第304話 ジャノ・エク*
ジャノ・エクの心は焦燥感に苛まれていた。
逃げたい。今はそう考えている。だが、三階の大会議場に立て籠もってしまった今では、その選択肢はなかった。一階の執務室であれば、まだ窓を破って逃げるという選択肢があった。だが、大会議場の窓の下にはユーリ・ホウの兵が抜け目なく見張りについていて、飛び降りて地面に這いつくばった者を刺し殺そうと待っている。
なんでこんなことになった。
エク家の本邸に入るまでは、ここを拠点にして反撃に打って出て、勝つつもりだった。しかし、門をあっさりと破られてその目はなくなった。二階に登る前にも、少し考えるべきだった気がする。
しかし、ジャノ・エクは、そういうところでなにかを考えるのが苦手だった。一度冷静になるべき場面であっても、衝動のままに行動してしまう。
大会議室には、百人近い兵たちが集まっている。オークの厚板でできた扉は重厚で、容易に破れそうにはなく、扉を破って入ってきた兵を串刺しにできるよう、槍を構えて待ち構えていた。
しかし、いつまでたっても突入はない。破ろうと扉を叩く音もしなかった。
そのまま三十分ほど経っただろうか。
あまりに動きがないため、ドアの施錠を開けて外の様子を見てみようかと考えはじめていた。案外、誰もいないのかもしれない。
ドッ。
「いてっ!」
ジャノ・エクのすぐ隣で、そんな音が鳴った。そちらを見ると、床に金属兜が落ちている。武器庫にあるはずの、古い家伝の鎧の金属兜だった。頭全体を覆うが、重厚に過ぎ、被ると前もろくに見えなくなる。
その金属兜が、針金でぐるぐる巻きにされてそこにあった。中からは白い煙がふいている。
ドッ、ドッ。
他の窓からも、同じような兜が次々と投げ込まれてきた。
目が眩むような閃光、それと同時に、轟音と爆風が身を襲った。
一拍遅れて、扉のほうから火薬の爆ぜる音がした。
会議室は独特の臭いのする濃い白い煙に満たされている。それが薄れるまで、ジャノ・エクはなにもできなかった。
ようやく煙が薄れ、床が見えるようになったとき、そこにあったのは同胞の顔だった。顔面に、引きちぎられたような大きな鉄片が突き刺さっている。自分の身に起こった出来事が理解できない表情で絶命していた。
「運が良かったな」
背中から、聞き覚えのある声が聞こえた。
とっさに立ち上がろうとするが、蹴倒されてしまった。
仰向けになり、胸を踏まれ、顔を見る。
鼻を布で覆っていても、目だけで分かった。こちらを蔑み、見下げた目。表面上では慇懃を取り繕った対応をしているときでも、この男はいつもこの目をしていた。
ユーリ・ホウだ。
「お前らしい、卑怯な手だな。生まれが知れる」
そう嘲笑しても、ユーリ・ホウの目は変わらなかった。怒りに染まることもなく、こちらを見ている。
「ありがとう。そういってくれて助かる」
「頭がイカれてるのか?」
「――この仕掛けの準備をしている間、お前をどうやって使おうか考えていた。いくらなんでも、人間にやるにはあまりに酷い仕打ちなんで、ちょっとばかしためらっていたんだが……今の言葉で救われたよ。これで、なにも感じずに済みそうだ」
こいつ、俺になにかをするつもりだ。
「さっさと殺せ! それもできないのか!」
「さっき、運が良かったと言っただろ? なにやら勘違いしていたようだが、別にお前に言ったわけじゃない。そこの男に言ったんだよ」
ユーリ・ホウは、そう言って、顔面に鉄片が突き刺さった男を見た。
「爆発と一瞬の激痛――それだけで死ねたこの男を、心底から羨ましくなる日がすぐに来る。今ここで死んでいればよかったとな」
ジャノ・エクはとっさに舌を噛もうとした。しかし、それに要する決意を溜めている間に、ユーリ・ホウの足が動いた。
「では、さようなら」
思い切り頭を蹴られ、ジャノ・エクの意識は途絶えた。
◇ ◇ ◇
目が覚めた頃には、布団でぐるぐる巻きにされ、馬車に揺られていた。
背中には鈍い痛みがある。
「起きたか」
幌もない馬車の荷台で、景色を見ていた騎士が、こちらに気づいた。
騎士は、憎しみの籠もった目でジャノ・エクを見ている。
「どこへ」
「ルベ家の支配する領域に向かっている。そこでお前を解放する」
疑問を先回りされて答えられた。ルベ家のところに連れていくらしい。すると、捕虜交換のようなものが成立したのかもしれない。
「背中の傷を縫った。身を捩るような動きをするな。喋りもするな。なにもせず、揺られていろ」
ジャノ・エクの頭にカッと熱が入った。
「貴様、口の利き方に」
そう言った瞬間、言い終わる前に男は座席から身を乗り出した。
床に寝ているジャノ・エクの顔面に、拳が振り下ろされる。
強い衝撃。視界に火花が散り、次いで激痛が走った。
「喋るな。ユーリ閣下からは、死なない程度なら殴っていいと言われている。それで死んだとしても、なにも罰はないともな」
騎士は、どかりと座席に座り直した。
