第288話 宰相とお酒
キエン・ルベの葬儀から三ヶ月が経ち、ルベ家軍の代わりに配備した遠征軍は態勢を整えつつあった。
その頃、俺はミャロから緊急の要件で呼び出された。
「ユーリくん、アルフレッドから親書が届きましたよ」
「向こうからきたか」
「読んでみてください」
黒檀の机の向こうから、ミャロが開封済みの親書を差し出した。宛名は俺になっているが、ミャロは全ての書類を開封する権限を持っているので、なにも問題はない。
俺は羊皮紙の束を受け取ると、応接用のソファに座ってそれを読み始めた。
「……ふーむ」
内容は、会合の申し入れだった。
「大規模な戦いがあったという情報はまだ入ってきていませんが、メリッサさんの言った通り、アンジェリカと教皇領が手を組んだせいで窮地に立たされているのでしょうか」
「どうだろうな。この内容を見るかぎり、こちらの暗殺を狙っているようには見えんが……」
どちらかというと、警備上はこちらが有利な内容になっている。この条件を受け入れるなら、向こうがこちらを暗殺するチャンスはない。逆に、こちらにとってはやろうと思えばできる。
「意外といってはなんですが、まともな外交的な感性はあるようですね。こちらにとっては、卑怯者の汚名を受け入れてまで暗殺するメリットがないことを理解しているんでしょう。もしアンジェリカと教皇領が手を組んでいるなら、放っておけば戦争で殺してくれるわけですから。我々がわざわざ手を汚す必要もありません」
「うーん……なにが狙いなんだろう。自分の領じゃなく、アンジェリカの領を狙ってくれって要求してくるつもりかな」
「……分かりませんね」
ミャロは険しい表情で、眉間に小さく皺を寄せながら考えている。ミャロがここまで考えて、なんの答えも出ないのは珍しい。
「――とりあえず、会ってみてもいいんじゃないでしょうか。どんな要求があるにせよ、そこからは意図が汲み取れるはずです。会ってみて損はありません。論外と跳ね除けるのはこちらの勝手ですし」
「そうするか……じゃあ、ミャロも来るか?」
こういった外交の場では、ミャロがいてくれると心強い。
「すみません、ちょっと今は忙しすぎて……信頼できて、テロル語も喋れる有能な部下が、あと二十人くらいいたら、暇もできると思うんですけど……」
そう言ったミャロの目元には心労が浮かんでいた。
黒檀の机の上には、書類が山と積まれている。
「……すまんな、働かせすぎて」
ミャロがオーバーワークな状態なのは百も承知なのだが、休んでくれと気楽に言うのも無責任な気がした。
ミャロは内政の中心にいる。その仕事を代わってやれる人間はいない。その状態でミャロが休むということは、仕事に穴を開けるということだ。それができないポジションに据えてしまったのは、俺自身だった。
「いえ、いいんです……好きでやっていることですから。ただ、先日の試験の合格率があまりによくなかったので……少し参っているのかもしれません」
行政官の能力を担保するために始めた、資格試験のことだろう。
ミャロからしてみれば、必死に勉強すればマァ一年で合格できるでしょう、という難易度に設定したらしいのだが、蓋を開けてみれば合格率はたったの7%で、想定していた採用者数の半分しか充当できなかった。
「気が参ってるのか。なら、気晴らしにでもいくか?」
「気晴らし……ですか?」
俺は時計を見た。
「夕食には少し早いが、この時間なら早引きしたって問題ないだろ。俺も、あとは積んでいる仕事を少し片付けようと思ってただけだし、明日に回したって問題ない」
さすがに、ミャロもこの時間から重要な会議など入っていないだろう。机の上の書類を崩す作業をやるだけのはずだ。
「せっかくなんですが……仕事が立て込んでいて、時間が……」
「……本来なら、あと二時間くらいで終業時刻だろ? 帰って休むのが普通なんだぜ。当たり前のように毎日残業してるせいで、感覚が麻痺してるんじゃないか」
