域からも残党を駆逐し、カラクモとも連絡しなければならないが、ひとまず一日くらいは軍を休ませねばならない。なにしろ、敵地のど真ん中で撤退を決めてから今日の今日まで、ずっと動きっぱなしだ。ようやく故郷に帰ってこれた兵たちにも、数日の休息は必要だろう。
ひとまずの戦勝を祝う酒宴を手配し終えると、俺はホウ社の事務所に入った。そこには、丁度いいことに社長のカフ・オーネットがいた。
「ユーリ」
「カフ。こっちにいたのか」
てっきり王都から脱出してカラクモに入っているのかと思っていた。
「ああ。スオミに潜伏していた。そっちも大変だったようだな」
「まあな」
俺は適当に椅子を引いて座った。
「そっちは大丈夫だったのか? あの馬鹿に見つからずに済んでよかったな」
言うまでもなく、ジャノ・エクのことだ。カフは、やつが統治を委任されていた時期から、幾度となく衝突していた。見つかったら酷い目に遭っていた可能性が高い。
「スオミはもう俺たちの街だ。突然あんな奴らが来たって、匿ってくれる先には困らん」
「迷惑をかけたな。社の連中にも悪いことをした」
「お前が会長だったから街が占領されたわけじゃない。別の奴が会長だったら、見向きもされずに平和だったのか?」
まあ、それはないだろうな。
「だが、内乱が起きたのは俺の失敗だ。謝るくらいはさせてくれ」
「そんなことより、トチ狂ったルベ家の御曹司をさっさと倒してくれよ」
そういう感覚なのか。
まあ、一般大衆からしてみれば、そういう感覚が自然なのかもな。
「というか、あの屑野郎はどうなったんだ? 尻尾を巻いて逃げたのか?」
ジャノ・エクのことだろう。やはり末期は気になるらしい。
「近いうちに死ぬようにしてから、見せしめに向こうに送った。安心しろ。あいつは苦しみ抜いて死ぬよ」
「なんだそりゃ。毒でも盛ったのか。そんなの、万が一医者が治しちまったら……」
「治しようがない。臓器を引っこ抜いたからな。そのうち全身がぶくぶくにむくんで、自分の小便が血に交じって死ぬ。今はまだ自覚症状はないだろうが、必ずそうなるから安心しろ」
非常に厳しい飲食制限と、適切な瀉血をすれば一か月くらいは持ちこたえるかもしれないが、どうやっても死からは逃れられない。
「……それで、見せしめにするために逃がしたのか」
「まあな。リャオからしてみれば、表向きは志を同じくする同志だ。失敗したからって殺すわけにもいかない。放逐してくれれば、やつの死にざまを向こう陣営みんなが見ることになる。恐怖を覚えて士気が下がってくれれば好都合だ」
どちらに転んでも、リャオにとって厄介なことにしかならない。こちら側で人知れず処刑されたというのが、一番好都合なパターンだ。
「こういう時のお前のやり口ときたら……まったく、敵さんに同情するぜ」
「敵の嫌がることをするのが戦争だ。どうも世の中には、なにかを盛大に勘違いして、正々堂々と戦いたがる阿呆が多すぎるがな」
世の中の阿呆どもは、正々堂々と戦って自分の自尊心が満たされることのほうが、それによって兵の命が散っていくことより重要らしい。俺には理解できない趣味嗜好だし、そんな異常者は軍にも部下にも居てほしくない。
そうやって放逐していった連中も、敵の中には大勢いるのだろう。
「それより、社のほうはどうなっている。把握できている範囲で、被害を報告してくれないか」
「向こうで話すか」
カフは奥の部屋を目線で示した。ここには社員が多くいる。聞かせられない話があるのだろう。
「ああ」
俺は頷いた。嫌な予感がする。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふう」
カフはドカッとソファに座った。表情は険しい。どんな損害が発生したのだろう。見た感じ、それほどの大損害が発生していたようには思えないが。