「俺の妹は、教養院がなくなってからホウ社に就職して活字拾いをしていた。なんの罪もない妹だ。なのに、貴様のくだらぬ反乱に巻き込まれ、ひどく乱暴され殺された。貴様は、それをしたボフ家の郎党を処罰しなかったようだな。自領の領民が略奪されているのを、見て見ぬふりをする領主がどこにいる。騎士を名乗ることすらおこがましい」
「なんっ」
ジャノ・エクが口を開こうとすると、再び鉄拳が飛んできた。
「喋るなと言った。いや、喋ってもいいぞ。貴様を殴る口実ができる」
ジャノ・エクは、そのまま地獄のような四日間を過ごしたあと、恐らくは前線と思われる土地で解放された。
毛布に大きな布を貼られ、騎士が走る馬車から飛び降りたのを気配で感じた。
それから、馬車はどこかの建物に突っ込んだようで、ジャノ・エクは横転した荷台から転がり落ちた。
人々が走り寄って来て、ジャノ・エクは正体を明かし、ついに毛布から解放された。
◇ ◇ ◇
ジャノ・エクはシビャクの王城に送られ、リャオ・ルベに会っていた。場所は、なぜかミャロ・ギュダンヴィエルが軟禁されている宰相室だった。さっさと殺せばいいのに、まだ生かしている。王城ではかつていた魔女どももそのまま働いているようだし、この男はやり方がなにもかも手ぬるい。
「この者、死人なり。死人を二度殺すは忍びなき故、そちら様にお返し申す」
リャオ・ルベが朗読した。ジャノ・エクの服に縫い付けられていた布切れに書いてあった文句だった。
「我らが大宰相に、もしも傷一つあらば、汝ら一党ことごとく死人にならん」
リャオ・ルベがちらと魔女の方を見た。
可笑しそうに微笑んでいる。
「ジャノさん。体調はいかがですか?」
「簀巻きにされ、一方的に殴られたのだ」
誰であれ、抵抗などできない。拳闘の猛者であっても、為すすべなどない。
「答えになっていませんが……お察しするに、体調が悪いのは、殴打傷のせいだと仰りたいわけですね」
ミャロ・ギュダンヴィエルは誰にでもわかる推測を言った。
「つかぬことをお聞きしますが、解放されてから小水は出ていますか?」
「……さあな」
なぜ魔女などに下の事情を話さねばならぬ。そう憤りながら、内心では一度も尿をしていないことに気づいた。
しかしそれになんの問題がある。尿など、出なくて済むなら出ないほうがよい。出なくなったのなら、人生から煩わしさが一つ減るだけのことだ。
「残念ですが、その体調の悪化は今後快復に向かうことはありませんよ。あなたは近日中に、必ず死にます」
「なっ――」
そんなわけはない。
「馬鹿を言うな、魔女め。俺は生きているし、体にも問題はない。歩いて階段も登れている人間が、今日明日に死ぬものか」
「顔は殴打傷のせいでよくわかりませんが、手を見れば一目瞭然です。ずいぶんとむくんでいますね」
ジャノ・エクは自分の手を見た。痩せ型で骨ばっていたはずの手が、ふっくらと膨らんでいる気がした。顔を中心に痛い部分は山ほどあるので気づかなかった。
「貴様ァ! 俺の体になにをした!」
ジャノ・エクは立ち上がりながら叫んだ。
「簡単なことです。腎臓を摘出されたのですよ。二つとも」
ボクがやったのではないですけどね、と、ミャロ・ギュダンヴィエルは付け加えるように言った。
「あなたの全身を巡る血液には、腎臓が尿として除去するはずの尿毒が数日分、たっぷりと蓄積されています。それを除去することはできません。今はまだ明確な自覚症状はないようですが、しだいに全身を不快感が蝕んでゆき、それは悪化の一途を辿ります。そして、必ず貴方を死に至らしめるでしょう」
唖然と開いた口が塞がらなかった。
俺が死ぬ?
人生で始めての思考に混乱していると、ミャロ・ギュダンヴィエルは口端を三日月のように上げて、酷薄な笑みを作った。
「いいえ、死ぬというのは間違いでしたね。既に死人なのです。あなたは、ユーリ・ホウに処刑されたあとの、生ける屍なのですよ」
その言葉を聞いた瞬間、脳髄に溶岩が流し込まれたような猛烈な怒りが体を支配した。
ソファを蹴るようにしてミャロ・ギュダンヴィエルに飛びかかったとき、何者かに服を捕まれ、ぶん回されるように放り投げられた。
入口のドアに強く打ち付けられると、
「おい、衛兵!」
それをやったリャオ・ルベが衛兵を呼んだ。ドアが開かれ、
「そこにいる男を捕まえろ!」
ジャノ・エクが立ち上がって魔女に向かう前に、衛兵に捕まった。
「殺すッ! 貴様ら、全員殺してやるッ!!」
羽交い締めにされたジャノ・エクのところに、ミャロ・ギュダンヴィエルが近づいてきた。
隙あらば首元に噛みついてやる。身構えていると、遠間から目を手で覆い隠された。そして耳元で、
「助かるすべが一つだけ。身分が同じ男性の腎臓を、自分に移植するのです。腎臓は一つ抜いても死にはしません。片方譲ってくれと、頼んで回ってみては」
と言われた。
「ミャロ、なにを喋った」
「健康の秘訣を。長生きしたいなら、水を飲むのは最小限にしておいたほうがよいですよ、と」
「その内容を、なぜ隠す必要が――」
二人の会話を最後まで聞くことなく、ジャノ・エクは連行されていった。
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