「うーん……ですが……」
ミャロは気が進まなそうだ。
「もう決定事項だ。ほら、早く行こう」
こういうときは無理やりにでも連れ出したほうがいい。
「でも……ユーリくんとボクの両方がいなくなったら、非常事態に対処できません」
「なら、王剣を何人か連絡要員に連れて行く。急ぎの要件があったら連絡を取れるようにしよう。それでいいだろ?」
「それなら、まあ……」
「なら、行くぞ。まずは俺の部屋で服を変えよう」
俺は席を立ったミャロの手を取ると、歩きだした。
◇ ◇ ◇
私服の上に男物のジャケットを着て、帽子と伊達メガネをかけたミャロは、意外と変装がサマになっていた。
カジュアルなレストランに入って、ピザっぽい料理を二人でシェアしながら食べると、食中酒を飲んだミャロは気がほぐれたようだった。
そのまま、二軒目の個室居酒屋に入った。
午後九時。
「あのねぇ~、ボクらって、白樺寮にいた子たちのことは、不憫だなって思ってんれすよ」
ミャロはどうやら顔は赤くならない体質らしいが、首に力が入っておらず少しフラフラしている。
完全にできあがってしまった。
「うんうん、そうだな」
「ユーリくんも、そう思うでしょお? 家業がああだったからって、彼女らはなんにも悪いことしてないのに……無職ですよ! 無職! この国の知識階層として中央行政を担うはずだった女の子たちが、体を売るか売らないかのところまで追い詰められるなんて、あっちゃいけないんれすよ!! そうは思いませんかぁ!?」
「まったくそうだな」
ミャロって仕事で疲れた時に酒かっくらうとこうなんのか。
やべー面白い。
「らから資格を用意したっていうろに……そりゃあね、ちょっとは難しかったかもしれませんよ? れもね、人生を変えたいなら、死ぬ気でがんばれってんですよ! 公示から一年もあったのに、あの子たちはなにしてたんれすか!?」
ミャロは少し泣きそうな顔をして拳で机を小さく叩いた。
「ユーリくんもそう思うれしょ!?」
「思う思う」
「――らのに、一般人のほうが合格者多いって!! ろういうこと!?」
民間の活力が高いのはいいことだし、俺は「おー、一般人も頑張ってんじゃん」と歓迎してたくらいなのだが。
ミャロからしてみれば、元魔女の不甲斐なさが情けなくて仕方ないらしい。
「教養院のカリキュラムで学んだ内容とは、だいぶ違うしな。しゃーないだろ」
試験範囲は、行政官としての基礎教養と、向こう側の世界史、クラ人の文化の知識、そしてテロル語だった。
最初の基礎教養の部分以外、教養院で学ぶ範囲とかぶっていない。テロル語を熱心に学ぶ機会があったというのは大きなアドバンテージだろうが、それも自由選択科目だったわけで、全員が取っていたわけではない。
ていうか、そもそも一般人のほうが倍近く受験者数が多かったしな。
「そらそうですよ! 古代シャン語らんて、なんの役にも立たない仕事なんれすから、試験科目に入れるほうが変れしょ!」
「うんうん」
「れも、勉強は勉強れしょ? 魔女って頭がいいのが自慢れしょ? ボクがもとめてるのは、数学みたいな才能が必要な学問らなくて、広い意味れは一般教養れすよ? なんでできないかなぁ~……ねえ、なんでだと思います?」
やべぇこっちに聞いてきた。
「試験対策のない一回目だったから難しかったんじゃねえの? 詰め込み自体は得意なんだから、来年はもうちっとマシになるだろうよ」
「……ユーリくん、ちゃんと飲んでます?」
あまりに冷静な切り返しだったからか、ミャロは俺がちゃんと酔っているか疑っているようだ。
「飲んでるって。酔っても態度に出ないタイプなんだよ。知ってるだろ」
ていうか、俺まで泥酔したら急報が入ったとき誰が判断するんだよ。
「じゃあいいですけど……それで、なんの話でしたっけ?」
「行政官試験の話だろ」
