第301話 港町ノエルナル
見晴らしのいい農業地帯に、大軍が並んでいる。こちらは先行させたキルヒナ勢を除いた残りの軍。対面には教皇領の大軍。敵の背後には、軍隊が這いずってできた尾のような兵の列が、だらしなくどこまでも続いていた。
さすがに教皇領はやる気があるようだが、それ以外のフリューシャ王国軍とユーフォス連邦軍は違うのだろう。教皇軍の指揮下にあることになってはいるが、練度の低い部隊は強行軍についていけず、落伍しつつあるようだ。
さもありなん、という感想だった。多国籍軍というのは、一国の事情と熱意に全体が染まり上がっているわけではない。特にこの二国は、友軍だと思っていたアンジェリカ率いる軍を裏切り、納得行く説明もされないまま、そのまま強行軍をさせられている形のはずだ。戦意を維持しているほうがおかしい。
俺たちは、アンジェリカ領に入って一日、そういった具合にではあるが、たしかに敵軍に追いつかれていた。
「閣下、いつでも命令を」
全軍の中央にはホウ家軍があり、眼下ではディミトリが鬼気迫る顔で命令を待っている。
「命令はもう下した。お前のは、それからだ」
「しかし――」
馬を切り離した馬車の荷台に、箱を積んだだけの指揮台に座って、前線を眺める。近衛軍の中でも一番士気が低いと思われる、かつては第二軍に属していた騎兵部隊が先行し、教皇領軍に接近すると遠間から発砲をして、カケドリを切り返して戻ってきた。
士気の低い部隊をわざわざ選んだのは、やる気満々の部隊を投入すると、血気に逸って本当に突っ込んでしまう恐れがあるからだった。それをきっかけにして全軍衝突に繋がりかねない。
戦場に小さな発砲音が響いてから七分ほど経った頃、敵軍はこちらの意を汲んだように動きだした。静止した状態から全軍を鳴動させ、少しずつ退いていく。
やっぱり、そうなるか。
目の前の軍を率いる将軍と、意思疎通をした気分だった。ドアをノックして「やりますか」と問いかけると、「いいえ、帰ります」と答えが返ってきた。そんな感じだ。
「……閣下の予言通り、退いていきましたね」
「ああ」
本来なら追撃をするところだが、こちらも先にやることがある。本国奪還のために軍を少しでも残しておきたい現状では、ここでの戦いは優先順位が低い。
「部下だったら、内通を疑っているところです。なぜ、こうも敵の動きが解るのですか?」
そんなに不思議だろうか。敵の置かれた状況を想像すれば、こうなることは容易に推察できる。
「こんな状況は、どう考えたって、敵さんの好みじゃないだろ」
「……というと?」
「この場面で、猪突猛進で戦争を仕掛けるような奴は、今回のような回りくどい戦争を仕組んだりしないのさ」
俺は敵将の心理を代弁するように言った。
「敵さんは準備万端、策を巡らせて戦争をやりたいタイプなんだよ。それなのに、現状はどうだ? 仕掛けた罠は全部ご破算、川を渡って靴も下着もずぶ濡れになったまま、三日も強行軍をして、待ち構えた敵と戦うのかよ。背後にはアンジェリカ軍の気配もあるのに」
そいつらは、アンジェリカの所領にいた居残りの兵たちだ。
アンジェリカの本隊から、どうも相当に家柄がいいらしい使者が一人、道中の諸侯を説得する役目を果たすために送られてきたので、早速走り回ってもらった。
金をいくらか払って、付近の中小規模の都市から騎兵を三十騎ほど集めたのだ。そいつらに旗を持たせて偵察の真似事をさせた。
彼らは当然、アンジェリカ軍の本隊ではない。大軍と戦えるような戦力でもない。
だが、敵からしてみれば、カケドリに乗ったシャン人ではなく、馬に乗ったクラ人の軽騎兵が自分の軍を見張っているという状況は、かなり不気味だ。
当然、どこかに大部隊がいて、その斥候がやってきているのではないか、と考える。
憶測でしか分析ができない状況は、様々な想像をかきたてるだろう。
あの戦場にいたアンジェリカ軍の本隊が、こんなところに辿り着けるわけがない、という分析はできる。しかし、アルフレッドがきちんと本隊を拘束できているかは、連絡の速度が遅い向こうにとっては大きな不安要素だ。
そういう心配を捨て置いたとしても、アンジェリカが背後の抑えとして五千くらい兵を置いているという可能性は、十分に考えられる。