「いい報告と、悪い報告と、気を失いたくなる報告、どれから聞く?」
「いい報告があるのか」
「まだマシってだけだ。あの屑野郎は、社員を自分の下で働かせるつもりだったから、そりゃ混乱のドサクサで殺された奴はいるが、大半は無事でいる。動かすのに苦労するような設備もそのままだ。社の再稼働はそんなに難しくない。それだけだ」
いい報告を勝手に言われてしまった。
「じゃ、悪い報告から聞くか」
「軍需工場の倉庫は根こそぎイカれた。大砲も投下爆弾も、既存の兵器はシビャクのほうに全部運ばれたぞ」
「リャオの野郎も抜け目ねえな」
根こそぎやられたということは、今度は向こうに使われる、ということだ。もちろん、こっちは大砲を一門も持っていない。たしかカラクモには置いてなかったから、戦いまでにどこかを探せば一門くらいは見つかる、ということもないだろう。
予想はしていたが、大変困ったことになった。今まで敵軍に対して取れていた技術的優位が、今度は逆にされた形になる。
「悪い報告っていうのはそれだけか」
「ああ」
はあ……じゃあ、気を失いたくなる報告ってなんだよ。思いやられるぜ。
「で、最後の報告は?」
「最先任航海士が消えた。スオミで、航海士を教育する立場だった人間だ」
「はぁ?」
「ゴラ・ハニャムという。まだ若くて、たしかお前と同い年じゃなかったか。ウチで最初の航海士で、ハロルが入社する時に連れてきた男だ」
「覚えてる」
もうずっと会ってもいないが、シャムとリリーさんから天測航法の理論を初めて教えられた男だ。
航海士の育成のために、一隻を練習船に割り当てることにしたとき、その船長というか責任者になっていた気がする。人事の書類にサインをした覚えがある。
「たしか、妻子がいたんじゃなかったか?」
というか、最初に会った、俺が十六歳だった時に、すでに所帯持ちで妻子もいたのだ。それでびっくりしたのを覚えている。
「よく知ってるな。スオミに今もいる」
「じゃあなんで逃げたんだよ? 意味が分からん。高給取りだろ」
家族がスオミにいて、高給取りで、ポストも最高位で、しかも仕事を教える立場なら楽でもあるだろう。逃げる理由が一つもない。
「待遇に不満があったらしいな」
「はあ?」
なぜ?
そんな馬鹿な話は、聞いたこともない。はっきりいって、ホウ社の古参社員の待遇というのは、相当恵まれている。
「やつは、ハロルや俺やお前、あとはリリー女史のような億万長者と、自分が同じ待遇でないのはおかしいと不満だったようだ。俺たちが莫大な財産を持っているのは、言うまでもないが、社の黎明期に出資し、株を持っているからだ。当時金貨一枚の投資が、今では――まあ、お前が負けちまったらすべてがご破算なんだが――軽く千倍以上になっている。あいつは、家族を養うのに金が必要で、株を少しも持っていなかった。それが不満だっていうんだな。ハロルによると」
んなもん、知ったこっちゃない。たとえば天測航法を自力で開発したのなら、待遇も考えるが、奴はすでにできあがったものを教えてもらっただけだ。特別待遇をする理由がない。
「別に、億万長者じゃなくても十分すぎるほどの富豪だろ。世間的に言ったら、超勝ち組じゃねえか」
「金ってのは、溶かそうと思えばいくらでも方法がある。飲み食いはどれだけ派手にやっても知れたもんだが、博打と女は無尽蔵に金を溶かす。お前だって知ってるだろ」
「そりゃ、そうだが……」
「今となっちゃ、天測航法の航海士なんざ、ほかに代わりが効かない人材じゃない。飲んだくれの遊び人じゃなくても、もっと教えるのに適した人材は社内に幾らでもいる。ハロルも、現場に復帰させて更生させたほうがいいって考えで……まあ、その矢先でコレってことだ。ちなみに妻とは離縁してるぞ。女が原因でな」
どうしようもないな。
「逃げたってことは、出奔してカソリカ派に身を売ったってことか? そうとは限らないだろ」