「そうでした。もー考えることがいっぱいで……不満を抱いた層を放っておいたら反乱分子になっちゃいますし……元騎士の人たちとかも大変らし、主張を聞くと言い分はわかるんれすけろぉ……でもでも、学校通って読み書きができる時点で、庶民よりはスキルがあるわけじゃないですかぁ。なーんで、並の暮らしで満足してくれないんですかねぇ」
「……まあ、そりゃ難しいだろ」
人間、生活レベルを落とすと惨めさみたいなものが纏わりついてくるという。
それに加えて、人を支配する側であった立場を奪われ、昨日まで支配していた者たちと同格の扱いを受けることは、プライドが許さないという者もいるだろう。
そういう屈辱感をバネに成功を収められる人間もいるのだろうが、割合としてはそう多くはない。
「もう、嫌んなっちゃいますよ。みーんな文句ばっかりだし……トラブルは山積みだし、他人に任せたらもっとこじれて返ってくるし……これから一生、朝から夜まで働いて、帰ったら寝る生活ですかぁ……?」
「仕事、楽しくないのか?」
国家の宰相として采配を振るう生活は、まさにかつてのミャロが望んでいた仕事だったはずだ。
まあ、やってみたら思っていたのと違ったとか、何年もやったらうんざりしてしまった、というのもよくある話だけど。
「やりがいはありますけど……家に帰るとさみしいれす。心を許せる相手が、アイリーンしかいないのれ……」
アイリーンは、ギュダンヴィエル家の家宰をやっている女性だ。ミャロの遠縁で、子供のころから側付きになるよう育てられた。
「ろぉしたらいいんれすかね……」
ミャロは酒で気弱になっているのか、執務室で宰相をやっている時からすれば想像出来ないような、不安で涙ぐんだような表情になっている。
「寂しいのか。じゃあ……い」
犬でも飼えば。っていうのは酷すぎるか。
「い? なんれすか?」
「いや……なんだろ」
寂しさを埋める方法って思いつかねえな。だから皆それで苦しんでるんだろうが。
「頭でも撫でようか?」
なに言ってんだ俺は。
「やってみてくらさい」
ミャロはそう言うと、すっくと立ち上がってテーブルのこちら側に来た。
三人くらい座れそうな長椅子の、少し離れたところに腰掛けると、なぜかこちらに傾いてきた。
俺の膝の上に小さくて賢い頭が乗った。
「ふみぃ……」
ミャロはまったく奇天烈な行動をしているのに、まるで馴染みのマッサージ店に来たように膝の上でリラックスしている。
酒の力ってすげえな。
「どうしたんれすか? なでないんれすか?」
撫でろって言われても、俺はシュリカにするみたいな、立っている相手へのなでなでを想定していたのだが。
膝の上にある人間の頭を撫でるって、したことねえよ。
「今やるよ」
俺は左手でミャロのふわふわの頭を撫でた。体勢的には難しいこともない。
「いい感じれす。もっとやってくらさい」
なにかねだってきた。これでいいらしい。
次第に右手が手持ち無沙汰になったので、頬を撫でることにした。なんか既視感があると思ったら、猫を撫でてるときと似ている。
「ふみゅうい……」
謎の声をあげている。気持ちが良いのだろうか……。
シラフの時にこんなんやったら、緊張して楽しむどころではないはずだ。やっぱり酒の力ってすごい。
それからずっと撫でていると、
「――――――………うぅん」
やっているうち、ミャロはなんだか不快そうに眉毛を動かし始めた。
まずかったか。
触ったら殺すゾーンを触ってしまったか。
上手いやり方を探ってあれこれしていると、ミャロは起き上がって膝から頭を離した。
「下手だったか?」
「いえ……なんだか惨めな気持ちになってきました」
惨め?
「他の女のものになっている男に、こんなふうに慰められるのは……あんまりに惨めです」
「………」
返す言葉がない。
「酔いも冷めてしまいました。帰ります。王剣に送ってもらいますので――ご馳走様でした」
ミャロはそう言うと、返事も待たずに個室を出て行ってしまった。
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