それを考えると、アンジェリカの支配地域に深く入り込んだ状態で、挟み撃ちに遭って殲滅される危険を冒しながら会戦を演じるというのは、かなり気が進まない選択のはずだ。
もちろん、そういった嫌な想像をすべてかなぐり捨て、がむしゃらに突っ込むという将も世の中にはいるのだろうが、少なくとも今の教皇領軍の頭脳はそうではない。
「敵は主導権を重視してる。立場がひっくり返って、こっちに戦争をコントロールされている状態では、正面衝突を避けたがるさ。これはもう、子供が渋茶を嫌うくらい当たり前のことで、解りきったことなんだ」
俺が逆の立場だったら、こんなワケのわかんねえ状況では軍を当てたくない。
まあ、たとえ破れかぶれになって当ててきていても、こちらが勝っていただろうがな。
「なるほど、閣下には読めていたと」
「そりゃそうだろ」
「それは……なら、リャオ・ルベの心中についても?」
……痛いところを突いてきやがった。
「さあな。莫迦の考えることなんて、俺には分からん」
「ですか。同情していないのなら、構わないのですが」
「同情?」
なんの心配をしてやがる。
「奴の末路は決まっている。これから殺すだけの相手に、同情する奴がいるかよ」
俺がそう言うと、ディミトリはうやうやしく頭を下げた。
「失礼を申しました」
「くだらない心配をしている暇があったら、撤兵の用意をしろ。敵につけ入る隙を見せないように」
「ハッ!」
ディミトリは大仰な敬礼をすると、立ち去っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ようやく辿り着いたノエルナルという町は、かつては栄えていたであろう港町だった。
陸地の腕が湾を波から守るように伸びていて、大型船が入港できそうな立派な桟橋があるところは、過去の賑いを想像させた。しかし、町は寂れきってしまっている。
そうなったのは、アルビオ共和国の爆撃で軒並み船が焼かれたからなのだが、こちらにとっては兵が休める空き家がたくさんある状況は都合がよかった。住民の視線はもちろん冷たいが、反乱の計画が立つほど長居するつもりもない。
かつて地球が丸いことに気づいた人間は、水平線の向こうから現れる船が、帆から先に現れるのを見て、その着想を得たという。待ち望んでいた船は、確かにそのように水平線から現れた。望遠鏡の中で、屹立した尖塔のような帆が現れ、次第に船体が姿を表す。三本マストに横帆を翻した、大きな貨物船だった。
それは、次々と現れる。二隻、三隻……大型船の入れる桟橋は一本しかなく、空っぽになった樽を繋げて板を渡した浮き桟橋も一つしか作れなかったので、順番に乗船することになるだろう。
港には、自由行動を許された兵たちが、しかし故郷に帰る――故郷を取り戻すために乗る船を見ようと集まっていた。
船は途中で二、三度のタッキングをして、ゆっくりと港に入ってきた。惰性で港に入れる距離まで近づくと、船は帆を畳む。それと同時に舵を切って、180度の回頭をして船尾をこちらに向けた。
惰性だけを使ってゆるゆると桟橋に近づき、最後には投錨をしてぴったりと桟橋につけた。事前に回頭をしないまま投錨をすると、錨は船の前方についているので、海底で錨が効いて鎖が張った瞬間、船体が180度の回頭をはじめ大惨事になってしまう。
熟練の船員にしかできない、見事な操船だった。
十分に桟橋に近づくと、船から太縄が投げられた。縄止めに結ばれ、それを引っ張ることで岸のギリギリまで近づけると、渡し板が船と桟橋とを繋いだ。
最初に降りてきたのは、ローブのフードを目深に被った何者かだった。その正体は、桟橋に降りた瞬間にわかった。
フードを脱いで露わになった部分にあったのは、見たくもない整った顔だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おっはー! 元気してるぅ?」
エンリケが喜色満面で近づいてくる。
今日は陽気モードか。うぜえのが来やがった。
「後ろのは?」
エンリケの後ろには、同じローブを着たワンサイズ小さなのがついてきていた。
男性にしては身長が低い。王剣か?