「俺はその可能性が相当高いと思っているがな。天測航法の航海士なんて、ホウ社以外じゃ金にできん技術だ。その上、あちらさんは天測航法について探りを入れてきてるだろ。船員に理屈を教わろうとして、通報されて捕まったスパイは三人にもなる。あいつなんか、一番目をつけられてそうだ。金持ちだから転ばせるには金は必要だろうがな」
「じゃあ、新大陸も……」
「だろうな」
当然、ゴラは新大陸の存在を知っている。もし本当に寝返ったのであれば、天測航法の手法が、道具の形状とその方法を含めて、丸々向こうにバレることになる。
「まいったな……」
どのみち、天測航法の理屈自体は、天文学者にとってはそれほど特殊なアイデアではない。また、発想を知っていれば即実用化に至れるものでもない。クロノメーターなどの複雑機械が必要になるからだ。
また、天測航法を知られたからといって、海戦で優位を取れるわけでもない。
ただ、海向こうの新大陸の開発はまだまだ未熟だ。人口も、十年や二十年で増加する量は知れている。こちらの大陸での戦いに負ければ、わずかな人口で旧大陸からの移民を押しとどめることは難しくなるだろう。
これで、いよいよリャオに負けるわけにはいかなくなった。
それに、もう一つ問題がある。
「このことは内密にしておけ。ゴラの件は王剣に処理させてみる。向こうに渡る前に暗殺できれば済む話だからな」
問題なのは、イーサ先生の件だ。ハロルがやった誓いの秘跡の問題がある。今回のことは、ハロルの管理不行き届きと言えなくもない。貿易部門の長なのだから、少なくとも、イーサ先生はハロルのことを有責者とみなすだろう。
すると、犠牲責任者のイーサ先生は自動的に責任を取ることになる。誓いの秘跡というのは、師を弟子の連帯責任者にする、一種の連帯責任制度だからだ。
先生の信仰は筋金入りで、妥協がない。天測航法の技術を漏らさないよう努力をするという誓いは、もうずいぶん昔の話だが、信仰に時効はない。イーサ先生は死を選びかねない。
そのイーサ先生も、報告を聞く限りでは、シビャクを脱出できていない。通常の警備の他に王剣を一人つけていたので、独自ルートで脱出、もしくは潜伏できている可能性はあるが、少なくともカラクモには来ていないようだ。
イーサ先生がもし無事であった時のことを考えて、ハロルを有責者にしない方法を考えておく必要がある。
「まあ、俺はお前に従うだけだ。しかし勝てるのか? 向こうは大砲を使ってくるんだ。対策は考えてあるのか」
「なんとかするさ」俺は気休めを言った。「ただ、たしかに、そうなってくると勢いのままシビャクに攻め上るのは悪手だな。力押しで勝てる相手じゃない」
なにしろ相手はルべ家だ。ルべ家の連中の気風は一種独特で、モノを考えるのを悪とする風潮がある。
ルべ家配下の出身者は、目下の部下に対して「理屈を言うな」という意味の方言を使うのだが、これは語義をまっすぐに捉えると「議論を言うな」という意味になる。なかなかのパワーワードだが、要するに考えるのは上の役目なので、下はそれに従えという感覚が浸透しているのだ。
それは、自分で思考し決断するリーダーシップ型の指揮官が育たないという負の側面はあるのだが、無理な命令であろうと「やれ」と命令をすれば疑問を持たずに死地に突っ込んでいく気質は、こちらにとって脅威ではある。
ジャノ・エク率いる寄せ集めのゴミどもを蹴散らした、その余勢を駆って攻め上れば逃げ散らかして倒せる、というような連中ではない。
「まあ、なんとか考えてみる。やってやれないことはねえだろう。ホウ家だって、捨てたもんじゃないからな」
カフは、そりゃそうだろう、と呆れた顔をしていた。
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