「私です」
アルビオ共和国の情報官、メリッサだ。
エンリケはメリッサの後ろに回ると、仲睦まじい様子で脇腹をさすり上げる。
「ヒャッ!」メリッサは胸の横で手を払いのけた。「やめてくださいっ!」
息をするようにセクハラをしている。船内ではこれが日常茶飯事だったんだろうか。
「治安は安定してそうだし、脱ごっか」
エンリケは味も素っ気もないローブを脱いで、小脇に抱える。
「自分で脱げる?」
「当たり前ですっ!」
メリッサは迷惑そうな顔でローブを脱いだ。メリッサからしてみれば綺麗なお姉さんといったところのはずだが、あんまり趣味ではなさそうだ。可愛がるのは好みでも、可愛がられるのは苦手らしい。やはり幼女じゃないとダメなのか。
「男ばっかりの船の中で女二人だからね~、トラブルは避けなきゃ」
そういう理由で禁欲的なローブを着ていたようだ。
いや、セクハラしてたのは主にお前だろ。
「まあいい。こっちに来い。荷積みの間に詳しい事情を聞く」
「おっけー、じゃーいこっか。メリッサちゃん」
エンリケはメリッサの手を取った。なんか妹を連れていく姉のようだ。
「自分で歩けますからっ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺は、誰もいない作戦室に足を踏み入れた。ここなら地図もあるし話がしやすい。
「で、なんでお前らが来たんだ? 妙な組み合わせだな」
なにぶん数往復の手紙のやり取りしかしていないので、向こうの情勢はさほど詳しく把握はしていないが、カラクモを中心にサツキが代理の執権者になっているのは確かなようだ。
旧態然としたサツキの政治感覚を考えると、メリッサを連絡役にするというのは考えられないし、エンリケはこの状況なら他に仕事がありそうなもんだ。シビャクに潜入させればいい仕事をするだろう。
できれば、ミャロに来てほしかったくらいだ。
「私は、えっと、向こうではどうにもやることがなくて……情報収集をしていたら疎まれはじめ、注意を受けたので、こちらのほうがお力になれるかな、と」
ああ、まあサツキの下ではそうなるだろうな。軟禁されなかっただけ、まだ配慮をしているほうだろう。
「陛下にも全然、会わせてもらえませんし……」
そっちが本音か。
「お前は?」
「ん~? さぁ~?」
ニヤニヤしながらトボけてやがる。だめだ、こんなアホの相手はしてられん。口を割らせるのもめんどい。
「メリッサ、報告をしてくれ。向こうはどんな状況なんだ?」
シヤルタからはきちんとみんな逃げられたのは知ってるが、詳細な情報は伝わってきていない。
「ああ、はい。船の中で整理してきました。これです」
「状況は極めて悪いです。ホウ家領は反乱軍によって分断されています」
「スオミが占領されてんのかよ」
誰だ、んなことした野郎は。
「ええ。あれ、ご存知なかったんですか?」
「ああ。報告は届いていない」
「伝令の事故ですかね。まあ、仕方ないです」
今は違うが、ここに到着した昨日以前は、伝令は海峡渡りをしたあと身を隠して一泊し、鷲を休ませたあと、移動し続ける軍を上空から探す必要があった。つまり、間に敵国を挟んだ大遠距離の伝令だったわけだ。海峡渡りの最中に死ぬかもしれないし、休息中にトラブルに見舞われる危険もある。不達に終わる可能性は高い状況だった。
「スオミの旧領主……じゃなくて、継嗣予定だった旧領主の甥という表現が正しいですか。ジャノ・エクという男が反旗を翻し、スオミは彼の支配下にあります」
あの無能のクソ野郎か。
クビにするときもさんざ本家に抗議してやがったが……あのとき、いちゃもんつけて殺しとくんだったな。過去に遡って非道の証言を集めれば不可能じゃなかったのに。諸侯への影響がデカいからとサツキに止められたんだ。
くそったれ。
思わず、チッ、と舌打ちをして渋面を作ると、視界の端に映るエンリケが微笑を浮かべたのが見えた。
まるで、俺の胸中に生じた怨嗟が、愛してやまない嗜好物であるかのように、こちらを見ている。
鬱陶しい。
「……だが、あんなクズにやられたのか。大した戦力を集められるとも思えんが」
「ホウ家の主要な将軍たちが不在の状況なので、組織的な抵抗が難しかったようです。これは現在も進行中の問題です」
「スオミには、ホウ社の主要機能が集約されてる。社員は逃げられたのか?」
「逃げられる人は逃げたようですが、かなりの人数が拘束されているみたいです。でも、ジャノ氏がどんなに馬鹿でも、金の卵を産むシクラを殺害したりしないでしょう」
シクラとは、赤い身をした遡上魚のことで、鮭に似た魚だ。近頃のメリッサはシヤルタの諺まで使いこなしている。
まあ、それに関しては確かにその通りだろう。いくらなんでも、社の再稼働に必要な人材を殺したりはしないはずだ。たとえ虫けら並みの脳みそしかもっていなくても、リャオが止めるだろう。
「で、向こうの軍は現状、誰が指揮してるんだ。まさかサツキじゃないだろうな」
サツキは事務能力には優れているし、領の統治も申し分なくできるが、軍事教育を受けているわけではない。軍の指揮などできないはずだ。
「サツキさんが手綱を握って、引退した老将たちが各地で抵抗している形のようです」
サツキが? なぜ?
「ミャロはどうしたんだ。公式に、俺が不在の間の指揮権限があるはずだぞ」
「はい?」
メリッサは唖然としたような顔をして、そう言った。
「ミャロさんなら、王都シビャクで敵軍に捕らえられました。それも知らないんですか?」
俺の無知を糾すような声色に、俺は頭が真っ白になった。
……は? ミャロが?
「そんなわけはない。本当か?」
「本当ですよ。ユーリ閣下、大丈夫ですか?」
メリッサは俺の頭を疑いだした様子だった。
「整理するぞ。シュリカと、シャムと、リリーさんが無事脱出した報告は受けている」
「はい。その三人はご無事です。閣下は、なにをもってミャロさんが無事だと認識したんですか?」
「カラクモから届く報告書に、ミャロのサインが入っていたからだ。つい二日前に届いた報告書にも入っていたぞ。シビャクから脱出できなかったなら、書けるわけがない」
「……それは」
メリッサは眉をひそめて、一瞬うつむいて思考を整理したようだった。
「おかしいです。内部にスパイがいるようですね」
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